113話
試しに描いてみた魔法陣の紙をくるくると丸め、ユートは胸を躍らせながら、護衛部の訓練所へと向かった。
屋外の広い場所で、実際に魔法陣の力が発動するのか試したい。
うまくいくかは分からないけれど、新しいことを試すのは楽しみだ。
訓練所に到着すると、何人かの護衛部員たちが、心地よい金属音を響かせながら剣の訓練に励んでいた。
日々の鍛錬を欠かさない彼らは、ハーネット商会の頼れる柱だ。ユートの姿を見かけると、彼らは剣を止め、爽やかに挨拶をしてくれた。
「ユート部長、こんにちは!」
「やあ、皆。頑張ってるな」
軽く言葉を交わし、ユートは彼らの邪魔にならないように、訓練所の片隅、屋外の人のいない広い場所に移った。
ここなら人目が無く、心置きなく魔法の実験ができる。
丸めていた紙を開き、床に広げる。
そこに描かれた、魔力水が乾いた後も微かに輝きを放つ魔法陣。
これが、本当に魔法陣として機能するのか。少しの緊張と、期待が入り混じる。
まずは、声に反応するタイプから試してみよう。
ユートは魔法陣の紙を手に持ち、それを前に広げながら、魔法を発動させる時の掛け声を叫んだ。
「《ファイアーボール》!!!」
叫び声が訓練所に響いた、その瞬間。
ユートの目の前の紙に描かれた魔法陣から、勢いよく真っ赤な炎の塊が飛び出した。
ゴウッと唸りを上げながら飛んでいったファイアーボールは、訓練用の藁人形に見事に命中し、たちまち燃え上がり始めた。
「おぉっ!?」
予想以上の反応と威力に、ユートは思わず声を上げてしまった。
成功だ!紙に描いた魔法陣が、確かに魔法を発動させたのだ!
だが、感動している場合ではない。
訓練所の設備を燃やすわけにはいかない。
慌てて近くにあった、訓練所の隅にある水を溜めてあるバケツを手に取り、炎上している藁人形に水をかけた。
ジュッと音を立てて、煙が立ち上る。
「ふぅ…危なかった…」
消火に成功し、改めて燃え跡を見て、その威力に満足した。
紙切れ一つで、これほどの威力を持つファイアーボールを発動できるとは。
自身の魔力制御も、確かに反映されているようだ。
初めての試みとしては、大成功と言って良いだろう。
続けて、今度は感知式の魔法陣を試してみる。先ほどの紙とは違う、地面に広げるタイプの魔法陣を取り出した。それを床にそっと広げる。これは、対象が近づくと自動的に反応するはずだ。
魔法陣から少し距離を取り、ユートはゆっくりと、意図的に魔法陣に近づいていった。
一歩、また一歩。
緊張しながら、魔法陣からの反応を待つ。
そして、ユートの足が、魔法陣から一定の距離に入った、その時だった。
パッと魔法陣が光り、そこから猛烈な速度で、真っ赤なファイアーボールが打ち出された。
まるで、獲物を待ち伏せていた魔物のように、正確にユートめがけて飛んでくる。
「危ねっ!」
咄嗟に、ユートは魔法を放った。《ファイアーボール》!自身の手から放たれた炎の塊と、魔法陣から飛んできた炎の塊が、空中でもろに衝突する。
ボンッと軽い爆発音と共に、二つの魔法は相殺され、火花となって消滅した。
ヒュウッと安堵の息を漏らす。
自分で描いた魔法陣とはいえ、自分自身が攻撃対象になると、やはりドキッとするものだ。
だが、魔法陣の精度と出力に、ユートは再び興奮した。
反応速度、そして威力。
自分で放つ魔法と遜色ない。これは、色々な応用ができるかもしれない!
