三章《街》の中心部たる核には《少女》が存在する 一話
《街》の中心部たる核には《少女》が存在する。《少女》には意思と感情がある。積極的に人を害そうとする《少女》もいれば、消極的な《少女》もいる。その差は、《街》へなる前の、少女の生活と性格が影響している。
巡回を終えたマグがアルマーテの食堂へ戻ってみると、ジョルジュが山のようなスイーツを相手に格闘しているところでした。つまり、一人大食い大会を開催していました。
ちなみに、ハイドランジアの分身であるキンギョハナダイの姿はありません。ジョルジュに対し人見知りをしていますし、何よりハイドランジアはフキが苦手でした。
「ムグさん、むぐまがむご……っ」
「ただいまジョルジュ、口の中に食べ物をいれた状態でしゃべらないの。まったく。なんなんですかお師匠? ジョルジュを太らせて食べちゃおうって魂胆ですか?」
「ただの詫びの品だ。食事処に相応しくねー話をしちまったことへのな。テメーは食うなよ」
「わーい! ……ってあれ⁉ 食えじゃなくて食うな? 一緒に食べさせてくれる流れじゃないんですか⁉」
「たりめーだ。じき、ロマナが弟妹達を連れて戻ってくる。テメーはお呼びじゃねー。《マチビト》はなにを食ってもエネルギーになるんだ。その辺の雑草でも食んでやがれ」
にべもありません。マグは顔をずんべらぼうにすると、皮肉を込めて聞きました。
「……お師匠はいつ帰るんですか? もう帰りませんか?」
「目の前の粗忽なガキに、口の利き方と危険を教えてやったらすぐにでもな」
「まあ! でしたら、危険とやらを教えてくだされば十分ですわねっ、お師匠様!」
先だってと同じように、フキがマグのマントを使ってマグの首をギリギリと締め上げましたが、アイスクリームに心奪われているジョルジュが止めに入ることはありませんでした。
「お師匠のバイオレンスにつき合ってたら体がいくつあっても足りないやい! ヴァーカ、ヴァーカ!」
涙目のマグはメロンクリームソーダを飲み干すと、立ち上がりました。
「どさくさに紛れて飲んでんじゃねーよ。……そのまま表へ出ろ」
てっきり鉄拳制裁をされるものと思い、マグは再びずんべらぼうの顔になりかけました。しかし、弟妹達を伴ったロマナが店に入ってきたのを見て、腑に落ちました。
フキとともに表へ出たマグは、手のひらを見せながら切り出します。
「それで危険ってなんですか? お師匠」
「この界隈にも《街荒し》が出やがった」
「なんですって?」
マグは眉を上げました。
「《街荒し》って、《少女》を何らかの方法で人為的に興奮ないし暴走状態にして、害的行動を激化させるっていうあの?」
フキは片眉だけを上げて言いました。
「さすがに耳に入れてるか。ああ、そうだ」
逆になぜ入れてないと思うのか。弟子入りして以来、一向に上昇する気配のない自分への評価。マグを侮ることを徹底しているといってもいいフキの態度に、マグは呆れを通り越して感動すら覚えました。
「人為的であることの確証も出た」
「それはいったいどんな?」
「《街荒し》を受けた《少女》に共通して起こる現象がある。それは――」
その時、出し抜けに嫌な音が響きました。顔を顰めずにはいられない、耳をつんざく音。ハウリングのような、不快感を伴う高周波の「キーン」という音によく似ていました。
もちろん、《針の雨》を警告するサイレンではありません。
それは《街》の悲鳴。《少女》の絶叫。
すなわち、ハイドランジアの泣き叫ぶ声でした。
《――――――――――――――――――――――――――――》
ハイドランジアの悲鳴はフキだけに留まらず、カサトトにいる全ての者の行動を妨げ、身を竦めさせました。
