26話
昨夜のやけ酒騒ぎから時間が経ち、太陽がまだ登る前に、ユートはまだ少し酒の残る頭で目を覚ました。
隣の簡易ベッドではセーラも寝息を立てている。レナータ、バルカス、ドランはすでに起きて身支度を整えているようだ。
(……疲れたけど、なんだかんだで楽しかったな……)
ぼんやりと昨夜のことを思い返していると、突然、脳内にあの声が響いた。しかし、いつものような軽い調子ではない。明らかに慌てた様子だった。
『ユート! 聞こえる!? 大変! ヤバいよ!』
精霊神の声は切羽詰まっている。
(え? 精霊神様? どうしたんですか、そんなに慌てて……)
『説明は後! とにかく、この後すぐ、あんたがいる支店に襲撃が来る! ゴブリンの大群だ! 早く起きろ! そして、起きたらすぐに窓から、空に向かって、ありったけの魔力で魔法の灯りを灯せ! 目立つやつ! いいな、全力でだぞ!』
(ええ!? 襲撃!? 灯りって……)
悠斗が聞き返す間もなく、精霊神は一方的に捲し立て、プツリと連絡は終わった。
何が何だか分からない。しかし、あの精霊神がこれほど慌てているのだ。ただ事ではない。ユートはベッドから飛び起きた。
「どうしたんですか、ユート様!?」
突然の動きに、護衛たちが不思議そうな顔をする。
「説明は後です! とにかく、窓を開けてください!」
悠斗は叫びながら窓際へ駆け寄る。バルカスが素早く窓を開け放つ。外はまだ夜明け前の深い闇に包まれていた。
「ユート様、一体何を……?」
ドランが訝しげに尋ねるが、悠斗は構わず窓の外、空に向かって右手を突き出した。
精霊神に言われた通り、体内のマナを練り上げ、光を生み出すイメージを強く描く。
「《光よ(ルーメン)》!!」
ありったけの魔力を込めて放たれた光の魔法は、夜空を切り裂くように輝く巨大な光球となり、シルヴァンの街の上空を煌々と照らし出した。まるで昼間のような明るさだ。
その瞬間、商館の周囲から、獣のような咆哮と、金属のぶつかる音、そして人々の叫び声が響き渡った!
「なっ……!?」
窓から下を見ると、商館の二方向と正門に、月明かりとユートの放った光に照らされて、おびただしい数の緑色の影が蠢いているのが見えた。
ゴブリンだ! しかも、その中には一回りも二回りも大きく、より屈強なホブゴブリンの姿も混じっている!
彼らは松明など持たず、闇に紛れて襲撃してきたのだ!
「襲撃だーっ! ゴブリンの襲撃だぞーっ!!」
ユートは腹の底から大きな声で叫んだ。その声と、空の光が、商館内にいた者たちを叩き起こし、即座に戦闘態勢へと移行させた。
「レナータ! セーラさんを頼む! この部屋で守っていてくれ!」
「承知!」
レナータはセーラを起こして部屋の隅へ移動する。
ユートはバルカス、ドランと共に部屋を飛び出し、外へと向かった!
商館の中庭や入り口付近では、すでに激しい戦闘が始まっていた。
ゴブリンとホブゴブリンの集団は数が多く、急襲されたこともあり、支店の護衛部や、武器を取った輸送部の屈強な者たちが応戦しているものの、やや押され気味で、じりじりと商館入り口の手前まで後退させられていた。
闇夜と混乱の中、味方の被害も出始めているようだ。ホブゴブリンの強力な一撃が、護衛の盾を砕く音も聞こえる。
「バルカス、ドラン、前衛を頼む!」
「「応!」」
護衛二人に前衛を任せ、ユートは後方から魔法で援護することにした。
しかし、いざ敵に向けて魔法を放とうとした時、一瞬ためらいが生まれた。相手は魔物とはいえ、明確な殺意を持って襲ってくる存在。
人に向けて、破壊の力を使うことに戸惑いを感じてしまう。
その一瞬の迷いが命取りになった。
ユートの近くで戦っていた支店の護衛部の一人が、ホブゴブリンの棍棒を必死に受け止めている隙に、横から飛び出してきたゴブリンに脇腹を刺されたのだ。
「ぐあっ……!」
護衛は呻き声を上げて倒れる。その光景を目の当たりにしたユートの中で、何かが吹っ切れた。
(やらなければ、やられる……! 守らなければ!)
