お望み通り悪役令嬢になりましたのに
┈┈
「ここか……」
廃村の奥の小屋…瓦礫と炭で構成されたこの村の中で、その小屋だけはかろうじて雨風をしのげるだけの体は整えられているように見える。だがとてもではないが充実した家屋とは言えない。野宿するよりはマシとでも言うべき、崩れていないだけの家屋だ。まさかここに人が住んでいるなどと誰も思わないだろう。
少々緊張しながら、ドアをノックする。中から警戒する気配が感じられた。
「お取り込み中失礼する。俺はハオラン。アルフォンス・フォン・ジル・ボードリヤールの依頼を受けて君を探しにきた。危害を加えに来たわけではない。頼むから開けてくれないか?」
俺は下品にならないよう言葉を選びながら、中にいる人物へと優しく声を掛ける。ここでドアを開けてもらえないと、俺は依頼を果たすことが出来ない。
ドアの閂が抜かれる音がして、中から銀の髪を短く切り揃えた一人の美少女が現れた。化粧もせず、着ている服も冒険者が愛用する平民服だ。目が大きいせいか、聞いていた実年齢より幼く見える。身なりを整えれば王都の貴族相手でも十分通用する美しさだろう。まあ、通用して当然ではあるのだが。
「……何の用だ?」
粗暴な口調ではあったが、声色にも品があるためか不思議と下品さは感じない。見た目が麗しい少女は声も麗しいのかと感心しながらも、俺は粛々と本来の依頼を果たす。
「王子様から伝言だ。君の名誉を回復したいらしいぞ、エブリーヌ・フォン・ボワレー公爵令嬢様」
少女は眉間にしわを寄せた。不審…いや、不快なのか。それは急に訪問したことに対するものか、それとも用件に対してか。
「人違いだ」
「まあ、待て。君が既に冒険者として自立していて、公爵家に戻る必要性を感じていないことは俺も承知している。ナブレの村周辺で魔法を使って魔獣を倒せる冒険者はそう多くないからな」
俺はギルドから冒険者全員に渡される冒険者タグを見せた。そこには俺の名前と、フリーランスを示す文字が彫られている。タグの色は銀…つまりB級だ。一流候補ってところだな。
「…あなたも冒険者なのか?」
「ああ」
彼女も恐らくは冒険者としての習慣からだろうが、自分が持っているタグを見せた。冒険者は同業者に対してまずタグを見せるのがマナーだ。そのタグにはイヴという名前とフリーランスの文字が彫られていて、銅色に鈍く光っていた。つまりはC級、俺の一個下だ。実力より等級が低いのは、経験年数が短いからだな。
「王子からの依頼と言ったか」
「ああ。だが誘拐しろとまでは言われていない。依頼内容について少し説明させてくれないか?」
「……冒険者としての率直さは認めても良さそうだな」
名声や正義を求めて探している輩よりは、だろうけどな。
元貴族とは思えない柔軟性を見せた彼女は、俺を家屋の中へと案内してくれた。外見通り、中は広くない。必要最低限の家具と寝台があるだけの簡素な小屋だ。
小屋に一つだけの椅子を勧められたが、彼女を立たせることは憚られた。長旅で使ってきた大きめの背嚢を椅子代わりにしてどっかりと座り、小さな食事用テーブルを挟む。彼女はそのまま椅子に腰掛けて、俺と向き合った。音もなく背筋を伸ばして座る姿は、明らかに平民離れしている。
「自己紹介がまだだったな。私はイヴ。さて、この薄汚い平民の小娘に何の用だ?」
タグに書かれていた名前と同じだ。確か追放された時に家名と同時に名前も捨てさせられたと聞いている。名を捨てたエブリーヌ……イヴ、か。
「改めて自己紹介しよう。俺はハオラン。冒険者をやっている」
「ハオラン……東国の響きだな」
「流石元高位貴族だけあって博識だな。ちなみに母国では皓然と書く。それで用件だが、王子様曰く、過去に遡って君の学園での横暴な振る舞いを謝罪し、現王妃候補の前で跪けば身分の返還を――」
「そんなことを聞きたいわけじゃない」
彼女の目に剣呑な、昏い光が宿った。まさかこのチリチリする気配は殺気だろうか。公爵令嬢としての気品と同時に殺気を浴びた俺は、不覚にもその温度差にめまいを覚えた。