動ける者があるとすればただ一人。それは《少女》の縁者である《マチビト》。ハイドランジアの《マチビト》。すなわち、
「ハイドランジアァァぁぁぁぁーーーーーーーー!!」
――マグでした。
マグはチャクラムを使い、自宅であるマンボウ型の浮遊物の上へ上がりました。《街》を眼下に見下ろすことで、《少女》もしくは《街》の異変を把握しようとしたのです。
ところが、《少女》の異変は目の前にありました。
「……ハイド、ランジア?」
ハイドランジアが宙に浮いていました。シャボン玉のように、フワフワ、クルクルと漂っています。
お団子部分をツノ風にしたツーサイドアップ。
色は光沢のある淡い水色。翅の表側に金属光沢を持つモルフォ蝶のような美しい銀青色。
顔立ちはマグとよく似通っています。
丸く大きな目はマグより少し垂れていますが、瞳の色は同じく薄いグレー。
小さな鼻に、控えめな印象を与える小さな口。
ミルクのような色白の肌に、ピンクがかった柔らかく丸い頬っぺた。
いつもの分身であるキンギョハナダイの姿などではなく、ハイドランジアの姿として顕現していました。
地上へ出てきていることを抜きにすれば、その姿自体は珍しくはありません。《街》の内部へ深く潜り、核へ到達しさえすれば拝むことができます。
異変は地上へ出てきていることもそうですが、それ以上にまとっているドレスの色にありました。
通常《少女》は、水晶クラスター(六角柱状に成長した水晶結晶の群生)を思わせるドレスに身を包んでおり、ドレスの色は《少女》ごとに異なります。
ハイドランジアの場合は、ビーフブラッドルビーのような黒っぽい赤でした。
それが今は、漆黒に染まっていました。
「――それだ、そのどす黒く染まったドレスが人為的であることの確証だ」
遅れて上がって来たフキが、ハイドランジアを指さしました。
「そんな……」
「チッ、どうなってやがる? こんなのは見えなかったじゃねーか、ドチクショーめ」
フキが槍を構えました。
フキの槍は、槍頭がボウガンのように発射できるようになっています。マグのチャクラム同様に、細かな鎖を編んだワイヤーが仕込まれていて、巻き取りも可能です。
槍よりも剣の腕前の方が上ですが、フキは二度と剣には触らないと決めていました。
「これからどうなるんですか、お師匠」
「知れたことを聞くんじゃねー。悪逆無道のカーニバルがリズムを刻んで踊り出すだろうよ」
「なら今のうちに止めるべきじゃ――」
「あーなっちまっちゃ手遅れだ。俺達は、ただ嵐が過ぎ去るのをやり過ごすしかねー。ドチクショー、三日は猶予があったはずなのによ」
低く唸ったフキが、めずらしく弟子の名を呼びました。
「マグ。場合によっちゃ覚悟しろ」
――命を取りこぼすかもしれねーこと。
「イヤです!」
「……テメー」
受け入れがたい覚悟に、マグが即断拒絶した次の瞬間のことでした。
目に見えぬシャボン玉が弾けたかのように、フワフワ、クルクルと漂っていたハイドランジアが停止しました。
足は天に、頭は地に向けて。空中ブランコのバーに足をかけて、ぶら下がっているみたいな体勢です。
長い髪は重力に従い垂れていますが、反してドレスのスカートは足を覆ったままでした。
動いていたものが止まったなら、次に起こるのは二つに一つです。再び動き出すか、停止したままか。
ハイドランジアは動き出しました。
ショーの幕開けを告げるかのように、喝さいを受けるパフォーマーかのように、実に優美に両腕を広げ、そして悪魔的に嗤うのでした。
途端、黒い何かが漆黒のドレスから噴き出しました。例えるなら、限界まで墨汁を注いだ水風船が弾けた。そんな感じでした。