覚悟を決め、ユートは右手をゴブリンの群れに向けた。
「《ファイアーボール》!」
狙いを定め、火球を放つ。炎の玉はゴブリンの一体に直撃し、悲鳴と共に燃え上がらせた。怯むな! さらに詠唱を続ける。
「《フレイムスピア》!」
炎の槍が、盾を構えていたホブゴブリンを貫く。
「《フレイムボム》!」
密集している箇所へ放てば、小規模な爆発がゴブリンたちを吹き飛ばし、混乱を生む。ユートの魔法は、確実に戦況を変え始めていた。
長いようで短い、熾烈な防衛戦が続いた。
ユートの魔法による援護、ライオスやバルカス、ドランを中心とした護衛たちの奮闘、そして輸送部員たちの勇気ある抵抗により、徐々にゴブリンの勢いを削いでいく。
やがて、ホブゴブリンのほとんどが倒され、リーダー格が討ち取られると、残りのゴブリンたちは恐れをなして逃げ出し、ようやくゴブリンたちを殲滅することができた。
戦闘が終わった頃、ようやく街の衛兵が数人駆けつけてきたが、「他でもゴブリンの襲撃があり、手が回らなかった」と申し訳なさそうに言うだけだった。精霊神が言っていた通り、これは街全体規模の襲撃だったのかもしれない。
ライオスはすぐに指示を出し、バルカスとドランを含む護衛部の面々は、負傷していない者を中心に周囲の警戒と残敵の掃討に向かった。
一方、その他の商会員たちは、負傷者の救護に追われていた。
商館の中庭は、負傷者の呻き声と、彼らを助けようとする人々の声で騒然としていた。
商会員の中にも死者や、腕を失うなどの重傷者が出ており、その惨状は目を覆いたくなるほどだった。商会にも回復薬の在庫はあったが、これほどの負傷者を賄うには全く足りない。
教会から助けが来るまでは、なんとか自分たちで凌ぐしかなかった。
「みんな、落ち着いて聞いてくれ!」
ユートは声を張り上げ、インベントリからありったけの医療品を広げた。
「俺が持っている応急処置の道具だ! これを使ってくれ!」
彼は、近くにいた職員たちに、それぞれの医療品の使い方(薬草ガーゼ、普通のガーゼ、消毒用の酒、生の薬草など)と、傷口の洗浄・消毒の重要性を、手早く、しかし分かりやすく伝えた。
「まず水と酒で傷を綺麗に! それから圧迫止血! 傷が深い者にはこの緑のガーゼを!」
彼の的確な指示に、混乱していた人々も動き出す。
ユート自身も、重傷者のもとへ駆け寄り、処置を始めた。戦闘が終わり、外に出てきたセーラとレナータも、ユートの指示に従い、負傷者の手当てを手伝っている。
しかし、次々と運ばれてくる重傷者の状態は深刻だった。出血が止まらない者、意識を失っている者……。ユートの用意した医療品だけでは限界がある。
「ユート様……」
隣で処置を手伝っていたレナータが、低い声で囁いた。「……今なら、他の者も混乱しています。回復魔法を使っても、気づかれにくいのでは?」
その提案に、ユートは手を止め、逡巡した。
ダリウスとの約束が頭をよぎる。しかし、目の前には助けを待つ命がある。
「いけません、ユート様!」
セーラが、周囲を見ながら慌てて反対した。「もし見られたら、大変なことに……!」
ユートは手を止めずに悩み、苦悶の表情を浮かべた。だが、決断は早かった。
(……やるしかない。見捨てるわけにはいかない!)
「セーラさん、レナータ、手伝ってください。俺が魔法を使う間、周りから見えないように……!」
二人はユートの覚悟を察し、黙って頷いた。
ユートは、特に危険な状態の負傷者のもとへ行き、セーラとレナータに人垣を作ってもらいながら、バレないように細心の注意を払って回復魔法を使った。
最低限の出力に留め、あくまで応急処置の補助という形を取る。傷口の治癒をわずかに早め、出血を抑え、痛みを和らげる。
全身全霊でマナをコントロールし、緑色の光が漏れないように細心の注意を払う。
土壇場での実践だったが、必死さが集中力を高めたのか、あるいは経験がそうさせたのか、魔法の使い方は以前よりも格段に上手くなっており、精密な出力制御ができていた。
鑑定眼で回復度合いを確認しながら、次々と処置を続けていく。
そうしているうちに、東の空が白み始め、夜が明けた。長い、長い夜だった。
朝日に照らされた商館の中庭には、戦闘の爪痕と、多くの負傷者、そして失われた命が生々しく残されていた。
ユートは、疲労困憊の中、まだ助けを求める声に応え続けていた。




