141話
ドループの街に夜の帳が下り、砂漠からの熱風が涼やかな夜風へと変わる頃。
ユートは、協力関係を結んだ小規模商店の店主たちを、宿の馬小屋へと秘密裏に集めていた。
干し草の匂いが立ち込める薄暗い馬小屋の中には、ランプの光に照らされた十数人の店主たちの、不安と警戒に満ちた顔があった。
「本当に、我々の味方をしてくれるのかね……」
「サドネット商会に知られたら、今度こそ店を潰される……」
ひそひそと交わされる会話には、希望よりも恐怖の色が濃い。
約束の時間、ユートはバルカスとドランを伴い、静かに馬小屋へ姿を現した。
「皆さん、お集まりいただきありがとうございます」
ユートの落ち着いた声に、店主たちの視線が一斉に集まる。
ユートは多くを語らなかった。
ただ、皆が見守る中、馬小屋の中央の何もない空間に右手をかざす。
次の瞬間、目の前の空間が淡く光り、そこから次々と品物が現れ始めた。
山のように積まれていく真っ白な塩の袋、ずらりと並ぶ油の樽、上質な織物の色とりどりの反物、薬品の原料が入った木箱――。
「なっ……!?」
「ば、馬鹿な……どこからこんなものが……!」
目の前で繰り広げられる、まるで魔法のような光景に、店主たちは言葉を失い、ただ息を呑んだ。
それは、彼らが渇望していた商品であり、サドネット商会の支配から逃れるための、確かな希望の光だった。
呆然とする店主たちを前に、ユートは静かに、しかし力強く告げた。
「この商品は、皆さんにお貸しするのではなく、卸します。ただし、条件が二つあります」
ユートは、集まった一人一人の顔を見渡し、一つ目の条件を提示した。
「一つ、これらの商品を、サドネット商会のように不当に吊り上げた価格ではなく、誰もが納得する適正な価格で販売してください。俺たちの目的は、この街に公正な商いを取り戻すことです」
その言葉には、ユートの揺るぎない信念が込められていた。
店主たちは、ハッと顔を上げる。単なる商売ではない。
この若き商人は、本気でこの街を変えようとしているのだ。
「二つ目。商品の売上の一割を、我々への手数料としてお支払いください。そして、この一件が片付くまでは、仕入れは我々から行ってほしい。それだけです」
売上の一割。
それは、サドネット商会が課す高金利の融資や、搾取的な契約とは比べ物にならないほど、良心的な条件だった。
「そ、そんな条件で、いいのかね……?」
一人の店主が、震える声で尋ねた。
「ええ。俺たちは、皆さんと共に戦うための仲間なのですから」
ユートの言葉に、店主たちの目から、堰を切ったように涙が溢れ出した。
恐怖と絶望に支配されていた彼らの心に、確かな勇気の火が灯った瞬間だった。
「分かった……分かった! あんたたちに、この店の、いや、この街の未来を賭けるぜ!」
一人の声に呼応するように、次々と賛同の声が上がる。
その夜、ドループの片隅で、小さな、しかし強力な同盟が結ばれた。
翌日から、ドループの街の景色は一変した。
これまで品薄だった塩や油、良質な布といった生活必需品が、街の小規模商店の店先に、驚くほど安い値段で並び始めたのだ。
「おい、あの店の塩、サドネットのより格安じゃねえか!」
「こっちの布もだ! なんて綺麗な色なんだ!」
情報を聞きつけた街の人々が、小規模商店に殺到した。
店先には長い行列ができ、店主たちの威勢の良い声と、客たちの嬉しそうな笑顔が響き渡る。
街には、失われて久しい活気が、確実に戻りつつあった。
この動きにより、これまで必需品をやや割高で販売して利益を得ていたサドネット商会の系列店は、ぴたりと客足を奪われた。
慌てて値下げで対抗しようとするが、ユートたちが供給する商品の安さと質の高さには敵わない。
彼らの利益は目に見えて減少し始め、盤石と思われた市場の支配体制に、明らかな揺らぎが生じ始めた。
そんな事が数日続くと事態を重く見たサドネット商会は、露骨な妨害工作を開始した。
チンピラのような男たちを雇い、小規模商店の前で客を威嚇したり、「こんな安物はまがい物に決まってる!」と商品にケチをつけたりといった、卑劣な嫌がらせを始めたのだ。
しかし、一度変わり始めた街の空気は、もう元には戻らなかった。
以前はサドネット商会を恐れ、見て見ぬふりをしていた街の人々が、今度は勇気を出してチンピラたちに反発した。
「うるさいね! 真っ当な商売の邪魔をするんじゃないよ!」
買い物に来ていた一人の主婦が声を上げたのを皮切りに、次々と同調の声が上がる。
「そうだそうだ! 俺たちはこの店から買うんだ!」
「サドネット商会の言いなりはもうごめんだ!」
客だけでなく、他の商人たちも加勢し、チンピラたちはあっという間に大勢の民衆に囲まれてしまった。
予想外の反撃に、彼らは「覚えてやがれ!」と悪態をつきながらも、すごすごと退散せざるを得なくなる。
サドネット商会の強引なやり方は、もはや恐怖ではなく、街全体の明確な反感を買い始めていた。




