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75話


執務室での忙しない振り分け作業を終え、リリア班はポートベストルへの出発準備を進めていた。


ユート、セーラ、レナータ、バルカス、エルザ、そしてユージーンが、ハーネット商会の特別調査部として支給されている、落ち着いた色合いの動きやすい制服に身を包む。

セーラは、遠征用の少し丈の短い動きやすいメイド服に着替えていた。


リリアは総務部から貸し出された旅装で、隣には付き添いのリナが立っている。二人の顔は期待に輝いていた。


「ユートさん、この服、なんだか冒険者みたいですね!」

リリアが自身の服を見ながら楽しそうに言った。


「ええ、ユートさんたちの制服も格好良いですわ! ポートベストルでもきっと注目されますわね!」

リナも興奮気味だ。


「ありがとうございます、リリアさん、リナさん。でも、街中で目立つよりは、護衛任務として、あまり騒がずにいる方が良いかと思います」

ユートは苦笑いしながら答えた。


「ふふ、分かっていますわ。でも、少しだけ、お買い物はしますからね? 海のある街には、きっとアルテナには無い珍しいものがありますよね?」

リリアが上目遣いで尋ねた。


「ええ、会長からも許可をいただいています。あまり高価なものはユート様が判断しますが、常識の範囲内なら大丈夫ですよ」

セーラが穏やかに答える。


「それと…あの、海の魚ってどんな味がするんでしょうか? そして、あの、本当に少しだけで良いのですが、海の水に足を浸けてみることは可能ですか?」

リリアは海の全てに興味津々といった様子だ。


「海の幸は楽しみですね。足元は濡れるかもしれませんが、気を付けていただければ可能ですよ。ただ、服を濡らすと後が大変ですから、十分に注意しましょう」

セーラが優しく答える。


リリアとリナの会話を聞きながら、皆は和やかなムードで荷物を最終確認していた。

そんな中、北国育ちのユージーンは、皆が楽しみにしている「海」について、やはりピンと来ていない様子だ。彼はそっと、隣で装備を調整していたバルカスに近づいた。


「バルカスさん…あの、重ねて申し訳ないのですが…海は、その…やはり塩辛いのでしょうか…?」


バルカスはユージーンを見て、少し呆れたように、しかし丁寧に答えた。

「ああ、ユージーン。海の水はひたすら塩辛いぞ。飲み物としては全く役に立たん。まあ、だがな、初めて見る広大な海は、きっと壮観だろうさ。北の地とは全く違う景色だ」


「し、塩辛い、ですか…なるほど…」

ユージーンは相変わらず理解しきれない様子だったが、初めて見る景色には多少の期待も感じているようだった。


出発の準備が整い、一行が商会の門へと向かうと、ダリウス会長が見送りのために立っていた。

傍には総務部長のアルバンの姿もある。


「ユート、セーラ殿、皆。気をつけて行ってこい」

ダリウス会長は、少し厳しめの顔でリリアに目を向けた。

「リリア。ユートたち特別調査部の皆に同行をお願いしているのだ。くれぐれも、彼らの言うことをよく聞くように。勝手な行動は厳禁だぞ」


「はい、父上。分かっていますわ」

リリアは神妙な顔で頷いた。


「うむ。そして、ユート。リリアのこと、頼んだぞ。それから…輸送班のことはゴードンから報告を受けた。お前たちが判断したなら大丈夫だろう。くれぐれも無理はしないように。何かあればすぐに連絡してこい」

ダリウス会長はユートたち皆に温かい労いの言葉をかけた。


「はい、会長。お任せください。輸送班の方も、十分注意するようカインに伝えてあります」

ユートは答えた。


「うむ、それでは。行ってらっしゃい」


ダリウス会長に見送られ、リリア班はポートベストルに向けて出発した。


南に向かう街道は、アルテナに近いこともあり比較的整備が行き届いており、道中の安全は確保されていた。一行はいつもの馬車に、リリアとリナ、セーラとレナータが乗り、ユート、バルカス、エルザ、ユージーンは徒歩で前後を護衛する。


一日目の夕刻、日暮れに合わせて一行は野営の準備を始めた。リリアは大きな木の根元に座り、皆の働く様子を興味深そうに見ていた。


ユートがセーラやリナと相談しながら、テントや炊事場の場所を決める。エルザとバルカスは薪を集め、ユージーンは周囲の警戒に当たっている。


「あの…私にも、何かできることはありますか?」

リリアが遠慮がちに尋ねた。彼女は街の屋敷で何不自由なく暮らしており、野営というもの自体がほぼ初めてなのだ。


「リリア様、ありがとうございます。では、お皿を拭いていただけますか? 泥を落とすだけで大丈夫ですよ」

セーラが笑顔で布と簡単な食器を渡した。


リリアは布で皿を拭こうとするが、街の皿と違い、少々土や埃がついている野営用の皿は扱いが難しい。うまく汚れが落ちず、布を汚してしまった。


「あっ…ごめんなさい、セーラさん…」

リリアがしょんぼりする。


「大丈夫ですよ、リリア様。街のようにはいきませんから。無理なさらずに。私がおやりしますね」

セーラは優しく皿と布を受け取った。


エルザがそれを見て、声をかけた。

「リリア様、こちらの手伝いはどうですか? 小枝をポキポキ折って、焚き付けにするんです。簡単ですよ」


リリアは嬉しそうに頷き、エルザの指示に従って小枝を折り始めた。しかし、折る力加減が分からず、折るつもりのない太めの枝を折ってしまったり、細すぎる枝ばかり集めてしまったりする。


