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「姫があたしを殺そうと思った理由が知りたい」
それを聞いた姫は、あたしをまっすぐ見ていた視線を一瞬伏せた。
けれど、すぐに顔を上げ、迷うことなく口を開く。
「わたくしは、あなたを羨んだのです…」
その顔を見て、これが紛れもない本心だと分かった。
姫の言葉は続く。
「輪廻を繰り返しながら、毎回殺される瞬間、記憶を取り戻しました。モーリッツも、その瞬間思い出しているのだと、彼の顔を見て分かっていました。でも、何度繰り返そうと、わたくしはモーリッツの気持ちを変えることが出来なかった。もう、最初の頃とは互いの名前も、立場も、何もかもが違うのに…」
モーリッツが姫の横で、同じく暗い顔をする。
「ただ、毎回死ぬ間際、ダスティンがわたくしに『次こそ記憶を持って生まれて来い。誓願を果たそう』と、力強く声をかけてくれたのです。それが死にゆくわたくしの心の支えでした…」
姫はまっすぐダスティンを見てそう言った。
あたしの知らない、何度も三人が迎えた輪廻の終わり。
「そして、今生、わたくしは王女として生を受けました。モーリッツであるユング公爵家のモーリスと、オベルギウス侯爵家のダスティンは、わたくしの兄である王太子の側近候補として、幼いころから王宮に出入りし、わたくしも多くの時間を共に過ごしてきました」
ダスティンが侯爵家の人間だとは知っていたけれど、モーリッツは公爵家の人間だったんだ…。それなら、身分的にも、今生で姫と結ばれてもなんら問題ないのではないだろうか。
「ただ、わたくしたち三人とも、前世の記憶は持っていませんでした。けれど、今までの生が無かったわけでもなく、わたくしの内にも、それは確実にありました。ただ、わたくしは間違ってしまいました」
姫が再び目を伏せた。
「何度もの輪廻で積み重なってしまった…モーリッツとの絶望と、ダスティンの包容を、わたくしは取り違えてしまった…。取り違えた感情はわたくしに間違いを起こさせました。今生、わたくしは、ダスティンをただひたすら、幼い頃より頼りに思い、恋い慕ってしまったのです…。わたくしと彼の婚姻が取りざたされるほどに…」
今度はモーリッツが目を伏せた。間違いなく、彼は姫を今生でもひたすら愛してきたのだろう。
そしえそれはとても、つらい状況だったはず。
「ただ、ダスティンはわたくしを妹のような存在としか思えないと、わたくしが成人する前から、避け始めました。その最たるものが、辺境の蛮族討伐への自ら志願しての出征です。わたくしから、物理的に距離を取ったのです」
自ら志願を…。
こんな美しい王女殿下から想いを寄せられたにも拘わらず、討伐隊に志願したダスティンに、不謹慎にも胸が高鳴る。
「それからしばらくして、わたくしはマグノリア姫の頃の記憶を取り戻しました。そして、モーリスがモーリッツであるとすぐにわかりました。ダスティンへの自分の感情が間違っていたことも。わたくしの心は急激にモーリスに傾いていきました」
ダスティンと姫が同じような時期に思い出したのであれば、もしかすると、モーリッツもその頃に前世の記憶を取り戻したのだろうか?