「何故殿下は今になって私を王都へ戻そうとしているのかと聞いている」
正直言ってかなり居心地が悪い。この居心地の悪さから解放されるためにも、答えを持っているなら教えてやりたかったが…。
「すまない、君もフリーランスの冒険者ならわかるだろうが、俺たちみたいな奴らは依頼者の事情に深入りしないからよくわからない。ただ報酬は破格だった」
「……そうだったな。で、ちなみにいくらだった?」
「金貨350枚だ」
その額の大きさに対し、イヴは失笑した。ちなみに王都の商人を含めた中流市民の平均年収が銀貨800枚程度であることを考えれば、その金額の破格ぶりは勘定するまでもないだろう。
「金貨ではなくハンカチの枚数だったとしても見積もりが高すぎるな。王族の金銭感覚も鈍くなったものだ」
「彼らが自分で稼いだ金じゃないからな。そんなものだろうさ」
「それは確かに、そうだな」
身に覚えがあるらしく、そこには多分に自嘲が含まれている。
「で、私に話したいこととはそれだけか?それなら答えは否だ。もう話すことも無いと思うが――」
「いや、すまないが俺からも君に確認したいことがある。依頼内容と君の特徴を確認するため、一度だけ第二王子と会ったのだが、君のことを"悪役令嬢"と呼んでいた。どういう意味かわかるか?」
俺はあのキザで嫌味っぽい第二王子の顔を思い出すと、隠しきれない忌々しさで口の端が歪んだ。それを見たイヴの目が、さらに昏く、闇を孕んだ。
「ああ、気を悪くしないでくれ。あまり聞かない造語の割に当たり前に使ってたのが気になってな。悪役と言う意味でなら、俺も王都で調べるうちになんとなく理解できたんだが――」
┈┈
少女…エブリーヌがまだ15歳の学生だった頃。彼女は公爵令嬢として、そして貴族のお手本となるべく教養を重ねてきた。そして政略結婚の相手はアルフォンス・フォン・ジル・ボードリヤール第二王子。お互いに生まれて間もなく結ばれた婚約者だった。
エブリーヌは品行方正で才色兼備であり、王子とも順調に愛を育んでいたという。魔法の才能もあり、将来を期待されていた。だが学園に入学後間もなくして彼女は豹変する。隣国よりドミニク・ル・アルカード第二王女が留学してくると、彼女を執拗に苛め抜くようになった。
「そこをおどきなさいな!留学生如きが私の前に立たないで頂戴!」
「ひっ!?も、申し訳ありません…!」
「私の側で下品な音を立てて食事をしないで頂戴!不愉快だわ!」
「ああ!わ、私のランチが…!!」
「痛い!や、やめて!やめてください!」
「殿下に色目を使った罰よ!この売女が!」
いじめと呼ぶのも憚られる暴力と暴言の日々。
それに終止符を打ったのは、エブリーヌの婚約者であるアルフォンスだった。
彼はランチタイムにドミニクが虐められているところに颯爽と現れ、エブリーヌを責め立てたのだ。
「エブリーヌ!君のこれまでの所業、見るに堪えぬ!」
「あら、アルフォンス様?私何か間違ったことをしてまして?私の前を小うるさく動きまわる虫を駆除して何が悪いのですか?」
「そ、そんな、ひどい…ひどすぎます!」
「なんてことを…!君は彼女が隣国の王女であることを知っているだろう!?その彼女を虫だと言うのか!」
「ええ、私と殿下の芳香に群がる虫ですわ。それとも埃かしら?如何なる者であろうとも、私と殿下の未来を邪魔する者は潰すべき虫、排除すべき障害ですわ」
その言葉がアルフォンスの逆鱗に触れた。
「君という人は…!もう許せぬ!婚約者として、そしてボードリヤール家の王子として君を認めるわけにはいかない!君との婚約を破棄し、身分を剥奪する!!」
「なっ…で、殿下!?婚約破棄だなんて、そんな…!?お考え直しください!」
「これは国王のご許可を頂いての断罪だ!処刑されないのが温情だと思え!守備兵!彼女を今すぐ王都から追放しろ!!」
「王のですって!?いや!離して!殿下!殿下ぁー!」
