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149話


 アルテナの高く、見慣れた城壁が見えてきた時、馬車の内外から、誰からともなく安堵のため息が漏れた。


 長かったドループでの戦いを終え、特別調査部とイナホの面々を乗せた隊列は、ついに自分たちの拠点へと帰還したのだ。




 ハーネット商会の屋敷の中庭に馬車が到着すると、ユートは集まった仲間たちの顔を一人一人見渡し、声を張り上げた。


「これにて、サドネット商会ドループ支店に関する調査及び対抗任務を終了する! 皆、本当によくやってくれた。ご苦労だった!」



「「「「おおぉーーーっ!」」」」



 その言葉に、メンバーたちから歓声が上がる。

 ユートは、報告のためにセーラ、カイン、そしてハガマを伴い、ダリウス会長の執務室へと向かった。



 会長室の扉を開けると、そこにはダリウス会長だけでなく、エレナやアルバンといった幹部たちが勢揃いしており、固唾をのんでユートたちの帰りを待っていた。



「会長、ただいま戻りました」



 ユートがドループでの一部始終――サドネット商会の支配体制、連絡手段の途絶、イナホとの連携、そして商売による反撃の全て――を報告し終えると、部屋はしばし、驚嘆の沈黙に包まれた。


 最初に口を開いたのは、ダリウス会長だった。



 その表情には、安堵と、それ以上に、ユートの成し遂げたことへの畏敬の念さえ浮かんでいた。


「ユート部長……君は……」



 ダリウス会長は、ゆっくりと言葉を紡いだ。



「君たちが通信不能に陥ったと、本店からの応援部隊から報告を受けた時、正直に言えば、最悪の事態も覚悟した」

「ほぼ敵地と化した街で、完全に孤立した君たちが、全滅する可能性も、だ。だが、君は違った。その絶望的な状況で、武力ではなく、商人の才覚で敵を打ち破った。我々の予想を、遥かに超えるやり方で、だ。見事、としか言いようがない」



 その言葉は、最大の賛辞だった。


 他の幹部たちも、深く頷いている。



「しばらくは、ゆっくり休むといい。皆、心身ともに疲弊しているだろうからな。ユート部長には、後ほどで構わないから、今回の詳細な報告書を提出してほしい」


「はい、承知いたしました」



 ユートたちは、幹部たちの労いの言葉を背に、会長室を後にした。



 その夜、特別調査部の建物『ホーム』では、ささやかな帰還祝いの宴が開かれた。



 ユートは、メンバー一人一人のグラスに酒を注ぎながら、労いの言葉をかけて回った。



「カインさん、あなたの冷静な分析がなければ、この作戦は成り立ちませんでした。ありがとう」



「三つ子の皆も、危険な護衛任務、本当によくやってくれた」



「セーラ、エマさん、ミアさん。皆の細やかな気配りが、部隊の支えでした」



 仲間たちの笑顔に囲まれ、ユートは無事に全員で帰ってこられた喜びを、改めて噛み締めていた。


 数日後、ユートは山のような資料と格闘し、ドループでの一件をまとめた詳細な報告書を書き上げた。


 ペンを置き、大きく伸びをすると、ふと窓の外に目をやった。



 アルテナの街は、いつもと変わらず平和な日常が流れている。



(思えば、遠くまで来たもんだ……)



 この世界グランディアに来てからの出来事が、走馬灯のように脳裏を駆け巡る。





 精霊神との出会い、サハギンとの戦い、セーラや仲間たちとの出会い、フリューゲルへの旅、護衛の任務にサキュバス、そして、ドループでの熾烈な戦い……。



 ただの介護士だった自分が、今や一つの部署を率いる部長として、仲間たちと共に、この世界の大きなうねりの中にいる。



 感慨に浸っていた、その時だった。



『――おーい、ユート。お疲れー』

 脳内に、直接響く、あのフランクな声。


 精霊神だ。



(精霊神様……)


『いやー、ドループの件、本当にすごかったね! 見ててハラハラしたけど、最高の結果じゃない? あんたの頑張り、ちゃんと見てたよ』


 精霊神は労いの言葉をかけると、少しだけ、いつもの軽い調子とは違う、真面目なトーンで話し始めた。


『ねえ、ユート。私が最初に、君をこの世界に呼んだ時のこと、覚えてる?』



(はい。「君の優しい心で、困ってる人を助けてほしい」と)



『うん、それは本当の気持ち。でもね、実は、君にお願いしたかったこと……君に託した本当の役割は、もう少し大きなことだったんだ』



 精霊神の声が、静かに響く。


『この世界グランディアはね、戦乱や魔物のせいで、物理的なものだけじゃなく、人々の心から「癒やしの力」……つまり、優しさや、思いやり、誰かを助けたいっていう気持ちそのものが、どんどん失われかけていたんだ。私は、その流れを食い止めるための、一つの『楔』が欲しかった。揺るぎない優しさの心を持つ、君という存在がね』



 ユートは、息をのんだ。



『君がこの世界に来てから、色々なことがあった。セーラちゃんの心を救ったことも、ユージーン君に新しい生きる道を示したことも、そして、ドループの商人たちに希望を与えたことも。君の行動は、ただ個人を助けただけじゃない。その優しさは、波紋のように周りに広がって、人々の心に、忘れかけていた温かい何かを思い出させてくれたんだ。……君のおかげで、この世界の心の摩耗は、少しだけど食い止められた』



 精霊神は、穏やかに、そしてはっきりと告げた。


『だからね、ユート。君に託した、私の「お願い」は、もう終わり。君は、1人で出来るこれ以上ないほど見事に、役目を果たしてくれた。だから……これからは、もうお願いとか関係なく、君自身の人生を、自由に生きていいんだよ』



「……え?」



 ユートは、思わず声を漏らした。



 自由……? 役目は、終わり……?



 驚きと、安堵と、そしてほんの少しの戸惑いが、心をよぎる。


『びっくりした? でも、本当のことだよ。君はもう、私の部下なんかじゃない。この世界の、一人の住人だ』



 精霊神の声が、優しく響く。


『……ただ、最後に一つだけ。自由に生きていい。でもね、君が最初に持っていた気持ち……困っている人を、放っておけないっていう、その温かい気持ちだけは、どうか忘れないでいてほしいな。それはもう、私からのお願いじゃない。君が、君らしくあり続けるための、おまじない、みたいなものだから』



 その言葉を最後に、精霊神の声は、すっと消えていった。




 部屋には、静寂だけが残された。



 ユートは、しばらくの間、呆然と窓の外を見つめていた。


 与えられた、あまりにも大きな自由。そして、最後に託された、温かいおまじない。



(俺の……自由な人生……)



 ユートは、そっと胸に手を当てた。


 精霊神の願いは終わったかもしれない。



 だが、自分の心の中にある想いは、何も変わっていない。



 困っている人がいれば、手を差し伸べる。

 仲間たちが危機に陥れば、全力で守る。


 

 それは、もはや誰かに課せられた役目ではなく、彼自身の、揺るぎない生き方そのものになっていた。



 ユートは、晴れやかな気持ちで、空を見上げた。


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