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長生きな魔女と黄金の騎士  作者: ころぽっくる
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最終章

翌朝、二階の一番奥の寝室であたしが目覚めた時、ダスティンはまだよく眠っていた。

ここはこの家の彼専用の寝室らしく、部屋に入った瞬間、あのじゃ香の香りに包まれた。


上掛けの上の、昨日まで自分が着ていたブラウスをそっと羽織ると、ボタンがいくつか無くなっていることに気が付き、一人赤面する。

と同時に、昨夜ダスティンが何度もなぞった背中の刀傷と、矢傷がズキンと痛んだ気がした。


『俺のために、何度危険な目に遭わせたのだろう…』


苦し気に眉をしかめ、その傷を確かめる。


『でも、一度目は師匠の、二回目は真昼の魔女様の護符の守りで命を助けられた』


そう言うと、『本当に、良かった』と、嘆息しながら、


『だが、もう護符はない。これからは、ジルは俺が守るから』


と、強く言い含められる。


『国の英雄の騎士様に守られるなんて、あたしはなんて幸運なんだ』


照れ隠しの茶化した口調で返すと、ダスティンは優しく微笑んで、あたしを緩く抱き込み、


『何百年経っても他の女に目移りすら出来ない、最初で最後の女性に出会え、しかもその人から命を懸けて愛されている俺の方が、幸せに決まっている』


と、言ってくれたっけ。


そっと広い寝台の上を振り返ると、黄金の髪に縁どられた顔が見えた。

真っ直ぐで太い眉。高くしっかりとした鼻梁。髪と同じ、陽に透けそうな長いまつ毛。薄い唇の大きな口。


どれも愛おしくて、あたしはじっと見つめる。

ただ、一番好きな紺碧の瞳は、眠っているダスティンから盗み見ることは叶わなかった。


ボタンが無くて役に立たなくなったブラウスの前を、ローブのようにギュッと寄せ、床に落ちていたスカートを腰に巻き付け何とか体裁を整える。ついでに、ラグの辺りで放り投げられていたブーツに足を入れた。

いつもの習慣で髪に手をやって、無くなっていることを思い出す。

寝ぐせが凄そう。早く身支度を整えたい。


そっと階段を下りると、昨日結局手を付けられることのなかったハムとチーズが、そのまま皿の中で乾いている。

ワインがこぼれたままのゴブレットを見て、突然気恥ずかしくなって目を閉じ額に手を当てた。


その時、何か虫が騒いだ。


一目散に外への扉に急ぎ、焦る気持ちで錠を開け、外に出る。


そこには、真っ黒な髪で赤い瞳の、この世のものとも思えないほど美しい人。


「真昼の魔女様…」

「おはよう、ジリアン。ああ、輝くばかりに美しいよ。もう騎士様に真名を教えたんだね」


朝焼けが射し始める、きんと冷えた空気の中、真っ黒で艶やかなローブをまとった魔女様は、昨日あったことが嘘のように、ただ静謐な存在としてあたしの前にいらっしゃった。


「はい、あたしの真名を知ってもらいました。あたしはもう、ダスティンと同じ時を過ごしていきます…」


意気込んで答えたけれど、最後は声が尻すぼみになったのが分かった。

そんなあたしを魔女様はじっとご覧になると、ひとつ息を吐いた。


「確かに、あんたから魔女の時を感じないよ。真名を教えることで、さらに命の灯が小さくなるんじゃないかって、ジリアンが真名を教えるのを躊躇しないかと思ったりもしたけれど、ためらわなかったんだね」

「はい…。ダスティンに、あたしの本当の名前を、呼んで欲しかったから」


真昼の魔女様は、指を一回スイっと動かした。


「あんたの命の灯を見よう…。ああ、どうなるかと心配したけれど、灯の大きさは変わらないみたいだ。教えることで、寿命が縮まるわけじゃないみたいだね」


ああ!良かった!