思わず、声を出して喜びそうになるのを抑える。
護衛部員たちがこちらを見て怪訝に思っては大変だ。
今の実験は、大成功だったと言えるだろう。魔力水を使い、紙に描いた魔法陣で魔法を発動させる。
言葉や接近をトリガーにできる。
これは、自分が今後進めている、レーアンのための隠密性が求められる拠点や、『ホーム』のセキュリティ強化にも役立つはずだ。
感知式の魔法陣を建物周辺に設置したり、特定の魔法の発動条件を仕掛けとして組み込んだりと可能性が広がっていく。
これから、この魔法陣の技術をさらに研究し、応用していく必要がある。
エレナにも協力してもらって、もっと実用的な魔法陣を開発したい。
訓練所の片隅で、ユートは実験に使った魔法陣の紙切れを見つめた。
魔法陣の実験が成功し、ユートの心臓は高鳴っていた。
こんな面白いことが、魔力を使えばできるなんて!もっと色々な魔法陣を試したい衝動に駆られる。
急いで執務室に戻り、残りの魔力水と紙を掻き集めた。
先ほど成功した二つの魔法陣は、それぞれ「詠唱式」と「感知式」と名付けよう。
分かりやすい呼び名があれば、研究もしやすいだろう。
再び訓練所へ戻る前に、一つ試したいことが頭をよぎった。
魔法陣に頼らず、自身の魔力の流れを意識的に変えることで、魔法に変化を与えられないだろうか。
これは、魔法制御の練習の延長として試したいことだ。
誰にも見られないように、執務室で少し時間を取った。
まずは、手に慣れた《ファイアーボール》。
通常とは違う方法で、魔力を操作してみる。
続いて《フレイムスピア》。
一点集中の貫通魔法。
これも魔力の流れを変えて、何か新しいことができるか試す。
何度か試行錯誤を重ねるうちに、僅かだが、これまでとは違う形で魔法を発動させる方法を見つけ出した。
魔法の形や動きに、新たなバリエーションを加える可能性が見えてきたのだ。
小さな変化だったが、ユートにとっては大きな一歩だった。
(よし、これも応用してみよう)
新たな発見に満足し、ユートは魔法制御の実験のふりを終え、今度こそ本当に訓練所へ向かった。魔法陣の実験の続きだ。
訓練所では、先ほどと同じように何人かの護衛部員が鍛錬に励んでいた。
邪魔にならない屋外のスペースへ移動し、先ほど執務室で作った魔法陣の紙を広げる。
今度は、攻撃魔法の一つである《フレイムスピア》を魔法陣に書き込んでみることにした。
鋭い炎の槍を放つ魔法だ。
詠唱式と感知式、両方の魔法陣を作成する。
魔力水を使い、紙の上に《フレイムスピア》の発動に必要と思われる魔法陣を描いていく。
炎の槍が飛んでいく方向なども考慮し、何度か描き直しながら完成させた。
さらに、今回は稼働方法にも変化を加えてみる。
威力を抑える代わりに、複数の槍を連続して放つ「連射式」だ。出力を絞り、小さな炎の槍が複数飛んでいくようなイメージで魔法陣を描いた。これを詠唱式と感知式の両方で作る。
作成した魔法陣を床に広げ、早速試す。
まずは詠唱式の連射型魔法陣。
紙を持ち、「フレイムスピア!」と叫ぶ。
すると、紙から勢いよく、だが単発の時よりは細い炎の槍が複数本、同時に飛び出した。
ザシュシュシュン、と空気を切り裂く音が響き渡る。
よし、これも成功だ!
続いて、感知式の連射型魔法陣を床に置き、ゆっくりと近づく。ユートが一定距離に入った途端、魔法陣が光り、そこから複数の炎の槍がユートめがけて飛んできた。
「おっと!」
反射的にユート自身も《フレイアーボール》や《フレイムスピア》といった魔法を打ち出し、飛んできた炎の槍を撃ち落としていく。いくつかは防ぎきれずに地面に突き刺さり、焦げ跡をつけたが、怪我をするような威力ではない。
周りに被害が出ていないことを確認し、安堵する。今回の実験も、狙い通りの結果が得られた。
複数の魔法を同時に発動させる連射式魔法陣も可能なのだ。
これは、対多数の敵に効果的な、自動防御システムなどに応用できるかもしれない。
実験に夢中になっていると、ふと、誰かの視線を感じた。
訓練場の方を見てみると、いつの間にか何人かの護衛部員が訓練の手を止め、こちらを見ているのに気づいた。
どうやら、彼の魔法実験を見学していたらしい。中には、興奮した様子で拍手をしている者までいる。
そして、その後ろには、さらに見慣れた顔がいた。
エレナだ。
彼女は何か面白そうなものを見つけたとでもいうように目を輝かせている。
そして、その傍らには…ダリウス会長まで立っている!
二人はユートの実験を見ていたようだ。
ダリウス会長は、いつもの厳格な雰囲気から一転、驚きを隠せないといった顔で、エレナと共にユートの方へ近づいてきた。
「ユート! 今のはなんだ! 攻撃魔法を魔法陣に書き込んだのか!?」
ダリウス会長は驚愕した様子で尋ねた。
エレナも興奮を隠しきれない様子だ。
「しかも連射式!? 私初めて見たよ! お前、一体どうやって…!」
連射式の魔法陣は、この世界では見たことがない技術なのだろうか?。
ユートは、自身の実験が盛大に見学されていたことに少し気恥ずかしくなったが、彼らに興味を持ってもらえたこと、特にエレナの目の輝きを見て、嬉しくなった。
エレナは、彼の魔法陣の仕組みについて、矢継ぎ早に推測を述べ始めた。
「原理は分かったぞ! おおおおそらく、出力を絞って…複数の起動式を…書き込んだんじゃないのか!?それで、複数の魔法を同時、あるいは連射できる!天才か!」
エレナの推測は正確だった。
彼女の頭の中では、もう新しい研究テーマとして、ユートの魔法陣技術が組み上がっているのだろう。
ユートは、自身の魔法制御の練習という名目の実験が、思いがけない方向へと進んでいくことを予感していた。




