終章《街》は何のために生まれるのか、 理由は世界と人にある エピローグ
「ハイドランジア、ヤジロー。オマエ達はオマエ達のやりたいことをやってくれ――」
ハイドランジアとヤジローを肯定したマグは、こう続けました。
「ところで、今のこの世界はどうなるんだ? 新しい世界が生み出されるからって、まさか消えてしまうわけではないよな?」
「ええ、もちろん。この世界は《街》が消失した状態で存在することになりマス。〝《街》が存在しない正しい世界を生み出して、この間違った世界からみんなを救い出す〟とは、《街》のない新しい世界を生み出すことと、現存するこの世界から《街》を消し去ることの、二重の意味があるのデス」
ヤジローが如才なく答えました。
「《街》と《少女》達は消えるがァ、《マチビト》や《街医者》はおそらくそのまンまだァ。《街》の一部じャねェーッて扱いだからなァ。ンだが、《街異物》はもう手に入らねェーからよォ? 体に取り込んだ《街異物》の寿命が尽きりャ、それが命日になるぜェ?」
ヤジローとしてはヘビーな話をしたつもりでしたが、マグはあっけらかんとして嬉しそうに言いました。
「そうか! よかった!」
「……今の話のどこがよかったト?」
目をぱちくりとさせるヤジローに対し、ハイドランジアは想像がつくのか、《ふふふ》と、笑みをこぼしていました。
「今日まで生きてきたこの世界に大切な人達がいるんだ。《街》は前の人間達の間違いから作られた仕組みで、世界からすればもっともな仕組みでも、オレらからすれば間違った仕組みに思う。そんな《街》なんて間違ったものがある世界でも、昨日まで生きてきた人達がいるから、今日がある。その人達の明日がなくならなかったことに対する〝よかった〟だ!」
「イヘッ! ……ナルホド」
「《街》と《少女》がなくなるのなら、《街》と《少女》のための《マチビト》はおしまい。オレは今度は毎日を生きる人達の助けになれる《マチビト》になる。ハイドランジアが新しい世界を生み出して、その世界の未来を創るっていうなら、オレはこの世界の毎日を生きる人達の未来を創る手伝いをするよ」
《〝大勢の人を死なせてしまったからこそ生きて、未来を創って〟?》
「ああ。それに、ハイペリカムだったことを思い出したけど、オレはもうハイペリカムじゃなくて《マチビト》のマグだからな――!」
可憐な少女の幼い顔をしたマグが、マグらしく笑いました。
「マグオートの最後の願い、オレ達で叶えよう」
《……うん、マグ!》
少年と少女は固い握手を交わしました。
長い時間を過ごしてきた二人に別れの言葉は必要ありません。たとえ離れ離れになっても、役割を終えて風と消えても、いつもすぐ傍に互いを感じています。無意識に笑顔を、声を、感触を、体温を、言葉を、祝福を受け取っているのです。
少年と少女の手が離れ、別れの時がやって来ました。
「マグさん。漢字という文字を使う国にあなたの名前と同じ〝覓ぐ〟という言葉がありマス。意味は追い求める、探し求める。あなたにぴったりの名前だと思いマスよ、マグさん。これまでの非礼、謹んでお詫びさせていただきマス」
それまで同じ位置にいたマグ達でしたが、ハイドランジアとヤジローの二人がゆっくりと上昇していきました。
「ああ! 黒ジロー、オレもイカサマペテン師って言葉は取り消す! 相性最悪って言葉もだ!」
「あばよォ、マグ猫ちャん! 楽しかったぜェ?」
「白ジロー! オマエも〝ユゥーシュゥー〟だったぞ!」
「イヘッ!」
《マグ、ありがとう――》
「オレこそ、ありがとうハイドランジア――」
――大好きよ。
――大好きだ。
こうして世界は二つになりました。
+++
マグが戻ると、カサトトは《街》ではなくなっていました。
サンゴ礁のように豊かな色彩は失われ、カサトト本来の石造りの街並みを取り戻していました。山のようだった地形も元の平板な地形に戻っています。
カサトトの街は、《街》から解放された喜びに沸いていました。そしてそれはおそらく、他の街でも同じことでしょう。
マグはたくさんの住民達に囲まれ、お礼を言われました。突如現れた繭にマグが乗り込み、繭だけでなく《街》も消し去ってくれた。そう思われていたのでした。
マグは「繭と《街》が消えたのはオレの手柄じゃないんだ、ごめんな!」と繰り返し言いながら、自宅を目指しました。
《街異物》で作った超ド級のマイホームは健在です。なおかつそのマンボウの背の上に、ロジーとジョルジュとフキとロベリアの姿を見つけていました。
チャクラムで自宅の屋根に上ったマグは、再会の挨拶もそこそこに事の顛末を四人に一気呵成に話して聞かせました。
複雑怪奇な話の後、一番に口を開いたのはロジーでした。
「――色々と大変だったわね。お疲れ様、マグ。あと……おかえり」
クールな表情に親愛の情を浮かべていましたが、それはつき合いの長いマグにしかわからない程度の変化でした。
「ああ。――ただいま、ロジー」
