3話
「……ぜぇ……はぁ……」
死闘の余韻が漂う中、護衛の男性は剣を握りしめたまま、馬車の陰で震える少女に駆け寄った。
「お嬢様! ご無事ですか!?」
「は、はい……なんとか……。あなたは……?」
少女はまだ恐怖に顔をこわばらせていたが、護衛の姿を見て少しだけ安堵の色を浮かべた。
一方、悠斗は激しい動悸と、全身を襲う脱力感に耐えていた。サハギンに短剣を突き立てた感触が生々しく手に残っている。背嚢から水筒を取り出し、震える手で水を一口飲むと、少しだけ思考がクリアになった。
(……死ぬかと思った……。でも、助けられた……のか?)
目の前には、助けを必要とする人々がいる。悠斗は深呼吸一つで覚悟を決め直し、負傷者たちへと歩み寄った。介護士としての経験が、彼を突き動かした。
まず、肩から血を流している御者の男性へ。
「大丈夫ですか? 動かないでください。傷を見ます」
悠斗は落ち着いた声で語りかけ、水筒の水で傷口の土や泥を丁寧に洗い流す。傷はサハギンの爪によるものか、深く裂けている。次にインベントリから取り出した高濃度蒸留酒をガーゼに染み込ませ、傷口に押し当てた。
「うぐっ……!」
御者が呻き声を上げる。
「すみません、少し沁みますが……」
悠斗は手早く言い、止血草を傷口に押し当て、清潔なガーゼで覆い、ヒーリングハーブの包帯で圧迫するように固定する。
なぜ酒を使うのか、その理由は悠斗の中だけの常識だ。
次に、地面に倒れている腹部を負傷した護衛へ。同様に、傷口を洗浄し、なぜか強い酒で清め(悠斗にとっては消毒だが)、止血と保護を行う。
彼の顔からは苦痛の色が消えないものの、幾分か落ち着いたように見えた。
最後に、太腿を押さえて呻いている護衛。ズボンを慎重に破いて確認すると、足が不自然な角度に曲がっている。
「……骨折ですね」
悠斗は呟いた。これは別の処置が必要だ。
「何か、手伝えることはあるだろうか?」
少女を守っていた護衛の男性が、警戒を解いて近づいてきた。彼は悠斗の手際の良さに目を見張りつつも、その一連の行動に明らかな戸惑いを見せている。
特に、傷口に強い酒をかける行為には、眉をひそめていた。
「ありがとうございます。この方、足を骨折しているようなので、添え木が必要です。何か、適当な長さと硬さの木の枝を探していただけませんか?」
悠斗はテキパキと指示を出した。
「添え木……? ああ、分かった」
護衛は「添え木」という言葉に少し考え込むような仕草を見せたが、骨を折った足に何かを当てるのだろうと察し、すぐに頷き、周囲で手頃な枝を探し始めた。
悠斗はその間に、骨折部位を可能な限り動かさないように注意しながら、軽く周囲を整える。やがて護衛が持ってきた枝を使い、患部を挟むように当て、包帯でしっかりと固定した。関節を越えて固定することで、動揺を防ぐ。
これもまた、護衛にとっては見慣れない光景だった。
一通りの応急処置が終わると、悠斗は額の汗を手の甲で拭った。緊張と集中で、どっと疲れが出た。
「……ふぅ。これで、ひとまず応急処置は完了です。ただ、骨折された方は早めに専門的な治療が必要になります」
「本当に、ありがとう。君がいなければ、我々もお嬢様も……どうなっていたことか」
護衛の男性が、深々と頭を下げた。
他の負傷者たちも、痛みの中で感謝の視線を送ってくる。出血が止まっただけでも、彼らにとっては大きな救いだった。
「いえ……たまたま通りかかっただけですから」
悠斗は少し気恥ずかしさを感じながら答えた。
「それにしても……」
護衛の男性は、悠斗が行った一連の処置を思い返すように、再びわずかに眉根を寄せた。
「その手当ての仕方……正直、初めて見るものだ。傷口を水で洗い、強い酒のようなもので清め、そうやって枝で足を固定するというのは……」
彼の声には、感謝と共に、純粋な戸惑いと、未知の技術に対するわずかな警戒心が滲んでいた。なぜそんなことをするのか、彼には理解できなかったのだ。
「ああ……もし、回復魔法を使える者がここにいれば、一瞬で治せたものを……。せめて回復薬の一つでもあれば……」
護衛は悔しそうに呟き、改めて悠斗に向き直った。
「だが、今は魔法も薬もない。このままでは出血で命を落とす者も出たかもしれん。君のその……奇妙ではあるが、手当てのおかげで、彼らは命拾いした。本当に、感謝してもしきれない」
その言葉に、悠斗はホッと胸をなでおろした。自分の知識が、この世界では異質であること、そしてそれが今、確かに役立ったことを実感した。消毒という概念がなく、回復魔法や薬に頼るのが一般的な世界なのだろう。
(よかった……怪しまれてはいるけど、感謝はされてるみたいだ。でも、やっぱり俺の常識は通用しないんだな……)
今後の行動は、より慎重さが求められるだろう。悠斗は目の前の現実――助けた人々、倒れた魔物、そして見知らぬ世界――に、改めて向き合うのだった。




