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確かにダスティンはあたしの目の前で、惚れ薬を飲み干した。
しかも、姫が血を滴らせたその瞬間、この小屋いっぱいに広がったあの甘い匂いが、それが間違いなくあたしが作った惚れ薬であることを証明している。
「魔女の薬に、使用期限なんてないよ」
わけが分からず、あたしは問われるままに答えた。
ダスティンが少しうなずく。
やけに満足気な様子に、あたしはどうにか状況を理解しようと視線を巡らせた。
見えたのは、あたしを見つめるダスティン。
静観しているモーリッツ。
そして、思わぬ展開に呆然としているマグノリア姫。
「では、この薬が作用するのに、何か条件があるなら教えてくれ」
冷静なダスティンの声に、そこではたと思い当たる。
彼はその条件を知っているはずだ。
なのに、どうしてあたしに聞く?
いや、これは彼が尋ねているのではない。
姫とモーリッツに聞かせるための会話なのだ。
でも、では、ダスティンは…。
ごくりと唾を飲み、何とか声を発する。
「作用する条件は…、血の所有者に対して、少しでも恋心なりの好意を持っていること…」
あたしが言うや否や、ダスティンは宣言した。
「では、これを飲んでも何ら俺に変化がないということは、何を証明してくれるんだ!!!」
うそ!うそよ!
だって、ダスティンはマグノリア姫と婚姻を結び、幸せになるためにあたしに惚れ薬をもらいに来たのに!
紅血の契約まで結び、二人が愛し合うことを誓ったはずなのに!
何百年も輪廻を繰り返し、つらい思いを重ねてきたのは、姫と幸せになるためじゃなかったの?!
あたしは混乱して、ダスティンを救いを求めるように見つめた。
そして、その視界に、呆然と立ち尽くすモーリッツが目に入る。
あたしはその異様な姿に、思わず息を飲む。
手にしていたクロスボウが、力なく床に落ちた。
「では、わたしは、何のために何度も何度もあなたを殺めてきたのか…」
姫、ただその人だけを見つめ、モーリッツが声を絞り出す。
表情もなく微動だにしない。彼はまるで本物の彫像のようだ。
姫に気持ちのなかったダスティン。それがなければ彼女を殺めることもなかったというモーリッツ。長い輪廻の果てに心を壊し、永遠に三人での追いかけっこをしようとしていたマグノリア姫。
あたしは、何が何だか分からない。
一体、紅血の契約に記された誓願とは、何だったのか…。
いつの間に来たのか、肩のあたりに熱を感じてはっとした。
ダスティンがあたしの肩を後ろから抱いている。
「ジリアン…」
ほとんど声が出ていないのに、耳の後ろにつけられた唇がそう動くのが分かった。
瞬間、かっと体が熱くなるけれど、今はこんなことをしている場合ではないはず。
「ダスティン…」
後ろを振り向くと、紺碧の瞳が、深海の碧をたたえてあたしを見下ろしている。
あたしはきっと不安気な顔で見上げていたのだろう。
ダスティンは、安心させるようにあたしに微笑むと、モーリッツに向かって声をかけた。
「お前は、自分勝手な思い込みで、あの時、マグノリアを殺めてしまった」
モーリッツが生気のない顔を上げ、ダスティンを見る。
「俺がマグノリアに特別な感情を持っていないことは、さっき証明された。だから間違えるな。俺と姫が交わしたのは、気持ちではない。取引だ」
そう言うと同時だった。
モーリッツが呆然と立ちすくむ姫の足元に土下座をしたのは。
「姫!マグノリア姫!わたしは、あなたを…あなたを…!」
そこで姫はやっと、我に返り、モーリッツを見つめた。
みるみるその姫の瞳に、生気が宿るのが分かる。
どういうことだろうか?!でも、決して悪いことではないはず!!!
モーリッツは這うように姫の眼前まで行くと、そのつま先に口づけ、なおも言い募った。
「長は、泣いて嫌がっても必ずあなたを騎士殿に嫁がせ、騎士殿も王国での有利な立場も手に入れると息巻いていた。しかも、騎士殿はあなたを気に入り、王は強引に婚姻を進めるために、囲っている魔女に作らせた惚れ薬を使うとも。あなたをそんな目に合わせるぐらいなら、わたしはあなたを殺めて自分も死のうと思ったのです!」
あの時代、豪族の姫であろうとも、女は家の所有物だった。
王様は『姫がダスティンを気に入るか』などと言っていたけれど、豪族の長はそんなこと気にも留めていなかっただろう。
魔女のあたしですら、王様の庇護を必要とするような、野蛮な時代だったんだ。
姫の膝にすがり、嗚咽するモーリッツ。
彼が姫を殺めるよう決意した心の裡が明かされ、あたしは何とも言えない気持ちになった。まさか、彼を追い詰めたものの一つが、あたしの作った惚れ薬だったとは。
のろのろとモーリッツが起き上がる。
彼が仰のいた、と思った瞬間だった。
「いやーーーー!!!」
姫の悲鳴が響き、ダスティンが目に見えぬ速さで動いた。
モーリッツの手から何かを弾き飛ばす。
ひらめき、床に突き刺さったのは小型のナイフ。
まさか、彼は自死しようとした?!
