02:毎日~問答~疑問~進む
もし機会があるなら音楽を、PINK FLOYD「Wish You Were Here」、NICK DRAKE「Pink Moon」、MY BLOODY VALENTINE「Loveless」などを聴きながら読んでみてください。それらを流しながらこれを書いていました。
毎日、毎日、暑い日が続く。
太陽が上っていき、陽炎は一層、まるで煙のように、熱気がもうもうと湧き上がる。緑や青の色が溶けているかのような、木の葉の揺らぎや、湖のさざなみ。いつも変わらず原色は輝いていて、草々、小石、木々、雲、風、土、それぞれいつもの位置、いつもの場所に在る。
しかし少女は、そこに無いものを、いつも探していた。鳥や虫、魚や犬、猫……彼らをどれだけ探してみても、決して見つけられることは無かった。
何も変わらず、何も違わず、全てが現れては過ぎていき、また現れては過ぎていく。
皆と一緒に、暑い道を歩いて学校に行き、皆と一緒に、学校へ教室へ入り、お婆さんの短いお話を聞くと、また皆と一緒に学校を出て、湖へと向かい、皆と一緒に時間を過ごして、最後に夕闇の中でお別れを言う。この日も、この日も、この日も……
その中でも、しかし確実に変わっていくものがあっても、でもそれに気付くことは無いままに、一日、また一日と過ぎる。
いつものお婆さんのお話が始まろうとしていた。さっきまで騒いでいたのが次第に静かになっていって、様子を見計らって話し始めた。
「仲のいい双子がいた。二人は何でも似ていた。姿は勿論、声も、言うことも、思うことも、」
「お婆さん、私、一人ぼっちの子犬を見掛けました」
お婆さんは口をつぐみ、しばらく二人は……その時だけその暗い空間は二人だけになって……ジッと見つめあった。お婆さんの顔は相変わらず陰に隠れて輪郭ぐらいしか分からず、しかし反対に少女の顔は、窓から漏れた一筋の光が、額をかすってわずかに光った。
「さっき学校に来るときに、裏手の方の草むらの中で何か動いていたんです。多分毛が光って……子犬でした」
少女の高鳴りは、次第に彼女自身を内側から圧し始めてきて、その場に立っているだけでも苦しくなってきた。顔に当たった光が熱い。汗が……滴っている。
「それで、その子犬はどうなった?」
いつも語るだけで、終わったらいつの間にか消えてしまうお婆さんが、初めて少女自身に向けて言葉を語り掛けた。
「その子は湖の周りをグルリと回っていって、山の奥の方に行ってしまいました。お婆さん、あの山の向こうには何があるんですか? お婆さんならきっと知っているんじゃないんですか?」
お婆さんの顔がわずかに横に傾いで、目をそらしたように見えた。
「行きたいのなら、行けばいいがな、見たいのなら、見ればいいがな。わしは、それ以上は何も言わん。望むならば、立ち止まることはせず、求め続けな」
そしてお婆さんの姿影は、またいつものように消えてしまった。
そして皆の姿も、もうどこにもいなかった。窓の外を見ても、静かな穏やかな湖が、波も立てず、白く目眩がするほどに輝いているだけだった。なお一層、今いるところが濃く暗いことを思い起こされるばかりで。
外に出た途端に、カッと顔に照る太陽が余りに熱くて、思わず一度ひさしの下に隠れた。空の太陽を見上げてみると、ほの赤い白熱球の中で、グルグルと灼熱の波が渦を巻いている。熱い。暑い。
太陽に焼かれて、これまでにないほどに、地は燃えていた。高い空の向こうから激しい熱気を当てられて、大気や雑草や土や湖は熱せられ、全てが沸き出しそうに猛り躍っているようだ。
外には皆……誰もいない。いやこんなところにいたら、どうかなってしまいそう。でも、行かなくてはならないと、思う。
全て、嘘だった。子犬を見たこと……今日もいつものように皆と一緒に、いつもの道をいつものように辿って学校へ行った。何も無かった。
何もかもがいつもと同じ。
何か、何か、何、何、何なのだろう、何、何、私は何、ここは何、何なのだろう、一体、私は何で、私は何のためにここに居て、私は……何処へ行こうとしているのだろう。そんな、疑問が……初めて心の中にふと芽生えた。“皆”とは……何?
太陽の光に下に、足を踏み出すのが恐かった。たった一歩、それで私の体は蒸発してしまうのではないかという幻想を抱く。私は、私自身というのを疑っていた。恐い。こんな時、“皆”がいてくれれば、どんなに心強いだろう。皆、何処にいるのだろう、何処に行ってしまったのだろうか。
目をつむって、一歩、一歩進んだ。ユラリ、ユラリと体が揺れる、景色が揺れる。たった一歩で、数歩が進む、滑るように、泳ぐように。
校舎の裏側を通って、すぐに湖の際に出た。青い湖を見た途端、ホッと心から深く息を吐いた。青色を見ただけでずっと気持ちが楽になった。
記憶が……“記憶”というものが“有る”ことに初めて気付いた……蘇る。転がる小石、草の一本一本の傾き具合、水面の揺らぎきらめき、土のにおい、全てが一緒だった。前も、その前も、その更に前も、ずっとずっと前から……同じ小石が同じところに、同じ草が同じところに同じ垂れ方で、同じように水面が揺れて輝き、同じ土の乾いたにおい……私は同じところで同じ時間を、繰り返し、繰り返し、繰り返してきた。全て同じ記憶、同じ思い、同じ気持ち。私は、出来上がった絵の物語の中でずっと存在していた。私はこの世界で、ずっと立ち尽くしている傍観者だった。
そして、確かに音を聞いた。その音は、物語から逸脱していた。何故なら、その時初めて、音、というのを意識した、実感した。音、草の擦れる音、その鮮やかな細い音に驚き見ると、草の中にポツンと小さく色付いた綺麗な白兎を見た。
白兎は少女を見ていた、少女も白兎を見ていた。白兎は前を見た、少女も前を見た。白兎はひとつ跳ねて、少女も一歩歩んだ。白兎の真似をするように、少女はトコトコと、湖を岸に沿って歩いていき、大きく回っていった。
もう学校は対岸に小さく在る。白兎はずっと背中だけをこちらに見せていた。そしてそのままその可憐な姿は、山側の傾斜の草むらの中に飛び込んだ。
別に道も穴も無いような、ただ濃くびっしりと緑が生い茂って壁になっている。その先を遮るように、そびえる深山の壁。その境界線を、少女は跳んだ、飛び込んだ。