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「本当に、王女を罰しないというのか?」
ダスティンが同じことを何度も聞く。
モーリッツと二人、ダスティンの前に首を差し出すようにひざまずいていた姫は、今は床にくずおれ力なく嗚咽を漏らしている。
延々と続く輪廻に絶望し、ダスティンを魅了し操る邪悪な魔女を殺し、彼に惚れ薬を使い、三人での追いかけっこを永遠に続けようとした姫。
でも、あたしには、彼女が、家と権力者に振り回された、哀れな少女にしか思えない。
しかも、やっと誓願が果たされ、最愛のモーリッツからの愛を受け取ることが出来たのに、結局は殺されもせず、こうしてダスティンに抱き締められているあたしが、一体姫の何を罰しようというのか。
「責めて下さい…。裁いて下さい…」
けれど、目の前の姫は、己の願いが叶えられたことで、逆に自分勝手で自己中心的な自分を突き付けられている。
そして、気付いてしまった以上、名家の姫として、王家の王女として積み上げられた自尊心は、それに耐えられないとばかりに、姫を壊し始めていた。
あたしはそんなこと、望んじゃいないのに…。
なら、そのためにすべきことがあるように思えた。
罰を与えることが赦しになる…そんなこともあるんじゃないかと思えた。
「姫…。なら、あたしから姫に罰を授けます」
はっと、モーリッツが顔を上げた。
ダスティンもあたしを見る。
姫も、ぐしゃぐしゃになった顔を上げた。
乱れ髪のその姿ですら、美しい。
だから、きっぱりと言った。
「あたしが切られたのと同じだけ、姫の髪も切って下さい。そして、その髪が元通りの長さになるまでに、どんなに大変でもモーリッツと婚姻を結んで下さい」
王女の髪を切るなんて、きっとすごく畏れ多い。
しかも、絹のように美しい、銀の髪。
だけど、髪はいつか伸びる。
伸び揃うまで、何年かかるか分からないけれど、その間に、姫の自罰感情が薄れないかと期待する。
王女と英雄の婚姻を望んでいる周囲を説き伏せるのだって、きっと大変だろう。まあ、それはモーリッツも頑張るでしょう。
「…ありがとうございます…」
消え入りそうな声が聞こえた。
そして、姫がモーリッツを見つめる。
彼はかすかにうなずくと、さっき自らに突き立てようとした小型のナイフを拾い上げた。
そして、目を閉じ静かに待つ姫の髪をつかみ、首元からざくりと切り落とす。
「魔女殿…、かたじけない…」
モーリッツがポツリと言った。
姫は、よろよろと立ち上がりながら、あたしに頭を下げる。
さらりと、短くなった髪が、姫のうなじで揺れた。
「もう、あたしの前に姿を見せないでおくれ」
色々な思いを込めて、そう声を掛ける。
薔薇の香りが立ちのぼり、姫はモーリッツに支えられながら、小屋の外に覚束ない足取りで出て行った。
「本当に、あんなことで良かったのか?」
ダスティンが、あたしの横に立ち、呟く。
「充分さ。やりすぎなくらいね」
そう返事をして、ちょっと横を見上げると、ダスティンが優しくあたしを見下ろしていた。
「ん?」
なんて顔であたしを見るんだろう。
恥ずかしいったらない…。
何百年も生きて来たのに、まるでうぶな娘のようにもじもじするしかなくて、あたしはうつむいた。
横から、ダスティンの咳払いが聞こえる。
「んん!とりあえず、俺たちもここを離れよう。二人きりになれる場所に行きたい…」
そう言うや否や、彼はあたしに自分の外套を着せ、短くなってしまった髪を隠すように襟を立てると、そのまま軽々横抱きにした。
「ちゃんと俺の首に手を回して」
言われた通りに手を回す。
すると、驚くほどダスティンの顔が近くて、あたしはついさっき、どさくさに紛れてされたキスを突然思い出してしまった。
一瞬で体温が上がる。
そんなこととは露知らず、悠々とあたしを狩猟小屋から運び出したダスティンは、外に出ると口笛を鳴らした。どこからともなく、ひづめの音が聞こえ、彼の愛馬である黒くて大きな馬が現れる。
「ここに着いた時、馬をつないでいる暇がなかったんだ」
馬にあたしをそっと乗せると、ダスティンも後ろにひらりとまたがった。
