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序章4 国家再編計画書の根幹たる思想

ここまで本計画書では、いくつかの思想や哲学的な視点を紹介してきた。

それらはそれぞれ異なる角度から、国家や社会の在り方を見つめ直すための手がかりとなるものであり、重なり合いながら、一つの見通しを形づくしつつある。


こうした思考の積み重ねを経て、本計画書の根底に据えるべき理念も、次第に輪郭を帯びてきた。

それは無数に散在する考えの寄せ集めではなく、国家という制度を通じて実践し得る思想として、本計画書の中で丁寧に錬成されてきたものである。


いずれも既存の概念をそのまま援用するものではなく、本計画書の問題意識に即して再定義された、独自の理念として位置づけられる。



 ★  ★  ★  ★  ★  ★  ★


本計画書において形成された理念は、大きく三層に分けられる。


第一に、生命という条件に最も近い基底領域としての「生存基盤」。

第二に、個人・社会・国家・国際社会といった複数の層を調整し得る思想としての「多層的調和」。

第三に、国家としての平和宣誓を制度化し、その実効性を担保するための防衛理念としての「堅牢平和主義」である。


これらは対立する概念ではなく、むしろ相互に補完的であり、国家の理念構築においては、縦の階層として関係づけられる。



■ 堅牢平和主義(Robust Pacifism)


「堅牢平和主義(Robust Pacifism)」とは、単なる非武装や無抵抗を意味する平和主義ではない。

それは、倫理的原則に裏打ちされたうえで、「平和を確固として守り抜こうとする強い意思」を、国家として明確に宣言する姿勢を指す。


この理念は、日本国憲法に明記された平和主義の精神を正面から継承しつつも、現代の国際情勢に照らして再構築されたものである。理想の掲示にとどまるのではなく、実効性を備えた国家防衛ドクトリンの基礎原理として位置づけられる点に、その特徴がある。


憲法第九条には、「戦争の放棄」「戦力の不保持」「交戦権の否認」という三つの原則が掲げられている。これらは長らく、非武装的・受動的な平和主義として解釈されてきた。しかし「堅牢平和主義」は、これらを単なる制約条項としてではなく、主体的に平和を構築するための能動的原理として再定義する。それは、平和を守る意思を曖昧さの中に委ねるのではなく、明確な原則と戦略性を伴った制度として確立しようとする試みである。


▼ 三原則とその再定義


いかなる状況においても、対話と外交による平和的解決を最優先とする。

同時に、国際機関への通達・連携を通じ、行動の透明性と正当性を確保する。

しかし、これらの手段が一方的に拒否され、明白な武力行使や国家主権への重大な侵害が生じた場合には、以下の三原則に基づき、限定的かつ防衛的な対応をとることを原則とする。


・交戦権の否認 ≒ 専守防衛の立場

いかなる正当性が主張されようとも、自国から先に戦争行為を開始しない。

あくまで防衛に限定された武力行使に徹するという立場である。


・戦争の放棄 ≒ 不侵略の立場

他国への領土的侵略行為を一切行わず、他国の主権および領土の不可侵性を尊重する姿勢である。


・戦力の不保持 ≒ 非核兵器の立場

核兵器という圧倒的な暴力は、人類史上、最悪の非人道的破壊兵器である。

日本は、世界で唯一の被爆国として、その存在そのものを永久に否定し続ける責任を負っている。国際人道法に基づき、「核および非人道的破壊兵器を保有しない国家」としての立場を明確かつ恒久的に示すとともに、国際協定に基づく枠組みの内側においてのみ、武力行使を位置づける姿勢を取る。

(非核兵器の原則においては、核抑止論であるMAD(注1)を、堅牢平和主義の立場から再解釈する。すなわち、核による相互破壊報復という発想そのものを明確に否定したうえで、通常兵器による飽和的かつ限定的な防衛措置を「比例抑止(注2)」として位置づける。その行使は、事前通告と国際的透明性を前提とし、無制限な暴力の応酬を回避するための、正当かつ最終的な対応として位置づける。)


さらに、明白かつ継続的な武力攻撃、あるいは挑発的な侵犯行為に対しては、国家として即応権を保持し、国民の生命と領土を守るために必要な措置を講じる。

その正当性を担保するため、関連行為は国際機関へ通達され、防衛行為は制度として明文化された防衛ドクトリンの枠内で実施される。


このように「堅牢平和主義」は、非武装や受動的な平和主義とは一線を画し、倫理に基づく厳格な原則と、現実的な抑止力を併せ持つ、新たな平和主義の形を提示するものである。言い換えれば、この立場は「力を使わないこと」それ自体を目的とするのではない。力の行使に対して明確な条件と制限を設けることで、真に平和的な国際関係を構築しようとする姿勢なのである。


また、この平和思想は「平和国家宣言」と同時に発表されることで、国家としての明確な意思表明となる。国際社会に対しては、倫理的かつ戦略的に自立した国家像を示し、同時に、反発が予想される国々に対しても、対話と抑止を両立させた秩序形成の可能性を模索する試みとなる。



※ 注1 ー (MAD:Mutually Assured Destruction)

冷戦期にアメリカの戦略研究者によって理論化され、国家戦略の中で制度化された核抑止構造である。

複数の核保有国が、相互に壊滅的報復能力を保持することで、核兵器の使用が結果として抑止されるとする考え方を指す。

一方で、その成立は「核が使用されないこと」を前提としており、構造的な不安定性と自己矛盾を内包している。


※ 注2 ー 比例抑止(Proportional Deterrence)

