130話
「ユート、ハガマ殿。君たちには、これより東方面へ向かってもらいたい」
ダリウス会長は、応接室の机に広げた大きな地図を指差した。
その指が止まったのは、アルテナの東、数日間の距離にある街だった。
「このドループという街は、我がハーネット商会と、先日話に出たサドネット商会の商圏が一部重なる地域だ。特に、最近は彼らがドループでの影響力を強めようと画策していると聞いている」
ダリウス会長はユートとハガマの顔を交互に見た。
「そこでだ。君たち特別調査部には、このドループに仮の支店を構え、ハーネット商会が進出する素振りを見せて牽制をかけてもらいたい。具体的な商いは行わずとも、進出の意欲を示すことで、サドネット商会の動きを牽制し、彼らの真意を探るのが目的だ」
その言葉には、商会の勢力拡大に対する明確な意図が込められていた。
「ハーネット商会の名の下に、君たちには積極的に活動してもらいたい。定期的に連絡員を送り、指示や情報の共有を行う。何か問題があれば、すぐに私に報告するように」
ダリウス会長の指示は、多岐にわたった。
単なる情報収集だけでなく、外交的な駆け引きも含まれる、高度な任務だ。
ダリウス会長は、ハガマに目を向けた。
「ハガマ殿。今回の任務は、君たちイナホの因縁の相手であるサドネット商会が関わっている。複雑な心境であることは理解する。しかし、君たちは今、ユートが個人的に雇っているとはいえ部下としてハーネット商会に関わっている。どうか、部長のユートの指示のもと、この任務に全力を尽くしてほしい」
ダリウス会長の言葉は、ハガマの過去と現在の立場を尊重しつつも、明確な期待を伝えていた。
ハガマは、深く頷いた。
「承知いたしました、会長。ユート様の指示に従い、全力を尽くします」
ユートもダリウス会長に深く頭を下げた。
「会長、この任務、必ずや成功させてみせます」
応接室を辞し、ユートとハガマは特別調査部の執務室へと戻った。
部屋には、彼らが退出を促した調査部メンバーが、そわそわとした様子で待機していた。
ユートとハガマは、しばしの間、言葉を交わさなかった。重い沈黙が部屋に満ちる。
やがて、ハガマが静かに口を開いた。
「……まさか、これほど早く、サドネット商会と相対することになるとは思いませんでした」
彼の声には、因縁の相手との対峙に対する複雑な感情が滲んでいた。
「ハーネット商会、そしてユート様の強大な後ろ盾があるとはいえ、他のメンバーは…まだ、過去の傷を抱えています。この任務は、彼らにとって、想像以上に難しいものになるかもしれません」
ハガマは、仲間たちの心情を慮るように言った。
ユートはハガマの言葉に頷いた。
「体制を立て直したばかりのイナホに、無理強いをしてついてきてもらうつもりはありません。彼らがまだ難しいと感じるのであれば、この任務は特別調査部で対応することも可能です」
ユートは、イナホのメンバーの心を第一に考えていた。
彼らが無理をして、再び傷つくことは望まない。
しかし、ハガマは首を横に振った。
「いいえ、ユート様。我々は、あなた様にお仕えすると決めたのです。そして、サドネット商会は、我々から多くのものを奪いました。これは、我々イナホにとって、避けては通れない道です。それに……」
ハガマは、ユートの目を見て続けた。
「この任務は、我々にとって、新たな一歩を踏み出すための、そして過去を乗り越えるための、重要な機会でもあります。初めての仕事ですが、必ずや全力を尽くします」
彼の言葉には、強い決意が込められていた。
ユートはハガマの覚悟を感じ取り、深く頷いた。
「分かりました、ハガマ。では、共にこの任務を成功させましょう。頼りにしています」
二人は静かに立ち上がった。
これで、イナホのメンバーがこの任務に参加することも正式に決まった。
その後、ユートは特別調査部のメンバー全員を改めて執務室に集めた。
皆の顔には、新しい仕事への期待が色濃く浮かんでいる。
「皆、聞いてくれ。我々の次の任務が決まった」
ユートは、今回の任務がダリウス会長直々の命令であること、そしてその内容を説明した。
イナホの過去やサドネット商会との因縁については伏せ、ハーネット商会として東方面への進出を牽制し、市場調査を行うという、表向きの目的だけを伝えた。
「目的地はドループという街だ。そこに仮の支店を構え、ハーネット商会の存在感を示すのが目的となる」
ユートの言葉に、皆の間に、久しぶりの大きな仕事に対する高揚感が広がった。
「よし! やったぜ!」
リックが拳を握りしめ、ロイとレックスも興奮した様子だ。
「新しい街か! どんなものがあるんだろうな!」
「カインさん、また記録が大変になりますね!」
ミアとエマが楽しそうに話している。
「今回の任務は、全員で向かうことになる。全員で、この任務を成功させるぞ」
ユートの言葉に、皆が力強く頷いた。
「各自、自分の役割を認識し、必要な準備を進めてくれ。カイン、君はドループの街に関する情報収集と、仮支店開設に必要な書類の確認を。エマ、経費の計算と、必要物資のリストアップを頼む。ミア、馬車の整備と、輸送ルートの確認を。バルカス、ドラン、エルザ、レナータ、そして三つ子たち、お前たちは護衛として、道中の安全確保と、仮支店の警備体制の検討を頼む。セーラは、皆の補佐と、全体のスケジュール管理を。ユージーンは、街の探索と、情報収集の補助を頼む」
ユートは、それぞれの役割を明確に指示した。
メンバーたちは、自分の役割を認識し、それぞれの持ち場へと動き出した。
カインは早速、ドループに関する資料を集め始め、エマは書類を広げ、計算機を叩いている。
ミアは馬車の点検に向かい、護衛たちは武具の手入れや地図の確認に取り掛かった。
セーラはユートの傍らで、指示を書き留め、全体の調整を始めた。
ユージーンも、まだ不慣れながらも、ユートの指示に従い、街の地図を広げていた。
特別調査部は、新たな任務に向けて、活気と熱気に満ち溢れていた。




