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「総理、まだ突然死は収まらないようですが、どうなっているのですか」
国会議事堂の中で、野党第一党の山本の言葉に続くように、野党から罵声が飛んだ。当初の予定では、血液感染騒動はもう鎮静化していてもおかしくはない期間が過ぎようとしていた。しかし集団自殺や自らの得のために行動する人たちや、情報を得られない人たち、更に遊びなどにそれを使うSNSなどもあり、死者の数は圧倒的に減っていながらも、完全に終息するとういう状況にはなっていなかった。
「当初の予定とはいかないですが、確実に感染者も減り、もう少しで鎮静化することと思います」
矢面に立った藤原は、そう答えることしかできなかった。再び山本がここぞとばかりに藤原を攻め立てた。
「もう少しと言いますが、経済もインバウンドなどの需要も減り、日本は大変な状態になってきています。医療機関もまだまだ対応が厳しいところもあります。その点はどう考えていますか」
「確かにその点は未だに先が見えない状況ですが、首都圏以外での感染は見られなくなっておりますし、このまま国民の皆様に状況を理解していただければと考えております」
その藤原の言葉に野党たちは、声を大きくして罵声を浴びせていた。
「対策もせずに、ただ感染対策を国民に押しついているだけの与党に対して、誰が納得すると言うのですか」
「感染に対する対策は、国民一人ひとりの努力以外には対応はできないと考えています。
それをお願いし、その後の対策を練っていくことが、私たちだという事も理解をしています」
藤原は一度止まってしまった経済を、どのように支援していくのか、それは閣議だけではなく、与党の政調委員たちとも話し合っている状況であった。清橋は毎回対策どうこうと言いながらも、対案を出さない野党に嫌気の表情を向けた。
そんなやり取りがあった夜、藤原は料亭に山本から呼び出しを受けていた。そこには清橋も同席をしていた。
他に聞かれてはならない話もあるので議員たちは料亭を使う。守秘義務を守るという意味では、そこが昔から一番手っ取り早い場所であった。
「藤原さん、国会でも言ったように、早く鎮静化してもらわないと困るんですよ」
山本は日本酒を入れた猪口を口元へと運んだ。理解はしているというような素振りを見せる藤原とは異なり、睨みを利かせたのは清橋であった。
「山本さん、早く収まらないとこのコと会えないものな」
清橋は一枚の写真を卓上へと押し出した。そこには愛人と腕を組んで旅行している山本の姿が映っていた。少しばかり狼狽の色を見せた山本は、すぐに知らぬ顔をするように、再び日本酒を注ぎ、口腔へと流し込んだ。実際に突然死がはじまってから愛人との性行為すら怖いと思っている山本は、この騒動が起きてからというもの、愛人宅を訪れることをしていなかった。自らとのみの肉体関係であれば、お互いが感染するということはないのであろうが、相手を信用していないという気持ちが現れていた。
「山本さん、あなたたちがただ単に自分たちの利点だけで政治をしようとかまわないでしょう。しかしながら、有事で絶対的に進めなければならない状況を、利益の材料に使わないでいただきたい」
藤原も清橋に乗るように言った。実際山本たちは、国民に聞こえがいいような事は言うが、財源も考えず、その裏では不良外国人を国内に招き入れ、そこからキックバックのような物を得ていることもあるようであった。だがそんな事よりも、今回の感染症の鎮静化が先である。そこで足の引っ張り合いをしても仕方がないと考えていた。
一部の議員たちの裏の姿を知らない有権者たちは、そんな議員たちの素行を調べもせずに当選させているのである。国会議員もたちが悪い者もいるが、それを選んでいる有権者たちも、同罪だと清橋は考えていた。
「そんな、私は国民の事を考えていますよ。だからこそ早期の鎮静化や、その時期を知らせてもらいたいと言っているんです」
山本は藤原よりも清橋の存在を煙たがっていた。この老人は未だに権力のみならず実力を持っている。事を構えたら厄介になることは間違いない。追い詰められた山本の陥落は早かった。
「兎に角、早く収まるようにしてもらいたい」
中身の入っていない猪口をあおり、山本は怒気を表情に表して席を立って行った。その後ろ姿を藤原も清橋も見送る気にもなれなかった。まとまりのない話が何とか終わったと安堵する藤原の姿を見て、清橋は余裕を見せるように笑顔を見せた。
「斎藤、入ってこい」
