11
あたしは死んじゃいない。
死んじゃいないのに!
けれど、ダスティンはあたしが死んじまったと思っている。
肌越しに伝わるこの絶望感。
今すぐ目を開け、ダスティンを抱き締めたいのに!
どうして?!
真昼の魔女様は何を考えておられるんだろうか。
今も、彼の横に、アグネロばあさんの姿で立っているのだろうか。
「ただの女となったジリアンを、まだ、俺から取り上げようとされるのか…」
ダスティンの、暗い呟くような声が聞こえる。
「骸となったジリアンを、俺から取り上げようとされるのか…」
「ジリアンを失い、抜け殻となる俺を、王女の夫とされるのか…」
何十人もいるはずなのに、あたしの耳には、ダスティンの吐息と、ミューランの森のざわざわとした葉擦れの音しか聞こえない。
「ダスティン…」
やっと王様の声が聞こえた。
なにかに飲まれているかのよう。
それは、あたしをも覆いつくそうとする、ダスティンの絶望の気配かもしれない。
「なんど輪廻を繰り返しても、希望を捨てずにいられたのは、すべての誓願が果たされた後、ジリアンに愛を告げ彼女と結ばれたいという強い気持ちがあったからだ。それが果たされないと分かった今、俺が生きている意味は、ない」
あたしを抱き上げたまま、ダスティンが一歩踏み出す。
「どうするつもりだ!」
狼狽えた、王様の声が聞こえた、
「あなたが望んだのは、こんな結末か?王よ」
突然、アグネロばあさんが言葉を発した。
「黙れ!老婆は黙っておれ!」
まるで八つ当たりのような王様の声。
「では、この姿なら、話をする気になるかい?」
目を閉じていても分かる、ざっと空気が流れる気配。
まぶたの裏に、莫大な光が満ちた。
「お前は…?!」
ああ、きっと真昼の魔女様が、その真の姿を現したのか。
「ばばさま…」
ダスティンも言葉を失っている。
「はじめましてと言うべきか。かつての偉大なる大陸の統治者であり、この王国の王太子である男よ」
優しく、しかし凛とした声が響く。
「この子はあたしの孫弟子でね。あまりに不器用で一途だから、しゃしゃり出てしまった」
真昼の魔女様、どうされるおつもりか。
「もう一度聞くよ。あんたが望んだのは、こんな結末かい?王よ」
「うるさい!あの魔女を射止めろ!」
王様は、弓兵に魔女様を射るよう命じた!
しかし、次の瞬間、
「うわぁ!矢が!」
一斉に声が上がる。
「殿下!矢が、一斉に折れてしまいました!」
「何だと!!!」
魔女様が、きっと指をすいっと動かして、折ってしまわれたのだ。
「あんたも霧の魔女を庇護していた時があるんだろ。こんなことで、魔女をどうにかできると思う方が間違っているよ」
そう言って、ふふふと笑う声。
さらに続ける。
「他の人間は邪魔だね。ちょいと眠っていてもらおう」
そう言われた途端、どさどさと人が倒れる音が聞こえた。
「すごい…」
ダスティンから、思わず声が漏れる。
そうか、ダスティンはあたしが魔力を持っていた時も、薬の調合をしている姿ぐらいしか見たことが無いから、こんな風に魔力を使うのを見るのは初めてなのか。
「どうだい、王よ。あたしの質問に答える気になったかい?」
真昼の魔女様が、再度問いかける。
しかし、それに対する王様の返事は、まったく予想しないものだった。
「素晴らしい!その魔力をもってすれば、霧の魔女を生き返らせることも出来るのではないか?!そして、わたしは二人の魔女を従え、この大陸の全てを、再び支配するのだ!!!」
瞬間、ダスティンから凶暴な殺気が膨れ上がるのが分かった。
「貴様!ジリアンを殺め、さらにそんな勝手なことを!!!!」
ダスティンがあたしをそっと地面に寝かせる。