比例抑止とは、冷戦期にフランスの核戦略思想から打ち出された概念である。攻撃を受けた場合に、被った被害の規模・性質に見合った範囲で反撃を行うことによって、さらなる攻撃を思いとどまらせる抑止の考え方を指す。

反撃の水準をあらかじめ限定することで、無制限な報復や破局的エスカレーションを回避しつつ、抑止の実効性を確保しようとする。




■ 多層的調和思想(Multilayered Harmonicism)


「多層的調和思想」とは、異なる価値観、制度、文化を、無理に一つの基準へと統合することを目的としない思想である。

それぞれが固有の構造と視点を保持したまま、重なり合い、共存していくことを目指す。


相対主義の寛容さ、中庸のバランス感覚、Taoの包摂性、プロセス哲学の流動性、そして構造主義が捉える深層的秩序――。

これら異なる哲学的アプローチを横断的に抱合した、ゆるやかな多元性こそが、本思想の核心である。


例えるなら、それは幾層にも重なる透明なレイヤーが、互いに干渉しながらも、ひとつの美しい全体像を描き出す構造に似ている。

各層は異なりながらも、重なり合うことで調和し、意味の奥行きを生み出す。


弁証法に近い側面を持ちながらも、対立の「止揚」や「統合」を最終目的としない点において、本思想は明確に異なる。

多様性の保持そのものを肯定しつつ、その中に秩序と成長の可能性を見出そうとする姿勢に特徴がある。


同時に、多層性が無制限に拡張されれば、すべての色が混ざり合い、やがて輪郭を失う危険性も孕む。

だからこそ必要なのが「調和」という発想である。


多様性を許容する柔軟さと、秩序を維持するための繊細な設計。

この両立を可能にするためにこそ、相互への配慮と謙虚さが織り合う調和が不可欠であり、そこに多層的調和思想の本質が宿る。




■ 生存基盤(Genesis of All Life-ing)


我が国の生存基盤は、八百万の神々に象徴されるように、万物それぞれの固有性を尊ぶアニミズム的精神にその源流を持つ。それは特定の信仰や情緒に依拠するものではなく、あらゆる存在が、自らの生命を全うするために備え持つ内在的な論理を尊重し、それを侵されぬものとして認める態度を意味する。


すべての存在は、それぞれ固有の生存条件と秩序を内包しており、その自律性は外部から恣意的に改変されるべきものではない。我々は他者の生存を敬い、これを尊重する。しかし同時に、自らの生命と生存秩序を脅かす干渉に対しては、それを排し、自律を保持する正当性を有する。


生存基盤とは、相互の尊重と自律が同時に成立する場であり、一方的な自己犠牲や無条件の譲歩を要請する概念ではない。


重要なのは、生存基盤が誰かの所有物や裁量の対象ではないという点である。それは、人間を含むすべての存在がすでにその内部に置かれている条件であり、意思決定や権利論、制度設計が成立する以前に、前提として共有されるべき不可侵の基盤である。


この原理は、国家の在り方にもそのまま適用される。少なくとも、自らが主権を有する領域において、人間の意思とは無関係に存在する声なき存在――野生の生物や自然環境、さらには生物資源や地下資源を含む自然的条件が、同じ生存基盤を共有しているという事実から、国家は目を背けることができない。


それは、人間の善意による一方的な保護を意味するものではない。自然や生物を「守る対象」として上位から管理する発想でもなく、情緒的共感に依存する姿勢でもない。同じ生存基盤の内側にある存在として、その存立条件を損なわぬよう配慮し、相互に破壊的な関係へと陥らぬよう調整する責任を指す。


また、この思想は、共存を名目として保護を常に最優先する立場を意味するものではない。人間社会が生み出す短期的・能動的な国益のみを基準に意思決定を行うことを退けると同時に、人間中心的な利益計算によって、他の存在の内在的論理を犠牲にすることも否定する。


生存基盤の内部には、制度や国益以前に成立する生活世界(Lebenswelt 注1)が存在する。これは、身体・感覚・労働・環境・慣習・文化といった要素が織り上げる、制度化以前の社会的現実である。制度はこれを前提として成立し、決してその逆ではない。


生活世界は、制度を支える不可視の土台であり、生存基盤はそのさらに深層に位置する。すなわち、生存基盤は国家制度の前提であると同時に、それが損なわれれば制度も国益も存続しないという、最下層の条件を構成する。


生存基盤は、国益と対立する理念ではない。それは、国益という構造が長期にわたって成立し続けるために、その内部にあらかじめ組み込まれるべき前提条件である。


求められるのは、いずれか一方への偏重ではない。我々自身も生き続けるために、俯瞰的な立場から、慈愛と節度をもって相互繁栄の可能性を探り続ける姿勢――それこそが、生存基盤という概念が国家に要請する、持続的かつ倫理的な責任である。




※ 注1 ー Lebensweltレーベンスヴェルトとは、日本語では「生活世界」と訳される。ドイツの哲学者フッサール(1859–1938)が現象学において提示した概念で、科学的・理論的なフィルターを通す前の、生き生きとした経験的現実を指し、人はそこで既に世界を理解し、関係し、意味づけている。

メルロ=ポンティ(1908-1961)は、身体と世界の相互浸潤性を重視し、人間を世界の外部ではなく内部の参与者として捉えることで、この概念をさらに深化させた。

本書では、生活世界を制度・倫理・平和・生存基盤と切断せず接続しうる媒介概念として再解釈する。人間中心主義にとどまらず、生命や環境、さらには声なき存在までも含み込む基盤的領域として扱い、生存基盤の根源的な層と制度の層を架橋する概念として位置づけている。



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