着の身着のまま王都から追放されたエブリーヌは、平民として生きるより他なかった。その後は消息不明となり、虐められていたドミニクはいつも自分を救ってくれたアルフォンスから新たな婚約者として見初められ、相思相愛のまま夫婦となったのだった。
┈┈
「当時学生だった何名かに聞き取ったんだ。全く見事な悪役ぶりだったとは思う。結末もハッピーエンドで何よりだな」
俺は確認のため、王子への皮肉も込めて王都で調べた顛末を話した。情報源のそれぞれである程度整合性が取れていたから、この内容が間違っている可能性は低い。実際、その通りだったらしい。
「なかなかよく調べている。痛快な断罪劇だっただろう?」
「冗談だろ。恋愛小説のネタならまだしも、現実に起こってたのかと思うと頭が痛くなるよ。だがあまりにも鮮やかと言うか…まるで作られたような、そう、それこそ恋愛小説の劇を見ているような違和感があるんだ。あの王子様が正義のヒーローみたいな印象で伝わっているのも妙だ。……あの学園で何があったんだ?」
「……あなたに話す理由はない。話せばあなたも巻き込まれる」
今度は先ほどまでの昏い殺気が霧散し、厳しいながらも俺を案じるような眼をしている。こうしてみると年相応の少女にしか見えない。この目まぐるしく印象の変わる小娘が、どうにも噂に聞くような悪女には見えなかった。話している時の目も、姿勢も、声も、警戒心こそあれど悪意は感じられない。追放されて世間を知ってから変わったのかもしれないが…それにしても。
「君には悪いが、多分もう手遅れだ。王家の依頼を受け、消息不明だったキーパーソンと直接接触しちまった際に、裏事情がありそうなことを今の俺は予感しちまっている。次の定期報告をする際に探りを入れられれば、勘付かれちまうだろう。そうなれば……まあ、そうなる」
「……そうか。すまない、私が迂闊だった。あなたをここに招き入れた時点で、既に巻き込んでいたようだな」
俺は肩をすくめて、なんのこともないと態度で示す。いずれにせよリスクを承知でこの依頼を受けたのは俺だ。彼女を恨むのは筋違い。
「そういうことさ。で、話してくれるかい?どっちにせよ君が王都に帰らないと言うなら、俺はこの場で君を拉致するか、依頼を放棄して国外逃亡するかを選ぶ必要がありそうだからな。どうせなら納得してから選びたいんだ」
「……わかった。当然大人しく拉致されるつもりはないが、仮に国外に行っても私がここにいることは絶対に漏らすなよ。漏らした場合は――」
「お互いにただじゃ済まない、だろ?」
主に王国が黙っていないもんな。尤もその必要もないだろうけども。全く、お優しいことだ。
「……警告はしたからな。まあ、これでも飲みながら聞いてくれ」
色がついた水とでも言うべき薄い紅茶をチビチビと舐めながら、俺はエブリーヌの言葉を待った。
だが、最初の一言を聞いた時点で俺は深く後悔した。聞いたが最後、逃亡以外に選ぶ余地はないことが確定したからだ。
「まず、学園での出来事は本当だ。私は確かにあなたの言う通り振る舞い、ドミニク王女を虐げた。だが、あれは私の本意ではない。あれは命令されてやったことだ」
「へえ…演技派だったんだな」
軽い調子で言ったつもりだったが、心臓は早鐘のように鳴っている。公爵令嬢に命令できる人間など、そう多くはない。親か、王か、もしくは――
「あの断罪劇…いや、茶番のシナリオを書いたのは私ではない。私の元婚約者……アルフォンス・フォン・ジル・ボードリヤール第二王子だ」
ああ、畜生。とんでもない依頼を請けちまった。
┈┈
イヴの捜索を依頼したアルフォンスが、イヴを追放するシナリオを書いた張本人だとすれば……王都に戻ったところで幸せな結末が待っているはずがない。これから語る真相を握ったまま消息を絶った彼女を、アルフォンスは秘密裏に処分するつもりだ。
