39話
出発当日の朝。
空気はひんやりとしているが、空はどこまでも青く澄み渡り、快晴。まさに絶好の出発日和だ。
商館の中庭には、真新しい揃いの制服に身を包んだ調査隊のメンバーが集まっていた。ユート、セーラ、レナータ、バルカス、ドラン、商業部のカイン、輸送部のミア、総務部のエマ、そして護衛部のエルザ、リック、ロイ、レックス。総勢12名。皆、新しい制服に少し慣れない様子を見せながらも、引き締まった表情で、少し緊張した面持ちで、出発の時を待っている。
やがて、ダリウスがライオスとエレナを伴って姿を現し、隊員たちの前に立った。中庭の空気がピリッと引き締まる。
「皆、集まっているな」
ダリウスの落ち着いた、しかし力強い声が響き渡り、訓示が始まった。
「今回の任務は、ハーネット商会のとって重要な意味を持つ。未開拓地域への進出は、我々に新たな可能性をもたらすだろう。しかし、道中は決して楽ではないはずだ。気候は厳しく、未知の危険も伴うだろう。リーダーであるユート殿を中心に、互いに協力し、助け合い、必ずや任務を成功させてほしい。そして何より、全員が無事に帰還することを願っている。健闘を祈る!」
ダリウスの力強い言葉に、隊員たちの士気が高まるのを感じた。
続いて、ユートが前に進み出た。深呼吸を一つ。初めてのリーダーとしての訓示だ。心臓が少し早鐘を打っている。
「皆さん、おはようございます。リーダーのユートです。正直、俺はまだ経験も浅く、至らない点も多いと思います。ですが、皆さんの力を借りながら、必ずこの任務を成功させたいと思っています。道中は厳しいこともあるかもしれませんが、ここにいる皆で力を合わせれば、乗り越えられない困難はないはずです。3ヶ月後、全員で笑顔でこのアルテナに戻ってきましょう! よろしくお願いします!」
精一杯の言葉だった。緊張で少し声が上ずったかもしれない。だが、その真摯な思いは伝わったようで、隊員たちから「おう!」「はい!」「了解!」といった力強い返事が返ってきた。
出発前の慌ただしい時間の中、隊員たちは、それぞれの所属する部署の部長から、最後の声をかけられていた。
商業部のカインはバルド部長から「報告は正確に、怠るなよ」と念を押され、輸送部のミアはゴードン部長に「馬車の整備はしっかりな! 無理はするなよ!」と励まされ、総務部のエマはアルバン部長から経費管理に関する細かな指示を受けている。護衛部のエルザたちも、ライオスから「ユート殿をしっかり守れ。特に三つ子、お前らふざけるなよ!」と釘刺し(と激励)を受けていた。
ユートの元へは、ダリウスとエレナがやってきた。
「ユート殿」
ダリウスは、一枚の金属製の札をユートに手渡した。ハーネット商会の精巧な紋章が刻まれている。
「これは、君がハーネット商会の正式な一員であることを示す会員証だ。これがあれば、他の街のギルドや商会でもある程度の信用が得られるだろう。大切に持っておくように」
「ありがとうございます! 大切にします!」
「慣れないこともあると思うが、君ならできると信じている。頑張ってほしい」
ダリウスは、力強くユートの肩を叩いた。その期待が、重圧と共にユートの背中を押す。
「おい、ユート!」
エレナも、いつものぶっきらぼうな口調ながら、どこか心配そうな顔で言った。
「気張っていけよ! まあ、何かあった時のために、これを持っていきな」
彼女が差し出したのは、手帳サイズの板のような魔道具だった。表面は滑らかで、特に何も表示されていない。
「連絡用の魔道具だ。こいつを起動し、指で字を書くと、対になるこっちの魔道具に文字が浮かび上がる仕組みさ。まあ、距離が離れると途中で通信が途切れる可能性もあるから、長文は避けること。それに、送受信に時間差が出ることもあるから、必ず日時を入れて連絡するようにしな」
「ありがとうございます、エレナ様! 心強いです!」
ユートは、便利な魔道具を受け取り、改めて感謝した。これで、完全に孤立するわけではないと分かり、少し安堵した。
準備は整った。商館前には、マルコが手配してくれた幌付きの大きな荷馬車が待機している。隊員たちは、それぞれの荷物を積み込み、馬車に乗り込む。御者台には、輸送部のミアと、護衛のリーダー格であるエルザが座った。残りのメンバーは荷台に乗り込む。街を出るまでは比較的安全なので、ひとまず全員で移動する形だ。
「よし、出発だ!」
ライオスや他の商会員たちに見送られ、馬車はゆっくりと動き出した。
アルテナの門をくぐり抜け、外に出ると、広大な景色が広がった。全員が荷台から身を乗り出し、あるいは馬車の窓から、見慣れたアルテナの街並みを名残惜しそうに眺めつつ、これから始まる旅への期待に胸を膨らませていた。
馬車が街道を進み始めると、少しずつ会話が生まれてきた。
「それにしても、北方かー。寒いんだろうなぁ」リックが早くもぼやく。
「防寒具はしっかり用意しましたから、大丈夫ですよ」エマは優しく答える。
「カインさんは、北方の市場について何かご存知なんですか?」セーラが尋ねると、カインは待ってましたとばかりに話し始めた。
「ええ、文献によれば、北方の市場では特殊な鉱石や毛皮などが取引されているようです。薬草に関しても、寒冷地特有のものが……」
カインは、隣に座っていた三つ子(特に興味なさそうなリックとロイ、黙って聞いているレックス)に向かって、薬草や回復薬のうんちくを語り始めた。
「例えば、一般的な回復薬は、回復魔法の使い手が、特定の薬草を煎じながら魔力を込めることで作られるものが主流ですが、その効果は術者の力量や薬草の質に大きく左右されます。一方、薬草そのものを使う場合は、少し解したものを傷口に直接貼るのが一般的ですが、効果は限定的で……」
(なるほど……回復薬の作り方はそうなのか。俺がシルヴァンでやった手当ては、洗浄と消毒を重視していたけど、この世界ではあまり一般的じゃないのかもしれないな……)
ユートはカインの話を聞きながら、自分の知識との違いに改めて気が付いた。
「カインさん、詳しいんですね」ユートは感心したように言った。「俺も、以前の旅で少しだけ応急処置の方法を学んだんですが、皆さんも、万が一のために覚えておくといいかもしれません」
ユートはカインの話に合わせて、自分がシルヴァンで行った手当ての方法を、改めて皆に教えた。
「まず、傷口は綺麗な水でよく洗浄すること。次に、もしあれば度数の高い酒で消毒する。その後に、薬草や、俺が用意した医療品や薬草、ガーゼを使うと、より効果的だと思われます。」
「へぇー、消毒ねぇ。そんなやり方もあるんですね…」ミアが興味深そうに聞いている。他のメンバーも、ユートの説明に耳を傾けていた。
「まあ、一番は怪我などしないことですけどね!」
ユートが笑顔で締めくくると、車内は和やかな笑いに包まれた。
談笑しながら、調査隊の馬車は、北を目指して街道を進み始めた。