「…ジリアン。でも、あんたの命があと数年ってのは、変わらない…。騎士様との一日一日を、大事に、幸せに…」


魔女様があたしのおとがいを、真っ赤な爪でなぞる。

昨日もそうされたっけ。

ダスティンとの幸せを願い、孫弟子のあたしのために手を貸して下さった魔女様。


魔女様は、ただ一人の人に、真名を告げることができなかったと聞く。

そして、その人に、永遠にも近い命を、生き続けるよう懇願されたことも…。


たった一人で生き続ける果てのない日々…。

あたしの幸せを願うその思いを、強く、重く、受け止めなければ…。


「ダスティンが、あたしが死んで、悲しむことだけが辛いんです…。でも、辛くならないように、彼に嫌われることも、それまでに彼の前から姿を消すことも、あたしには出来そうもありません。あたしは…弱いんです」


そして、それを真昼の魔女様に懺悔してしまうあたしは、もっと罪深い…。


けれど、魔女様は緩く首を横に振った。


「魔力を持たない人間ならば、明日死ぬやも分からぬ運命。騎士様とて、騎士である以上、命の危険とは隣り合わせ。命の灯は、魔女であれば必ずその通りとなる。けれど、人になった以上、己の努力と生きざま、運命と環境によって、如何様にも変わる可能性があると聞く。ジリアン、魔力を失ってしまった霧の魔女、あなたに幸多かれと、あたしから最後の魔法を授けよう」