だがイヴが大人しく王都へと向かうはずがないことはアルフォンスもわかっているはず。だからこそ破格の報酬を設定したに違いない。高額報酬に目が眩んだ輩なら、保護という名目で拉致を試みるだろう。そして無事に役目を果たしたら、そいつを犯罪者として処理すればいい……といったところか。それなら懐も傷まないし、まとめて不安要素を処理できるもんな。
頭の中であの男への嫌悪と敵対心が決定的になった俺を見ながら、イヴが口を開いた。
「ところで、あなたも隣国アルカードが魔石の産地であることは知っているな?」
「……ああ。そしてボードリヤールは鉄鉱石の名産地だな。お互いにお互いの産物を狙い合ってる関係だ」
「そうだ。表向きは貿易パートナーを装って商人を行き来させ、お互いの市場や政治状況を探り合っている……かろうじて敵国ではない隣国、それがアルカードだ。そして2年前、つまり私が追放される少し前に、そのアルカードから第二王女が留学してくることが判明した。しかも護衛らしい護衛も付けず、非公式にだ」
隣国の王族が準敵国へ、護衛もなしに非公式留学?それは一般には留学生とは言わない。よく言って草、露骨な言い方をすれば鉄砲玉ないし爆弾というのだ。
「随分と危険な真似をするものだ。アルカードの王は準敵国で何かあればどうするつもりだったんだ?」
「第二王女と言っても、メイドに手を出して産ませた子供らしくてな。王位継承権も無い、名ばかりの王女だったそうだ。つまりドミニク王女は高貴な血を引くだけの学生スパイに過ぎない……はずだった。ならば適当な理由をつけて送還するなり、あえて歓待して飼い殺すなりすれば良かったのだが、アルフォンス殿下はこれを政略的好機と見たんだ」
┈┈
『エブリーヌ。君はドミニク王女を学園で徹底的にいじめ抜くんだ。さも僕との愛を貫くためと心から信じているかのようにな。そして僕が彼女を助けやすいよう、わかりやすく卑劣に演じてくれ』
『で、殿下、何故です!?隣国アルカードからの留学生とはいえ、明確な罪もない少女をいたぶれと仰るのですか!?』
『王位継承権を持たない王女など、あの国では世間を知らない上位貴族と変わらない。それが護衛も付けずに来ることに、王女自身は不安に感じているはずだ。君からいじめられることで、彼女は精神的に弱っていくだろう。そこに僕がつけ込む。僕が彼女の味方であり続けることで、彼女は僕に依存していくはずだ。うまく行けば隣国とのパイプ作りに繋がるし、いざとなれば人質にもできるだろう』
『そんな方法でドミニク王女を傀儡になさるおつもりですか…!?お考え直しください!そんなことをすれば外交摩擦を引き起こすばかりか、最悪の場合は国際問題へ発展し、ひいては国力を落とし、隣国へ無駄な隙を作ることになります!留学生として来たなら徹底的に留学生として扱いながら監視し、卒業させて帰してやればいいだけではありませんか!もし不審な動きを見せればその時にこそ――』
『エブリーヌ』
『……殿下!?』
『僕は君を愛している。君も僕を愛しているなら……是非行動で示してほしいな』
┈┈
聞いてて胸糞悪くなる話だ。自分の手を汚さぬばかりか、それを婚約者に強要してメリットだけを得ようとするのがこの国の王子とは。
「えげつない王子様だな。この国の将来は安泰だろうよ」
「いや、私も随分な悪女だよ。そのえげつない王子様のお役に立とうと、最終的には罪の無い少女をいたぶることを選んだのだから。計画したのが殿下だったとしても、実行犯としての私が許されるとは思わない。だからこそ理不尽さを感じつつも、追放も、地位の剥奪も敢えて受け入れたのだ。利己的に他人を搾取した私には、もう貴族を名乗る資格はないからな」
その顔には後悔の念がありありと浮かび上がっていながら、言葉とは裏腹に高潔な、貴族としての責任感の強さを感じさせた。確かに彼女がしたことは咎められて然るべきではあったろうが、それを命じた者から断罪され、平民に落とされ、命懸けで困窮した生活を送らねばならないほどの罪だったのだろうか。そもそも、断罪するだけの権利が王子にあっただろうか?