「お師匠! これはいったい⁉」
「知らねーよ、初見だ。《街荒し》が引き起こす暴走状態の程度は徐々に増してきてやがる。だから覚悟を――」
「断固イヤです! オレが決める覚悟は一つ、守り抜くことです。でもたぶん今回は一人じゃ無理だと思うので助けてくださいお師匠様! ついでにお師匠のおめめで、あの黒いのの分析もお願いしまぁす!」
「なるほど……汚物の俺にゃ相応しいクソ弟子ではあるが、同じ汚物でも便器におさまってるのとこぼれてるのじゃ、不愉快さがちげーもんだ。厚かましくも便器からこぼれてる汚物がよ、誰かにものを頼む前にまず自分が働きやがれってんだ――!」
フキの回し蹴りがさく裂し、マグは未だ噴き出している黒い何かに、頭から突っ込んでいきました。
すわ一大事と思われましたが、マグはチャクラムを駆使し、えっちらおっちら戻ってきました。二本の指に、黒い蝶を挟んでいます。黒い翅の中央に光沢のある青い縦帯が入った、アキレスモルフォによく似ていました。
「だあっ――――――誰が便器からこぼれた汚物ですか!」
「黙れ。テメーだ。見せろ」
「えぇ~、清々しいまでの暴君~。……お願いします」
マグから黒い蝶を受け取ったフキは、左目を露わにしました。眼帯を外さずとも分析は行えますが、外した方が精度が上がるとフキは考えています。思い込みと言われればそれまでですが、こうした感覚に基づく根拠のない理論とは存外侮れないものです。
「……さしずめ《街蝶》(がいちょう)ってところだな、こりゃ。近いところで言や《街獣》みてーなもんだ。わかるか?」
「《街獣》は《街》、つまりは《少女》が生み出す生物。それに近いってことは……《街異物》!」
マグは閃きとともにパチンと指を鳴らしました。
その手を払いのけながら、フキが頷きます。
「《街異物》が《少女》に作用した結果だろう。地獄のコラボだな」
フキは更に続けました。
「こいつの大本の《街異物》は、所有者のトラウマや悪感情を増幅させやがる。《少女》が暴走するわけだな。どいつもこいつも、のっぴきならねー状態でしか現れない存在に願いを叶えてもらった奴らだ、トラウマと悪感情にゃ事欠かねー。それが増幅なんてことになりゃあ発狂もんの拷問だろうよ。そしてどうやら――」
フキは一度言葉を区切り、眼下に広がる街並みに目を向けました。
「《少女》と《街異物》の地獄のコラボで発生したこの《街蝶》は、大本の《街異物》と同じ効果を持つようだ」
間もなく絶叫が、《街》のあちこちから轟き始めました。
見れば、道行く人の左肩《街蝶》がとまっていました。フォトジェニックに映る光景も一時のこと。《街蝶》はその人のトラウマや悪感情を増幅し、苦しみ叫び出させていました。
そして、《街蝶》の被害はそれだけに留まりませんでした。《街蝶》は《街獣》にすら取りつき、その獰猛性を増幅させてみせたのです。
「俺は駆除に回る。《街蝶》につかれた《街獣》を最優先。次が人についた《街蝶》、その次が目についた《街蝶》。……テメーの役割は心得てるな?」
「住民へ《街蝶》発生の連絡と警告。それから発生源を阻止。移動する過程で、撃破可能な《街獣》と《街蝶》がいれば順次撃破」
必要なことだけ話し合うと、マグとフキは合図もなく同時に散開しました。
マグは超ド級のマイホームに一時帰宅し、警報のサイレンではなく、自身の言葉でもって人々に《街蝶》にまつわる警告をしました。
「――《街蝶》の報告は以上だ! いいか、誰も家から出るな! 外にいるヤツのことはオレとオレのお師匠に任せろ! 外にいるヤツで絶叫してないヤツ! 動けるなら近くの建物内に入ってくれ! 動けないなら《マチビト》が行く! 全員、落ち着け! 安心しろ! オレと師匠が助ける! 《マチビト》に任せろ!」
