二章《マチビト》とは《街》に魅入られ、《街》を追ううちに人間をやめた者を指す 二話
「――話を聞かせてるのかなぁ、お師匠は今頃ジョルジュに」
《偽り板》を破壊しながら、マグが《少女》ハイドランジアの分身であるキンギョハナダイに話しかけていました。
「修行時代のオレの話はしないでおいてくれないかなぁ~」
ハイドランジアが「どうして?」と問いかけるように、キンギョハナダイの体をくねらせました。
「だぁーって、ノブレインでの修業時代のオレって、反抗期っていうか生意気盛りっていうかでさ~。正義感のみで突っ走って自分もろとも町の人達を危険に晒しては、お師匠に助けられてばっかだったんだんだよ~。うがぁぁぁ、黒歴史死するぅ~!」
マグはしゃがみ込み、両手で頭を抱えてしまいました。
そんなマグを慰めるように、ハイドランジアがマグの周囲をくるくると回ります。
「あんがとー、ねーちゃん」
顔を上げたマグは、ハイドランジアの分身を通して、とある《少女》の分身――ハナミノカサゴの美しくも刺々しい姿に思いを馳せていました。
「懐かしいな、ノブレイン。懐かしむもんじゃねーってフキお師匠なら絶対言うけど」
フキの物まねのつもりなのか、マグは指で目じりを吊り上げさせていました。
「でもさ」
脳裏に浮かぶのは、ノブレインの景観。鍛冶の盛んな町で、住民達は活気に溢れているが、おしなべて気が短く喧嘩っ早い。
《街》化したカサトトは、どことなくトゲトサカというサンゴを彷彿させる街並みをしていますが、マグの脳裏にあるノブレインは、とことなくノウサンゴを彷彿とさせられる街並みをしています。
「懐かしいよ。エランティスのことも」
気の強いまなざしをした少女を、マグは思い出していました。その穏やかな横っ面を、ハイドランジアが尾っぽでピシャリと叩きます。
「――いってぇ⁉ んなっ! なにすんだ、ねーちゃん⁉」
ぷんぷんピチピチと跳ねるハイドランジアを見て、合点のいったマグは吹き出し、こう言い繕いました。
「拗ねんなよ。オレにはねーちゃんとの思い出の方が印象深いし、大事だって。ほら、オレが初めてカサトトに来た時、弟切草と蓬を街中に降らせて歓迎してくれたろ? あれ、すごく嬉しかったよ」
マグが手を差し出しました。するとその手に、ハイドランジアがキンギョハナダイの体を擦り寄せました。釈明に了解を示すように。
「さぁーて、《マチビト》稼業に励みまーっしょい!」
+++
マグが建物から建物へと飛び回っているその頃、フキはといえば地を這うようなローテンションで話を切り出していました。
「《マチビト》や《街医者》になる方法は、悪意が感じられるほどに容易くできている。《街異物》を当人が望んで体に取り込むことだ。当人が望まなけりゃ、ケツの穴にぶち込もうが、裂いた腹に入れて閉じようが意味をなさない。それどころか、そうして強要しようとしたクズに呪いがかかる寸法だ」
「は、はあ……体に取り込むですか」
今少し要領を得ていない返事をジョルジュがすると、フキはおもむろに眼帯に手をかけました。
「俺の場合はここだ」
「――っ」
露わになったフキの顔の左半分を目の当たりにし、ジョルジュは咄嗟に口元を両手で押さえました。その甲斐あって、短く上がりそうになった悲鳴を、寸前で封じ込めることに成功しました。
「体に取り込む定義は様々だ。が、多くは欠損した体の代替とすることで条件を満たしている」
「……マグさんも、ですか?」
「あの粗忽ガキは逆だ。《街異物》にテメー自身をぶち込んで、今度は今の体――当時、全機能の停止が認められたあの体の脳みそに、その《街異物》をぶち込んだんだ。俺と同じく目からな。とはいっても、あいつの場合は右目、しかも眼球の代わりとかいう単純な話じゃねーがよ」
フキは眼帯の元の位置を戻しました。
ジョルジュから見たフキの左目は、甲虫の背中のように見えました。
大きさは子供の拳ほど。形状は球体。色は美しいメタリックブルーで、赤、青、緑と固体によって多様な金属光沢をした体色を持つ、オオセンチコガネのようです。
フキのそのメタリックブルーの目は、一般的な眼球よりも明らかに大きく、周辺の様々な骨にまで及んでいます。しかし、問題なく収まっているようでした。
こうした、ジョルジュの予想を遥に凌駕したメタリックブルーの目の存在に加えて、フキには顔左半分の表皮がなく、筋肉が露出していました。まるで、表皮を手で乱暴に掴みちぎってしまったかのような有様だったのです。