「殿下からはよく"今日も見事な悪役令嬢ぶりだった"と評価されていたよ。お褒め頂いたのに貶められているようで、全く嬉しくなかったのを覚えている」
「つまり君も、悪役令嬢の語源については知らないわけか」
「ああ。不快だからやめてほしかったのだが、言っても微笑むばかりだった」
本当に気色の悪い王子様だ。それに従い続けていたとは……これも惚れた弱みというやつか?それとも、高位貴族としては強過ぎる責任感がそうさせたのか。
「それでその計画とやらは、どこまでが計画通りなんだ?結果的に君は断罪された訳だが、それが彼と国のメリットに繋がっているようには見えない。むしろ今更になってこうして巨額を投じてまで君の処理に躍起になっているところを見るに焦っているようにすら見える。君を処理するにしても時期が半端だし、矛盾してるとは思わないか?」
「思うさ。だからあなたに"なぜ今更になって"と聞いたのだよ」
今度は彼女の方が苦笑し、肩をすくめた。なるほど、話の筋は通っている。それに当事者であるイヴが想像もつかないのであれば、外野である俺にわかるはずもない。
「ありがとう、よくわかったよ。いや王子の考えはまるでわからないが、なんにせよ俺は今すぐにでも逃げ出さなければならないらしいな」
「ほお、奇遇だな。私も同様だ。誰かさんがあちこち嗅ぎ回りながら私の小屋を見つけてくれたおかげで、恐らく他の請負人もここに辿り着きやすくなっただろうからな。やれやれだ」
そう言うと彼女は小さな蜘蛛の巣が張られた天井を寂しそうに見上げた。
捜索依頼…それも高額報酬のものである以上、当然請負人はかなりの人数に上っている。その中にはまともに調査せず、"公爵令嬢を探している冒険者を知らないか"と聞き込みをしながら横取りを狙う輩もいるので、簡単に足跡を追われてしまうだろう。2年ばかりとはいえ彼女もハードな冒険者業を続けてきただけあって、俺達のことをよくわかっている。
ようやく整えたのであろう居住環境を破壊してしまったことへの罪悪感が心から浮かび上がった。どうやら彼女の話を聞いているうちに、変な同情心を抱いてしまったらしい。
だからだろうか。俺の口から予定外の言葉が飛び出した。
「よし、善は急げだ。行くぞ」
「ああ。………え、行くって?」
「決まってるだろう、国外へ飛ぶんだよ。ほら、纏めるほどの荷物も無いだろ。タグと武器だけ持って付いてこい」
――いや、なんでこいつを連れていかなきゃいけないんだよ。
「なんで私があなたに付いていくことになってるんだ!?」
「そりゃ、俺が君を巻き込んだからだ。余計なトラブルに巻き込んだ責任は取らないとな」
――いや、巻き込まれたのは俺だろ。こんなやつ放っておけよ。
「い、いや、巻き込んだのは私だろう!?」
「そうか?なら君も責任を取らないとな」
「なっ…なっ…!?」
……どうやら俺はこいつのことを気に入ってしまったらしい。貴族と平民の間を揺れ動く姿と、たまにこうして見せる年相応の反応から目が離せなくなっている。
馬鹿馬鹿しい。新しい玩具でも手に入れた気でいるのか俺は。
まさかこんな少女に恋するほど若くもないだろうに。
「どちらにしても、ボードリヤール側の港から出国してもすぐに捕まるだろう。まずは陸路で隣国アルカードの港へ行こう。あそこからならアルフォンスも公には手が出しにくいし、フリーランスを除いた冒険者の追手からも逃げられる」
「え?え!?いや、え、お待ち下さい!訳がわからなくてよ!?」
「お、それが素か?そっちもかわいいもんだな」
「〜〜〜っ!?」
「その素が初対面の俺に出ちまったってことは――」
