第2話:測定不能
「……着きましたぜ、坊っちゃん。乗り合い馬車が入れるのはここまでだ。ここから先は、許可証を持った『貴族様』の専用馬車しか乗り入れられない決まりでして」
申し訳なさそうにする御者の声に、僕は小さく頷いて馬車を降りた。
「ああ、分かっている。ありがとう。……それと、もう『坊っちゃん』じゃない。今日からは、ただの……ラビだよ」
そう言うと、御者は少し寂しそうに目を伏せ、無言で深く一礼してから手綱を引いた。遠ざかる馬車の車輪の音を聞きながら、僕は目の前にそびえ立つ巨大な門を見上げる。
――アルカディア魔術学院。
この国の頂点に君臨する門をくぐった瞬間、鼻を突いたのは潮風でも花の香りでもなかった。
鼻持ちならないほど濃密な、『選民意識』の匂い。
並ぶのは金糸の刺繍が施された豪奢な馬車。
宝石をちりばめた杖を携える貴族の子弟たち。
その傲慢な光景の中を、借り物の質素な服に身を包み、たった一つの鞄を抱えた僕が歩いていく。
「おい、見ろよ。平民が混ざっているぞ」
「魔術学院も落ちたものだな。ああいう『数合わせ』を招き入れなきゃならないとは……」
隠そうともしない蔑みの視線。
……まあ、想定内だ。
むしろ好都合と言ってもいい。僕みたいな異物が学院に潜り込むには、彼らの目は節穴である方が助かる。
「次……来い。名前は」
受付の試験官が、面倒そうに書類へ目を落としたまま言った。
「……ラビ・ラヴステラです」
愛すべき二人から授かった『ラヴィリオ』という名前は今、この瞬間に眠らせる。……少しだけ音を似せたこの安っぽい響きの偽名こそが、これからの僕だ。
「ラヴステラ……? 聞いたことのない名だな。田舎貴族の崩れか?」
「……まあ、そんなところですね」
試験官は興味なさげに名簿を指先でなぞり――ピタリと指を止めた。
「……あ? おい、何だこれは」
彼は顔を上げ、汚いものを見るような目を僕に向ける。
「魔法適性……『無し』?」
ハッ、と乾いた嘲笑が落ちた。
「魔法の使えない者がここに通って何になる。冷やかしなら帰って土でも耕していろ」
「……入学資格はあるはずですよ。筆記と身体能力の試験は、すべてパスしていますから」
僕が淡々と答えると、試験官は忌々しげに舌打ちをした。
……無理もない。
魔法適性がゼロの人間が、実技以外の一次試験を自力で突破してくるなど、彼の常識には存在しないのだろう。
だが、僕にとっては造作もないことだった。
筆記試験は魔術の歴史や基礎理論を問うもの。
独自に世界の仕様書を解析してきた僕にとっては、絵本を読むより簡単な単純作業に過ぎない。
そして身体能力試験。
魔法による【身体強化】を前提とした過酷な障害物走だったが――内側から暴走しようとする無限の魔力を押さえ込むため、幼い頃から血反吐を吐いて鍛え抜いてきたこの筐体にとっては、ただの軽い準備運動だ。
もちろん、悪目立ちしないよう意図的に手加減をし、息を切らしたふりをして『平均点ギリギリの凡庸なタイム』でフィニッシュラインを越えてみせたが……。
まったく、非効率なやり取りだと常々思う。
とっとと通してくれれば、お互いの時間を浪費せずに済むのに。
「……規約は規約か。なら、そこに手を置け」
促されたのは、台座に据えられた巨大な魔力測定用の水晶。
適性の有無に関わらず、その人間が持つ魔力の総量を数値化するための計測器だ。
周囲の受験生たちがニヤニヤとこちらを見ている。
適性のない者の魔力量など、灯火にも満たない。
それが、この世界の共通認識。
「おい、早くしろ」
試験官に急かされ、僕は内心で溜め息をつきながら右手を伸ばした。
(……最高学府のくせして、今時こんな骨董品で測るのかよ)
五歳の時と同じ、冷たい感触。
あの時は、自分の力が光らないことに絶望した。
けれど、今の僕には『箱の中身』が見えている。
――【解析】開始。
瞬間、僕の視界が青白く染まり、水晶の中に記述された『魔力測定の術式』が文字列となって浮かび上がった。
(……うっわ、なんだこれ。記述が古すぎる)
僕は思わず眉をひそめた。
この測定器のプログラムは、単純な加算方式だ。対象の魔力を1、2、3……とカウントして数値化している。
だが、僕の魔力は【無限】。
終わりのない数を、1ずつ数えようとすればどうなるか?
