10
自分の左胸に刺さっている矢を、呆然と見つめていた。
「ジリアン!!!!!」
ダスティンが叫びながらあたしを背に隠し、四方を警戒する。
左胸に確かに刺さっているのに、あたしはまだ立っていた。
生成りのブラウスを血の赤が汚していく。
けれど、それが致命傷でないことは、すぐに分かった。
ぐっと自分で矢を握り、引き抜く。
ずきんと皮膚がひきつれ痛んだけれど、明らかに傷は浅かった。
そっと指を血で濡らし、左胸をなぞる。
(護符が…、いえ、その中の石が…)
いつも首から下げている、懐の護符の中、あの紺碧色の石の感触が、一つから二つになっている。明らかにその石が、矢がこの心臓を貫く力を削いだのだ。
「ダ…ダスティン、あたし、は大丈夫。いつも懐に入れているお守りが守ってくれた」
後ろから何とか小声で告げ、矢を足で踏み折る。
「本当か?!」
安堵の声。
それでも、ダスティンの体からは、獣のような緊張感があふれその場を満たした。
きっと彼は、どこからともなくあたしを狙う殺気を感じ取っているのだ。
その時だ、大勢の兵士を引き連れた人間が、ミューランの森の暗がりから、その姿を現した。
「霧の魔女、本当に生きていたとは!!!」
「殿下…?!」
殿下…?
ダスティンが呼びかけた男をじっと見る。
「マルティエーヌに付けていた護衛が第四師団に駆け込んだという報告を聞いて、驚いた」
王女と同じ銀の髪。もしかして、この国の王太子?
でも、その男のアンバーの瞳には、恐ろしいほどの既視感があった。
まさか…。
「王女の命令で守っていた狩猟小屋の入口を、国の英雄であるダスティンと、ユング公爵家のモーリスが現れ、力ずくで突破したと」
ざり…と近づく足音。
「そして、その小屋の中には、魔女がいると…」
もはや、あたしの中で、それは確信に変わった。
「久しぶりだな、霧の魔女。まさか、お前がまだ生きていたとは」
その名であたしを呼ぶなんて!
アンバー色の瞳!
かつてあたしを庇護していた、そして、あたしを殺せと命じた、王様!
紛れもなく!
どうして、この時代に…?!
「殿下…。あなたでも、こんな無抵抗な娘を矢で射る行為は許されない…」
ダスティンの歯噛みが聞こえる。
「無抵抗な娘? は! 矢が心臓に突き刺さっても、何事もなかったように立っているその女のことを言っているのか?よく目を開けて見ろ。『国王の金狼』よ!」
『国王の金狼』は、王様に忠誠を誓っていた頃のダスティンの二つ名。
ダスティンの体が、びくりと震えた。
「俺のことを何とおっしゃった?」
「『国王の金狼』。かつてお前がわたしに仕えていた時の、誉ある呼び名だ」
「まさか…。王…」
ダスティンの体からあふれ出ていた殺気が、急速に萎まるのを感じる。
王太子である男には抵抗できても、かつてともに国を平定し、自分の命を捧げて仕えていた王様に、歯向かうことをダスティンの本能が拒否しているのか。
ましたやダスティンの死後、あたしが怒り狂った王様から追い掛け回されたなんて、彼は知らない。
「お前が辺境での討伐を終え、王都に凱旋するのを城から見ていた時、この光景はかつて見たことがあると突然思い出した。まさか、お前に姫に、そして、まんまとわたしから逃げおおせた魔女殿まで、そろってこの時代に生きているとはな」
目の前の男はまだ若く、優美な動きであたしたちに芝居がかった口調で話しかける。
けれど、その醸し出す空気は、かつての野蛮な時代を、力ずくで平定した男の凶暴で圧倒的なそれだった。
「霧の魔女。随分と女らしくなったじゃないか。さすがに数百年も経てば、小娘ではなくなったな。ダスティンをたぶらかすなど、赤子の手をひねるようだろう」
口の端を上げ、まるで微笑みかけるような表情。けれど、王様のうしろに控える何人もの弓兵の構える矢は、まっすぐにあたしを狙っている。王様に戦意を向けられず、戸惑いを隠せないダスティンだけれど、あたしをその背にしっかりと隠していた。
一瞬でもその囲いに隙ができれば、今度こそあたしの心臓には幾本もの矢が突き立てられるのだろう。
「だが、ダスティンには、今生でこそ、姫と婚姻を結んでもらう。姫が、我が妹、そして王女として生まれてきたのはまさに運命だ」
王様は、三人が紅血の契約により輪廻を繰り返していたことを知らない。
今生のことだけを言っているのだ。
「王…、いえ、殿下。王女はモーリスと愛し合っています!」
ダスティンが、声を張りあげる。
