47話
出発の朝。ボルガナ支店の前には、ユート率いる調査隊のメンバーと、彼らを見送るボルガナ支店長、そしてロンドベルから来ていたバーナード支店長、御者のハンス、そして新人護衛4名と新人御者2名が並んでいた。
「ハンスさん、新人諸君、今回の輸送任務、本当に助かった。そして、色々と迷惑もかけたな」ユートが代表して礼を述べると、ハンスは笑顔で答えた。
「いえいえ、隊長。我々も良い経験をさせていただきました。彼らも、今回の件で多くを学んだはずです」
新人たちも、まだ表情は硬いが、以前のような怯えはなく、どこか成長したように見える。
彼らは、バーナード支店長と共にロンドベルへ戻り、正式な処分を待つことになる。
「ユート隊長、道中お気をつけて。またお会いできる日を楽しみにしております」ハンスと新人たちは、深々と頭を下げた。こうして、ハンスと新人達とはここでお別れとなった。
改めて、ユートたちは二人の支店長から、フリューゲルへの道中の注意点や案内を詳しく聞いた。
「フリューゲルまでの道は、ここから先、さらに険しくなる。気候も急激に冷え込み、雪や吹雪に見舞われることもあるだろう。地形も、岩場や針葉樹林が増え、視界が悪くなる場所も多い」とバーナード支店長。
「出現する魔物も変わってくるぞ」ボルガナ支店長が続ける。「寒さに強いアイスウルフや、雪男のようなスノーエイプ、岩場にはロックゴーレムなども出るという噂だ。我々も、フリューゲルへ直接行った者はいない。あくまで伝聞や記録による情報だ。十分に警戒して進んでくれ」
二人の支店長は、地図を広げながら、危険な箇所や注意すべき点、そして比較的安全だと思われるルートなどを丁寧に教えてくれた。
そして、出発の際には、餞別として、マントや手袋、帽子などの防寒着と、追加の焚き火用の燃料を全員分用意してくれた。
「ありがとうございます! 必ず任務を成功させて戻ってきますね!」
感謝の言葉を述べ、二人の支店長に深く頭を下げ、調査隊はボルガナの街を出発した。
今度は、荷馬車1台、総勢11名の、より身軽になった隊列だ。
町を抜ける際、ユートはハッとして足を止めた。
「しまった! 氷解石を買うのを忘れてた!」
精霊神からの貴重なアドバイスを、すっかり失念していたのだ。幸い、町の出口近くに鉱石を扱う露店が出ていた。ユートは急いで駆け寄り、店主に氷解石について尋ね、手頃な大きさのものをまとめて購入した。これで静寂苔の繁殖も試せるだろう。
フリューゲルまでは、およそ10日間ほどの道のりだという。一行は、気を引き締め、北へと続く道を進み始めた。
道中、景色は徐々に変化していった。
緑豊かな森は影を潜め、背の高い針葉樹や、ゴツゴトとした岩場が目立つようになる。空気もひんやりとしてきて、時折冷たい風が吹き抜けるようになった。
移動の合間の休憩時間や、夜の野営時には、自然と向かう先の都市フリューゲルについての話題が多くなった。メンバーの誰も、実際にフリューゲルには行ったことがないため、その会話は期待と想像、そして少しの不安が入り混じったものだった。
「フリューゲルって、どんな街なんですかね?」
ミアがバルカスに尋ねる。
「さあな。俺も噂や情報でしか知らんが、北方の交易の中心地で、かなり大きな街だと聞いている。石造りの建物が多くて、冬は雪深いらしい」バルカスが答える。
「北方山岳地帯の入り口でもある。冒険者や、山岳民族のような人々も多く集まるらしいな。珍しい素材や情報も手に入るかもしれんが、気性の荒い連中も多いかもしれんぞ」ドランが付け加える。
「市場調査が主な目的ですが、未知の文化や技術に触れられるかもしれませんね。記録が楽しみです」カインが手帳を見ながら言う。
「綺麗な銀細工とか有名だって、前に聞いたことあるっすよ! お土産に買って帰りたいなー!」リックが期待に胸を膨らませる。
「食べ物とかも違うのかな? 寒いところだから、温かい鍋料理とかあるかも!」ロイが想像を巡らせる。
「……(じっと地図を見ている)」レックスは相変わらず無口だ。
ユートも、未知の都市への期待と、そこに潜むかもしれない危険への警戒を胸に、仲間たちの会話に耳を傾けていた。