「最初に取り込んだ《街異物》だけは、証みてーに残りやがる。以後に取り込んだものは、擬態でもするみてーに、体の一部として馴染むんだがよ。まあ烙印ってところだな」
フキはジョルジュが訊ねることを見越し、先んじてこう付け足しました。
「粗忽ガキの烙印なら頭皮に出てる。髪をかき分けてみりゃわかる。あいつをボウズにしてみろ、銀玉鉄砲の玉そっくりになろうだろうな」
「ええっ⁉ そ、そうなんですか?」
「ああ。《街異物》は目からぶち込んでやったんだが、不思議とそっちはきれーに治っちまった」
ジョルジュは知る由もありませんが、マグが取り込んだ《街異物》もやはり甲虫の背中に似ていて、プラチナコガネムシのような、うっとりとするメタリックシルバーをしていました。
「マグさんは、ハイドランジアさんのために自ら望んで《マチビト》になった。《街異物》を使って、ハイドランジアさんの妹――マグオートさんの体に自身を移してまで……。そうまでしたのに、どうして自分が何者であるかを忘れてしまったんでしょう」
口に出してしまってから、ジョルジュは愚問であったと思い当たりました。
「……すみません、失言でしたね」
「謝ることはねえ。それこそが、あいつが粗忽ガキである最大の由縁だろうよ」
フキが鋭く言い返した時、
「――ヘッキシ! あ~、お師匠がまたオレの悪口言ってるぞ~」
鼻の下をかきながら、マグがそんなことをつぶやいていました。
「さて、《マチビト》のなり方は以上だ。お次はお楽しみ、《マチビト》になったことで支払うアレコレ――代償の話だ」
まったくもってお楽しみではない話題に、ジョルジュの胸が不安でしゅるしゅるとしぼみます。
「つっても、散々、言っちまってるがな?」
「……人間じゃあなくなる、ですか」
「そうだ。わかりやすいところで言や、俺達には排泄器がない。消失しちまってやがる。飯を食ってもエネルギーにはなるが、クソにはならねえ。食えばエネルギーになるから、バランスのいい食事なんて不要だ。見た試しはないが、胃袋も消失してるのかもな。それこそ中身全部消失しててもおかしくねえ」
「そ、そんなことっておかしいですよ。あり得えないですよ。だってそんなの人間じゃ――あっ……」
意図せず選び出した己の言葉に、ジョルジュは瞬間、熱いものに触れたように顔をしかめました。ただちに後悔し、「うぅ」とうめき声をこぼしました。
傷口に塩を塗るように、フキはすかさず肯定します。
「そうだ。人間じゃない。俺達はお前達とは別の理の中にある異質の現象だ」
「でもっ、見た試しはないんですよね?」
往生際の悪さを見せるジョルジュに、フキは意地悪く言い連ねていきます。
「この身に火を放っても焼け死にゃしねー。成長もしねー、老いもしねー。欠損した部分は《街異物》で補える。生殖器もねーから子孫も残せねー」
「……っ……、わかりました、から! もう、十分です……!」
悲痛な若者の叫びを耳にしても、フキに悪びれた様子はありません。
「知識と経験が豊富だろうが、元人間だろうが、人ならざるものは人ならざるものだ。理が違えば価値観も違ってくる。相容れない。情を持つな。一線を引け。でなけりゃ痛い目を見る。……現にもう見たんだろ?」
問いかけには答えず、ジョルジュは項垂れていました。
「……この辺にしておくか。まだ俺がいかに汚物かを話しちゃいねーが、これ以上真っ当な人間の耳を汚す必要もねえだろう」
フキはなにも、ジョルジュが憎くてこんな話をしたわけではありません。席を立とうとしましたが、軽く目を見開き、その場にとどまりました。
というのも、強い目をしたジョルジュが、こう言い出すことがわかったからでした。
「聞かせてください、フキさんの話も最後まで。僕はまだ諦めていませんよ」
「――いいだろう」
ジョルジュは身構えていましたが、一向に話し出す気配がありませんでした。どうしたことかと首を傾げると、フキが爪の垢ほどではありますが、バツの悪い面持ちでこう言いました。
「長らく汚物(自分)語りなんかしてこなかったんでな、どこから話せばいいかと迷っちまったんだが、どっから話そうが汚物は汚物。思いついたまま垂れ流させてもらうことにする。聞き苦しいと思うが、排泄音だと思って目ぇつぶってくれ」