ダスティンがモーリッツを見下ろし叫ぶ。
「間違えるな!死が一体何を解決してくれる!ここに来る前、お前は言った。いつも姫を殺す瞬間に、記憶を取り戻すのだと。そして、今生でもまた姫を殺めてしまったと失意のどん底に陥りながら、来世こそはと自らに刃を突き立てるのだと!」
ここに来る前?
姫はダスティンをモーリッツのところに行かせたと言っていた。
そこで、何か大事なことが話されたのだろうか。
そう言えば、二人、うなずき意思の疎通をした瞬間があった。
だからこそ、モーリッツは、姫に命じられてもあたしを殺そうとしなかった?
「間違えるな…。三人とも記憶を持って今生に生まれてきたことを、どうかよく考えてくれ。姫は、何度も最愛のお前に殺され、長い輪廻の中で間違った選択をしようとしたのだ。来世があると思うな!」
思わずダスティンを見る。
彼も、今生でこの輪廻が終わると思っている。
ううん、終わらせようとしている。
「はくはくはく!」
ダスティンが続けた言葉はかき消されてしまった。
誓願に触れる内容なのか。
「ちっ!!!」と、ダスティンが口汚く舌打ちする。
「来世はない…」
モーリッツが小さな声でうなった。
毎回、『来世こそは』と思いながら、自死でその生を終わらせてきたモーリッツ。
今、彼の中に何が渦巻いているんだろう。
どうにもできないのがもどかしい。
どうか!どうか!間違えませんように!!!
モーリッツは、何度も口を開いては閉じ、開いては閉じした。
逡巡しているのだ。
間違ってはいけないと。今度こそ、間違ってはいけないと。
あたしよりも、それを目の前で見つめているマグノリア姫の心中はいかばかりだろうか。
けれど、ほどなく彼の口が、ぐっと真一文字に結ばれた。
…心が決まったのだ。
大きく息を吸い込むと、モーリッツは姫の前にひざまずく。その真っ白な指を両の手で捧げ持ち、そこに額を押し当てた。
「姫…。愛しています…。心から、心から…、いつまでも、愛して続けて参りました…。今生こそ、どんなことがあろうとも、生きて、わたしの生涯をかけて、お守りいたします!!!」
あまりに悲痛な声音に、あたしまで胸が痛む。
すると、姫は瞳をぎゅっと閉じると、そっと腰を降し、モーリッツの背中に覆いかぶさるように彼を抱きしめた。
「やっと…、やっとモーリッツが、わたくしとともに生きることを選んでくれました…!!!」
「マグノリア姫…!!!」
その瞬間だった。
狩猟小屋の中だと言うのに、どこからともなく一陣の風が吹き、ぼろぼろの古紙で作られた、禍々しい一枚の紙が空中に突如現れたのは。
小屋の天井近く、ひらひら舞いながら。
それは、古のまじない師による禁断の呪術。
「『紅血の契約書』が!!!」
ダスティンが叫ぶ。
数百年の時を経て、輪廻の始まりに交わされた契約書が、その姿を現したのだ。
モーリッツは素早く身を起こすと、姫をその背に隠す。
ダスティンは駆け寄ると、その外套の中にあたしを隠すようにくるんでしまった。
「ジリアン!」
外套の中、ダスティンがぎゅうぎゅうとあたしを抱き締めてくる。もみくちゃにされ、息が出来ない。
それに気づいたダスティンが、慌ててあたしの頬を手の平で包み、外套から顔だけを出させた。
見上げた先には、天井に貼り付けられて契約書。
契約書は、今では誰も正確に書けないだろう、禁呪の言葉で縁取りがされていた。その一番下には、間違いなく古代ヘンゲル語で書かれた、『ダスティン・メレビウス』と『マグノリア・ティバートン』の署名。
そして、契約書に書かれている文章が、あたし目からもはっきりと見えた。
『ダスティン・メレビウスとマグノリア・ティバートンは、両名の婚姻を阻止すること、従者モーリッツがマグノリア・ティバートンに求婚することに必ず協力する。また、それが果たされるまで、ダスティン・メレビウスは誰にも愛を伝え、交わさないことを誓う』
たった数行の誓願が、茶色のインクで認められている。でも、恐らくあれは二人の血が混ぜ合わされたものだろう。
禁呪の言葉での縁取りと、契約者の血液による契約書の作成。
間違いなく『紅血の契約』の形式が取られている。
だけど、その内容はどうだ。
それは、まだ若い二人が、家と権力者に振り回されながら、何とかそれから逃れ、愛する人と結ばれようと決意した、忌まわしさなど欠片もない無邪気な文面だった。
惚れ薬まで用意され、姫の意思と関係なく婚姻させられるとモーリッツを追い詰めなければ、きっと容易くその誓願は果たされたと思われるような…。
ザン!!!