「知っている。そして、モーリスは、かつて姫を殺したティバートン家の使用人らしいということもな」
王が前世を思い出したのは、今から数日前。
にもかかわらず、これほどのことを把握しているとは。
「だが、国民が望んでおるのは、国の英雄と、王女の婚姻だ」
その表情は、かつてのダスティンに惚れ薬を使って、国のため、土着の豪族ティバートン家の姫と婚姻を結べと言ったのと、同じ顔だった。
「そのためには、霧の魔女とお前のことを見過ごすわけにはいかない」
王様が一歩踏み出す。
その後ろの弓兵も一緒に。
「ダスティン。退け」
その命令は、あたしでさえも圧した。
ダスティンは、きっとそれ以上のものを感じているだろう。
けれど、彼はあたしをその背に隠し続けた。
「王よ!俺は、自ら選んだ運命によって、数百年にも渡る輪廻を繰り返してきた。それはすべて、ジリアンに愛を告げ、二人で生きていくため!何があろうと、その命には従えぬ!」
訴えるように言葉を吐き出すダスティン。
けれど、王様はそんな言葉を一蹴した。
「個人の感情など、国家の前には無意味。お前はこの王国の民、そして家臣である以上、王女と婚姻を結んでもらう。そして、その魔女は、数百年前より、わたしのものだ」
王様が右手を上げる。
弓兵が、矢をつがえたまま、王様の前に出た。
ダスティンは、あたしの前に両手を広げて立ち塞がる。
「邪魔をするな!お前にその魔女は必要ない。それを活かせるのは、この国を統べるわたしだけだ!」
王様が叫び右手を上げる。
その瞬間、あたしの背中に、何かが刺さった。
まったく警戒していなかった真後ろから。
「ダスティ…」
どさりとくずおれる。
「は…ははははは!ダスティン!お前ほどの男が、後ろの警戒を怠るとはな!魔女はお前を狂わせ、役立たずにさせるだけ!」
「ジリアン!ジリアン!ジリアン!」
王様の声と、ダスティンの声が聞こえる。
だめだ…。
声を上げられない…。
あたしはこのまま…。
ドクン
鼓動が…
ドクン
鼓動が、一際力強く、打つ。
あたし、死ぬのに?
突然、胸が焼けるように熱くなった。
その直後、あたしの体の中から、大きな白い、光の柱が…!!!!!!
光はミューランの森から、街道から、すべてを包み、白く膨れる。
あたしの体が突然宙に舞い上がった!
そして、目の前の光の中で、一人の人を見つけた。
『ジリアン…、霧の魔女』
そこにいたのは、さっき、鏡に映っていた、アグネロばあさんの真の姿。
真っ黒の髪、赤く光る瞳。若く美しく、そのまとう気は光輝いている。
その人が指をスイと動かすと、あたしの胸の護符が、ふわりと舞い上がった。
よく見れば、その真ん中に穴が開いている。
あれは、後ろからあたしを貫いた矢が開けた穴だろうか。
『真昼の、魔女様…』
なぜか、その人が誰だか、あたしにはすぐに分かった。
『真昼の魔女』
千年以上生きている、伝説の魔女で、師匠の師匠。
その方が目の前にいる。
いいえ、アグネロばあさんに変化して、ずっとあたしのそばにいてくれたんだ!
『この護符は、本当に命を落とす時しか、力を発揮できない。一度目、背中から剣で切られた時は、あんたの師匠、夕雲の魔女の守りがあんたの命をすくい上げた。二度目は、あたしの番だ』
真昼の魔女様がそう穏やかに言った時、下から雨のように矢が飛んできた。
「魔女がもう一人現れた!逃すな!射ろ!」
下でわめく王様の声が聞こえる。
真昼の魔女は、眉をくいっと上げると、再び指をスイっと動かした。
途端に、眼下でうごめいていた人々が、まるで彫像のように動かなくなった。
「すごい…」
真昼の魔女様は、この大陸ができた頃から生きていると言われる、伝説の四大魔法使い『暁・真昼・黄昏・宵闇』の中の一人。彼女にかかれば、みな、ひとたまりもない。
「霧の魔女。あんたにいつも感じた危険の芽は、姫だけじゃなく、こんなものもあったんだね」
そう言うと、一瞬であたしの目の前に移動する。
「あんたはあたしの可愛い孫弟子。夕雲の魔女があんたに譲った護符を通じて、ずっと見て来た…。ただ、あんたが魔力を封印してまで見守って来て生涯ただ一人の男に、真名を伝えることもなく命の灯が消えるんじゃないかと気が気じゃなくて、つい、そばに姿を現してしまった」
あたしのおとがいを真っ赤な爪でなぞり、切なげな息を吐く。