そう言うと、真昼の魔女様は、両手を大きく振り上げて、詠唱を呟く。


長い詠唱のあと、空から、ひとひら、小さな花が落ちて来た。


それはハフ高原だけに咲く、青い、小さな花。


「これは…」


手の平にそっと拾い上げる。あたしの真名と同じ名前の花。

あたしが生まれた時に、手の平に握っていた花。


「おや。幸を念じたら、そんな形で出て来た。あんたには、思い当たることが?」


魔女様が面白そうに笑った。

あたしも、その花を手に、笑った。


その時、開けたままの家の扉から、この寒空にトラウザーズだけをはいたダスティンが飛び出してきた。


「こんなところにいたのか!家じゅうを探し回った…と、魔女様…!」


あたしを見つけた途端、その表情が溶ける。そして、魔女様の姿を認め、慌てて自分の様を思い出したのか慌てだした。


「何か着て来る!」


そう言うや否や、ダスティンは家の中に取って返した。


「あのままでも彫像みたいに素敵だけど、あたしの目には毒だよ」


くすくすと魔女様が笑う。

けれど、次の瞬間、すっと気持ちを切り替えられたのが分かった。


「じゃあ、もう行くよ。あんたにだけ会いに来たんだけど、騎士様にも会えて良かったよ」


ふわりとその体が浮き上がる。

ざーっと風が吹き、その長い黒髪が、舞い上がった。


「最後に一つ。なにか決断する時は、あんたの気持ちだけじゃなく、相手の気持ちもよく考えるんだよ。幸せにおなり」


そう声が聞こえた瞬間、つむじ風が起こり思わず目を閉じた。そして、次にまぶたを開けたそこには、もう誰もいなかった。


「魔女様…」


「ジル!魔女様は?!」


家から、シャツを羽織ったダスティンが飛び出てくる。

でも、そこに誰もいないことに気付くと、魔女様がいた場所をじっと見つめるあたしの肩を、ギュッと包んでくれた。


「行かれたのか?」

「…うん…」


頭のてっぺんに、ふわりとダスティンが頭をもたれかけた。


「真昼の魔女様には、一生足を向けて寝ないことにしよう」


そんな軽口が、あたしの弱った心に沁みる。


「どちらにいらっしゃるか分からないから、ずっと足を天に向けてなくちゃね」


明るく返すと、ダスティンが微笑んだ気配。

そして、あたしの手の平に、ひょいと頭を動かした。


「それは?」


あたしは彼の目線まで手を捧げ、その花を見せる。


「これは、魔女様が最後の幸を念じて下さった花。あたしの真名と同じ、ジーラターニャという名の花だよ」

「これが…」

「あたしが生まれた時、この花を手に握って生まれて来たんだ…」

「ハフ高原にだけ咲く花と言っていたな?」

「ああ、そうだよ」


そう言うと、ダスティンはあたしを花ごと抱き上げ、くるくる回し始めた。


「ダ…ダスティン?!」


驚いて声を上げると、ダスティンは素晴らしいことを思いついたかのように大声を出した。


「春になったらハフ高原に行こう!この花が沢山咲いているところに、二人だけで!」


ああ、春になったら!

絶対、約束だよ!!!



***



山間(やまあい)の家からミューランの森の家に帰ると、集落の人間は誰もアグネロばあさんのことを覚えていなかった。

そうだろうとは思ったけれど、かつてばば様が住んでいた小屋に入ると、螺鈿の鏡だけが、ぽつんと置いてあり、あたしはそれを大切に布でくるんだ。


そのままあたしの集落の小屋に居つき、王都にまったく帰ろうとしないダスティンと、毎日狭い寝床で眠る毎日を送ったけれど、ひと月ほど経つ頃、神妙な顔で言われた。


「休暇がもう終わる。俺は王都の騎士団に戻らなければならない」


いっそ木こりか狩人になろうかと思ったらしいけど、王国の英雄がこの若さで放っておいてもらえるはずがない。

何度か、騎士団の人間かなと思う屈強な男性や、侯爵家の使用人かなと思う人間を見かけたから、そろそろ王都に戻るときが近いのかとは思っていたけれど。


「でも、休みの時は、またここに来てくれるんだろ?」


あたしは寂しさを隠し、精一杯強がる。

でも、そんな強がりはダスティンにはまったく通用しなかった。


「なんてことだ!ジルは月に数日会えるだけで満足だと言うのか?!」


もしかして、そう言ってもらいたくて、あたしは強がったんだろうか。

信じられない!あたしがダスティンの気持ちを量ろうとするなんて!!


「そんなことない!でも、ここまではあんたの馬でだって、数刻はかかる」


あたしは一生懸命反論した。駆け引きなんてする気もないのに。


「なら、俺と一緒に王都に来てくれ!」


は?と、一瞬思考が止まった。

王都へ?


ダスティンと?


でも、ここではただのダスティンでいられても、王都へ行けば、あんたは、オベルギウス侯爵家の人間で、第一騎士団の騎士で、国の英雄で…、あたしは、ただの、村娘で…。


なにも返さないあたしに、ダスティンが焦れるように口を開く。


「ジル!俺と一緒に行くと言ってくれ!」


「ダスティン…」


「まさか実家に住むと思ってないよな?!俺は侯爵家でも三男坊だし、休暇が明ければ騎士爵を叙爵される予定だから、もうそっちとも関係が無い。それに、王都の外れの丘の上に、ジルが好みそうな可愛らしい家も買ったんだ!ジルが住んでくれなければ、家も泣くぞ?」


なんだか無茶苦茶なことを言われている気がする。

予想外の展開に、返事が出来ずにいると、ダスティンはさらに言い募った。


「それでもジルがアグネロばあさんとの思い出が深い、この集落にとどまりたいと言うなら、俺はやっぱり騎士団を辞めて来るから、周りを説得する時間だけ、ちょっと待っていてくれ」


騎士団を辞める?ダスティンが?生まれながらに剣を持って生まれてきたような、自らの手足のように馬を乗りこなすあんたが、騎士を辞める?


あの、大陸を平定した直後、ランチェストの町で、金の髪をなびかせて大剣を引っ提げて歩く、金狼と呼ばれた騎士のあんたに、一目で心を奪われたのに?