そう言えば、狩猟小屋に飛び込んできた時、彼の長剣はたっぷり血を吸っていた…。
誰か殺してしまったのだろうか…。
あたしを小屋から攫った、二人の男がいたはず…。
「マルティエーヌ王女の護衛がここにいて、俺たちが小屋に入るのを阻止しようとしたから、少々手荒な方法で退散いただいた。命までは奪っちゃいない」
心の声が聞こえたかのような返事に、びっくりして見上げる。
やっぱり。あと、俺たちって言った。モーリッツと一緒に来たんだ。
ダスティンが軽く馬の腹を足でこする。
ゆったりとした歩みが始まり、あたしはさらにダスティンに自分をくっつけた。
「王女の様子がおかしいことには気が付いていたが、まさかモーリスに俺の足止めを頼んで、あなたを攫ってどうこうしようと考えているなんて、想像もしていなかった。結局、モーリスを説得してこの場所を吐かせ、あなたを助けることができたが、もし間に合っていなかったらと思うと…」
そこまで言って、ダスティンの体がぶるりと震えたのが分かる。
でも、それ以上は言わず、彼は手綱ごとわたしを抱きしめた。
そして、わたしの首筋に熱い吐息がかかる。
「ああ、早く二人きりになりたい」
あたしは思わず笑った。
「今も二人きりじゃないか」
すると、ダスティンはあからさまに拗ねた顔をする。
「これは二人きりと言わない」
「でも、周りには誰もいないのに?」
くすくす笑って反撃すると、彼は少し考えた後、あたしの耳に突然歯をたてた。
「ひゃあ!!!こんなとこで、何するんだい!」
びっくりして声を上げる。
睨んだ先にあるのは、ダスティンのにやついた顔。
「ほら、やっぱりここは『こんなとこ』なんだろ?二人きりなら、ここでキスしても?抱きしめても?」
屁理屈…という言葉が浮かんだけれど、あたしはため息をついて、ダスティンの胸に体をくったりと預けた。満足そうな彼の笑い声。
「色々話したいことも、話して欲しいこともある」
そう耳元にささやかれて、あたしは小さくうなずいた。
***
「ジリアン!無事だったのかい!」
ミューランの森の集落に帰ると、アグネロばあさんがあたしの小屋の前のベンチに座っているのが見えた。そして、あたしとダスティンが馬で帰って来たのに気づくなり、不自由な足で歩み寄り出迎えてくれる。
「ばばさま…」
アグネロばあさんの顔を見た途端、心の底から安堵のため息が出た。
自分の家に、安全な場所に帰って来たという実感。
あたしは馬から、ダスティンの胸に飛び込むような形で降りる。そのまま抱き上げられると、くるりと回転させられて、アグネロばあさんの前に着地させられた。
「まあまあ、騎士様にかかっちゃ、ジリアンも子どもみたいなもんだね」
ふふふと笑うばあさんに、ダスティンが応える。
「子どもじゃないぞ。恋人だ」
満面の笑顔で言われ、あたしは思わず絶句した。
そんな肩書があたしに付くなんて、想像もしたことなかったから。
真っ赤になったあたしを、ダスティンが嬉しそうに覗き込む。
そんな二人の様子を、アグネロばあさんがニコニコしながら見ていたけれど、突然ハッとした顔になり、あたしの顔に手を伸ばした。
「あんた、髪が…」
馬から降ろされた時に、立てていた外套の衿が寝てしまっていたようだ。
アグネロばあさんは痛ましそうな顔であたしのバラバラの毛先を指でなぞる。
次いで、こめかみの血が乾いてしまった傷にも。
「ここで騎士様を待ってるように言ったのに、朝起きたらあんたがいなくて…。小屋の扉は開いたままだし、小屋の中は荒れてるし、何があったんだい?!」
そうだ、さらわれる直前、アグネロばあさんと井戸の横でそんな話をしたっけ。
きっとうんと心配させただろう。
「ばばさま、心配させて本当にすまなかった。ただ、仔細に関しては、今は言えない」
ダスティンが眉を寄せて告げる。
確かに、王女殿下に攫われた…なんて説明する必要を感じない。
でも、アグネロばあさんもそれ以上追及して来なかった。
「いや、そうだね。何があったかなんてどうでもいいよ。今こうしてあんたたちがここに帰って来て、今すぐ二人っきりにしてくれって顔をしてることが、あたしは嬉しいさね」
にやりと笑って、アグネロばあさんがダスティンの背中をぱんと一つ叩く。
