12
「ここは?」
ダスティンが馬を止めたのは、山間にある、小さな家だった。
小屋と言うには大きく、屋敷と言うには小さい。
でも、小さいながらも厩があり、暖を取るための薪も軒に積まれていた。
「これは、むかし騎士連中で共同で購入した、遠乗り用の家だ。定期的に、ふもとの村人が食糧と薪を補充してくれる。狩のシーズンには誰かれと使うが、今は皆、王都で休暇を満喫しているだろうから、ここまで来ない」
無骨な感じがするのは、そのせいだろうか。
「でも、休暇中なら、ここに来る人もいるんじゃないのかい?」
あたしが尋ねると、ダスティンはくすりと笑った。
「ずっと遠征していて、しかも名誉の凱旋だ。どこに行っても選り取り見取りの花に囲まれるっていうのに、わざわざこんな山間に来るやつはいない。俺以外はな」
その笑顔があまりに甘ったるくて、あたしは真っ赤になる。
「ジリアン…、いや、もうその名で呼びたくないな。俺にだけ教えてくれるんだろう?本当の名前を…」
馬から降りるあたしを、ダスティンはそのまま抱き締めた。
腕の中で、そっと上を見ると、真剣な顔であたしを見つめる紺碧の瞳とかち合う。
まるで時間の感覚が無くなってしまった。
ずっとその瞳を見つめていたい。
深海の碧におぼれそう…。
どれくらいそうしていたのか。
突然ダスティンが目覚めたように声を上げ、あたしの頬を右手で包む。
「なんてことだ!鼻の頭は赤いし、頬は冷え切っている!早く家に入ろう」
どこからか鍵を取り出し家の扉を開けると、あたしを抱きかかえるように家に入った。
入ってすぐのところには大きな樫のテーブルが置かれている。
その奥にある一人掛けのソファに、ダスティンはあたしをそっと座らせた。
「俺は相棒を厩に連れて行ってくるから、ストーブに火を熾しておいてくれないか?」
そう言いながら、あたしの額の髪を払うと、そこに熱く柔らかな感触。
それが何か瞬時に分かって、冷えているはずのあたしの体が、一気に熱くなった。
「ダスティン!」
照れた気持ちのやり場が無くて、あたしは彼に咎めた声を上げる。
拗ねたような表情は、甘えたように見えてしまったかも。
一瞬ダスティンが何かこらえるような顔をしたけれど、彼はさっとあたしの前から立ち上がる。
「何百年も待てたんだから、あと数刻待てなくてどうする…。とりあえず、厩に行ってくる」
ミューランの森よりも、山を登って来ただけあって、ここは寒さがより厳しい。
すっかり日も暮れ、冷えた空気の中に颯爽とダスティンは出て行った。
一人ぽつんと残され、あたしはとりあえず薪ストーブの様子を見るために立ち上がる。
「綺麗に掃除されてる。薪を持ってきたら、すぐに使えそうだ」
今から始まる、ダスティンとの二人きりの時間に、どうやったって落ち着かない。
あたしは色々な考えるべきことに思いを巡らすことにした。
真昼の魔女様は、あとのことは任せてとおっしゃって下さったけれど、王様、いや、王太子やその兵を放置したまま来てしまった。本当に大丈夫だろうか。
王太子は、棒で首を殴られたけれど、命に別状はなかったのだろうか。
王太子は約束を守り、王女とモーリスの婚姻は許可されるのだろうか。
考え出せば、様々なことが頭に浮かぶ。
だけど、そう考えている頭の隅に、常にへばりついて離れない、ただ一つの事実。
(あたしの命の灯は、もってあと数年…)
どうにも気持ちを整えられず、ストーブに薪をくべる手が止まった。
(やっと…、何百年もかかって、やっとダスティンと心が通じたのに、あと数年経てば、彼を残して死んでしまうんだ…)
あたしが魔力を封印して、少しでも長く生きようとしたのは、ダスティンが誓願を果たすための長い輪廻を見守るためだった。
その意味では、紅血の契約書が目の前で霧散するのを見た今、目的は果たされたと言える。
でも、ダスティンが誓願を果たす目的は、あたしだった…。
信じられなくて、実感が無くて、なぜかあたしは自分の手をぎゅっと握る。
ちょっと爪が食い込む痛み。ああ、本当なんだ…。
そして、信じられないほどの幸福感で満たされたその次の瞬間、ほんの数年でそれが終わることに、心の芯が冷える。
ダスティンには絶対言えない…。
彼にまた絶望を味わわせるなんて、絶対にいやだ…。
ダスティンを置いて死にたくない。
あたしが死んで、嘆き悲しむ彼を想像するだけで、胸がかきむしられる。
真昼の魔女様に相談してみる?