マグの言葉にジョルジュを含む多くの者が勇気づけられる一方で、怒りを沸々と煮えたぎらせているフキがいることは想像に難しくありません。
「……粗忽ガキが。この件が片づいたら覚えておきやがれ」
警告を済ませたマグは、空中を滑るように駆けていました。両手のチャクラムで移動と撃破、それから人命救助を器用にこなしています。
目指す先は、農薬を散布する農業用ドローンのように《街蝶》をまき散らしながら移動するハイドランジアです。
しかし、ここは意思ある《街》です。〝急がば回れ〟のモットーが示すように、最短距離を行こうとする者の前には危険や障害が立ちはだかります。
それは住宅街の開けた場所で待ち構えていました。
「雨も降っていないのに雨アザラシ⁉ しかも屋台一台丸呑みできそうなくらいの巨体種がどうして……!」
雨アザラシは雨の日限定で現れる《街獣》の一種です。地面の下を自由自在に泳ぎ、水たまりから顔を出して人を転ばせる。時には、人一人を丸呑みにしてしまうこともある《街獣》ですが、屋台一台クラスの巨体に出くわすのは、初めてのことでした。
「雨の日以外の、それも巨体種の出現。これも《街蝶》が原因か?」
チャクラムから伸びたワイヤーで雨アザラシを封じつつ、マグは辺りを見回します。そして足元の石畳に注目しました。
「よく見ればこの住宅街、微妙に石畳が沈んでいる箇所にわずかな水が残って……。そうか、この雨アザラシは三日前に降った時の生き残りなんだ。雨が上がり、次々干上がっていく水たまりからここまで逃れてきたヤツらが、互いに食い合い、巨体種となった。ところが、水たまりに対し体が大きくなりすぎて、身動きが取れなくなった!」
降参の意を示したのか、はたまた、単に居心地が悪かったのか、雨アザラシは全身の力を抜き、その場に蹲りました。
「いつの間にか身動きが取れなくなってるってのはよくあることだな。待ってろ、今、楽にしてやるからさ――」
雨アザラシの巨体を二本のワイヤーが絞めつけ、やがて決壊しました。
《街獣》は退治されても、死体は残りません。が、今回の雨アザラシは巨体種という特殊な《街獣》でした。いわゆる、レアに相当する《街獣》です。レア《街獣》が退治されると、往々にして《街異物》を残していきます。
《街異物》には新種と既存種があります。《街蝶》を生み出した《街異物》は新種に当たりますが、今回マグが得たものは後者――既に発見され、効能が知られている《街異物》でした。
「おっ! 〝祝福〟の《街異物》さんじゃないっすか~。ラッキー、ラッキー。さっすがオレ~!」
〝祝福〟の《街異物》は、《街》の核たる《少女》からの祝福と同等の力を得ることができます。ハイドランジアが暴走しているこの状況下では、これ以上ないお助けアイテムでした。
「これにて一掃してやるよ、《街蝶》。ねーちゃんの真っ黒なドレスごとな――!」
マグは大きく口を開け、〝祝福〟の《街異物》を放り込みました。しかし、聞き慣れた声の聞き慣れない絶叫を耳にし、思わず吐き出してしまいました。
「ゲホッエホッ! こ、の声っ……ロジー!」
吐き出した《街異物》をしっかりキャッチし、瞬時に駆け出します。
ロジーの工房兼病院からアルマーテの食堂へ向かう道の途中に、その背中はありました。
「……そうか。ジョルジュを心配したんだな、ロジー」
胸に湧く喜ばしい気持ちをいったん脇へ置き、マグはロジーの左肩にとまる《街蝶》を蹴散らしました。
「ロジー、大丈夫か!」
