27話
長い夜が明け、太陽が昇り始めると、ようやくシルヴァンの街に落ち着きが戻り始めた。
襲撃も完全に鎮圧され、途中から駆けつけた教会からの応援の力も加わり、商館の中庭に溢れていた負傷者たちの大方の手当てが終わった。
ユートが施した応急処置と、最低限の回復魔法による下地があったおかげで、神官たちの回復魔法や回復薬の効果も高まっていたようだ。
「これは……見たことのない処置ですね……」
治療を手伝ってくれた若い神官が、ユートが使ったヒーリングガーゼや消毒方法に興味深そうに言った。「しかし、回復薬や魔法の効きが非常に良かった。正直、この手当てがなければ、死者はもっと増えていたかもしれません」
その言葉に、ユートは安堵と共に、回復魔法を使ったことへの罪悪感を少しだけ和らげることができた。
外の警戒にあたっていたライオスやバルカス、ドランたち護衛部の面々も、疲労の色を浮かべながら戻ってきた。
「街の外の様子だが、やはり鉱山周辺の被害が一番酷いようだ。だが、屈強な鉱夫たちの抵抗もあって、なんとか持ちこたえたらしい」
ライオスが報告する。
「ハーネット商会のような、ある程度人がいて防衛体制が整っている場所は対応できていたが、そうでない小さな店や民家は、かなり酷い状況になっているところもあるようだ」
街全体が大きな被害を受けたことが窺える。
昼頃になると、街の衛兵隊長が報告に来た。
「昨夜のゴブリン達は、やはり鉱山内部から現れたようです。調査の結果、昨日『深淵の涙』が採取された坑道の奥が、ゴブリンの巣穴と繋がっていたことが判明しました」
衛兵隊長は苦々しい表情で続ける。
「本来……その……巣穴の出入り口は山の向こう側にあり、街に直接影響はなかったのですが……運悪く、採掘によって壁が崩れ、鉱山内部と繋がってしまったのでしょう。それで、ゴブリンたちが街へとなだれ込んできた、と」
なんという不運な偶然だろうか。
「現状、襲撃してきたゴブリン達はほぼ駆逐しました。鉱山内の出入り口も、完全に封鎖しましたので、当面は安全かと。ただし、鉱山自体も、安全が確認されるまで休止となります」
報告を受け、商館ではゴブリン達の死骸の処理が始まった。護衛部や輸送部の男たちが中心となり、死骸を一箇所に集め、焼却処分などの準備を進める。
ユートもその手伝いをしていた時、ふと気づいた。
一体の一際大きなホブゴブリン(おそらくリーダー格だったのだろう)が、その汚れた手に何かを握りしめている。
そっと開かせてみると、そこには親指ほどの大きさの、無色透明な宝石が鈍く光っていた。
(これは……魔法石? しかも、無色透明……エレナさんが言ってたやつじゃ……?)
ユートは周囲を見渡し、近くにいたバルカス、ドラン、レナータ、そしてセーラを手招きした。5人で顔を寄せ合い、状況を説明する。
「……ゴブリンが持っていたとはいえ、これは貴重なものだ。エレナ様も欲しがっていた」
「しかし、これをどうする? 報告すべきか……?」
「いや、待て。これはゴブリンが持っていたものだ。誰のものでもない。それに、昨夜の我々の奮闘への、ささやかな報酬と考えても……罰は当たるまい?」
バルカスが低い声で言った。他のメンバーも、無言のうちに同意したようだった。
ユートは、こっそりとその透明な魔法石を懐にしまい込んだ。エレナへのお使いは、思わぬ形で達成されたのかもしれない。
襲撃後の後始末も一段落した夕方、ゲルハルト支店長が、商会員全員を中庭に集めた。
彼はまず、今回の襲撃の経緯を説明し、商会員たちの奮闘を称えた。
そして、厳粛な面持ちで、今回の襲撃で亡くなった者の名を一人一人読み上げた。静まり返った中庭に、遺族や仲間たちのすすり泣く声が響いた。
ユートも、犠牲になった人々のことを思い、胸が痛んだ。
その後、ユートは支店長に個人的に呼ばれた。ライオスも同席している。
「ユート殿」ゲルハルト支店長は、温和な笑顔を浮かべた。「昨夜は、本当に見事だった。君がいち早く襲撃に気がつき、あの光で皆に知らせてくれたおかげで、我々は最悪の事態を免れた。戦闘時の魔法による援護も、負傷者の手当ても、実に的確だった。心から感謝する」
ライオスも隣で力強く頷いている。
「ありがとうございます。俺にできることをしたまでです」
「それで、一つ聞きたいのだが……何故、あのタイミングで襲撃に気がつけたのかね? あの光がなければ、我々の被害はもっと大きかっただろう」
支店長は、純粋な疑問として尋ねてきた。
ユートは、精霊神の助言はもちろん伏せて、事前に考えていた言い訳を口にした。
「昨夜の飲み会の後、少し目が覚めてしまって……。部屋の外が妙にざわつく音がして、それに、何か大勢が移動するような、地面の振動を感じたんです。それで、まさかと思って外を見たら……たまたま気がついた、としか……」
我ながら苦しい言い訳だと思ったが、支店長もライオスも、特に疑う様子は見せなかった。
むしろ、その偶然に感謝しているようだった。
「そうか、偶然か……。いずれにせよ、君の機転が我々を救ったことに変わりはない」
その場にいた支店の皆からも、改めて感謝の言葉をかけられた。ユートは恐縮しながらも、少しだけ誇らしい気持ちになった。
鉱山が休止になった影響で、予定していた鉱物資源の買い付けは不可能となり、持ち込んだ商品の売却も当面見送りとなった。そのため、ハーネット商会のキャラバン隊は、アルテナへの帰還を早めることになった。当初の予定より滞在期間は少し延びたが、目的は果たせなかった形だ。
売却用の荷物は、後日状況が落ち着いてから取引するため、支店に預けることになった。
商業部のリナとトムは、その後の売買交渉や情報収集のため、シルヴァンに残る。
出発の準備が整い、ユートたちは、後始末に追われる支店の従業員たちに見送られながら、アルテナへの帰路についた。
行きとは違い、荷馬車は軽くなっている。しかし、経験した戦闘の記憶と、手に入れた透明な魔法石、そして抱える秘密の重さが、ユートの心にずしりとのしかかっていた。




