第20話:寂しがり屋の王様③
「……こんな時間に誰だ?」
扉を開けると、そこには寝巻き姿の上に薄手のガウンを羽織ったカイルが、腕を組んで立っていた。
金糸のような髪は少し乱れ、目の下にはうっすらとクマができている。
「……何の用だ、カイル。明日も訓練だぞ」
「勘違いするな。便所に起きたついでだ」
カイルはツンとそっぽを向きながら、ズカズカと僕の部屋に上がり込んできた。
「メンテナンスとは言ったが、お前みたいな平民がベルシュタインの至宝に傷でもつけてねぇか、監視しに来てやっただけ――ッ!?」
偉そうに言い放ち、部屋の奥へ踏み込んだ瞬間。
カイルは目を見開き、ピタリと足を止めた。
「……な、なんだこの部屋の異常な熱気は……!?」
カイルの目が、僕の顔――いや、雑に拭った血の跡と、全身から立ち上る薄っすらとした蒸気に釘付けになる。
「ラビ、お前その血は……それにその顔色。またあの時の『熱暴走』の限界を超えようとしてるんじゃねえだろうな。一体、何を……!」
「ただのデバッグ作業の知恵熱だ。気にすんな」
僕は鼻の下を袖で乱暴に拭い、ニヤリと笑ってみせた。
「それより、便所のついでに監視とは、ずいぶん器用な王様だな?」
僕が茶化すように言うと、カイルの肩がビクリと跳ねた。
その目は、袖に付着した血痕と部屋に漂う熱気を――まるで不吉な『死の予兆』でも見るかのように、激しく揺れながら凝視している。
……無理もない。
丸二日も意識を飛ばし、死体同然になったあの時の光景が、こいつの脳裏にはこびりついているんだろう。
だが、今はあの時とは違う。
深夜の静寂の中、アドレナリンが脳を焼き、創作の快感が痛みを上書きしている。リアルタイムの戦闘デバッグに比べれば、この程度のオーバーフローは管理可能なエラーの範囲内に過ぎない。
ここでこいつに取り乱されて、作業を止められるわけにはいくまい。僕はあえて無頓着な職人を装い、カイルの意識を『僕の体調』から『目の前の作業』へと強引に引き剥がすことにした。
「なっ……てめぇ、人が心配してやってるってのに……!」
「はいはい。ほら、監視役の特等席だぞ」
僕は顔を赤くして言葉を詰まらせる彼を、無理やり作業机の前の丸椅子に座らせた。
便所のついで? 嘘に決まっている。
本当に素直じゃない、寂しがり屋の王様だ。
だが、今のこいつにはその『嘘』が必要なんだろう。僕が今にも壊れそうな欠陥品ではなく、生意気な口を叩くエンジニアでい続けるという保証が。
カイルは座らされてもなお、落ち着かない様子で僕の袖口や、机に置かれた血の付いた端切れを盗み見ている。
その瞳の奥には、まだ熱暴走の恐怖がこびりついて離れないでいた。
僕はあえてその視線を遮るように、作業机の中央に『それ』を突き出す。
その瞬間、カイルの視線が、机の上に置かれた自分の杖へと移り変わる。
「……おい。ラビ」
声が別の意味で、微かに震え始める。
ようやく僕の体調以外の違和感に気づいたようだ。
「なんだ、その鉄屑は。……まさか、それを俺の杖にくっつける気じゃないだろうな?」
カイルの意識が切り替わる。
恐怖から、『ベルシュタインのプライド』へ。
……よし、これでいい。
心配されるより、怒鳴り合っている方が僕たちらしい。
「ゴミじゃない。昼間に見つけた『ランタンの失敗作』の耐熱機構だ。カイル、お前の異常な熱量を逃がすにはこれくらい分厚い排熱口が――」
「ふざけるなッ!!」
深夜の部屋に、カイルの怒声が響いた。
彼は顔を真っ赤にして僕の胸ぐらを掴み上げる。
「これはベルシュタインの象徴だぞ!? 歴代の当主が受け継いできた、完璧な美しさを持つ至宝だ! そこにそんな……カビ臭いジャンク屋で拾った鉄屑をくっつけるなど、絶対に許さん!!」
「……完璧な美しさ、ね」
僕は胸ぐらを掴まれたまま、冷ややかにカイルの目を見返した。
「お前はその『完璧な杖』を使って、今まで一度でも全力で魔法を撃てたか?」
「……っ!」
カイルの動きが、ピタリと止まった。
「自分の規格外の出力を恐れて、常に無意識のブレーキをかけてきたんだろ。杖が壊れないように。自分が焼き切れないように。……その結果が、あの実技授業での――僕に手綱を預けて、ようやく放つことができたあの一撃だ」
「てめえ……ッ!」
「選べよ、カイル」
僕は彼の腕をゆっくりと振り払い、机の上の至宝と、鉄屑を並べて指差した。
「傷一つない美しい美術品を抱えて、一生ブレーキを踏みながらお飾りで生きるか。……それとも、不格好な鉄屑を背負ってでも、自分の手であの『化け物』クラスの出力を叩き出すか」
部屋に、重い沈黙が落ちた。
カイルはギリッと唇を噛み締め、震える手で自身の杖を見つめている。
名門ベルシュタインの次期当主としてのプライド。
美しいものを尊ぶ貴族の矜持。
それらが、彼の中で激しくせめぎ合っているのがわかった。
だが、僕は知っている。
周囲から『落ちたエリート』と嘲笑われてきたこの傲慢な金髪の男が、誰よりも自分の弱さを嫌悪し、誰よりも『圧倒的な力』に飢えていることを。
「……傷一つでもつけやがったら、許さねえ」
絞り出すような、掠れた声だった。
カイルはバツが悪そうに顔を背け、乱暴に僕のベッドに腰を下ろした。
「やれ。……ただし、俺の目の前でだ。少しでも手元が狂ったら、その場でてめえを丸焦げにしてやる」
僕は何も答えず、ただ小さく口角を上げた。
迷いの消えた『王様』にそれ以上の言葉は不要だ。
カチッ、という乾いた音と共に、溶接バーナーの炎を最大出力に引き上げる。激しい燃焼音が深夜の静寂を切り裂き、青白い炎がカイルの瞳を、そして彼の宝を冷酷に照らし出した。
鋭い視線が突き刺さる中、僕は杖の柄の一部を慎重に切除し、ランタンから取り出した排熱フィンを強引に、だが極めて精密に繋ぎ合わせていく。
杖の美しい装飾に、艶消しブラックの無骨な排熱口が溶接される。
それはまるで、精巧な芸術品に大型魔導機の排気管を無理やり外付けしたような、酷く歪で、アンバランスな代物だった。