ただ、モーリッツが取り戻す記憶は、彼が誤解したままの記憶…。
「でも、モーリスに大切なことを伝えようとしても、言葉にならず何も伝えられないのです…。契約のせいだとすぐにわかりました。それならばと、わたくしの心が彼にあることを伝えようとしても、王宮中がわたくしの想い人がダスティンだと思っている状況で、まして、前世のことを誤解したままの彼に、それを信じさせることは容易ではなかった…」
姫が苦しそうに言葉を紡ぐ。
「そうするうちに、蛮族は見事討伐され、ダスティンは王都に帰ってくることになりました。英雄として…」
ぎゅっと、胸の前で、小さな白い手を握る。
追い詰められていく姫の心が見えるようだ。
「周囲は全員が、王女と英雄の婚姻を望んでいました。自業自得とは言え、モーリスが追い詰められた表情をしているのを見て、わたくしは、今生でも、誓願は果たせないと思い詰めました。
せっかく記憶を取り戻しても、結局こうなるのだと思った時、わたくしは、わたくしを殺めに来るモーリッツよりも、来世への希望を与えてくれるダスティンを求めてしまったのです…」
悲痛な声。何百年と傍観してきたあたしですら、その絶望や苦しみは、ただの想像。
かける言葉すら、浮かばない…。
姫は真摯に言葉を続ける。
「王都にダスティンが帰って来た日、わたくしは真っ先に彼に会おうと、今か今かと待っていました。けれど、彼は父と騎士団にだけあいさつをして、早々に行方をくらませてしまったのです」
祝宴にも出ず、王都に泊まったあたしを、一晩中待っていた日のことだ。
「その時わたくしの耳に、女官の話し声が聞こえてきました。ダスティンが、迎える沿道の群衆の中、黒髪の女性の前で馬を止めたと…」
どこか焦点が定まっていなかった姫の視線が、そこでひたりとあたしを捕えた。
「すぐにわかりました。それは、ダスティンに惚れ薬を授けた、魔女殿だと」
ごくりと唾を飲む。
「輪廻の初め、ダスティンが突然わたくしにこの婚姻を無効にしないかと言ってきた時から、彼が王様に命じられて惚れ薬をもらいに行った魔女の庵で、何かあったのだとすぐ分かりました」
「熱に浮かされたようなその表情に、彼は魔女殿に魅入られたのだと思いました。でも、わたくしには好都合だった。何としてもこの婚姻の命令を破棄し、あなたに誠実であろうとする彼の情熱を利用して、まんまと自分に都合の良い契約を結ばせたのですから」
魅入られた?いや、あたしはダスティンに魅了の魔法は使っていない。
なのに、ダスティンはあたしのために『紅血の契約』を結んだと言うの?
「そして、契約の内容を盾に、ダスティンにお願いしました。モーリッツから求婚されるためには、魔女殿の惚れ薬がどうしても必要だと」
そこであたしは目を見開いた。
姫が惚れ薬を所望した?
そう言えば、ダスティン以外に使わせないでと言った時、彼は戸惑っていた…。
最初から、姫が使う予定だったということなのか?
「ダスティンは、わたくしの希望通り、惚れ薬をもらってきてくれました。その時の、あなたのことを話す、夢を見ているような彼の顔が、まるで昨日のことのように思い出されました」
姫は一度言葉を切った。はっきりとわたしに告げるために。
「そして、我が身と引き換えて…、あなたを羨み、憎んだのです…」
その時の、姫の絶望が、この小屋を埋め尽くすような気がして、息苦しさを感じた。
「もはや誓願を果たすことを期待するのはやめようと思いました。このまま永遠に、モーリッツに殺められ、ダスティンに見送られることが自分にとっての幸せなのだとさえ思えました。ただ、ただ一点、ダスティンが何度輪廻を繰り返そうと、誓願を果たし、あなたと結ばれることを諦めていないことに、自分勝手な怒りを抱いたのです」
途端に、あたしの後ろにいるダスティンから、強烈な怒りの気配が立ち上ったのが分かった。
「何を勝手なことを…!!!」
あたしは前を向いたまま、咄嗟に後ろ手でダスティンにしがみつき、叫ぶ。
「最後まで姫の話を聞きたい!」
「ジリアン…!!!」
ダスティンは荒い息を吐く。何度も何度も。
後ろ手に伸ばしたあたしの腕を取り、それを自分の腰に巻きつけて、何とか気持ちを落ち着けようと息を吐く。
でも、姫はそれを待たずに言い切った。