あたしは笑った。そして、泣いた。


それを辞めても、あんたがあたしといる方を選ぼうとしてくれたことが何より嬉しかったから。

泣くほど、嬉しかったから。


「ううん…。あたしが王都に行くよ。魔女様の…ばば様の思い出なら、ここを離れても、いつでも心の中にあるから。あたしだって、あんたと一緒にいることが、なにより大切だから」


ダスティンがあたしの涙を、そっとその長い指ですくった。


「ジル、ありがとう。愛している…」


彼の目まで潤んでいて、あたしは変に強がった自分を後悔した。

ずっとここにいたのに、家までいつの間に用意したんだろう。

何度か見た、侯爵家の使用人らしき人間は、もしかして、そのために来ていたのだろうか?


「家を買った場所は、俺が惚れ薬をずっと隠していた、かつてのメレビウス家の霊廟が近い、とある子爵の家なんだ。いつも近くを通るたび、いつかジルと一緒に住むなら、こんな家が良いと思っていたから、破格の値段を提示して譲ってもらった」


え?!まさか、追い出したわけじゃないよね?

可愛い家って言っていたけれど、子爵様の屋敷ってこと?

しかも破格の値段って…、一体そのためにいくら使ったっていうんだい?!


加えて、惚れ薬を、メレビウス家の、つまり、かつての自分の肉体も入っている墓に隠していただなんて。


一度に沢山の暴露をされて、あたふたしているあたしに、ダスティンはまったく頓着せず、嬉しそうにあたしを抱き締めた。



***



その翌週、あたしはダスティンと王都に向かった。

小屋は、そのままにして。


ここはいつしかあたしのふるさとだったから。

そして、ダスティンが、たまにはここに来ようと言ったから。


「狭い寝床も、悪くないしな」


にやつくその顔を呆れて見返すと、嬉しそうにあたしの髪に指を突っ込んできた。


「本当に見事な黒髪だ」


やっと肩の長さまで伸びた髪を、指に絡ませ何度も梳く。


「この髪に、何度指を差し入れたいと思ったか、ジルは知らないだろう?」


あたしも多少は馬に乗れるようになった。

だから、王都へは別の馬を用意してもらって二頭で行こうと言ったのに、一緒に行くと、がんとして譲らなかったのはダスティンだ。


「春になったらハフ高原に行く。その時は、麓までは馬車で行こう。花の生息地までは、やはり俺と一緒に騎馬で行く」


ダスティンの過保護に思わず笑う。


「でも、高原に行く前に、どうしてもしたいことがある」


醸し出す雰囲気ががらりと変わり、あたしは驚いて彼を見た。

紺碧の瞳があたしを見下ろしている。


「ジル、俺の妻になってくれ」


不意打ちに、頭が真っ白になった。

まさか、今言われるなんて。


「ジルが、俺の正式な求婚を避けようとしていることは分かっている。俺を愛しているのも分かっているし、生涯ただ一人の男だと想ってくれていることも。だが、俺は名実ともに、ジルを俺の妻としたいのだ」


ダスティンは、知っていたんだ。

あたしが、彼の求婚の気配を感じるとはぐらかしていたことを。


「ダスティン…」


「もし、俺の妻になることで、過去の素性をとやかく言われて俺に迷惑がかかると思っているなら、そんなことは気にしなくて良い。俺が、王女の想い人と言われていた時、散々周囲に、王女とは別に心に決めた人がいると言っていたから、このひと月王都で姿が見えないのは、その積年の想い人とようやく心が通じたとみな知っている。前世の記憶が戻る前からそう言っていたから、よほどジルのことが意識の中にあったのだろう」


「でも…」


「あと、身分のことを気にしているなら、それも心配無用だ。騎士爵になっても、侯爵家が俺の婚姻相手に干渉してくるなら絶縁すると言ったら、両親とも、俺の想い人なら誰であっても受け入れるという言質を取った。モーリスのユング公爵家が、お前を養女にしようとも申し出てくれたから、好きなようにすれば良い」