「構いません。フキさんが話しやすいように話してください」
ジョルジュにそう励まされ、フキは語り出しました。
+++
長らく俺は終焉だけを考えて《マチビト》をやってきた。底意地の悪い歌が止む時が、その時だろうとわかっていた。
――ああ、俺が《マチビト》をやってきたノブレインじゃな、毎日歌いやがるんだよ。《街》が……いや、《少女》がな。
実に楽しそうに、高らかに、底意地悪く歌う歌を、一刻でも早く終わらせる。その時を俺は、この世のどんな価値あるもの色褪せちまうくらい求め、焦がれていた。
だがな、日一日と遠ざかっていきやがった。
幾人も死んだ。幾人もの命が《街》に食われた。
救おうと、助けたいと伸ばした手は届かず、手首ごともがれた。足首も、右ひざも、左ひじも、腕も、脛も、命が食われる度に失った。
助けられなかった証のように。救えなかった罰のように。食われた命の死の悼みに対し、痛みでもってせめてもの釣り合いを取ろうとするように、な。
ほどなく総身のほとんどを《街異物》で代用するようになった。まごうことなき化け物だな。《街異物》が立派なのは、代用した部分を何度失っても、一度目と同じ新鮮な痛みを味合わせてくれやがることだ。
――あ? 痛みを伴うのかって? 無論だ。《マチビト》には五感が残っているからな。
人とは別の理の中にある異質の現象になっても、五感だけは人間性を保っている。まったくもって不気味で歪だ。
汚物に成り下がった後も、汚物で汚物を洗うような反吐の出る日々を送るのが、《マチビト》ってやつだ。
おっと、汚物に成り下がった一歩目を話してなかったか。ずいぶんと昔年のことだが、そこは汚物の跡だ、染みついてやがる。
始まりはなんてことはねえ。俺の罪だ。俺が実の娘を人非人にしちまった。名前は……いや、いいか。知らなくていいことだ。
娘の意中の相手に意中の相手がいた。傲慢な娘はそれが許せなくて、意中の相手の意中の相手に仇なした。ちょっと驚かすつもりだったのか、本気で邪魔者を消すつもりだったのかは、わからねー。だが、死なせたことは事実だ。
娘は、軽はずみな悪心で人を死なせたくせに、テメーの非を認めず、ひたすらに自己弁護を願った。自分を責める者は悪だからと排除を望んだ。
それを叶えやがったヤローがいやがった。まったくもってクソによるクソの饗宴だ。
娘はテメー勝手で悪辣な願いを叶え、テメーの母親が眠る町を滅ぼした。自分をそんな風にしか育てられなかった父親だけは、左目をえぐるだけにとどめてな。
――あぁ? ちげーな。父親を死なせたくなかったなんてお涙頂戴な理由のわけがねー。汚物
(俺)の娘だぞ? 俺に生き地獄を味合わせようって魂胆以外があるかよ。
娘どころか、町民すら救えなかった名折れ中の名折れの騎士の前に現れたのが、最初の《マチビト》、ロプロだった。
《街》となった娘を止めたければ、この《街異物》を受け入れろ。ロプロはそう言いやがった。他にもゴチャゴチャと、《街》だか《マチビト》だかの説明を折り目正しくしてやがったが、そんなもんはどうだってよかった。
俺は聞いた。《街異物》とやらを受け入れれば、娘を殺せるのかと。この手で肥溜めに葬ってやれるのかと。ロプロは頷いた。だから俺は《街異物》を左目にぶち込んだ。
――あー? あー……よく覚えちゃいねーが、粗忽ガキん時も俺と似た状況だったか? そそもそも、《マチビト》になる経緯にそう大差なんざねーよ。
――あ、まだあんのか? 《街》の誕生に合わせて《マチビト》が駆けつけられる理由? 《街》が生まれると、体の《街異物》が共鳴しやがるんだ。生まれた《街》に近い《マチビト》ほど共鳴が強く、嫌でも誘われちまうんだよ。煩わしいことこの上ねえったらねー。
……話が逸れたか。
俺の左目となった《街異物》はな、眼帯をしていても色んなもんが見える。遮へい物で隠された物や、特定の人物や物事の過去や特別な事柄、それから遠隔地の光景なんかだ。それが有利に働いて、ロプロの元での修業は順調だった。
やがて、娘がノブレインに現れた。派遣されるまでもなく駆けつけてみりゃ、娘は好き放題やらかしてやがった。《少女》にも性格があってな、カサトトの《少女》みたいに人を死なせたくない《少女》もいれば、俺の娘みたいに積極的に人を死なせたい《少女》もいる。さすがは汚物の俺の娘。汚物の二世に相応しい、クソみたいな悪行千万だった。