旅が進み、寒さが厳しくなってきたある日、ユートは全員に指示を出した。
「そろそろ、支店長たちから頂いた防寒着を着ましょう。体調を崩したら元も子もありませんからね」
一行は、厚手のマントを羽織り、手袋や帽子を身につけた。これで少しは寒さを凌げるだろう。
ボルガナでの一件以来、道中の雰囲気にも少し変化が見られた。特に夜営の準備の際には、以前のようにユートやエルザが細かく指示を出さなくても、手の空いている者が自発的にテントの設営や焚き火の準備、水の確保などを手伝うようになったのだ。リックやロイでさえ、文句を言いながらも率先して力仕事を手伝っている。
セーラは、まだ完全に立ち直ったわけではなさそうだ。日中は皆と普通に会話するようになっていたが、夜営の時になると、どうしてもあの夜の恐怖が蘇るのか、食事や後片付けが終わると、すぐに自分のテントか、馬車の中に籠ってしまうことが多かった。外で過ごすことに、まだ抵抗があるのだろう。
それでも、見張りの交代の時には、心配させまいと都度顔を出し、短い言葉を交わしていく。
特に、ユートが見張りの番の時には、彼女はテントから出てきて、短いながらも言葉をかけたり、以前よりも頻繁に目線を合わせたりするようになっていた。その小さな変化を、エマは母親のような微笑ましい表情で見守っていた。
そんな旅路も、常に平穏とは限らない。
フリューゲルまであと数日という、視界の悪い針葉樹林を抜けている最中だった。一度、木々の間から、白い毛皮に覆われた猿のような魔物、スノーエイプの群れが、けたたましい奇声を上げながら襲撃してきたのだ!数は10匹ほど。鋭い爪と、雪玉のような氷のブレスを吐く厄介な相手だ。
どうやら、知らずに彼らの縄張りに入ってしまっていたらしい。
「スノーエイプだ! 囲まれるな、距離を取れ!」エルザが叫ぶ。
慣れない地形と、初めて見る相手に、一瞬、隊列に乱れが生じそうになる。ミアが小さく悲鳴を上げそうになるのを、エマがそっと支える。
「落ち着け! 相手の動きをよく見ろ!」バルカスが檄を飛ばす。
「《ファイアーボール》!」
ユートは即座に反応し、先頭のスノーエイプに火球を叩き込んだ! 氷雪系の魔物には、ユートの火属性の魔法が効果覿面だった。火球を受けたスノーエイプは、悲鳴を上げて燃え上がり、他の個体も炎を恐れて動きが鈍る。
「今だ! リック、ロイ、前へ! レックス、レナータ、援護を!」エルザが指示を出す。
バルカスとドランが前線を維持し、リックの槍が怯んだ隙を突き、ロイの盾が氷のブレスを防ぐ。後方からは、レックスとレナータの正確な矢が次々とスノーエイプを射抜き、動きを封じる。ユートも、魔法で援護を続け、スノーエイプの群れを徐々に追い詰めていく。
最終的に、損害も誰の怪我もなくスノーエイプの群れを乗り切ることができた。
しかし、セーラは、襲撃と激しい戦闘音に、再びあの夜の恐怖を思い出してしまったのか、馬車の中で小さく震えていた。戦闘中はエマが彼女のそばに付き添いと優しく声をかけ続けた。戦闘後はユートが付き添い、温かい手に励まされるように、少しずつ落ち着きを取り戻していった。
戦闘後からフリューゲル到着までの道中は、より一層の緊張感を持って進んだ。スノーエイプとの遭遇で、この地域の魔物の危険度を再認識した。
夜警はさらに厳重に行い、移動中も常に周囲への警戒を怠らなかった。会話も少なくなり、皆、黙々と目的地を目指す。時折、吹雪に見舞われ、視界が真っ白になることもあったが、バルカスやドランの経験と、ユートの(こっそり使った)鑑定眼による地形把握で、危険を避けながらなんとか道を逸れることなく進むことができた。寒さは厳しく、焚き火の暖かさが身に染みた。セーラも、少しずつではあるが、外にいる時間が増え、仲間たちと短い言葉を交わすようになっていた。
慣れない厳しい環境と、時折現れる魔物の脅威。様々な困難を乗り越えながら、一行は着実に北を目指した。そして、ボルガナを出発してから10日ほどが過ぎたある日の午後、ついに前方の山々の間に、北方中央都市フリューゲルの白い城壁と、尖塔が見えてきたのだった。長い旅路の、最初の大きな目的地が、もうすぐそこまで迫っていた。