「だけど…」


「使用人も最低限にする。なんなら全員通いにする。恥ずかしがり屋のジルが、寝室から出て行けないような無体はしないと誓う」


あたしは畳みかけるようなダスティンの言葉に、何も反論することができなかった。

呆気にとられたようなあたしを見て、ダスティンは誤魔化すように咳ばらいをする。


「まあ、それぐらい、ジルに妻になって欲しいということだ」


もちろん嬉しい。こんなに愛する相手に望まれて、あたしは幸せ者だ。

本当は有頂天になって、その首にかじりつきたいくらい…!!!


けれど、こんな、あと数年で死ぬと分かっているあたしが、ダスティンの妻になって良いのだろうか…。


その時、真昼の魔女様が、最後に言った言葉が突然頭に浮かんだ。


『なにか決断する時は、あんたの気持ちだけじゃなく、相手の気持ちもよく考えるんだよ』


相手の気持ち…。ダスティンの気持ち…。

もしあたしがダスティンとして、あと数年で死ぬかもしれない人間を妻にしたいと思うだろうか…。


ダスティンはあたしの返事を待っている。

見上げると、不安と期待に入り混じった彼の顔が見える。


妻にしたいと思うだろうか…。




したいと言ってくれるだろう。


ダスティンなら。


あたしが逆の立場でも、ううん、ならなおさら、一日だって離れていたくないし、その人の証を、どんな形でも良いから、自分に刻みつけたいと思うだろう…。


あたしは心を決めた。


「あたしを妻にしてくれますか?」


「ジル!!!」


ダスティンが買ったという家は、どこか庵を思い出すような、自然の木立がうっそうとした、こじんまりとした可愛い屋敷だった。

苔むし、言われなければ霊廟だと分からないようなメレビウス家のそれに二人で祈りを捧げ、すっかり綺麗に改装された二人の家に足を踏み入れる。


「気が早いかもしれないが、やはり妻が新居に入る時にはこうしなければ」


ダスティンが、使用人が開けた扉の前で、あたしを横抱きにする。

侯爵家からダスティンに付いてきたという老夫婦は、そんなあたしたちを、心から祝福してくれた。



***



あたしは春を迎えるのを待たず、ダスティン・ザン・オベルギウスの妻になった。

ジル・ジーラターニャはダスティンだけが呼ぶ名前だから、ジリアン・ザン・オベルギウスが表向きの名前。


婚姻の指輪を作るとき、ダスティンが何かを思い出したのか、突然唸った。


「ああ、あの石があれば…」


聞けば、前世で、自分の瞳の色にそっくりの石を旅の行商人から手に入れ、あたしに愛を告げる時にそれを捧げようと思っていたと。

そして、姫がモーリッツに殺された時、その石だけでもあたしに持っていてもらおうと庵に持ってきたのに、どこかで落として結局渡せなかったと。


あたしははたと思い出し、その役目を終えた後、螺鈿の鏡とともに大切に置かれている魔女様の護符を取り出した。


朱色の糸で縁どりされた、古ぼけたお守り。

その袋を逆さに振ると、青い石が二つ、ころんと出て来た。


「ダスティン、もしかして、これって」


それを差し出した途端、ダスティンが驚いて飛びついてきた。


「これをどこで?!」

「あの日の翌朝、庵の外で拾ったんだ…。あんたの瞳の色にそっくりだったから、あんたの代わりのように思えて、ずっと、肌身離さず持っていたんだよ。王様があたしに矢を射った時も、一本目から護ってくれたのは、この石だったんだ」


二つに割れてしまった石の一つを、ダスティンはそっと指でつまむと、じっと見つめた。


「この石だ…。間違いない。ああ、ジルがずっと持っていてくれたのか。はは、やはり俺とジルは離れられない運命だ!」


嬉し気に右手の石を眺め、左の腕であたしを抱き寄せると、何度も髪に口づけをする。


「この石を買う時、旅の行商人が、これは『離れずの石』だと言って、贈った側と贈られた側が、離れられないようになる石の守護があると言ったんだ。しかも二つに割れている。これを一つずつ指輪にして、ジルと俺で持ちたい!」


