酒宴
ノックをすると、返事もなくドアが開いた。扉を開けてくれたのが、秘書ではなく城山美影社長本人だったことに美穂は驚いた。
「やぁ時間通りだね。わざわざ来てもらって申し訳ない」
美穂を招き入れると、城山は静かに扉を閉めた。部屋は広く、窓の外には富士山が見えた。足首まで埋まりそうな絨毯は、美穂の足音を完全に吸収していた。
「どうぞ中へ。あいにく秘書が不在でね。気の利いたもてなしもできないのだが、許してほしい」
城山の表情は穏やかで、口元には淡い笑みが浮かんでいた。昼休みだったのか、城山はジャケットにノーネクタイというラフな格好をしていた。
「失礼します」
ようやく出た言葉は、校長室に呼び出された小学生の声のように小さい。
「何か飲むかい?」
「いえ、結構です」
「そう?勤務中だからって気にしなくっていいんだよ」
「いえ、本当に結構です」
「そっか。じゃあ、わたしだけ貰おうかな。ああ、でもその前に座ってくれないかな。小山美穂さん」
促されるまま部屋の中央にあるソファに腰を下ろした。革張りのソファは見かけよりも固く、それが返って心地よかった。城山が自分のフルネームを知っているのが不思議だったが、城山は美穂の雇用主なのだから当然なのかもしれない。
城山が手にしたリモコンを壁に向けると、壁の一部が反転し、大きなバーキャビネットが現れた。値の張りそうな洋酒から大衆酒場で見かける格安焼酎までそろえたラインナップは、ホテルのバーにも劣らない。
「いつも飲んでるわけじゃないんだよ。たまにね、仕事でいい結果か出たときとか」
朗らかに話しながら、城山が慣れた手つきでグラスに氷をいれる。高級ブランデーでも注ぐのかと思ったが、城山が手にしたのは市販の芋焼酎だった。
「そのお酒、わたしも好きです」
「気が合うね。一杯どう?」
「それじゃあ、一杯だけ」
「そうこなくっちゃね。大丈夫。場合によっては早退したって構わない。社長のぼくがいうんだから絶対だ」
酒の強さには自信があった。焼酎の一杯や二杯では酔いもしない。
『飲むな!』
頭の中で声が響いた。右目を閉じると、同じように右目を閉じた甘王隆の顔が見えた。厳しい表情でまっすぐに美穂を見ている。
『何が入っているか知れぬ。それに、酔えば術を受けやすくなる』
右目を開けば甘王の顔は消える。前に一度、精神がトンネルで繋がった状態がしばらく続くと説明されたが、何のことか分からなかった。これがその状態なのかもしれない。
再び右目を閉じると、甘王がいるらしい薄汚い洗面所が見えた。甘王の視線が動くと、右目の映像も移動する。甘王の視線が正面の鏡に向くと、先程、美穂が目にした甘王の顔が映る。甘王は左目を閉じて、鏡に写る自分に向けて語り掛けていて、美穂はその映像を見ているのだ。
脳裏に響く声を無視して、美穂は城山が差し出すグラスを手にした。芳醇な焼酎の香りが鼻をくすぐる。
「では乾杯といこうか。そうだな、互いの健康を祝してなんていうのはどうかな」
ソファに座る美穂の傍らに立ち、城山が微笑む。城山の髪は光沢のある金色だ。染めているのなら、サロンを教えてほしいくらい見事な金髪だった。
「健康を祝して乾杯って、なにそれ?人を呪っといて何言っちゃってんのよ」
城山の微笑みが、満面の笑みへと変化した。
「覚えているんだ、すごいね、きみ」
「間近でその目を見るまで忘れてたけど思い出した。エレベーターの中よね。あのときと目の色が違うんだけど、ひょっとしてカラコン入れてる?」
傍らで美穂を見つめる城山の瞳はダークブラウンだ。だが美穂の記憶にある城山の瞳は、強烈な光を放つ紫色だった。
「本当はこの髪と同じ金色なんだけどね、珍しい色だから普段は隠しているんですよ。きみが見た紫の瞳は、術を発動する際の副作用みたいなものかな。そうかぁ、記憶を消しても瞳の色は覚えているんだね」
グラスの焼酎を飲み干すと、城山は美穂の対面にあるソファに腰を下ろした。
「話が早くて助かるね。酔わせて催眠に掛けて、色々訊かせてもらおうと思ってたんだけど」
手にした焼酎を一息で飲み干し、美穂は空のグラスを乱暴にテーブルに置いた。
「もう一杯貰える?」
笑みを浮かべながら、城山が美穂のグラスに焼酎を注ぐ。
「強いんだね、きみ」
「酔わせる気でいるんだったら覚悟した方がいいかも。そんなまどろっこしいことはやめて、さっさと要件いいなさいよ」
「ずいぶんと大胆なんだな、きみ。ちょっと見直したよ。うん、死ななくてよかった」
「どうしてわたしを呪ったの?わたし、あなたに何かした?」
「いや、別に大したことじゃないんだけどね。何ていうか、きみ、タイミング悪かったんだよ」
「それだけでわたしを電車に飛び込ませようとしたの?なにそれ。頭おかしくない?」
「そうかな。目の前を蚊が飛んでいたら叩き潰すだろう?それと一緒さ。」
「人を蚊と一緒にしないでよ」
「一緒さ。同様に価値が無い」
城山の表情は変わらない。仮面を被っているかのように、終始一貫して機嫌が良さそうだ。




