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146話


 ドループの街に帰還した翌日の夜。



 ユートは、協力関係を結んだ小規模商店の店主たちを、新たに得た拠点の一つ――元は織物屋だった店舗――に秘密裏に集めた。



 ランプの灯りが揺れる店内には、期待と、まだ拭いきれない不安が入り混じった空気が漂っている。


「皆さん、お集まりいただきありがとうございます。皆さんの為の商品を、持ち帰りました」

 ユートは店主たちを前に、静かにインベントリを発動させた。



 何もない空間から、まるで泉が湧き出るかのように、次々と商品が出現する。


 ヘイムとゼーナで買い付けてきた、これまでにないほどの大量の商品――山と積まれた塩の袋、壁際に並べられた油の樽、色とりどりの上質な織物の反物、そして貴重な薬の原料が入った木箱。


 あっという間に、だだっ広い店舗が商品で埋め尽くされていく。


「なっ……!」


「おお……信じられん……」


 目の前の光景に、店主たちは驚きと希望で息を呑んだ。

これだけの物資があれば、サドネット商会に頼らずとも、自分たちの力で商売を立て直せる。



「これで、ドループの市場は、完全に我々の商品で満たされます。サドネット商会が入り込む隙は、もはやありません」


 ユートの力強い宣言に、店主たちから、堰を切ったような歓声が上がった。



 ギデオンの狂気じみた命令を受けたサドネット商会の部下たちが、翌日から街の小規模商店に買い占めのために殺到した。



「おい! この店の塩を全部売れ! 言い値で買ってやる! 倍額出すぞ!」


 チンピラのような男たちが、金貨の入った袋をちらつかせながら店主に詰め寄る。



 しかし、以前のように恐怖に怯える店主の姿は、そこにはなかった。


「申し訳ありませんが」

 店主は、臆することなく、毅然とした態度で首を横に振った。


「当店は、ハーネット商会と専属の取引契約を結んでおりまして。契約上、他の商会に商品を卸す場合は、新たに契約を結んでいただく必要がございます」


「あぁ? 契約だと? なんだそりゃ!」


「はい。その商会様には、我々への『卸値に手数料一割を上乗せした価格で販売する事』をお約束いただく契約内容となっております。そうでなければ、お売りできないことになっておりますので」


 そのあまりにふざけた、しかし商取引としては正当な理屈に、男たちは言葉を失った。


 そんな価格で買い占めても、全く利益が出ないどころか、持ち出せば持ち出すほど大赤字になる。


「て、てめえ、ふざけてんのか!」


 逆上した男が、店主に殴りかかろうとした、その瞬間。



 店の奥から、屈強な影が二つ、ぬっと現れた。バルカスとドランだ。


「お客様。商談中に、暴力はいけませんな」


 ハーネット商会の屈強な護衛が常に店を見守っている。その事実に、男たちは顔を青ざめさせた。


 どの店を回っても、返ってくるのは同じ返答。

そして、どこに行ってもハーネット商会の護衛が目を光らせている。



「支店長になんと報告すれば……」


 彼らは、なすすべなく退散するしかなかった……



 買い占め作戦も完全に失敗に終わり、サドネット商会ドループ支店は、市場から商品を仕入れることも、販売することもできない、完全な経済的封鎖状態に陥った。


 その報は瞬く間に街中を駆け巡り、これまでサドネット側についていた大手商会も、これを好機と見て公然と離反を表明。

ギデオンは、ドループの街で完全に孤立無援となった。



 サドネット商会という重石が取れたことで、街は大きく動き出した。


 まず、ギデオンが設立した『商業振興組合』は、離反する商会が相次ぎ、機能不全になり、あっけなく瓦解した。



 それに伴い、息を潜めていた古くからの『ドループ商業組合』が、再び息を吹き返したのだ。


 彼らは臨時総会を開き、サドネットに与した古い運営陣を刷新。

そして、来賓として招かれたユートたちの前で、新たな組合の役員として、ハーネット商会を迎え入れることを満場一致で決定した。


 これで、ドループの商業は、公正な競争原理の下で再出発を切ることになった。


 数日後、サドネット商会ドループ支店は、静かにその看板を下ろし、夜逃げ同然に街から撤退していった。



 ドループの市場には、本当の意味での活気が戻っていた。


 ユートたちが卸した商品が、小規模商店の店先に適正な価格で並び、街の人々の笑顔が溢れている。


「まあ、奥さん! この塩、安くて美味しいわよ!」


「本当ねえ。これからは、やっぱり昔からの馴染みの店で買わないとね。あそこのサドネットの店は、もうこりごりよ」


 住人たちは、自分たちの生活を守るためには、地元の小さな店を支えることが大事だと気づき始めていた。



 サドネットに従うふりをしていた大手商会も、今回の件で大きな痛手を負った。

しかし、再起不能というほどではない。

彼らは今回の教訓を胸に、これからは手堅く、公正な商売をしていくことを心に誓っていた。



 そんなある日の夕暮れ。


 かつてユートが在庫を買い取った織物屋の店先に、見慣れない、しかしどこか見覚えのある男が、所在なげに立っていた。


 サドネット商会に残っていた、若い社員の一人だった。


 彼は、街に取り残され、食うにも困っているのだろう。



 店主は、かつて自分を苦しめた商会の人間を前に、一瞬複雑な表情を浮かべたが、すぐにいつもの商人としての顔に戻った。


「いらっしゃい。何かお探しで?」


「……塩を、一つ」



 男は、小さな声で言った。



 店主は、他の客と全く同じように、棚から塩の袋を一つ取り、カウンターに置いた。



「はい、銅貨三枚だよ」


 それは、街の誰もが買うのと同じ、適正な値段だった。


 男は震える手で銅貨を支払い、塩を受け取ると、深々と頭を下げて店を出て行った。


 ユートたちの「商売による戦い」は、サドネット商会ドループ支店の経済活動を完全に停止させ、その支配体制を内側から崩壊させるという形で、決定的な勝利を収めた。



 それは、憎しみによる復讐ではなく、公正な商いという、商人としてのあるべき姿を取り戻すことによる、真の勝利だった。


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