清橋の言葉で隣の部屋に鎮座していた斎藤が入ってきた。何かの時に対応ができるようにと藤原が待機させていたのである。清橋は徳利を手にし、斎藤へと向けた。斎藤はそれを悟り、頭を下げて使用されずに机の端に置かれた猪口を手に差し出した。
「まあ一杯やってくれ」
藤原の言葉に斎藤は末席に座り、酒を飲み込んだ。米の甘さのあるふくやかな液体が、身体に染みこんでいくようであった。
「わざわざ待機してもらって悪かったね。しかし山本さんも自己利益だけで動くとは」
藤原は情けない表情を宙へと向けた。清橋は猪口に入った日本酒を飲み干してから口を開いた。
「あいつらはいつもそうだ。自分たちで決断はしないで、文句ばかりを言って来る」
思わず藤原はその言葉を聞いて肩の力が抜けたようで、微笑を見せた。
「それで、このままでも終息は迎えられそうなのかな」
二人の国会議員から強い視線を向けられた斎藤は、首を縦に振って答えた。
「どちらにせよ、現状の感染者たちはそれを楽しんでいる人たちばかりです。
集団自殺のサイトなども警視庁が一気に抑えることで、鎮静化すると思われます。
それなので終息を迎えることは間違いないと思います」
「そうか、高部も斎藤君も良くやってくれた。どうだ、この際国会議員にでもなってみないか」
清橋は思わず徳利を手に斎藤へと提案を向けた。斎藤は猪口を机の上に置き、一歩下がって頭を下げた。キャリア官僚としても、国会議員としても斎藤ならば申し分ない働きをしてくれるであろうと藤原も考えていた。
「申し訳ないのですが、議員になろうとは考えておりません」
斎藤の言葉は強かった。その言葉を受け、清橋は再び強い視線を向けた。
「そうか、しかしもう少ししたら退官になるかもしれないのだろう。
そうしたらやはり国のために何かをしたいと思わないか」
清橋は強く押し切ろうとしていた。それでも斎藤はその矛先を軽くいなした。
「議員立法などにかかわる仕事はしてみたいと思っています。でもその前に、今まで尽くしてくれた妻と旅行でもしたいと思っています」
「旅行か……」
「はい、こんなに働き詰めの私を支え、子供たちを独立させるのに一番努めてくれたのは妻ですから、ある種罪ほろぼしも踏まえて、二人でのんびりしたいと思っています。
それに孫の顔も見に行きたいものですから」
「そうか」
清橋は柔らかい言葉の中にある斎藤の真を聞き、先ほどまでの表情を緩め、改めて徳利を斎藤へと向けた。斎藤は快くそれを受け、一気に口腔へと流し込んだ。
この感染症騒ぎが収まったら、上高地にでも行きたい。妻が言っていた言葉を斎藤は思い出していた。
** *
斎藤の言葉通り、悪ふざけをしていた者たちが死に絶えたのか、それとも単純に感染源である血液が無くなったのか、確かではないが感染者が確認される日はなくなった。
外国人の風俗なども摘発され、入管の管理下に回り、近く多くが強制送還されるとも言われている。ある種違法風俗の摘発も多くされたことにより、政府の指示に従っていた風俗店たちは、賑わいを取り戻すのだろうと思われていた。
突然死が見つかってから終息するまでの間、自殺志願者たちの遺体は一〇〇〇を超えたと見られている。痛みもなく、公共交通機関に迷惑もかけずに死ぬことができるという中で、それほどの数が亡くなったことは、改めて生き方というものを考えることとなった。しかしながら、電車などに対する飛び込み自殺は、ある一定数見受けられた。追い詰められて死を選ぶ人たちは、衝動的であり、人に対する迷惑などは考えることはできないという事だったのだろう。そう考えると、本当に集団自殺をした人たちは、死を選ぶ必要があったのかとも考えてしまう。
「もう突然死の患者が見られなくなって、一週間が経ちますね」
石黒は電波の繋がっている竹下へ、安堵するような表情を見せて言った。
「そうですね。尾町さんも厚労省と話をして、もうそろそろ終息宣言を行ってもよいのではないかと話をされているようです」
ここまで話をすると、二人は今回必死になった自分たちの肩の荷が下りたことに、表情を緩めることしかできなかった。
「今回、斎藤さんもそうだし、高部大臣もかなり頑張ってくれましたからね」
「そうですね。もしも終息宣言が出た際には、尾町さんも含め三人でゆっくり飲みましょう」
「いいですね。次の日が休みの時にぜひ」
二人の笑いの声が、電波上で行きかった。
「総理、今回は終息しましたが、輸出入などが一時停滞したり、経済にも影響がでたりしました。
本当にあのタイミングで国民に告げることが良い事だったのでしょうか。もっと早く手を打つなどもできたとは思いますが」
