25話
翌朝、ユートが目を覚ますと、商館の中がいつもより騒がしいことに気づいた。
廊下を人々が慌ただしく行き交い、興奮したような話し声が聞こえてくる。何事だろうかと部屋を出ると、護衛のバルカスとドランも不思議そうな顔をしていた。
食堂へ向かうと、ライオスや支店長、そして商業部のリナたちが集まり、深刻な顔で話し込んでいる。セーラにそっと尋ねると、驚くべき情報がもたらされた。
「どうやら、この街の鉱山から、極めて希少な宝石、『深淵の涙』と呼ばれるものが産出されたらしいのです。めったに出ない種類の、しかも大きなものだとか……」
その宝石の競売が、急遽、本日の午後に行われることになったのだという。
これはハーネット商会にとっても、千載一遇のチャンスかもしれない。キャラバン隊の主要メンバーとゲルハルト支店長は、すぐさま対応を検討し始めた。
「これほどの逸品、逃す手はない。『深淵の涙』となれば、本店の許可を待っている時間はないな」ゲルハルト支店長が言った。
「よし、我々キャラバン隊と支店が協力して、全力で競り落としにかかる!」ライオスが決断した。
問題は資金だ。キャラバン隊が持っている資金だけでは足りない可能性が高い。
「キャラバン隊の資金は、一時的に本部からの貸し付けとして処理する。落札できれば、後日、買い付けた鉱物資源を本店に輸送することで相殺できるはずだ」ゲルハルト支店長が提案し、全員が合意した。
「念のため、商会本店には早馬を出し、この状況、経緯、そして我々の対応を、支店長、私、そして商業部のリナ、トムの連名で報告する」ライオスが手配を指示した。
この予期せぬ事態により、ハーネット商会が持ち込んだ商品の売却交渉は、競売が終わるまで延期されることになった。
「他の商会も、競りに備えて資金を確保したいだろうからな。今は『深淵の涙』の話題で持ちきりだろうし、落ち着いてからの方がいいだろう」商業部のリナが冷静に判断した。
午前中、予定通りユートたちは魔法石を探しに街へ出たが、状況は一変していた。
市場の露店も、昨日目星をつけた商店も、希少宝石産出のニュースで浮足立ち、完全なお祭り相場になっていたのだ。普段なら手頃なはずの魔法石や鉱石にも、法外な値段がつけられている。
「これじゃあ、まともな買い物はできそうにないな……」
ユートは溜息をついた。バルカスもドランも同意見だ。
「今日は買うのを諦めて、街を見て回りましょう。競売が終われば、少しは落ち着くでしょう」
セーラの提案に従い、一行は街の散策に切り替えた。
改めて街を歩くと、到着した時には気づかなかった発見があった。
街の奥、山際に、巨大な坑道の入り口が見える。どうやら、この街の富の源泉である鉱物資源や宝石は、あの坑道から産出されているようだ。
坑道の周辺は、鉱夫や運搬人、そして一攫千金を狙う商人たちでごった返し、希少宝石が出たこともあり、ものすごい熱気に包まれていた。
あまり長居はできそうにない。邪魔になる前に、早々にその場を退散した。
午後になると、いよいよ競売の時間だ。ゲルハルト支店長をはじめ、ライオス、リナ、トム、そして資金管理を担当する総務部の職員などが、緊張した面持ちで競売場へと向かう。
「ユート殿も来るか? まあ、滅多に見られるものじゃないぞ」
ライオスに誘われ、ユートも見学のため、バルカス、ドラン、レナータ、セーラと共に同行することにした。
競売場は、街の有力者や裕福な商人たちで埋め尽くされ、異様な熱気に包まれていた。そして、注目の『深淵の涙』が披露されると、会場全体からため息とどよめきが起こった。
それは、人の拳ほどもある大きさの、深く、吸い込まれるような青色をした、神秘的な輝きを放つ宝石だった。
競売が始まると、予想通り、街の有力な商会が次々と名乗りを上げる。ハーネット商会(シルヴァン支店+キャラバン隊)も果敢に競りかけるが、価格はみるみるうちに吊り上がっていく。最終的には、ハーネット商会、地元の老舗宝石商『青石堂』、そして隣国から来ていたという謎の大商人の3つの商会が激しく競り合った。
「金貨500枚!」リナが叫ぶ。
「550枚!」青石堂の主人が対抗する。
「600枚!」謎の大商人が静かに告げる。
会場が固唾を飲んで見守る中、ハーネット商会はさらに値を上げた。
「650枚!」
しかし、青石堂は降り、残るは謎の大商人。彼は少し考えた後、さらに値を吊り上げた。
「800枚!」
その額に、さすがのライオスもゲルハルト支店長も顔を見合わせ、無念の表情で首を横に振った。惜しくも、ハーネット商会は競り負けてしまったのだ。
支店内に戻ると、悔しそうな声で溢れていた。
「くそっ! あと少しだったのに!」
「あのよそ者が……!」
ライオスも珍しく感情を露わにしている。
「まあ、仕方ない。『深淵の涙』のあれほどの品だ」ゲルハルト支店長が溜息をつきながら言った。
「今回の宝石の希少性は、格別だったからな。あの大きさ、あの色艶……まさしく最高級品だ。物自体が滅多に出ない上に、今回のはサイズと質、共に過去最高クラスだった。あれを加工できれば、とんでもない付加価値がついて、莫大な利益が出るだろう。……まあ、加工できればの話だがな」
「そうですな。競り落としたあの商会に、あれほどの宝石を加工できる職人がいるかどうか……。宝の持ち腐れにならなければいいが」
誰かが悔し紛れにそんなことを言い、皆、無理やり自分たちを納得させようとしていた。
その夜は、支店の従業員やキャラバン隊の皆で、やけ酒のように酒盛りが始まった。
悔しさをバネにするように、皆で騒ぎ、飲み明かした。酒の飲めないライオスは、誰よりも悔しそうにテーブルを叩き、しまいには泣き上戸になっていた。
その意外な姿に、ユートは少し驚きながらも、この商会の人々の熱い一面を見た気がした。




