第10話:荒ぶるドラゴンと子馬の荷車②
寮を出て、本校舎へと続く並木道。
登校中の生徒たちが行き交う中、昨日学食にいた連中が僕たちを指差してヒソヒソと囁いている。
「見ろよ、あの『汚物』たちだ……」
「カイル様が、あんな連中と……信じられん」
普段なら肩を怒らせていただろうカイルは、今はただ不機嫌そうに前だけを見据えて歩いている。その隣で、リアが濡れた髪を拭きながら鼻歌を歌い、最後尾をガレットが無言で守る。ユラは誰にも見つからないよう気配を殺し、僕の背後にぴったりと張り付くようにして進んでいた。
周囲の蔑みは変わらない。
けれど、僕たちの間に流れる空気は、昨日とは決定的に違っていた。
少なくとも、「お湯が出た」という些細な奇跡を共有した者同士の連帯感が、冷たい視線から僕たちを守る見えない盾になっている。
地下教室の重厚な扉を開け。
朝の光など一切届かない闇の中。
瞳を爛々と輝かせたフェリス教官が、獲物を待ち構える猛獣のように笑って待っていた。
「おはよう、バグ共。顔色は悪くないね。……さて、今日からようやく、欠陥品たちの、欠陥品による、欠陥品のための――『バグ』を活かした実戦授業だ!」
フェリスは演習場にある錆びついた鉄板を指先で叩き、魔導ペンで乱暴な数式を書き殴っていく。僕たちはその前の冷たい石床に車座になって座り込み、彼女の「講義」を仰ぎ見ることになった。
「いいかい、欠陥品共。この世界で【魔法】と呼ばれているものは、実はただの『既製品』に過ぎないんだ」
彼女は鉄板に大きな円を描いた。
「魔力を練り、イメージし、発動する。……笑っちゃうね。そんなの、ただボタンを押して全自動洗濯機を回しているのと変わらない。君たちは、その機械の中身……『記述』がどうなっているか、考えたこともないだろう?」
フェリスはカイルを指差した。
「カイル。君の火が暴走するのは、君が無能だからじゃない。使われている『火球』の術式そのものが、君の魔力出力に耐えられないほど『低品質』だからだよ。……安物の蛇口に、高圧ポンプを繋げばどうなると思う?」
「……破裂する、だろ」
「正解。君たちは自分を『無能』だと思い込んでいるが、本当は逆だ。器に対して、この国が推奨する『教科書通りの魔法』が、あまりに稚拙でバグだらけなんだよ」
フェリスはニヤリと笑い、黒板に『荷車』と『ドラゴン』のような絵を殴り書きした。
「学院の標準魔法は、言わば『子馬』のために作られた、安全だが脆い荷車だ。厳重な速度制限がかけられている。……そこに、君たちのような『荒ぶるドラゴン』を無理やり繋いだらどうなる? 車輪が砕け、車体がバラバラになるのは当然だろう?」
「……!」
その言葉に、カイルがバッと僕の方を振り返った。
ガレットも、ユラもだ。彼らの瞳には、『あの時のラビの言葉は、デタラメじゃなかったのか』という驚きと、納得の色が浮かんでいた。
(……だから言っただろ。僕の解析に嘘はないって)
小さく肩をすくめて返すと、フェリスの視線が、ふとリアに向けられた。
「リア君の破壊も同じだ。規格外の出力に対し、制御ブレーキがあまりに脆すぎる。だから全ての事象が崩壊へと収束する――」
「……」
いつもなら明るく茶化すはずのリアが、その時だけは俯き、スカートの裾をギュッと握りしめている。
一瞬だけ覗いた、道化の仮面の下にある怯え。
フェリスは冷徹な目で、彼女を含めた教室全体を見渡した。
「先日、私は君たちを『ゴミ』だと言ったね? ……あれは嘘じゃない。どれほど最強のドラゴンだろうと、子馬用の荷車しか引けない場所では、ただの『制御不能な破壊兵器』だ。……つまり、今の学院のシステムにおいて、君たちは走ることすらできない『産業廃棄物』以外の何物でもないのさ」
「……産業廃棄物、か。随分な言い草だな」
カイルは悔しがるどころか、不敵に笑って鼻を鳴らした。
その視線は、隣に座る僕の方に向けられている。
「だが、その『ゴミ』を宝に変える整備士が、ここにいるんだろ?」
フェリスは目を丸くし、やがて満足げに肩をすくめた。
「ご名答。……ただ教師である私には学院の規定は変えられない。私は『荷車』の乗り方しか教えられないからね。……だからこそ、規格外の『外部OS』である君に丸投げしたんだよ、ラビ君」
「……随分といいご身分ですね。自分の職務怠慢を、僕になすりつけないでくれませんか」
僕がジト目で睨むと、フェリスはゾクゾクしたように嬉しそうな笑みを浮かべた。
「ふふ、手厳しいねぇ! だが、事実は事実だ。この学院のシステムを作った設計者は、よほど想像力が足りない『馬鹿』だったんだろうさ!」
(……自分の職場の根幹システムをここまで嬉々として貶すとは。この人、本当に教師なのか?)