野党第一党の山本は他の議員たちが藤原を責める様を、座して見ていた。先日の清橋から出された愛人との問題があるので、自らが矢面に立たないようにしていたからである。しかし与党以外の議員たちは藤原をここぞとばかりに攻め立てた。少しでも与党を崩す材料だと思えばそれを使うことは、彼らの頭の中では常套手段と言えた。
「私はあのタイミングで良かったと思っています。原因がわからない状況でいたずらに公表したいたら、もっと混乱を招いたと考えています」
堂々と答える藤原を見て、清橋は背もたれに思い切り体重を預けた。先日、料亭を出る時に聞いた藤原の対策に対して、それ以上に自らが何も言うことができない状況に、打つ手を考えることができなかったからだ。いやできないというよりも、それを尊重したのだ。今回の大仕事をした藤原が党のために自ら考えたことは、もしかしたら自分でもやりかねないと思える節もあったからである。
「総理が良いタイミングだと考えていても、国民は納得できない部分もあると思います。その責任をどのように感じているのでしょうか」
国民の気持ち、そんなものお前たちも考えたことなどないだろう。藤原は野党の言葉をただの戯言としか思っていなかった。
しかし反対意見を言う人たちは表面化するから、静観している人たちとの差を感じてしまうことは仕方のない事だと思えた。声が大きい方が得をする。本当に莫迦な話だと清橋は耳を背けたくなった。
「責任と簡単に言いますが、あなたたちは私にどのような責任の取り方を求めているのでしょうか」
「辞任しろ」
質問者ではなく、議場のあちこちから声があがった。藤原は大きく深呼吸をし、その言葉を一身に受け止める決意を改めて固めた。
「私が続投することが、責任を取ることにはならないのでしょうか」
「なる訳ないだろう」
「そうだ辞任だ」
ただ総理大臣である藤原を引きずり降ろせばいいという単純な考えの野党に、本当に藤原は嫌気がさしていた。この人間たちは、本当に国民のための政治を考えているのだろうか……極端ではないにせよ日本国籍を持つものたちに対して動くべき政治を、一部は外国人優遇など、裏では自分たちの利権でしか動かない議員たちもいる。本当に腹立たしいと藤原は思った。
「わかりました。あなたたちが口を閉ざし、政治を止めないというのであれば、私は潔く勇退しましょう。しかしながら、表面的なものではなく、ちゃんと国民を考えた政治を心がけてもらいたい。
それが私の切なる思いです」
この思いは与党の一部議員に対しても発したつもりであった。最悪多少の利権は良い。だが得た利権は国民のために使うべきである。それができなくて何が政治家だ。藤原は胸を張り、一礼をして背を向けた。
「何だその言い方は、無責任だぞ」
議場にそんな声も聞こえた。辞めないと言えば辞めろと言うし、逆を言えば更に逆だ。何という幼稚なやり取りである。これが国の最高機関なのであろうか……。情けないという気持ちを胸に、藤原はゆっくりと席に着いた。
翌日から報道はごった返した。
一部で、藤原総理は良くやったという声もあれば、日本を駄目にしたなどという論評もある。人々の見方はそれぞれであったが、日常はあっという間に回復していった。
「総理も思い切った事をやったものだな」
ホテルのバーのテーブル席で、尾町が少し寂しそうな表情を見せて言った。そして舌の上に、ブランデーを流し込んだ。
「そうですね。ただあの思い切った行動が、今回は良い方向に向かったと私は捕らえていますが……」
そう言ったのは竹下であった。石黒もそれに同調するように頷いた。
「決断力のない総理だったなら、ほぼ関東圏で治まることはなかったかもしれないですね」
それを考えると尾町の背中には、虫が這うような寒気が走り、言葉を出させた。
「全国であんな感染症が広まったら、私は激務で死んでしまいますよ」
「高部大臣、斎藤事務次官も、藤原総理があそこまで早い決断をされるとは思っていなかったでしょうからね」
「渡航を辞めていた国も日本便を復活させてくれたりしているようですし、経済の停滞も最小限だったとは思うのですが」
「そうですね。それにしても言いっぱなしの野党はどうしようもないですね」
石黒の意見に竹下が添うように答えた。
「どちらにせよ、与党の党首選。これからの日本をどのように引っ張ってくれるのでしょうかね」
「そうですね。ちょっと保守すぎますが、高部大臣もありなのでしょうか」
「日本初の女性総理……まあ女性とか関係なく、実行力という意味ではありかもしれませんね」
「ただ総理大臣になっても、今と同じことができるのかどうかはわかりませんね。根回し、利権なども色々とあるでしょうから……」
三人はそんな意見を述べながら、ブランデーを口にした。そして空になったグラスに、ダニエル・ブージュという名のついた瓶から、再び琥珀色の液体が注がれた。