まさか、この石が、ダスティンからの贈り物だったなんて。

悲しみに暮れたあの翌朝、この紺碧の石を抱き締めて泣いたのが嘘のように、あたしは喜びに溢れ、もう一つの石をじっと見つめた。


その石が、今は指輪になって、あたしの指に輝いている。

片割れの小さいほうの石は、ダスティンの指に。


そして、花咲き乱れるハフ高原へ、過保護なダスティンの馬に一緒に揺られ、その頂を目指す。

王都はもう夏に差し掛かっている。

春に高原に向かうと言うと、ハフ高原近くに別荘を持つ、ユング公爵家のモーリスに反対されたのだとか。


「春に高原に行っても、花なんて咲いていないし、まだ冠雪しているぞ」


しかも、高原に行くならユング家の別荘を使って欲しいと申し出てくれ、有難く滞在させてもらっている。

さすが公爵家の別荘は素晴らしい設えだ。


高原から王都に帰れば、王女と公爵家令息の婚姻が結ばれるだろう。

あんなに英雄と王女の婚姻に期待されていると言われたけれど、王太子と王女が悪霊に憑りつかれるという衝撃的な事件の後に、恋に破れた王女が、それを慰めた美貌の公爵令息と結ばれるというロマンスは、殊の外民衆に熱狂的に受け入れられたらしい。