そして、シャリンと、長剣を抜く音が聞こえた。
「ダスティン・メレビウスが、あなたと苦楽を共にし、大陸を統べるため命を捧げたのは、かつてのあなたが、戦乱が頻発し民が苦しめられる世を何とかしたいと心より願っていたからだ。その志に、理想に、何人もの人間がすべてをかけて来たからだ。ジリアンとて、あの混乱の世であなたの庇護を受け、その力を差し出したのは、そんなあなたに共鳴したからだ!」
ダスティンは怒っている。
心の底から、王様に失望し、心が血を流し叫んでいる。
「ジリアンを殺めた行為を悔やみもせず、己の支配欲のために、この平和な大陸で戦乱をおこそうとするお前は、俺が責任をもって、殺してくれる!」
ダスティンが、駆け出すのが分かった。
きっと、目標は、王様だ…。
「わ…わぁぁぁぁぁぁぁ!…あ?」
王様の悲鳴が聞こえたと思ったら、それが突然途切れた。
それと同時に、あたしの目が開く。
慌ててむくりと起き上がると、王様の首めがけて長剣を振りかざす姿勢で止まったままのダスティンと、その前で顔を真っ青にしながら、同じように動けなくなった王様が目に入った。
「魔女様!」
注意深く、『真昼』という魔女称号を口に出さずに呼びかける。
『真昼』なんて伝説級の称号を知れば、王様はさらにしつこく追い掛け回すだろう。
「お前!霧の魔女!生きていたのか!」
王様の体は彫像のように動かなかったけれど、口は動くようだ。
いきなり言われてびっくりする。
そして、彼があたしが生きていると知って、心底喜んでいることにも。
「王よ。もう一度だけ聞くよ。あんたが望んだ結末はどうだったんだい?」
真昼の魔女様は、王様の眼前に立ち、三度目の問いをゆっくりと投げかけた。
観念したように王様は、王太子らしい優美な眉の力をすっと抜き、答えた。
「わたしは、前世のことを思い出した瞬間、自分の子孫がすでにこの国を統治する立場でないことにまず落胆した。しかし、ダスティンとティバートン家の姫が同じ時代に、騎士と王女として生まれ変わっていることに気付いた。しかも、女官からの噂で、ダスティンが沿道で黒髪の女の前に馬を止めたと聞き、それは間違いなく霧の魔女だと確信した」
彫像のように止まったダスティンの刃は、指一本分くらいの隙間だけを残し、王様の首を狙っている。この状況で嘘をつける人間はそうそういない。
「そして、これは、わたしにこの時代で再び大陸を統一せよという天の采配だと思えたのだ」
王様の立場ならそう思うのだろうか。
きっと、前世を思い出す前の王太子は、力が均衡し、国同士がバランスを保っているこの大陸諸国に、戦乱を起こそうなどと、考えちゃいなかったと思うけれど。
「わたしが望んだのは、前世で決めた通り、英雄である騎士がわたしが決めた姫と国益に結び付く婚姻を結び、稀有な存在である魔女を、わたしの手元に置くということだ」
でも、実際には、手元に置くつもりの魔女は殺してしまい、英雄の騎士は国に対する忠誠を失ってしまった。
「そして、あんたの望み通りにはなったかい」
真昼の魔女様は、結論を急がず、王様に語り掛ける。
王様は、瞳を伏せた。
「いいや…。なにひとつ…」
深いため息が聞こえてくる。
「では、ジリアンが生きていると知って、今どう思う?」
目を伏せたまま。王様が答えた。
「生きていて、良かったと思った…」
「それは、なぜ?」
矢を射ても、あたしが死なないと思っていた王様。
殺すつもりがなかったのだから、当然と言えば当然の返事だけれど、あたしは、あの瞬間の喜んだ顔が意外だった。
「殺すつもりはなかったし、前世の悔いから、霧の魔女を見つけたら、必ず自分の手元で手厚く庇護しようと思っていたからだ」
前世の悔い?