汚物の父娘が互いの汚物を投げ合うような日々の傍ら、俺は見ていた。ノブレインの《街》に巣食う、娘が食らったあの町の奴らの姿や、ノブレインで俺が死なせた奴らの姿がな。まさに地獄を煮詰めたような光景だ。そして、その地獄の煮は当分冷めそうにねーってことをまざまざと見せつけられた。わからせられた。
追い打ちをかけるように、いつからかノブレインじゃ火が出るようになった。《街》の加害現象だ。ただの火なんていう生易しいもののわけがねえ。水をぶっかけても消えねー、悪魔みたいな炎だったよ。
消そうと足掻いて、肌を焼かれ、髪を焼かれ、声を焼かれて、わかった。底意地の悪い炎は炎をぶつけると消えやがった。俺はこの身を焼いて消火活動に当たった。それでもまた幾人も死なせた。クズみてーな俺は残っても、他の奴は墨くずになって消えてった。
そのうち、根っから汚物の俺は、汚物に似つかわしいことを考えるようになった。汚物みたいな娘でも、娘は娘だ。もう、好きにさせてやってもいいんじゃねーかって。
――ふっ。慌てて取り繕う必要はねーよ。お前が今、ぎょっとしたのは正常な反応だ。よくよくわかっただろう? 俺が汚物たる最大の由縁がよ。
燃え盛る《街》の中で俺は汚物ヅラを下げて突っ立ってた。そうしたら、あの粗忽なガキが来やがった。汚物に師匠も弟子もねーってのに、弟子になんかしなくちゃならなくなった粗忽ガキだ。人の言うことを聞きやしねー。小うるさい小生意気なガキだ。
〝生きていくことは、暮らしていくってことは、日常っていうただでさえ強い向かい風の中を歯を食いしばって一歩一歩と進んでいくようなものだ! それを遠回りさせようとするような《街》のやり方を見過ごせない! 必死で生きる人達の自由が奪われるのは我慢ならない! オレは全部守りたい! 守ってみせる――!〟
そんな青臭いことを平気で抜かしやがる煩わしいことこの上ないガキが、炎をまとって来やがった。
〝助けなくちゃ! お師匠!〟
いつもそうだ。自分が誰かもわかんなくなってやがるくせに、二言目にはハイドなんちゃらのためには誰も死なせられねーなんて、煩わしいことを俺に言いやがる。どんなに詰ってやっても諦めねー。何度自分と他人を危険に晒しても理想を捨てねー。最悪の粗忽ガキだ。
みっともねー粗忽ガキのくせに、俺の汚物みたいな心をどうにかしようとしてきやがる。そんでもって俺に言いやがる。
聞こえねーのかって、呼んでるのにって、汚物みたいな俺の娘が人に「死ね」と歌うその奥で「助けて」って言ってるなんて宣いやがる。
根っからの汚物でこの上ない汚物な汚物の俺を、突き動かそうとしやがる。幾人死なせることになっても、幾人を救うことをやめるな。その先で汚物の娘が待ってる、そう俺に思わせやがった。
……それでも、そんな簡単に物事は変わらねー。テメーの体を燃やす必要はなくなったが、死の悼みと痛みで取れもしねー釣り合いを取る毎日が続いて、だがある日終わった。物事は簡単には変わらねーが、それでも終わりはやって来る。
娘は解放された。お前は、実際に解放された《少女》がいるのかって聞いたな。答えはイエスだ。
俺が求め焦がれた終焉がやってきた。だのによ、俺はまだ《マチビト》をやってる。それもこれも弟子なんつー名目の粗忽ガキがいやがるせいだ。他の《街》の視察だ、新たな《マチビト》の育成だと、汚物に相応しくねーことをやるはめになった。
あの粗忽なガキがいなくなるまで俺は解放されねー。だからこうして時々、早く死ねとせっつきに来てやってるわけだ。じゃなきゃあんな粗忽ガキの顔なんざ、わざわざ拝みに来るわきゃねーだろ。まあ、今日は野暮用もあったんだがな。
――あぁ? どうして粗忽ガキに、娘の「助けて」って声が聞こえただぁ? そんなもんはあの粗忽ガキのテメー勝手な解釈。もしくは幻聴だろうよ。
……助けてなんて言っていいほど、汚物の俺の娘が犯した罪は軽かねーんだからよ。
――あ? 何でもねー。老躯のぼやきだ。……はーぁ? あの粗忽ガキが特別だから聞こえた? 馬鹿な冗談はよせ。仮に聞こえたんだとしてもな、あの粗忽ガキは、中身は粗忽中の粗忽だが、外側は少女だ。だもんで、《少女》と同調できただけだろうよ。妹の体がなきゃ、あの粗忽者が祝福されるわけがねーからな。
――酷い言われ様? ハッ、これでも手ぬるいくらいだろうよ。