「今回は大丈夫だった。あんたは背中から矢を射られたけれど、護符があんたを守った。でもね、もう護符はそれで終わりだ…。そしてあんたの命の灯は、あと数年ってところだ…」
命が終わる気配は感じていた。
けれど、はっきり告げられた残りの時間の少なさに、あたしは動揺する。
「あと数年だけでも、あの騎士様と、あんたに幸せに暮らしてもらいたい」
ああ、だから、あんなに何度も、アグネロばあさんは、いや、真昼の魔女様は、あたしにダスティンと幸せになれと言っていたのか。
真昼の魔女様が眼下を見下ろす。
あたしも同じように、下を見た。
驚いた顔で、あたしを見つめたまま動かないダスティンが目に入った。
そして、鬼の形相で、あたしたちを指さす王様も。
真昼の魔女様が、あたしの視線の先に気付き、かすかな笑い声をあげた。
「ふふふ。あの王様。あんたによっぽどご執心なんだね。しかも、支配欲の塊ときた」
思わぬ言葉に、驚いて顔を上げる。
「国のためって大義名分の前に、自分の妹も、忠義を尽くす騎士も、何もかも国を優先し犠牲になるのが当たり前だと思っている。そして、魔女であるあんたを囲うのは、支配者である自分の権利だと」
真昼の魔女様は、よほどおかしかったのか、声を上げて笑った。
「しかも、あんたが魔力を封印しているなんて知らないもんだから、どんだけやっても死ぬことはないって思ってやってるのが…ははは!」
まさか!そんな風に考えたことはなかった。
「ふふふ。それならそれで、こうやってみちゃどうだい?護符が光る前に、あんた以外の時間を戻すよ」
そう言うや否や、真昼の魔女様は腕をさっと振った。
途端に宙を舞っていたと思ったあたしの体は、ダスティンの腕の中に戻り、抱き締められる。
と同時に、ダスティンの時間が動き出した。
「ジリアン!」
一瞬目を開け、彼を見る。
悲痛な表情。
そして、いつの間にか、真昼の魔女様が、アグネロばあさんの姿で横に立っていた。
「ばばさ…!」
ダスティンが何か言うより前に、真昼の魔女様は指をぱちりと鳴らす。
その音が合図となったのか、ダスティンに抱き締められているあたしは、突然体の力がぬけて死体よろしく目を閉じた。
「ジリアン!ジリアン!どうした!」
ダスティンが、驚き、声を上げ、あたしを抱き上げた。
遠くでざわめきが聞こえる。
すべての時間が、動き出したのだ。
「ふ、ふははははは!ダスティンと一緒にいても、守ってくれんぞ!これに懲りて、わたしの手元に戻ってくるのだ。ダスティンは王女と婚姻を結ぶ。お前の居場所はわたしの元しかない!」
そう思った途端聞こえた王様の言葉に、あたしは内心びっくりした。
真昼の魔女様が言ったことが当たっていたのだろうか。
言葉通りだとしたら、王様は、あたしを殺すのではなく、自分の手元に戻そうとしていたというの?
まさか、輪廻の始まりのあの時も、あたしを追い詰め、最終的には、自分の手元に縛り付けようと思っていたのだろうか。
「殿下…。戻ろうにも、ジリアンは…。霧の魔女は、もう…」
ぐったりしたあたしを抱き締めたまま、ダスティンが声を上げる。
暗い怒りの感情が、あたしにも伝わった。
「なにを言っている?魔女だぞ?衝撃を受けて、気を失っているだけだろう?」
ここに来て、初めて王様の狼狽える声が聞こえた。
「いや。ジリアンは、俺と姫が交わした契約の誓願が果たされるのを見守るため、少しでも長生きできるよう、魔力を封印してしまったのです。だから、矢で射られれば、それが心臓を貫けば、死ぬしかない…!」
あたしを抱き締める腕に力がこもる。
目を閉じたままだから、何も見えない。
なのに、あたしの頬に、ぽたりとなにか冷たいものが落ちた。
もしかして、ダスティン、泣いているの?
「俺が願い、彼女が応えてくれた。誓願を果たすまで、俺がそれを口にすることはできなかったけれど、輪廻を繰り返し、新しい生を受けるたび、変わらず俺を待っていてくれたジリアンと、互いに深い愛でつながっていることを感じて来た」
ダスティンが、あたしを抱き締めながら、ゆらりと立ち上がった。
「数百年かけて、俺は、待たせて待たせて、ジリアンを待たせ続けて、やっと彼女に心から愛を伝えられる時が来たというのに…!!!」
その時感じたのは、恐ろしいほどの虚無と絶望だった。
そう、まるで、輪廻に疲れ果て、永遠に三人で追いかけっこをしようとしていた姫から感じたものにも似た。
いつでも、来世に向けての希望を失わなかったダスティンから感じた、初めての絶望だった。