「ダスティンも、霧の魔女も、わたしにとって、『国一番の騎士』、『平定を助けた魔女』として大事な存在であった。なのに、ダスティンは明らかに霧の魔女のことを、『稀有な魔女』としてではなく、ただ自分が好ましい黒髪の女として見ていることが腹立たしかった。しかし実際、自分が命じた姫との婚姻が原因であやつを失った時、わたしがしたのは、そのやり場のない気持ちを魔女殿にぶつけることだった…」
待って。王様は結局…。
「愚かな男よ」
そこで、真昼の魔女様が冷たい声を上げた。
「お前は思い違いをしている」
王様は伏せた目を上げた。そこに何の感情も見えない。
魔女様は、その目をしっかりと見つめて言った。
「お前は、王だから王太子だからという理由で必要とされるのと、ただそこにいるだけのお前という存在を必要とされるのと、どちらがより自身を満たすと考えるのだ」
王様の目が、ゆるゆると開かれた。
「ただ、そこにいるだけで…」
魔女様の言葉を、繰り返す。
「そうだ、ただそこにいるだけで」
同じ言葉を魔女様が返す。
沈黙が降りた。
長く感じたけれど、そう長くもなかったかもしれない。
王様は視線だけをこちらに動かし、あたしを見た。
「『魔女殿』とお前を呼ぶわたしより、『ジリアン』と呼ぶダスティンが、お前にとって必要なのだな」
そう。その通り…。
あたしがダスティンに魔女として役に立ったのは、生まれ変わってもあたしのことを思い出せる魔法をかけたのと、長生きってことくらい。
しかも、どっちもあたし自身のためだったんだから…。
「ダスティンが言った通り、あたしはもう魔法を使えない。王様に庇護してもらっても、何にも役に立てないよ」
王様が目を伏せた。
「ああは言ったが、この文明が発達した時代で、実際お前の魔法を戦乱に利用しようなどと思っていなかった。ただ、手元に置きたかったのだ…」
「あんたの愛情は、なんだか歪んでるね」
真昼の魔女様が不憫そうに眉をしかめた。
これも愛情なの?あたしにはよく分からない。
「あんたの返事如何によっちゃ、この止まっている時間を進めるか戻すか、指先一つなんだけど、ダスティンと王女の婚姻はどうするんだい?」
いとも簡単に言うけれど、それは王様の生殺与奪の権を握っているということ。
あたしはごくりと唾を飲んだ。
「この状況で、それでも婚姻させると言う者がいたら、お目にかかりたい。婚姻は白紙に戻す。王女はモーリスと婚約するだろう。ダスティンは、誰でも好きなものと結ばれるが良い」
「随分と物分かりが良くて気持ち悪いぐらいだね」
魔女様が鼻白んだ顔で息を吐き出した。
「ただ、時を戻すほどの回答じゃあ、なかったね」
そう言うと、にっこり笑って、ダスティンの剣を彼の手から引き抜くと、代わりに檜の棒を握らせた。
ついでに王様の額に指で何かを書く。
「これはあんたを監視する紋だよ。平和を愛する王にならなければ、いつでもこの時間に戻して、この檜の棒を再び剣にすり替える」
王様は、「わかった」と、真摯な声で返事をした。
ぱちり!
魔女様が指を鳴らす。
ダスティンが思い切り振りかざした勢いのまま、檜の棒がめり込む。
王は、首をその渾身の力で打ち据えられ、気を失った。
後日、討伐した蛮族の呪術師が、死に際に放った悪霊が、王太子と王女に憑りついていたとまことしやかに噂された。
それにより、ともに居もしない『魔女』という妄想に憑りつかれ、護衛や兵士を動かしたが、蛮族討伐の英雄である、ダスティン・ザン・オベルギウス騎士団長により、その悪霊は祓われたとも。
その悪霊は、王女の髪と、王太子の首に憑りついていたらしい。
短くなった王女の髪と、痣が残る王太子の首がそれを裏付けているとのことだった。
そんな後日談は良いとして、時を戻した直後のダスティンは、興奮していて手が付けられなかった。
「いつの間に、剣が棒に?!くそっ!!剣はどこだ!!!!殺してやる!!!!!!!」
仕方なくあたしは、全力でダスティンに縋りついた。
「ダスティン!もうやめて!あたしは死んじゃいないから!!!」
なのに、あたしの声が耳に入らないのか、あたしをぶら下げながらダスティンが剣を探して辺りを見回す。
これではいけないと、なんとか彼の目の前に回り、その首に両手でぶら下がった。
「ダスティン!あたしを見て!!!!」
「ジリアン!!!!」
やっと目に入った。
「あたしは死んじゃいないから!!」
首に縋りつき、一生懸命訴える。
途端にダスティンが檜の棒を投げ捨て、あたしを抱き締めた。
「ジリアン!ジリアン!ああ、本当に!どこか痛いところはないのか?!」
そう言いながら、あたしの体中をその右手でまさぐる。
「ダ…ダスティン!恥ずかしいからやめて!」
真っ赤になって訴えると、彼は自分が何をしているのかやっと分かったみたい。
慌ててその手を引っ込めると、あたしをぎゅっと抱きしめた。
「さあ、あんたたちはここから退散しな。あとはあたしに任せておくれ」
魔女様の声が聞こえたと思った瞬間、あたしはどこかに飛ばされた。
正確には、ダスティンも一緒に。
ああ、ここは、ついさっきまで二人でいた場所。
また、戻ってきちまったね。
ダスティンの愛馬の上にさ。
「俺に当てがある。少し遠いが、そこまで俺にもたれて、ゆっくりと行こう」
ああ、どこまでも、こうしてあんたに寄りかかって、ずっと鼓動の音を聞いていたいな…。
あと、何年そうできるか、分からないけれど…。