わざとダスティンはよろけ、楽し気に声をあげた。
「ああ!ここまでの道中、相当俺は苦痛を強いられた。一刻も早く、良い子にしていたご褒美が欲しいぞ!」
ダスティンとアグネロばあさんが弾けるように笑った。
その横であたしはさらに顔を赤くする。
「でもその前に、ジリアンの髪だけ、綺麗にさせておくれ。騎士様はそんなこと気にしないって言うだろうけど、女の方はそうじゃないんだよ」
そう言われて、うなじに手をやった。
ぶつりと切られた毛の感触が、指に当たる。
ところどころ、長いまま残っている髪も。
ダスティンは一瞬痛ましそうな顔をして、馬の手綱を手に取った。
「わかった。こいつにも水を飲ませたいしな。その後は、小屋の中を片付けているから、終わったら知らせてくれ。迎えに行く」
そう言うと、さっさと背中を向けて、あたしの小屋に向かって歩いて行った。
目と鼻の先なのに、迎えに行くとは…。
「相当過保護になってるね。まあ、悪かないよ」
ばばさまに手を引かれ、彼女の小屋に入る。
ふわりと何か懐かしい香りがして、あたりを見回した。
あたしの小屋より手狭なそこは、最低限の生活用品が並んでいるだけ。
「そこに座りな」
アグネロばあさんにぴったりの、小さな椅子。
座ると、目の前に鏡が差し出された。
その鏡に施された、見事な螺鈿細工にぎょっとする。
「ばばさま、この鏡…」
王宮でだって、こんな見事なもの、めったに目にしないのではないか…。
驚いて振り向くと、アグネロばあさんの飛び切り優しい微笑みが。
「髪をそろえてやろう。前を向いて。その鏡、終わったらあんたに上げるよ」
あたしにくれる?この見事な鏡を?
「こんな鏡、あたしが持ってたら、どっから盗んだんだって言われちまうよ」
慌てて断りの言葉を口にしたけれど、しゃき…とはさみの音がして、あたしはじっとして前を向いた。鏡に写る自分の顔は、眉が八の字で下がっている。
しゃき…しゃき…と丁寧に入れられるはさみの音に、あたしは鏡をそっと自分の膝に置いた。
「おや、見てなくて大丈夫かい?」
アグネロばあさんが問いかける。
「うん。ばばさまの腕を信用しているよ。出来上がりを見るのを楽しみにしとく」
「ははは。じゃあ、張り切ろうかね」
はさみの音が心地よく、あたしはそっと目を閉じた。
「ジリアン…良かったね」
なんて優しい声。
「あたしの願いが叶った。あんたが騎士様と幸せになるって願いが」
しゃき…しゃき…。
「髪も、すぐ伸びる。まあ、騎士様は髪が短いあんたも好きみたいだけどね」
心地よい声に、目を閉じていると、眠ってしまいそう。
「顔の怪我も、血を拭いたら、全然目立たない」
優しい指が、こめかみをなぞる。
そして、あたしが心地よさにため息を吐いた時だった。
「ずっと手を出さずに見守って来たけど、とうとうおせっかいをしてしまった。でも、これで間に合っただろ?命の灯は、まだ消えちゃいない」
突然言われたこの言葉に、あたしは思わず目を開ける。
間髪入れず、アグネロばあさんは言葉を続けた。
「ここに帰ってから、騎士様は、あんたを一度も『ジリアン』と呼ばないね。早く教えて欲しいんじゃないかい?」
あたしは膝の鏡を取り上げ、自分の顔まで高く掲げる。
「あんたの真名を」
アグネロばあさんがそう言うのと、あたしが掲げた鏡に彼女を映すのは同時だった。
鏡に映るのは、真っ黒な髪に赤い瞳の、若く美しい女!!!
「あなたは…?!」
でも、その答えを聞く前に、アグネロばあさんは突然立ち上がると、大きな声で叫んだ。
「ジリアン!逃げるんだ!」
同時にあたしの手を、老婆と思えぬ力で引くと、井戸で水を汲むダスティンめがけ、あたしを放るように預ける。
「騎士様!今すぐ逃げるんだ!もうすぐ来る!」
「ばばさま?!」
その時だ、ダスティンが腰の長剣を抜き、あたしをその背にかばうように立ちはだかった。
「伏せろ!!!」
でも、それは少し遅かったかもしれない。
どこかで、ひゅんと、矢が放たれる音がした気がした。
そして、トスっとその矢が刺さる音も。
「ジリアン!!!!!!」
やけに近くで聞こえると思った。
そりゃそうだ。
だって矢は、あたしの心臓の真上に、刺さっていたんだから。




