酷暑
金を稼ぐと決めてから、甘王はネットで仕事探しを始めた。職種は問わなかったが、甘王家の経済状況と宿主である隆の体力を鑑みて、効率よく稼げ、なおかつ体力的にきつくない仕事でなければならなかった。
自分の能力と知識からして、仕事など簡単に見つかると考えていたが、職探しは思いのほか苦戦した。雇用形態を比較し、契約社員より正社員の方が有利であると判断し正規雇用を最低条件に仕事を探したのだが、高校を中退し、5年にも渡り引き籠りを続けていた甘王を正社員として雇い入れようとする会社は少なかった。
それでも採用を考慮するという幾つかの会社の面接を受けてみたのだが、労働条件と賃金の折り合いのつく職場は見つからなかった。甘王を採用するという会社の大半は、過剰な営業ノルマや勤務形態を強いるブラック企業だった。賃金が高いのなら、仕事をする先がブラックであっても構わなかったが、拘束時間だけはどうしても譲れなかった。甘王にとっての最優先事項は魔力を取り戻し、魔王として復活することだ。その為には身体能力を高め、最低限の魔法行使に耐えられる体力を作らなければならない。仕事などという人間共の営みに流され、魔王復活への準備に費やす時間を削ることなど、絶対にあってはならないことだった。
しばらくはまたアルバイトでいいんじゃない?というオ・カァサンのアドバイスを受け、池袋のハンバーガーショップにアルバイトとして働き始めた。
地元には同系列のハンバーガーショップがあったが、そこで働くことにはイ・モウトゥが反対した。理由を尋ねると、嫌な思い出があるだろうと返された。さりげなく訊き出したところ、甘王隆が引き籠ってしまった本当の理由は、そこで知り合った女子大生に恋をして手酷く振られたことが原因だと判明した。
隆の記憶を持たない魔王にとって、そんな話はどうでも良かったが、同じ仕事でも池袋の方が時給がいいと聞いて納得した。
一日7時間、週5日で働いてみた。一カ月程で体が慣れ、二カ月で仕事に慣れた。裏方としてひたすらポテトを揚げて塩を振っていたが、人手の足りなさからレジにも駆り出されるようになった。
接客には手こずらされた。自分本来の物言いを封じ、この国の、この時代の若者として違和感のない言葉遣いを学ばねばならなかったし、仕事とはいえ下等生物である人間に頭を下げることに強い抵抗があった。だがそれも、頭を下げているのは甘王隆という人間なのだと割り切ることで乗り切った。
8月の酷暑の中、甘王は駅のホームで電車を待っていた。都内のグルメ情報にやたらと詳しいバイト先の先輩から、リャンピーという変わった冷やし麺を食べさせる中国料理の店が新宿にあると教えられ、行ってみようと思い立った。ネットで調べた結果、店は夕方5時から営業することが分かったので、バイトが終わったあと本屋で時間を潰し、四時半になる前に駅のホームに立った。夕飯時には真・魔王城戻らなければならなかったから、開店と同時に店に入り、リャンピーだけを喰って自宅に引き返すつもりだった。
平日の午後ということもあって、駅の構内は空いていた。目当ての店は甲州街道沿いにあるので、新宿駅の南口改札から出るため、甘王はホームの前よりで電車の到着を待っていた。
電車がホームに入ってくると、甘王の背後に立っていた女がふらふらとホームの縁に向かって歩き始めた。危険を察知した運転士が警笛を鳴らすが、女は構わずホームから電車に向けて走り出した。
女の体が電車と接触する直前に、甘王は右手を伸ばして女の左手首を掴み、力任せに体を引き寄せた。間髪入れず女の横を電車がすり抜けていく。
「何するんですか!」
女の左手を掴んだ甘王の手を強引に振りほどきながら、女が非難の声を上げる。
「すみません。危なかったので咄嗟に」
女の手を離し、甘王は頭を下げた。別に女を助けたわけでは無く、到着したこの電車に乗りたかっただけだ。
高そうなビジネススーツを身に着けた若い女だった。目に険があるのを除けば、人間の判断基準でいうところの美人に相当する顔立ちをしている。
更に言い募ろうとする女に向かって、ホームにいた別の女が、この人が止めなければ怪我をしていたかもしれないと甘王を擁護した。
「だからって急に手を掴むなんて非常識です」
停車した電車から降りてきた乗客の視線に気づき、女は甘王から目を逸らす。
「とにかく、別に死ぬ気とかなかったんだから、なれなれしく触らないで」
言い捨てると、女は甘王に背を向けて歩き出した。擁護してくれた女に礼を告げると、甘王は到着した電車に乗り込んだ。
動き出す直前、甘王は電車を降りてスーツ姿の女の後を追った。有り得ないことだが、甘王は女の顔を知っていた。この世界に転生後、新たに知り合った人間ではない。それなのに、女の顔に見覚えがあった。