「魔女が長生きだとは聞いていましたが、まだ生きているとは思っていませんでした。でも、女官の話を聞き、確信したわたくしは、すぐさま思いました。ダスティンはまだ魔女殿に魅了されたままなのだと。魔女殿を殺してしまえば、もうダスティンが心を割くものもなくなる。惚れ薬を使い、その心を自分に向ければ、永遠に三人でこの輪廻を続けられると」
もうダスティンを抑えておけなかった。
彼はあたしの横をすり抜けると、一直線に姫に向かい、長剣に手をかけ叫んだ。
「そんな理由でジリアンを殺そうとしたのか!覚悟しろ!」
モーリッツが素早く姫を抱え、ダスティンの刃の下、まるでその首を差し出すようにひざまずく。
あたしは駆け寄り、怒りで震えるダスティンの身体に、その身を投げ出し縋りついた。
「やめて!ダスティンやめて!あたしはそんなこと望んじゃいない!そんなこと望んじゃいない!あたしが望んでるのは、そんなことじゃない!」
荒ぶるダスティンを前に、あたしは必死でしがみつく。
まるであたしも何も目に入らないかのような獣の呼吸に、でも、必死でしがみつく。
そんなあたしたちを前に、姫はなおも声を上げ続けた。
「でも!魔女殿が作った惚れ薬は、相手を魔法の力によって魅入らせるような乱暴なものではなかった!そんな惚れ薬を作ったあなたが、ダスティンに魅了の魔法をかけるわけがない!わたくしはそんなあなたを恐ろしい魔女だと思い込み、自分のために殺めようと!」
モーリッツの腕の中、姫が叫ぶ。
「わたくしは、間違いを、大きな間違いを犯しました。いいえ、輪廻の初めの時から、自分のことしか考えず、モーリッツも、ダスティンも、そして、魔女殿も、全ての人間を不幸にしてしまったのです!誓願は果たされました!もう、モーリッツを縛るものも、ダスティンを制約するものもありません!わたくしを、罪深いわたくしを、どうか断罪してくださいませ!」
まだ少女だった姫が、無邪気に契約書を綴る様子が、脳裏に浮かぶ。
こんなことになると、想像もせず、ただ、恋するモーリッツと結ばれるため、ダスティンに惚れ薬をねだり、まじない師に紅血の契約書を作らせる姫が。
「言いたいことは、それだけか」
ダスティンの、唸り声が聞こえる。
あたしはさらに強く彼にしがみつく。
でも、もう、あたしとダスティンの間に、姫は関係ないんだから!
あたしは一層大きな声で、彼に伝えなければいけないことを叫んだ。
「ダスティン!あたしは生きてる!殺されちゃいない!あたしの望みはただ一つ。あんたに、あんたに、あたしのほんとの名前を呼んで欲しいだけなんだ!」
そうだ!ダスティンに望むのは、ただ一つ。あたしの真名を呼んで欲しい。
もう何百年も昔、誰からも呼ばれなくなった、あたしの本当の名前を!
ドシャンと、重い鉄が落ちる音がした。
そして、泣きじゃくるあたしの頭に、彼の両手が差し入れられ、そっと上を向かされる。
「本当の、名前…?」
ダスティンの、深海の碧の瞳が、あたしを見下ろす。
あたしはまぶたを瞬かせ、返事をした。
「ああ、魔女は、本当の名前は誰にも教えないんだ。生涯、ただ一人の人以外は」
驚きで見開かれる、その瞳。
「そして、それをただ一人の人に教えた時から、魔女の時間は、その人と一供に進みだす。一緒に生きていくために」
少しも逸らさず、あたしは彼を見つめる。
この真っ黒な瞳に、きっとダスティンの姿は写り込んでいることだろう。
彼もじっとあたしを見つめる。
紺碧の瞳には、じっと彼を見つめるあたしが!
「それを、俺に…?」
心の奥の、その奥まで見極めようとするかのような真剣な眼差し。
あたしの頬を伝う涙が、あごからぽたりと、一滴落ちた。
「あんたに、呼んで欲しいんだ」
ぐしゃっとダスティンの顔が一気に歪む。
そして、そのままその顔は、あたしの髪に押し付けられた。
「ずっと、そう思ってくれていたのか?」
「ずっと、そう思っていたよ」
「いつから?」
「あんたを、初めて目にした時からさ」
「あの庵で?」
そこであたしはちょっと笑った。
「ううん。王様が、初めて王城に入る凱旋の行軍で、先頭を騎馬で行く、あんたを見た時からさ」
がばっとダスティンが顔を上げる。
「だから、あたしは、姫を罰しようなんて思っていない。理由を知れば、もっとそんな気持ちなくなった。あたしが望むのはダスティン。あんただけだから」