バルカスが苦笑いしながら近づき、太めの枝を軽く地面に叩きつけながら手本を見せた。

「リリア様、このように。あまり細すぎるとすぐ燃え尽きてしまいますし、太すぎると火がつきにくいので…」


ユートは、皆がリリアの初めての野営を暖かく見守り、助けている様子に微笑んだ。

リリア自身も、上手くいかないながらも、皆と一緒に作業していることに楽しさを見出しているようだった。夕食の準備が進むにつれて、焚き火の炎が温かい光を灯し、皆の間の距離を縮めていった。


道中は大きな問題もなく進んだ。整備された街道を南下し、二日目の昼過ぎのこと。休憩のために馬車を止めた直後、森の方からガサガサと大きな音が聞こえてきた。


「ユート部長、何か来ます!」

バルカスが即座に警戒態勢をとる。


森から姿を現したのは、一匹の狼型の魔物だった。

黒い体毛に血走った赤い目をしており、どう猛な気配を漂わせている。


「狼の魔物か…もしかしたら、はぐれた個体かもしれません」

エルザが状況を分析する。一匹とはいえ、体格は通常の狼より一回り大きく、危険な個体だと判断できる。


リリアとリナはセーラと共に馬車の中で身を寄せ合っている。ユージーンは無言で馬車の側に立つ。バルカスとエルザはそれぞれ剣と槍を構えた。


「一匹なら問題ない。セーラ、リリアさん達に馬車から降りないよう!」

ユートが指示を出すと、セーラはすぐに馬車を少し後退させた。


魔物はユートたちに向かって唸り声をあげ、飛びかかってきた。俊敏な動きだが、経験豊富な特別調査部の面々には見切れないほどではない。


「行かせない!」

ユートは左手に構えた手甲に魔力を集中させた。《フレイムスピア》。ユートの前に燃え盛る炎の槍が生成される。圧縮された魔力が込められた槍は、凄まじい勢いで魔物に向かって放たれた。


ズドンッ!


炎の槍は魔物の体を易々と貫き、その勢いを衰えさせることなく地面に突き刺さった。魔物は一撃で絶命し、ドスッと音を立てて地面に崩れ落ちた。体からは焦げたような匂いが微かに立ち込める。


あっという間の出来事だった。間近でユートの放つ魔法を見るのは初めてのリリアとリナは、その威力に目を丸くしている。


「…凄い…」

リリアが感嘆の声をもらした。リナも目を輝かせている。


「ユートさん…今の、魔法なんですね? 火の槍が…あんなに真っ直ぐ飛んでいって…」


「ええ、火の魔法です。たまたま一匹ではぐれてただけでしょう。大した相手ではありません」

ユートは少し謙遜しながら、魔物の亡骸を確認した。特に変わった素材にはなりそうもないので、そのまま放置することにする。


その後は特に危険な事もなく、順調に旅を続け、三日目の午後には港街ポートベストルの外壁が見えてきた。街に近づくにつれて、潮の香りや、アルテナとは違う独特の賑やかな雰囲気が漂ってくる。


街門をくぐると、そこは紛れもない港街だった。

多くの船が停泊する港、活気のある市場、そして、少し歩くと目的の場所が見えてくる。


「見えますわ…!」


リリアは馬車から降りるなり、駆け出したくなったのを懸命に抑え、指差した。リナも興奮した様子だ。


青く、どこまでも広がる海。寄せては返す波の音。潮の香りと、吹き抜ける心地よい潮風。


「海です…本当に、こんなに広いんですね…! そして、きらきらしています…!」

リリアは目を輝かせ、感嘆のため息をついた。リナも無言でその光景に見入っている。


ユートも異世界に来て初めて見る海に、思わず感銘を受けた。どこまでも続く水平線は、閉じ込められたような世界から解放されたような、開放的な気持ちにさせてくれる。


そんな中、ユージーンは一人、慣れない潮風に顔をしかめていた。


「なんと言いますか…鼻の奥が、ツンと…目が、しょっぱいような…」

彼は北の乾燥した気候に慣れており、潮の香りと湿り気に戸惑っているようだった。壮観な景色よりも、まずは体の感覚の変化に気を取られている。


バルカスが彼の様子を見て、少し可笑しそうに言った。

「慣れん匂いか? まあ、じきに慣れるさ」


リリアとリナ、そしてセーラは海の景色に夢中になっている。ユージーンは潮風に困惑している。


そしてユートは、それぞれの反応を微笑ましく見守りながら、この港街での任務に思いを馳せていた。


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