さて、からかうのも程々にしないとな。
「――それは余裕の無さの表れだ。全く無理な口調を作りやがって。天井見ながら涙まで滲ませて、それに気付きもしない。……どっちにしてもそろそろ限界だったんだろ?辛かったんだよな、今までの生活が」
「へ?えっ……あっ……」
「いいから俺に付いてこい。どうせ今まで魔獣討伐も、魔法の才能に任せて適当にぶっ放して倒してきたんだろ。仕留め方が雑だって噂になってたぞ?銀等級の先輩冒険者が、独学に染まった銅級冒険者に冒険のノウハウ教えてやるさ」
こうして俺は、ギルドと密接でないフリーランスであることを悪用して、適当なクレームと共に依頼を途中で放棄し、隣国アルカードへと歩を進めた。隣には俺よりも頭一つ分背の低い、短く銀の髪を切り揃えた少女がいた。
┈┈
妊婦服姿のドミニクを腕に抱きながら、僕は側近が寄越してきた定期報告書を読んだ。また一人、必要経費の支払いが不十分だとして、フリーの冒険者が依頼を放棄したという。
「くそっ…まだ見つからないのか?」
「はっ。つい先日までいたと思しき小屋は見つけたのですが、当の本人はすでに退去した後のようでして……」
全く使えない奴らめ!冒険者など所詮はこの程度か…!
「ならば捜索範囲をその小屋周辺の地域に絞れ。平民に堕ちたとはいえ、公爵令嬢だ。国外へ自分の足で逃げるとは思えん。念の為、港にも人を派遣しろ」
「し、しかし既に半数の冒険者が士気の低下により依頼を放棄しています。短期間とはいえ、数百十人規模の同時受注を数ヶ月続けさせたと言うこともあり、捜索にかかる費用の支払いも金貨100枚どころではありません。国内の討伐依頼の達成率も下がり、治安も悪化しております。これ以上は……」
馬鹿なやつだ。それができれば苦労はない。
僕が生前やっていたゲームであれば、本来ならヒロインであるドミニクを救出した後、ドミニクへの逆恨みに燃えた"悪役令嬢"は闇の力に目覚め、魔王として国を征服しようとするはずなのだ。そうならないよう、魔王イヴが追放後にすぐ向かうはずの闇水晶の洞窟に騎士を派遣させていたというのに……あの女はいつまで経っても現れなかった。
もし魔王イヴが目覚めれば、金貨1000枚どころではない損害が発生する。そんなことになればヒロインとの夫婦生活すらままならない。敵のレベルが低いうちに片付けるべきだ。
「エブリーヌのやつは必ずドミニクを逆恨みして復讐に走るはずだ。そのような危険人物を敢えて放置せよというのか」
「しかし殿下!これ以上の浪費は陛下のご不興を――」
「陛下の了承は頂いてある。冒険者が足りてないなら国境線に配備した騎士から一部派遣させればいい。どうせまだ襲っては来ない。そして覚えているだろうか?君は僕の側近に過ぎない。意見をするのは自由だが、誰の下で働いているのかはしっかり認識してもらわないと困るぞ」
僕の父親には、僕が予知能力に目覚めたと言って攻略情報の一部を事前に教えてある。実際そのとおりになって経済を活性化出来たり、アルカード王国の動きを事前に察知したことで、完全にあの男も予言に依存してくれていた。だから心配することなど何もないというのに、こいつときたら。
「……っ!!」
名前もよく覚えていない側近は、歯を食い合わせると一礼して去っていった。ふん、最初からそうやって僕に従っていればいいものを。
「あの……アルフォンス様。本当に大丈夫なのですか?あまりお金と騎士を使い過ぎると、祖国……いえ、隣国アルカードが国力の低下に気付いてしまうのでは?」