彼女の常軌を逸した高笑いをスルーし、僕は呆れながら黒板を見る。
「……で? 要するに、その『腐った荷車』を捨てて、彼らに合った乗り物に作り替えろってことですか?」
「ブラボー! その通り! 君たちがこれからやるのは、自分の中にある『間違った魔法』を一度壊し、ラビ君というフィルターを通して再構築することだ」
フェリスは鉄板の数式を、黒い魔力で塗り潰した。
「君はこれから、仲間の魔法が発動する『直前』に介入し、彼らの術式をリアルタイムで修正しなさい」
フェリスは指先を振るい、カイルとガレットの周囲に半透明な膜のようなものを展開した。
「一応、私の最高強度の『遮断結界』で囲っておいたよ。万が一暴発しても、肉体が四散するような最悪の事態だけは防いであげる」
「……随分と大雑把な保険ですね」
「ふふ、ただし精神的なショックまでは保証しないよ? 失敗すれば、彼らの回路が焼き切れて二度と魔法が使えなくなるかもしれない。……もちろん、接続する君の脳にも、相応の『バックファイア』があるだろうけどね」
「……ッ」
僕は思わずこめかみを押さえた。
ボイラー修理や、昨日のスープの術式を弄るのとはわけが違う。
あれは、物体に付与された『外部プログラム』を書き換えただけ。だが今回は生きた人間の、しかも暴走寸前の魔力回路そのものに割り込めという。
想像しただけで、脳の奥がチリチリと焼けつくような幻痛が走った。
失敗すれば、彼らを廃人にするだけでなく、僕自身の脳も許容量を超えて沸騰するだろう。
「……一つでもミスをすれば、全員再起不能だ。そんな『自殺行為』を、教育者が推奨するっていうのか?」
僕が睨みつけると、フェリスは恍惚とした表情で頷いた。
「ああ、推奨するとも。君の脳にはそのために、『魔法が使えない』という広大な『余白』が残されているんだからね」
彼女の瞳に、迷いや憐憫は一切ない。
あるのはただ、未知の実験結果を前に舌なめずりをするような、純粋で残酷な信頼だけだった。
(……クソッ。イカれてやがる)
僕は脂汗の滲む拳を強く握りしめた。
ビビってるのか? 今更? いや、違う――。
(……言ったのは、僕だ)
脳裏に蘇るのは、彼らに向かって放った自分の言葉。
『全員まとめて、最適化してやる』—―あの啖呵が、ただのハッタリだったなんて言わせない。
僕は大きく息を吐き出し、覚悟を決めて顔を上げた。
その瞳にはもう、迷いではなく、困難なバグに挑む技術者の光が宿っていた。
「……上等だ。やってやるよ」
フェリスは満足げに笑い、指先で魔法陣を描いた。
教室の床が物理的にせり上がり、無機質な闘技場へと変貌していく。
彼女の視線が、逃げ場のない事実として僕を射抜いた。
「ラビ君――君はこのクラスの『OS』になりなさい」
◇◇◇
‐[フェリス・レポート]#05:なぜ『空っぽ』が最強なのか?‐
Q:他の優秀な魔法使いには、ラビ君と同じ「リアルタイム・デバッグ(即時解析)」はできないの?
A:無理だね。彼らの脳みそ(メモリ)は、余計なアプリでパンパンだからさ。
1. 普通の魔法使い(メモリ不足)
彼らは魔法を使うために、脳の容量の大部分を「常駐ソフト(ドライバー)」に割いているんだ。
『火を出す.exe』、『魔力制御.exe』
これらが常にバックグラウンドで起動しているから、CPUには余裕がない。もし彼らが、数千行のエラーログを読み解く「デバッグ」をしようとすると……。
[自分の魔法維持(50%)]+[他人の解析(80%)]=[130%(脳がパンクして廃人化)]となる。
これが「処理落ち(フリーズ)」の正体さ。
2. ラビ君の場合(メモリ全開放)
彼は魔法適性がゼロ。つまり「魔法用ソフトがインストールされていない(できない)」状態だ。ドライバは空っぽ。CPU使用率は常に0%に近い。
だからこそ、彼はその計算能力の全てを一点に集中できる。
[自分の魔法(0%)]+[他人の解析(100%)]=[100%(ギリギリ動作可能)]
【結論】
ラビ君、君はずっと「自分には何もない」と嘆いていたね?
だが、それは違う。君は何も持っていないからこそ、誰よりも広い「余白」を持っている。
その空っぽの脳みそこそが、世界中のあらゆる術式を受け入れ、書き換えるためにあつらえられた『解析専用機』の証なんだよ。