ありがとうの気持ちを込めてマグは、穏やかな声色で答えました。それから申し訳なさそうな表情になって、ロジーとフキとロベリアへ視線を向けました。
「その、オレ達の寿命のことなんだけど……」
「問題ありませんわ」
間髪入れずにロベリアが断言しました。
「《街》と《少女》が消えたのであれば、寿命など、《マチビト》にはどうでもいいことのはずです。マグちゃんだってそうでしょう?」
ロベリアは、死出の旅支度は整っている、という面持ちをしていました。
「わたくし自身については慮る必要もありません。咎人の身なのですから。この身が滅ぶ日まで罪を償う。それだけですわ」
フキもロベリアと同意の声を上げました。
「……粗忽ガキの杞憂なんざ、ロプロの野郎に丸投げちまったほうが得策だろうよ」
ロジーは冷静にして、やや冷ややかな分析を披露してみせます。
「《街医者》達も覚悟はしてると思う。リスクを承知して人の道から逸れたんだもの。それに、求道心を満足させられる時間に相当する《街異物》ぐらい、ストックしてるわよ、きっと。抜け目ないもの」
三人の意見を聞き、マグは無言で頷き返しました。
「そんなことより俺は、テメーがハイドなんちゃらを連れ帰らずにきたことの方が引っかかるがな。……本当に納得してんだろうな?」
フキが低い声で問いただしました。
マグは苦笑しました。
「お師匠はブレませんね。こんな時になってもハイドなんちゃらって言うんですから」
マグは静かな声で続けました。
「オレも話しを聞いた最初はとても認められませんでした。説得するつもりでした」
その瞬間に沸き上がった気持ちをマグは吐き出します。
「新しい世界を生み出して《街》なかったことにして、それは本当にいいことなのか? そりゃたしかに傷みも苦しみも犠牲もないにこしたことはない。けどじゃあ間違う度に、失う度に世界をやり直すのか? それは本当に正しいことなのか? 昨日があるから今日があって、今日があるから明日があるんじゃないのか? 《街》をなくすってことは、今日までを生きてきた人達の過去を、命を奪うことと変わりないんじゃないのか? それは、《街》が命を奪うことと変わりないんじゃないのか? 一度しかない人生を生きてる人達の今を、その積み重ねを、奪うことになるんじゃないのか? それは罪ではないのか? 失われるはずだった命を救うのと引き換えに、それまで生きてきた命の歴史をなかったことにしていいのか? 命が奪われるのは理不尽だ。でも生きてきたことを奪われるのだって理不尽じゃないか? どちらかなんて選んでいいことじゃないんじゃないのか? ……そんなことを言おうと思ってました」
「建前だな」
フキがすかさず鋭く指摘すると、
「です。オレはただ、新しい世界だとか《神》だとか、オレの知らないところでハイドランジアがいなくなるのが嫌だったんです」
と、マグが潔く認めました。
「それがどうして一転して認めたの?」
ロジーの問いに対するマグの答えはシンプルでした。
「否定したくなかったんだ、ハイドランジアとヤジローのこと。オレの言葉はつまるところ全部、二人への否定だった。二人はきっと散々自分って存在を否定してきて、苦しんで、悩んで、それでやっと出した答えだってわかってしまったから、否定したくなかった。既に極限まで追い詰められてる人をこれ以上追い詰めたくなかった」
微笑むマグの顔はともすると泣き顔のように見えます。しかし、
「それに、新しい世界を生み出したとしても、オレ達のいるこの世界が消えることはない。それがわかったからオレは、だったらこの世界の毎日を生きる人達の未来を創る手伝いをしようってそう思えた……!」
泣き顔のようだった笑みは、しっかりと笑顔になりました。
最後に、それまで言葉を発せずにいたジョルジュが、こう締めくくろうとしました。
「いやもう……スケールが違い過ぎて僕にはもう何が何だかって感じですが。でも、ハイドランジアさんが解放されて、この世界の全ての《少女》が解放されて、《街》も消えた。これってハッピーエンドですよね!」
「ちっ、ちっ、ちっ~」
マグは舌を鳴らしながら、立てた人差し指を左右に揺らしました。
「〝ハッピーエンド〟じゃなくて、これは〝覓ぐエンド〟だよ、ジョルジュボーイ」
「はえ? マグさんの結末ってことですか?」
「いいや。〝追い求め、探し求めて生きてゆく。そういう結末〟だよ」
世界から《街》は消えました。しかし、人々の日常は続いていきます。
ハイドランジアの解放を達成させた《マチビト》のマグは、これから、市井に生きる人々を助け、力となり、祝福を送る、そんな新しい《マチビト》としての生き方を追い求め、探し求めて生きてゆきます――。
《街》は人の間違いから生まれた、人の間違いを正すための間違った方法であった。間違いという概念は人が生み出した。それというのは、間違いは人が引き起こすものだったからだ。つまり人は、間違いとともに生きていかなければならない。
街とは、人とは、間違いの積み重ねの上に成り立って現在があるのだろう。
街街 〈完〉