僕の隣でうるうると瞳を揺らしながら心配そうに見上げるドミニクに、軽い口づけを投げた。ああ、このヒロインは本当に可愛い。先程までの苛立ちが嘘のように消えていく。今この手の中にあることが夢のようだ。
「何も心配はいらないよ、ドミニク。これも君と、そして国の安泰を確保するために必要なことなんだ。エブリーヌを放置しておくわけにはいかない」
「で、でも……私はアルフォンス様がいればそれだけで……それにエブリーヌ様はもう十分に罪を……」
「鉄鋼業がうまく行ってる内は大丈夫さ。そうだドミニク、もうすぐ赤ちゃんが生まれるだろう?家族に手紙でも送るといい。国家間の友好関係を築くいい機会になるだろうからね」
「………はい、アルフォンス様」
僕はもう一度ドミニクと深いキスを交わしたあと、部屋の明かりを消した。騎士を使ってまで捜索するのだから、次の定期報告ではもう少しマシな状況が伝わってくるはずだ。
エブリーヌさえ見つかればいいんだ。彼女はアルフォンスのことしか考えてないから、その後は愛妾にするなり、あるいは専属の奴隷にして王城で軟禁するなりして適当に愛情を注ぐふりをすればいい。ヒロインと悪役令嬢を抱けるなら、これ以上のハッピーエンドは無いだろう。
この時まではそう信じていた。心から。
恐らくこの時が一番幸せだったに違いない。少なくとも、隣にはドミニクがいたのだから。
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アルフォンスの考えがイヴ達には筒抜けになっていることなど、今生きている世界を作りものだと信じて疑わない彼には想像もしていなかった。そしてゲームの世界であったと信じるあまり、人の心の機微を気にしたり、目に見えないところで何が起こっているのかを考えることを怠った。
実際、彼が知っている攻略情報により、大半の問題は解決した。魔獣が大発生するポイントや、キーキャラクターの登場するタイミング、そして事前に必要なアイテムの確保など、まさに予知能力と言うべき正確さで問題を解決することが出来た。
だが、彼は全てのイベントを拾い上げた訳ではない。効率を求め、摘み食いするように美味しいイベントばかりをクリアしていた。ドミニクと夫婦になるのもその一つだった。
だがゲームは結婚してからエブリーヌを倒した時点でハッピーエンドであり、ドミニクが内心でどう感じながら夫婦生活を続けているかなど、考えもしなかった。
数年後、子供が生まれてからも過去の女であるエブリーヌを探し続けるアルフォンスに不信を抱いたドミニクは、その心労から国力が著しく低下していることをアルカード国王に漏らし伝えてしまう。これがボードリヤール王国の運命を決めた。
ドミニクにとってはほぼ愚痴であり、妻としての苦労を吐露したにすぎないが、国王はスパイから届いた朗報と捉えた。そして間もなく、手薄になった採掘場の一部がアルカード王国によって"実効支配"されることになる。ボードリヤールは当然不法占拠と抗議したが、アルカード王国は「その昔、ここは我々の土地だった」と根拠もなしに主張し、鉱山を支配し続けた。
この時すでに多数の冒険者と騎士を失っていたボードリヤールの国力は、武力も含めてアルカード以下になっていた。だから鉱山を奪還するための衝突を決意できなかった。さらにアルカードの側には元ボードリヤール出身の者が年々増えており、それが何を意味しているのかは誰の目にも明らかだった。
しかしアルフォンスが現実を受け止めたのは、ドミニクとその娘が里帰りしてから帰ってこないことに気付いたときだったという。