…いいや。魔女様にも、そこはどうにもできないから、命の灯が消えるまでに、あたしがダスティンと幸せになれるようにって、わざわざそばにいて手を貸して下さったんだ。
シンと冷えた空気の中、突然あたしの背中が熱いもので覆われる。
「どうした?上手く火がつかないのか?」
いつの間に戻ったのか、ダスティンがあたしを背中から抱きしめていた。
「ん?貸してみろ」
彼はあたしの手から薪を受け取ると、それを上手に組み合わせ、あっという間に火を点ける。
「水を汲んできた。貯蔵庫にワインもあるし、パンはさすがにないが、チーズとハムがある。これで晩餐としよう」
ぼんやりしているあたしを大きな樫の椅子に座らせると、遠征で慣れているのか、ダスティンがあっという間に簡単な食事の用意をしてしまう。
大き目のゴブレットには、ワインがなみなみと注がれた。
それを掲げ、ダスティンがあたしを見て言う。
「なにに乾杯する?」
あたしは少し考えて、彼の掲げる手をそっと降ろすよう引っ張った。
「どうした?」
ろうそくの灯りが、ダスティンの頬を照らす。
その顔をじっと、瞬きもせずに見つめた。
「あたしの真名を、あんたに知って欲しい」
真名を伝えた瞬間、魔女の命の針は、伝えた相手と同じ、つまり、普通の人間と同じ速さで時を刻みだす。
「これをあんたに伝えたら、あたしは、ダスティンと同じ速さで人生を共にすることになる」
ダスティンが、彼の手を引っ張ったままのあたしの手に、反対の手を重ねてきた。
「俺は、真名を教えるに足る男か?」
あたしは、彼の瞳をみつめたまま、ゆっくりとうなずく。
その頬を、涙が伝うのが分かった。
「ずっと、真名を知って欲しかったのは、ダスティンだけだっ」
感情的になりたくなかった。
ちょっと改まった自己紹介、くらいの気持ちで伝えたかった。
なのに、あたしの頬を伝う涙は止まらない。
伝えても、伝えなくても、あたしの命があと数年なのは変わらないけど、ダスティンに、あたしのたった一つの大事なものを、ともに知っていて欲しいんだ!
「あたしの、名前は、ジル!ジル・ジーラターニャ。ハフ高原に咲く、青い小さな花と、同じ名前」
言った瞬間、そこに重ねられていたあたしの手ごと、ダスティンがゴブレットをテーブルにまるで突き立てるように置いた。
なみなみと注がれたワインが、テーブルにこぼれる。
「ジル・ジーラターニャ」
ダスティンが、息を吐きながら、初めてあたしの真名を呼んだ。
ワインで濡れた手が、あたしの両の頬を包む。
その匂いにくらくらしながら、あたしは何度もうなずいた。
自分の体が、言葉では説明できない何らかによって、がらりと変わった気がする。
「ジル、愛している」
その言葉は唐突だった。
あたしはびくりとして、ダスティンを見上げる。
美しい紺碧の瞳があたしを見つめ、それが熱に潤み、どこまでも愛し気で切なげ。
そんな表情に堪えられるわけがない!
「あたしも!あたしも、ダスティン、愛してる!!」
両の頬を包む手に、自分の手を重ね、思いのたけを吐き出した。
二人でじっと見つめあう。
あたしの涙はもうとどまることを知らず、ダスティンの両の手も、そしてそれに重ねられたあたしの手も、しとどに濡らした。
「ずっと、ずっとこの言葉を伝えたかった…。何度も何度も、ジルに言葉にならないままに言い続けてきたけれど、いつも言葉はかき消えて、伝えることができなかった…」
いつも、『はくはく』とかき消されてしまうダスティンの言葉。
紅血の契約により、かき消されてしまう言葉。
それは、彼があたしに愛を伝える言葉だったんだ。
「王に言われて行った魔女の庵で初めてあなたを見た時、自分の中に湧き上がった、生まれて初めての衝動を抑えるのに必死で、ろくに話しも出来なかった。帰る道ではどうやって婚姻を断ろうかとそればかり考えていた…。姫と協力して婚姻を無しにしようと、言われるままに契約を結び、モーリッツに飲ませる惚れ薬を授けてもらい行けば、ジルに見惚れて格好悪いところばかり見せてしまう始末で…」
あの森の、庵での出来事が、まるで昨日のことのように思い出される。
「自分が浅はかに結んだ契約のせいで、結局輪廻を繰り返すことになってしまった。そして、俺は、自分の気持ちをきちんと伝えられないまま、ジルに、一日でも長生きしてほしいと、懇願したんだ…」
あたしは首を何度も横に振る。
違う!あたしが望んだんだ。その為に、前世のことを思い出せる、一世一代の魔法をダスティンにかけたんだから!
「でも、ジルはそんな俺をずっと見守ってくれていた。自信はなかったけれど、輪廻を繰り返すうち、ジルが俺のことを愛してくれているのだと、思わずにはいられなかった。生まれ変わるたび、その思いは強くなった…。次こそは誓願を果たし、あなたに愛を告げ幸せにするのだと、心が折れそうになるたび、何度そうやって奮い立たせたか…!」
泣きじゃくるあたしの額に、ダスティンの額が合わせられる。
次にまつげとまつげがくしゃりとなり、
鼻と鼻がぶつかった後、
そっと、くちびるが合わされた。
嗚咽で震えるあたしのくちびるが、ダスティンの熱いくちびるにぎゅっと抱き締められるようだった。




