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第22話:泥臭い技術者①

 徹夜の作業を終え、白み始めた空を窓越しに眺めながら、僕は重い足取りでロビーへと降りた。


(……流石に疲れた。全身の関節が軋む)


 脳の処理領域はとうに限界を迎え、鼻の奥には鉄錆の嫌な臭いがこびりついている。だが、ロビーに漂っていたのは綺麗になったボロ寮の落としきれない、カビと埃の匂いではなく――ひどく芳醇で、香ばしい匂いだった。


 振り返ると、簡易キッチンの前にカイルが立っている。

 彼の手には湯気を立てる二つのマグカップ。


 片方を、ドンッと乱暴にテーブルに置く。


「約束のブツだ。徹夜でオレの杖を弄り回した労いくらいはしてやる」


 僕は無言でカップを見つめた。


(……カイルの手作り、か)


 脳裏をよぎるのは、丸二日寝込んだあの日。

 彼が不器用に剥いてくれた多角形の石ころみたいなリンゴの存在。


 このマグカップの中身も、先日地下の配管からぶち撒けられた泥水のように真っ黒に淀んでいる。


(……まあ、カフェインの塊だと思えば効率はいいか)


 覚悟を決め、カップを口に運ぶ。


「…………ん?」


 一口飲んで、僕は目を丸くした。

 泥水のような見た目に反し、雑味のないクリアな苦味。


 そして鼻へ抜ける深いコクと香り。

 抽出温度も完璧に管理されている。


 控えめに言って――今まで飲んだどんなコーヒーよりも美味かった。


「……美味いな。なんだこれ、本当にあのお前が淹れたのか?」


 僕が素直に驚きを口にすると、カイルは微かに肩を揺らし、フイッとそっぽを向いた。


「……ふん。あのナイフの扱いと一緒にするな。ベルシュタインの男なら嗜みとして、これくらい当然だ。……せいぜい味わって飲め、平民」


 耳が少し赤い。

 相変わらず素直じゃない王様だが、この一杯が徹夜明けの脳髄に染み渡るのは事実だった。


 直後、二階からそれぞれの個性が嫌というほど滲み出た足音が降りてくる。


「あ! ずるい、ラビだけカイルにコーヒー淹れてもらってる!」


 一番手は、赤い髪に盛大な寝癖を爆発させたリアだ。

 階段を一段飛ばしでドタバタと駆け降りてくるや否や、僕の持つマグカップを指差して頬を膨らませる。


 続いて、ズシン、ズシンと床板を軋ませながらガレットが姿を現した。


「……いい匂いだ。コーヒーの香りで、目が覚めた。……俺も、飲みたい」


 彼は大きな体を少し丸め、鼻をヒクヒクとさせながら、期待を込めた目でカイルの手元を見つめている。


 そして最後尾からは、ローブの裾を引きずりながら、ユラがフワフワと半分幽霊のように漂ってきた。


「お、おはようございますぅ……ふわぁぁ……」


 彼女はポロポロと涙目で、無防備なほどの大きなあくびを噛み殺している。寝ぼけているせいか無意識の【認識阻害】の制御が甘くなっており、姿がチカチカと半透明に明滅していた。


 リアの非難めいた声と、期待に満ちた視線に晒され、カイルは腕を組んで鼻を鳴らした。


「うるせえ! ……チッ、今日のオレは気分がいい。特別にてめえらの分も用意してやるから、大人しくそこに座ってろ!」


 偉そうに言い放ちながらも、カイルは手際よく追加のカップを準備し始めている。


 カチカチと小気味良い音を立てて手首を返し、三人の前にカップをドンッと置いた。


「ほらよ。……おいユラ、お前のは特別にミルクと砂糖をこれでもかとぶち込んでやった。ガキにはまだブラックは早えからな」


「ひゃうっ、あ、ありがとうございますぅ……」


 ユラが恐縮しながらカップを受け取ると、リアが身を乗り出してカップを両手で包み込んだ。


「あ、カイル! あたしもミルク入れて! 苦いのはちょっと苦手なの!」


「……チッ、注文の多い女だ」


 カイルは悪態をつきながらも、リアのカップにミルクを注いでやる。

 無糖のブラックを手にしたガレットを含め、それぞれが自分の好みに仕上がったコーヒーを口にし――全員が、揃って目を丸くした。


「……んーっ! なにこれ、すっごく美味しい!」


「……ああ。美味いな」


「えへへ……お砂糖とミルクで、ぽかぽかしますぅ。とっても美味しいですぅ……!」


 三人の素直な絶賛に、カイルは背中を向けたまま「……ふん」と鼻を鳴らした。


 だが、その耳がさらに赤くなっているのを、僕たちは見逃さなかった。


 ほっと一息ついたところで、リアたちの視線はようやく、テーブルの上に置かれた『見慣れない物体』に釘付けになった。


「ねえねえラビ、これって……!」


「ああ。昨日拾ってきたガラクタで、お前らの専用装備を組み上げた」


 僕が顎で示すと、リアとユラは目を輝かせてテーブルの上の装備に手を伸ばした。


 リアの『共振魔導銃』と、ユラの調整された『蜃気楼の外套』。


 カイルはといえば、自分の傍らに立てかけた『無骨な排熱フィン付きの杖』を、先ほどから誰よりも自慢げに撫で回している。


 そんな中、テーブルを一瞥したガレットが、僕の顔をジッと見つめてきた。


「……ラビ。俺の手甲の調整は、終わったか……?」


 あの規格外の鉄塊を、僕が下まで運べるわけがないと理解しているのだろう。彼は『散歩を待つ大型犬』のように、期待を込めた熱い眼差しで僕を見下ろしている。


「ああ、完璧に仕上がってるぞ。……ただ、どう足掻いても僕の筋力じゃ動かせなかった。僕の部屋にあるから、自分で取ってこい」


「……ん。分かった」


 僕の言葉に、ガレットはパッと表情を輝かせた。

 見えない尻尾をちぎれんばかりに振っているかのような勢いで、床をドスドスと揺らしながら嬉しそうに二階へと駆け上がっていく。


「ねえ、今日はどうするの? 本当なら、ガッコーある日だよね?」


 リアが自分のために作られた無骨な銃を愛おしそうに撫でながら、首を傾げる。

 すると、カイルが自分のマグカップを置きながら呆れたようにため息をついた。


「そういうことなら、、昨日の帰り際にフェリスのヤツが言ってたぜ。『明日の授業は免除してあげよう。どうせラビ君は、拾ってきたガラクタの解析(デバッグ)に夢中で、登校するどころじゃないだろうからね』……だとよ」


 そう言われ、ぐうの音もでない。


 ……完全に僕の行動パターンを見透かしてやがる。


 少々腹立たしい気もするが、図星すぎて反論の余地はなかった。


 僕は苦笑して、手元のマグカップを空にする。


「……座学を軽んじる気はないが、ハードウェアを更新した直後だ。今は実機での動作検証を優先すべきだろう。こいつらの性能評価(テスト)を始めるぞ」


 僕は立ち上がり、寮の裏手の方角を指差した。

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