アルフォンスは今日も大きくなったドミニクの腹を撫でている。それが妻に対する愛からではなく、愛玩に対するものではないかとドミニクが疑い始めていることに、彼はまだ気付いていなかった。
┈┈
「アルカードに着いたら、まず何をしたい?」
俺は干し肉を炙りながら、銀髪の少女に話しかけた。旅をしながらも魔獣を狩るために背中を預ける毎日を送っているので、お互いに戦友としての意識が強くなっている。随分仲良くなれたのではないだろうか。
「いや、私はアルカードに留まるつもりはない。あの国はボードリヤールに近すぎるからな。すぐに出国するつもりだ」
「それもそうだな。ではまずアルカード側の港から、俺の国に行かないか?」
「え?」
……いや、今度は何を言おうとしてるんだ、俺よ。
「ど、どうしてあなたの国なんだ?」
「単純な話だ。イヴは海外に行くのが初めてだろ?なら、まずは俺の国から巡ったほうが間違いない。俺がガイドできるからな」
「…………そ、そうか。そういうことか。ならお言葉に甘えるとしよう」
イヴのホッとしたような笑顔が、なんとも可愛らしかった。何にホッとしているんだろう。いやそれよりも、アルフォンスのやつはイヴのどこが不満だったのだ?普通に良い子だし、器量も良いと思うんだがな。
「そうしてくれ。ああ、一応帰ったら父上に報告しなきゃいけないことになってるから、俺の大事な友人ということで君を紹介させてくれないか?」
「だ、大事な友人…!?ハオランのお父様に!?え……えっと……か、構いませんわよ?え、けど、父上というのは……?」
うーむ、なんだか小動物的な可愛らしさが備わってきたな、この娘。だが悪役なんかよりこっちのが似合っている。この娘にはもっと素直に生きる権利があるはずだ。
「ああ、ちょっと地位が高くてな。一応皇帝をやってるんだ」
「………こ、皇っ…!?はい!?聞いてませんわよ!?」
「そりゃ言わないよ。国外ではただの冒険者だからな。はぁ……それにしても、また御所言葉を思い出さないといけないのか……ちょっと憂鬱だ……」
そして恐らくあのスケベな父上のことだ。きっとイヴを見たら勘ぐって色々深堀りしてくるに違いない。本来なら荘厳で美しいはずの御所言葉のまま、どこまで本気かわからない性的冗談をかます姿が目に浮かぶ。
「まあ、向こうでもイヴは自然体で過ごしてくれればいい。君はもう自由なのだから」
「自由……?」
「ああ。今の君は公爵令嬢からも、悪役令嬢からも、追手からも解放される真に自由人だ。今日までよく頑張ってきたな、イヴ」
「…っ!?あ、ありがとう……ハオラン。あなたのおかげで、私も自分の生き方を考え直すことが出来そうですわ」
「ああ、恩に着ろよ」
少しだけ涙目になりながら笑うその姿は、年頃の少女そのものだった。
その後、無事にアルカードを出国して母国へと到着した俺は、彼女をボードリヤールで元貴族だった友人だと紹介したその日に、二人揃って父上の部屋に呼び出されることになる。そしてその時になって……本当に今更になって、知ったのだった。
「ハオラン。ボードリヤールの貴族にとって、異性と二人きりで海外旅行をするということは、結婚を前提にしたお付き合いを始めたに等しいということを知っていましたか?」
「………………へ?」
「………っ」
わざわざボードリヤール人にもわかる言語でニヤニヤと笑いながら話す父上と、顔を真っ赤にして何も言えなくなっているイヴを見て絶句しながら、俺は己の勉強不足を嘆いたのだった。
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