文面を一読した一瞬後、契約書は、あたしたちの目の前で粉々に散った。
欠片はちらちらと燃えながら、いつしか完全に消滅する。
「誓願が…果たされたのだ」
ダスティンが、腹の底から息を吐き出すかのように、万感を込めて、そう呟いた。
マグノリア姫と、モーリッツは、声も無く涙を流し、互いを労わるように抱きしめ合う。
「ジリアン…」
契約書は消えたというのに、ダスティンはあたしを外套にくるんだまま、放してくれない。
だけでなく、髪が無くなってしまったうなじに手を差し入れたかと思うと、そのまま強引に唇を合わせて来た。
「ん…んう…!!」
息が苦しくて、あたしは全力で彼から逃れようと、頭を振る。
首から下を布で拘束されてしまって、頭しか動かせない。
どこに逃れても追ってくる彼の唇から、何とか一瞬逃れて声を上げた。
「ダスティ…!!ん!!」
結局それも、再び彼の中に吸い込まれてしまう。
驚きと、喜びと、羞恥と…息苦しさと。
あたしは何百年で一番の動揺で混乱してしまった。
救ってくれたのは、モーリッツ。
「メレビウス、そこまでだ」
ばりっと音がしそうな動きで、ダスティンの頭があたしから引き剝がされる。
「魔女殿は、息が出来ずに苦しんでおられる」
首に後ろから腕を回されているようだ。ダスティンの顔の横に、作り物のようだと思ったモーリッツの完璧な美貌の顔が並ぶ。
けれど、今は作り物にはまったく見えない。彼の中に熱い血が流れているのがはっきり分かった。
「ジリアン…!!すまない!!」
唇は放してもらえたけれど、再びぎゅうぎゅうと抱き締められる。
ダスティンに口づけされた喜びで胸がはち切れそうなのに、それ以上に体の苦痛があるなんて…!
彼は自分とあたしの体の大きさや、力の強さの違いが分かってないんだろうか。
「メレビウス!魔女殿の背骨が折れるぞ!」
今度こそ、ダスティンは完全にあたしから剝がされた。
優男に見えたけれど、モーリッツも結構力が強い。
「ダスティンは、わたくしとの契約のため、愛する人に心を伝えることも、愛を交わすことも出来なかったのです。きっと加減が分からないのです」
マグノリア姫が、そう言いながら、あたしの前に立った。
「魔女殿…。わたくしはあなたを亡き者にしようと思い、ここに連れ去りました。ダスティンとモーリッツが来て、最悪の事態は回避できましたが、わたくしがあなたを連れ去り、髪を焼き、殺めようとしたことは、まぎれもない事実です」
すみれ色の瞳が、あたしをまっすぐに見る。
あたしのこめかみに仕込み杖を打ち付けた時と、その瞳の生気のこもり方はまったく違うけれど、対峙すると、あたしの体も細かく震えているのが分かった。
今頃になって、あの時の恐怖がよみがえって来たのか。
「謝罪ですむことではありません。わたくしは、あなたが求める通りのやり方で、罪を贖うつもりです」
姫の目は本気だ。
「ああ、それには俺も怒り狂っている。誓願が果たされ、俺の制約がなくなった今、俺はお前たちがどうなろうと関係が無いし、ジリアンが望む通りにしてやる」
ダスティンが、あたしの後ろで物騒な声を上げる。
あたしは、喉の奥までかすかに震えているのを感じながら、あえぐように息を吸った。
そして、なんとか声を絞り出す。
「ではその前に、教えて欲しいことがあります」
姫は小さくうなずいた。
「マグノリア姫が、どうしてあたしを殺そうとしたのか。その理由を教えてもらいたい」
ごくりと唾を飲みこんで、あたしは姫の瞳を見つめた。