手を引いて振り返らせると、酷く取り乱した様子のロジーが、まるで熱いものに触れたように飛び退きました。
その場にしゃがみ込み、自身の両腕を掻き抱くと、勢いよく捲し立てました。
「お、おぉぉお許しください白燕兄様! 兄様の医学書を勝手に持ち出した罰は受けます、ですがどうか黒鵺にも医学の勉強を、黒鵺は確かに双子の次子ですが、この宗家を二つに割るなどという謀反を決して起こしません! ふ、ふーっひゅふ、ひゅっく……双子が凶兆のあか、証などぉぉぉぅお、お、大嘘でっ、です!」
マグも詳しくは知りませんが、ロジーは東方にある、漢字という文字を使う国の出身だったそうです。
「落ち着け、ロジー。オレはマグだ。そしてオマエはロジー・リリー。クロヌエなんて名前じゃない」
マグはロジーの瞳を覗き込みながら、優しく諭しました。
虚空を見つめては揺れていたコボルとブルーの瞳が、焦点を結びました。
「ろじー・りりー? ぼ、ぼ、ぼぼ、僕が……?」
「そうだよ。花の名前だ。オレがつけたんだ。花言葉は〝飾らぬ美〟、私の心の姿〟。忘れたか?」
ロジーは口を歪めて笑いました。
「容姿に手を加えた僕には、に、似合わない名前だ」
「オマエが容姿に手を加えたのは、偽りや飾るためでなく、家族の呪縛を解くためだろう。ロジー・リリーはオマエに相応しい名前だ。ロジー」
「――――――ま……ぐぅぅぅぅぅぅぅうう~~~っ」
それはまるで過去の再現。ロジーがまだロジーでなかった頃。まだマグと親しくなる前のこと。自分には価値がないと思い込んでいた彼女に、ただ生きているだけでとてつもない価値があるという言葉とともに、名前を贈った時の再現でした。
マグはロジーを隣家に預けました。〝祝福〟の《街異物》を嚥下し、マグレーザーを出現させます。
左手の人差し指と中指の指先を右眉に添え、照準を合わせました。
「狙うはドレスの裾。ご機嫌なダンスはここまでだ。ひとの姉を好き勝手しやがって、許さない――!」
マグの全身を走る線状の光が、怒りと呼応して赤々と輝きます。
「マグレーザー、ヒ・ラ・メ・キ・イ・ズ・ル!」
放たれた高出力のレーザーは、闇を斬り裂くように《街蝶》の群れを突き抜け、ハイドランジアの漆黒のドレスの裾に穴を開けました。すると、ドレスは綻びるように解け、その半分を失いました。
どんな女性でも、身にまとうドレスに穴を開けられれば不快に思うのは当然。《少女》も例外ではありませんでした。
トラウマと悪感情を憎悪へ傾けたにしたハイドランジアが、マグ目がけてまっしぐらに飛んできました。
「おおっと、姉弟ケンカか? 受けて立つぞ、ねーちゃ――へぶっ……⁉」
威勢よく応じたものの、マグは「がはっ!」だの、「うぐっ!」だの、「ぐほっ」だのと呻き声を上げては、壁や地面にめり込んでいました。つまり、一方的な暴力を受けるに甘んじていたのです。
(ちょお)(ちょいちょい)(え、なにこれ?)(タコ殴りにされてんだけど?)(あれオレ《マチビト》だよね?)(なんでこんな手も足も出ないのよ)
上も下もわからぬ状態のまま痛めつけられ続け、マグはついに抵抗すらままならなくなりました。
広場に叩きつけたマグが動かなくなると、ハイドランジアは興を醒ましました。挑んできた者を鼻で笑い、「この程度?」と視線で詰ります。
「マ、マグ兄ちゃん――!」
矢も楯もたまらず闖入してきたのは、パン屋マシューの五男――サイラスでした。丸々とした可愛らしい男の子で、誘われれば外でも元気に遊びますが、誘われなければ友達の輪に入れない、もじもじっ子です。