(……『無限ループ』に陥って、処理が永遠に終わらなくなる。……設計者は馬鹿なのか? [例外処理]くらい入れておけよ)
水晶の内部で、カウント処理が猛烈な勢いで空転し始めた。
いつまで経っても数値が確定しない。
そして――もっと致命的な問題が発生した。
ドクンッ!!
右腕の血管が、内側から破裂しそうなほど脈打った。
(……っ、痛ッ!?)
出口が詰まっている。
水晶側の処理が終わらないせいで、僕から流れ込もうとした魔力が渋滞を起こし、腕の中で逆流を起こし始めたのだ。
指先が熱い。
……いや、熱いどころじゃない。
骨の髄から沸騰しそうだ。
(……まずい、このままだと腕が弾け飛ぶ……ッ! 早く魔力を逃がさないと!)
「おい、どうした? いつまで触っているんだ」
試験官の悠長な声が聞こえる。
こっちは今、魔力逆流寸前なんだよ!
僕は脂汗を流しながら、脳内で必死にコマンドを叩き込んだ。
水晶の処理を待っている時間はない。僕の方で、強引に通り道を作るしかなかった。
(……しょうがない。緊急措置だ、僕の方で[接続用排出口]を当ててやる!)
僕は指先からノイズを流し込み、水晶内部の古いコードを書き換える。
チマチマした『1ずつ数える』プロセスを全削除……『入力値をそのまま表示する』ダイレクト転送モードへ変更。
――[更新]、完了。
だが、それが間違いだった。
――ブゥンッ……!!
水晶が、唸った。
僕の無限の魔力が、リミッターを外されたことで一気に流れ込んだのだ。
術式は書き換わった。
けれど――水晶そのものが、その処理速度に追いつけなかった。
――ビ、ジ、ジ……ッ!
「な、なんだ!? 異音が……!?」
試験官が椅子を蹴って立ち上がる。
水晶が赤熱し、内側から激しく発光を始めた。
(……あっ、まずい。処理速度を上げすぎた。この時代のハードじゃ、最新の[OS]には耐えられない……!)
「ちょ、ちょっと待ってください! 今、処理を戻しますから――」
僕が慌てて手を離そうとした、その時。
――パァンッ!!
限界を超えた熱量により、水晶が物理的に爆散した。
粉々になった破片がキラキラと舞い散り、会場が静寂に包まれる。
「…………」
やってしまった。
僕は散らばった残骸を見下ろし、痺れが残る右手をさすりながら、バツが悪そうに頭をかいた。
危なかった。
あと数秒遅れていたら、水晶の代わりに僕の右手が消し飛んでいただろう。
……そう考えれば、まあ、安い犠牲か。
「すみません。最新のパッチを当てようとしたんですが……メモリ不足でしたね。もっといい機材ないんですか?」
会場中が「は?」と凍りつく中。
一人だけ、静寂を破って吹き出した人物がいた。
「――ぷ、あははははは! 『メモリ不足』だって!?」
白衣を乱雑に着崩した女が、腹を抱えて笑っている。
「フェリス特務講師!? この平民が貴重な測定器を……!」
「黙ってなよ。……ねぇ、少年」
彼女は笑い涙を拭いながら、僕の足元に転がった水晶の破片を拾い上げた。
その瞳は、獲物を見つけた猛獣のように妖しく輝いている。
フェリスは破片を弄びながら、僕の顔を覗き込んだ。
「君、今、この中の『数式』を書き換えたね? それも、ほんの一瞬で」
「……書き換えたというか、最適化しただけです。ループ処理が無駄に長かったので」
僕が不満げに答えると、彼女はゾクッとしたように身を震わせた。
「……最適化、ねぇ。あはは、耳が痛いよ。確かにそのコードを書いた奴は、安定性重視の臆病者だったのかも」
彼女は破片を握りしめ、恍惚とした表情で僕を見上げた。
「合格だ、少年。……君みたいな生意気な技術者を、私はずっと待っていたんだ」
(……変わった教師だ。学校の設備が壊されたのが、そんなに嬉しいのか?)