「ジル…。やはりふもとのユング家の別荘でゆっくりしていた方が良かったのではないのか?また来年でも、花は見ることができる」


高原までは上り坂とはいえ、整備された緩やかな道だと言うのに、ダスティンは出発してから何度も言う。


その度、あたしの膨らんだお腹をじっと見た。


「旦那様は、あたしを馬から落っことすかもしれないと?」


あたしのお腹には、赤ちゃんがいる。

多分、婚姻を結んだ時には、もういたのだと思う。

まさか、自分が妊娠できるなんて思ってもみなかったから、全然気がついていなかった。


師匠には、子がいなかった。

過去にも、魔女が子を産む話は聞いたことが無かった。

分身を生み出すことができる魔女がいるとは聞いたことがあったけれど、あたしは長らく魔力を封印していたから、より人間に近くなっていたのだろうか。


けれど、この力強くお腹をける存在は、間違いなく赤ん坊だった。


妻に望まれた時、子は出来ないと伝えていた。

一代限りの騎士爵家だから、後継ぎなど必要ではないとダスティンは言ってくれたけれど、子ができたと伝えた時のあの喜びようを見れば、本当は欲しかったのだと思う。


あたしも、嬉し過ぎて死んでしまいそうだった。愛する人の子どもを授かるなんて、そんな奇跡があたしに起こって良いんだろうかと何度も思った。

そして、あたしが死んだあと、ダスティンが絶望してしまうんじゃないかと心配していたけれど、きっとこの子どもの存在が、彼を助けてくれるとも思うと、涙があふれた。


だからこそ、ハフ高原に、小さな青い花を見に来たかった。

真昼の魔女様が、あたしに授けてくれた、最後の幸い。

青い花。

あたしの真名。

ジル・ジーラターニャ。


ダスティンは、本当にゆっくり馬を進める。

彼の愛馬は大きくて、ほとんど揺すられることもない。


朝出発して、昼前、ハフ高原に到着した。

到着した途端、高原の一か所に、あたしの全神経が向かうのが分かった。


「ジル、足元が悪い。抱いて行こう」


過保護なダスティンはあたしの足を地面に一度もつけることなく抱き上げる。


「二人分なのに、俺の剣よりも軽い気がする。ジル、体調は大丈夫か?」


心配そうに眉を下げるその顔が、愛おしくてたまらない。


「大丈夫。だから、あたしの言うところに連れて行って」


広大な草地が広がり、黄色や白の花が咲き乱れる。

遠くには湿原と湖もあるだろう。

けれど、あたしが行きたいのはそこではなかった。


「あの、岩が切り立ったところに行きたい」

「仰せのままに。愛する我が妻よ」


ダスティンは、人を一人抱えているとは思えない速さで、あっという間に岩場まで連れて来てくれた。息さえ切らしていないその頑健さに、改めて頼もしく思う。


「ここで降して」


なのに、愛しの旦那様は聞こえないふりをする。


「ダスティン、そんなに心配なら、手をつないで?」


そう言うと、ちらりとあたしを見て、そろーっと地面にやっと降ろしてくれた。そしてすかさず手を握り、それを自分の腕の絡ませる。

あたしはぎゅっとダスティンの腕に抱き着いた。


「これなら安心だ」


やっとお許しが出て、あたしは自分の足で歩く。

迷いなく、一点を目指して。


それは岩と岩の隙間の空間。

覗き込んだその先には、思った通り、青い小さな花、ジーラターニャが咲き乱れていた。


「これが、ジーラターニャの花…」


ダスティンが感嘆の声を上げる。

あたしが生まれた時に、その手に握っていた、根源の花。


岩の隙間、すっと体を滑り込ませると、お腹がかすかに岩に触れたけれど、なんなくそこに入りこめた。

けれど、あたしの指の先、ダスティンは腕で止まって中に入って来れない。


「この隙間は狭すぎる…!」


あはは。おかしい!


「じゃあ、そこで見守っていて?」


あたしがそう言うと、それ以上どうしようもないダスティンは、仕方なくあたしの手を離し、隙間からこちらを見守る姿勢になった。

あたしはサシェから、真昼の魔女様が授けて下さった、最後の魔法の青い小さな花を取り出す。


それは授けられてから何カ月もたつのに、今ここで咲いている花と同じく、青々と輝いていた。


「ジーラターニャの花…」


それを岩の隙間から、空に向かって掲げた時だった。

あたしのお腹を、赤ん坊がぽこんと蹴ったのは。


「ああ、喜んでいる…」


そう思った瞬間だった。


魔女様の花が淡い光を放ち、あたしの手から離れたのは。そして、その花が、あたしの膨らんだお腹の上にすっと動き、次に、その中に、溶けるように取り込まれて行った。


ぽこん!


さらに蹴られる。

赤ん坊に、幸いが念じられた魔法のジーラターニャの花が…。


ふわりと、


お腹が温かくなった。


ああ!魔女様の、幸いの花は、あたしとダスティンの赤ん坊に授けられるために、あの時、魔法で生み出されたのだ!


魔女様が、これを分かってたのかどうかは分からない。

もしかすると、知らなかったかも。


でも、真昼の魔女様が、最後にあたしの幸せを願って念じて下さった魔法で生み出された花は、この子のための花だったのだ。




「ジル!大丈夫か?!」


ダスティンがもどかしそうに、手を差し出す。


あたしは、その手に、自分の右手を預ける。


熱く、力強いその手に。


「ダスティン、大丈夫。さあ、あたしをふもとに連れて帰って」


ダスティンが、あたしを抱き上げ、じっと瞳を見つめる。

彼の紺碧の瞳と、じゃ香の香りに包まれて、あたしの瞳も、きっと溶けだしている。


「満足したか?」


あたしは笑顔でうなずいた。


ああ、幸せだ!


長い年月、ずっと一人ぼっちだったあたしが、今はこんなに、幸せだ!!!




赤ん坊は、きっと、その手にジーラターニャの花を握って生まれてくるだろう。

真昼の魔女様が、最後に授けて下さった幸いの花を握って。


幸せに、幸せになりますように。


長編、難しかったです…。


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