87話
セーラと二人でアルテナの街を歩き回り、楽しい時間を過ごした。
街の雰囲気、お店の品物、そして何よりも、セーラと手を取り合って歩いた温かい時間。
夕食も二人きりで、少し洒落たレストランで美味しい食事をゆっくりと楽しんだ。ポートベストルの新鮮な海の幸も良かったが、アルテナの落ち着いた雰囲気の中で食べる料理もまた格別だった。
夕食を終え、すっかり陽が暮れたアルテナの街を、ハーネット商会の屋敷へ向かって歩く。人通りは昼間よりは少ないが、街灯の明かりが夜道を優しく照らしている。昼間と同じように、ユートとセーラは自然と手を繋いで歩いていた。
「楽しかったね、セーラ」
ユートが呟く。
「はい、とても。ありがとうございました、ユート様。こんなにゆっくりと街を歩くのは久しぶりでしたわ」
セーラも嬉しそうに答えた。
歩きながら、話題は自然と特別調査部のメンバーのことになった。
「そういえば、カインたちはまだ戻ってないんだな。嘆きの湿原…無事だったと連絡は来てるけど、ちょっと心配だね」
ユートがカイン班のことに思いを馳せる。カインを班長として、経験の浅いミアやエマ、そして三つ子たちがいる輸送班。リーダーとしてのユートにとっては、彼らが無事に帰還するまではやはり気がかりだった。
「カイン部長も、三つ子さんも、きっと大丈夫ですよ。ドランさんもいますし、護衛部の増援も来てくださったのでしょう?皆さんなら、きっと乗り越えてくれますわ」
セーラがユートを安心させるように言った。
「そうだよな。皆、特別調査部のメンバーだ。きっとやり遂げてくれるだろう」
ユートはセーラの言葉に励まされ、少し心が軽くなった。
「リリア様とリナ様、それにユージーンさんも、海を満喫してくれて良かったですね。特にユージーンさんが、また来たいとおっしゃっていたのは、私、なんだか嬉しかったですわ。船酔いは可哀想でしたけれど…」
セーラはポートベストルでの楽しかった日々を振り返る。
「海、綺麗だったね。あの夕日は、本当に忘れられない景色になったよ」
ユートもセーラとの絆を感じた、波止場での夕日を思い出す。
様々な話に花を咲かせながら歩いていると、慣れ親しんだハーネット商会の屋敷が見えてきた。屋敷の前に立ち、一日の終わりを感じる。
ユートは、屋敷、そして自分たちが活動している特別調査部の執務室棟を見て、ふと呟いた。
「…ホーム、か…」
セーラがユートの呟きを聞き、首を傾げる。
「ホーム、ですか?」
「ああ…故郷から遠く離れて、アルテナに来て…正直、ここが自分の居場所だって、実感できることが少なかった。でも、この屋敷に戻ってくると、皆がいる所に戻ってくると…なんだか、帰ってきたな、って思うんだ」
ユートは正直な気持ちを語った。特別調査部のメンバーと過ごすうちに、いつの間にかここが自分の、そして皆の「帰るべき場所」になっているのだと感じたのだ。
「この、特別調査部の建物をさ…ありきたりかもしれないけど、『ホーム』って名前にしてみるのはどうかな?皆の、帰ってこれる場所って意味で」
ユートはセーラに提案した。
セーラはその言葉を聞き、ユートを見上げた。そして、その顔に優しい微笑みを浮かべた。
「ホーム…良いですね。ユート様のおっしゃる通り、なんだか心温まる響きですわ。私は、賛成です」
「ありがとう、セーラ」
ユートはセーラの賛同が嬉しかった。
「では、明日にでも、皆が集まった時に、改めて聞いてみましょう。きっと皆も賛成してくれますわ」
セーラが言った。
「うん。そうしよう」
ユートは頷いた。
二人で微笑み合いながら、屋敷の入り口をくぐり、中に足を踏み入れた。夜間は受付の護衛部員が入り口を警備している。
「お疲れ様です、ユート部長、セーラさん」
受付の護衛部員が軽く挨拶をする。
ユートとセーラも挨拶を返し、それぞれ特別調査部の執務室がある階へと向かった。バルカスやエルザ、レナータといった護衛メンバーは既に休んでいるだろう。
特別調査部の執務室の前に到着した。ユートの私室はこの執務室に併設されている。ここでセーラと別れなければならない。
「セーラ、今日は本当にありがとう。楽しかった」
ユートは繋いでいたセーラの手を離し、彼女の頬にそっと手を添えた。
セーラは顔を赤らめ、ユートを見つめた。
「私こそ、ありがとうございました、ユート様。忘れられない一日になりました」
ユートは、セーラが自分と二人で出かけることにどれほど緊張し、そして喜んでくれたのかを感じていた。そして、先ほどまで手を取り合って歩いていた温かさが、まだ手のひらに残っているようだ。
少し躊躇った後、ユートはセーラの唇にそっと自分の唇を重ねた。短い、優しいキスだった。セーラも抵抗することなく、ユートのキスを受け入れた。夜の帳が下りた静かな廊下で、二人の間に漂う特別な空気。
唇を離した後、セーラは真っ赤になった顔を伏せた。
「ユート様…」
「おやすみ、セーラ」
ユートはもう一度セーラの頬を撫で、別れを告げた。
「…おやすみなさいませ、ユート様」
セーラはか細い声で答え、ユートに一礼した後、自分の部屋へと向かっていった。
ユートはセーラの姿が見えなくなるまで見送った後、自分の私室に入った。部屋に入り、扉を閉める。壁にもたれかかり、目を閉じる。先ほどのセーラとのキスが、まだ唇に残っているような気がした。
(いつか、セーラが今回洋服店で選んだ、あの紺色のワンピースを着て、隣を歩いてくれたら…)
ユートは少し気が早い、セーラのドレス姿を想像して、一人で顔が緩んでしまう。そして、想像するだけでなく、それが現実になるようにと強く思えた。
そのままベッドに横になり、ウトウトとし始める。だが、頭の中ではまだ考えるべきことがあった。特別調査部の部屋を「ホーム」と呼ぶことにしても、それは場所の名前であって、物理的な安全とは直結しない。今日のキスのように、セーラとの個人的な時間を過ごす際にも、そしてメンバーが休息している際にも、セキュリティは重要だ。特に自分の私室や、情報が集まる執務室は。
(やっぱり、防音とセキュリティを強化する必要があるな…特に、秘密も多い俺の私室は…)
ユートは自身の回復魔法や、インベントリといった秘密のことを思い出した。これらの秘密を守るためにも、執務室と自室のプライバシーとセキュリティは万全にしておきたい。
(明日、エレナさんの所へ行ってみよう。魔法道具とか、建物の強化とか、専門はエレナさんだ…何か良いアイデアや、協力してくれるかもしれない)
エレナに相談しようと決意し、ユートは眠りに落ちた。




