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序章2 理念なき制度に、持続可能な国家は生まれない

日本という国は、地理的観点から見ても稀であり、興味深い位置にある。


東には――いまなお世界の覇権を握るアメリカ。

西には――新たな覇権を目指す中国。

北には――帝国主義的な体質を色濃く残すロシア。

そして南には――アジア諸国と並んで、安全保障における重要なパートナーとなり得るオーストラリアが位置する。


さらにその先には、EUをはじめとする民主主義諸国が連なり、西洋・東南アジア・アフリカといった多様な文化圏が交錯している。

こうして俯瞰すれば、日本は太平洋とユーラシアの接点に立ち、西洋と東洋、さらには南北の価値観が交わる“ハブ”のような国家であることが見えてくる。


その「はざま」に置かれた位置こそが、日本に独自の役割──すなわち、多極化する世界において平和の均衡を支える要としての使命──を与えているのではないだろうか。


国家という枠組みを考えるとき、私たちはとかく「制度の整備」に意識を奪われがちである。

法律や行政機構、選挙制度、分権、監視機関といった“仕組み”さえ整えれば国家は機能する、そう信じられてきた節がある。


しかし制度とは本来、国民を受け止める「器」にすぎない。

その器にどのような価値観や哲学を注ぎ込むのか──すなわち「思想的中身」こそが、国家の方向性と持続可能性を決定づけるのである。


制度と思想は相補的な“車の両輪”であり、一方を欠いたままでは自律した国家構築は困難だろう。


戦後日本について語る際、日本国憲法はGHQによって制定された「他律的な憲法」であると位置づけられてきた。それを根拠として「日本は未だ真の主権国家に至っていない」と否定的に語る立場も存在してきた。


しかし戦後八十年の歳月の中で、私たちはこの憲法の下で育ち、働き、学び、暮らしてきた。

そこに込められた平和主義の精神と、人権を尊ぶ理念が社会の基層に深く浸透していることは否定し得ない事実である。


憲法とは、単なる法文ではなく国家が掲げる精神的旗印である。

であれば、いま私たちはこの憲法を「押し付けられたもの」としてではなく、「自らの誇り」として再解釈し、その価値を肯定的に捉え直す段階に入ったのではないだろうか。


すなわち──


「平和宣誓国」として、日本人が自信と誇りをもって戦後の歩みと理念を世界に語る時期に来ているのである。


日本国憲法が掲げる平和主義は、単なる戦争放棄規定ではなく、

“戦争的構造の外側に立とうとする思想的挑戦”であり、軍事力の均衡による抑止ではなく理念による抑止を志向するものであった。

それは、戦争を肯定する無意識の論理から抜け出そうとする試みでもあったと言えるだろう。


いま私たちは、この理念を改めて主体的に掲げる段階にある。

つまり──


「平和宣誓国」として、戦後秩序の延長ではなく、その超克を目指す国家像を提示する時代に入ったのである。


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