僕は彼女の真意が読めず、眉をひそめた。
普通、自分の学校の設備を『ポンコツ扱い』されたら怒るはずだ。なのに彼女は、まるで待ち焦がれていた恋人の言葉を聞いたかのように、頬を紅潮させている。
彼女が差し出した書類には、殴り書きでこう記されていた。
――『特別調整クラス、編入』。
「これは『特権』だよ。私のクラスはね、この世界の堅苦しい[システム]に嫌われた、はみ出し者専用の特等席なの」
彼女は僕の手を取り、まるでダンスに誘うようにウィンクしてみせた。
「歓迎するよ、ラビ君。君なら、この退屈な箱庭を……跡形もなく壊してくれそうだ」
彼女は僕にだけ聞こえる声で、いたずらっぽく、しかし冷徹にそう囁き――そのまま踵を返した。
颯爽と去っていく白衣の背中。
それを見送りながら、僕はまだ熱を持ち、微かに震えている右手を強く握りしめた。
……最悪だ。ただの『背景』として潜伏し、誰にも気づかれずにシステムへ侵入する計画だったのに。初日からこんな派手な記録を吐き出して、あろうことか『特務講師』なんていう厄介な監視がついた。
(……前途多難だな、まったく)
僕は深いため息をつき、案内された『ゴミ箱』への道を歩き出した。
――だが、思考は止めない。
そこが誰からも見向きもされない廃棄所だと言うのなら、『裏作業』の拠点には、むしろ好都合かもしれない。
瞳の奥で、青白い解析の光が鋭く明滅させながら。
(……どうやら世界は僕を、ただの落ちこぼれとして放っておいてはくれないらしいな)
これから始まる学院生活、より慎重に立ち回る必要がありそうだ。
◇◇◇
‐[フェリス・レポート]#01:水晶破壊の真相‐
Q:なんでラビの時だけ水晶が爆発したの? 魔力が多いだけなら針が振り切れるだけじゃない?
A:ふふ、いい質問だね。その違いを分かりやすく教えてあげるよ。
1. 普通の生徒(魔力過多)の場合
例えるなら「バケツ(水晶)」に「水(魔力)」を注ぐようなものさ。
どんなに勢いよく水を注いでも、水が溢れるだけでバケツそのものは壊れないよね? ただ測定器の針が「MAX」で止まるだけだ。
2. ラビ君の場合
彼は水を注いだんじゃない。「バケツの底」を抜いたんだよ。
【プロセス:無限ループの悲劇】
あの水晶には「水を1滴ずつ数える(加算方式)」という古いソフトが入っていた。
でも、ラビ君の魔力は「無限(海そのもの)」だ。1滴ずつ数えていたら永遠に終わらない(フリーズする)よね?
痺れを切らした彼は、ソフトをこう書き換えたんだ。『数えなくていい。全部そのまま通せ(ダイレクト転送)』ってね。
【結果:ハードウェアの限界】
ソフトは最新になった。でも、悲しいことに水晶本体が古すぎた。
リミッターを外された無限の濁流が一気に流れ込み、物理的な熱量と処理負荷に耐えきれず……パァン!
【結論】
つまり、あれは「攻撃」じゃない。
最新のOSを、旧時代のPC(水晶)に無理やりインストールした結果の「熱暴走」さ。
……あはは、とんだ「メモリ不足」だよ。