今日は、サイラスの母で、カサトト一の菓子職人であるオリアナが作った棒キャンディーの束をお土産に、友達の輪に入れてもらう予定でした。ですが、この騒ぎがあり、集まった子供達は門番の詰め所へ避難させられました。
もじもじっ子のサイラスは、自分を気にかけてくれるマグが大好きでした。そのマグが酷い乱暴を受けるのが我慢ならず、飛び出してきてしまったのです。
「……め……だ、……イ……ラス、逃……げ、ろ……」
懸命の呼びかけは虚しく届かず、サイラスはハイドランジアと対峙しました。
「ひっ」
棒キャンディーの束が落っこちて、地面に散らばります。
マグはふと、自身の中の彼方から声を聞きました。
――(お姉ちゃんの好きなものを教えて? ハイペリカムったらそんなこともわかってなかったの? ドンカ~ン)――
――(お姉ちゃんの好物といったら飴よ、飴。棒キャンディー。機嫌が悪い時は棒キャンディーをあげれば一発! ……っていっても、お姉ちゃんそもそも機嫌が悪い時ってあんまりないんだけどね)――
――(さすがはマグオート? あったり前じゃない! あたしはお姉ちゃんの妹なんだから! ちなみにあたしが好きなのは蓬のおもち……ってこら! 聞きなさいよ!)――
マグはやにわに身を起こしました。
「……飴だ……」
胸の奥に小さな蓬の花が咲くように、力と希望がマグに戻ってきました。マグはチャクラムをハイドランジアに打ち込み、ワイヤーを巻き取って自らを接近させました。
使いたくない手段でしたが、仕方がありません。物々しい空気をまとうハイドランジアが、今にも手刀の一振りで、サイラスの首を刎ねてしまうのではないか、そう思えてならなかったからです。実際、マグが止めに入らなければ、最悪は起ったことでしょう。
マグはハイドランジアを羽交い絞めにしました。物凄い力で抵抗を試みるハイドランジアを抑えるため、今度は二つのチャクラムを地面に打ち込みました。
そして、ありったけを叫びます。
「殺すな! 殺しちゃだめだハイドランジア! 頼むから殺さないでくれ!」
必死になるあまり、その説得は泣き落としになっています。
「簡単なことなんだ! 罪になるからダメとか、罰を受けるからいけないとか、そんなんじゃないんだ。わかるだろう? 命はひとつしかないんだ。奪ったらなくなってしまうんだ。この世から消えてしまうんだ。もう元には戻らないんだ。その人の笑顔も、声も、涙も、匂いも、思い出も、その人を形作る全部が失われてしまうんだ。最大の、理不尽なんだよ……! わかるだろ? 単純だろ? この世にひとつしかなくて、二度とは戻らないものを奪っちゃいけない! ハイドランジア! 頼むよ、オマエにもう奪ってほしくないんだ! お願いだからいつものオマエに戻ってくれ……っ」
少年は少女の名前を、その全身全霊をかけて呼びました。――と同時に、落ちていた棒キャンディーの束を、少女の小さな口へ押し入れました。
ちなみに、飴の包みは外されています。泣き落としの傍らで、せっせと開封していました。
《――ンむぐっ……》
飴を口に入れた後も、依然として抵抗は続いていました。しかし、《んぐ、むぐ?》や《んく……んくんく》という声とともに、徐々に弱まっていきます。そして、ついぞ完全に止みました。
《…………ま、ぐ?》
漆黒のドレスが全て消え去り、下から赤いドレスが現れます。
肩越しにマグを振り返ったハイドランジアは、眠りから覚めたようにきょとんとしていました。
「ハイド、ランジア……っ!!!!」
マグはハイドランジアの肩に額を押し当て、彼女の体を抱きしめました。もう二度とこのハイドランジアを離さない、決して暴走などさせないという思いを込めて、熱く、熱く、抱きしめました。