迷子
聴きなれないノイズが耳朶を打つ。
犠牲者たちの叫びと、使役する獣の唸りの合間に、微かな電子音が鼓膜を震わせていた。大きな音ではなかったが、気になりだすと耳から離れない。
上着の内ポケットを探り、スマートフォンを取り出した。同じ類の道具を所持していれば、いつでもどこからでも、連絡をつけることが可能な道具だと知ってはいたが、使ったこともなければ、よそから通信が来るのも初めての経験だった。長方形にガラスを貼り付けたようなその道具の表面を見ると、日本語であかねと表示されていた。
通話と書かれた箇所に指先を押し付け、甘王はスマホを耳に当てた。
「あ、出た。兄貴?今どこにいるんだ?」
スマホの中から、あかねの声が響いてくる。長方形のスマホに口を寄せると、甘王はスマホに向かって話しかけた。
「聞こえますか?」
「聞こえるよ。何してんだよ。もう九時になるぞ」
間違いなくあかねの声だった。
「そうか。もうそんな時間か」
悠久の刻を生きる甘王は、元々時間の感覚が希薄だった。魔力を取り戻した今となっては、やろうとすれば時間さえも支配できるかもしれない。
「あたしもおかあさんも、ずっと心配して待ってたんだぞ。どこかで迷子になってないかってさ」
「そうか。それはすまんな。知り人に会ってな、旧交を温めておったところじゃ」
「へぇ、久しぶりに外に出たのに、結構エンジョイしてるんじゃん。安心したぜ」
「うん、まぁそれなりにな。で、なんじゃ。用事はそれだけか?」
今いいところなのだとは、さすがに言えなかった。
「驚くなよ兄貴。後輩の実家がお肉屋さんでさ」
弾むような口調であかねが続ける。
「特上の牛肉を貰っちゃったんだよ。それも2キロだぜ。すき焼きにするから、さっさと帰って来いよ」
「すき焼き。それは美味いのか」
「いつもの鳥肉じゃないんだぜ。牛、牛肉。差しの入った特上だぞ。口に入れるだけで溶けちまうやつだ」
「ほほう、口に入れただけで溶けるのか。それは興味深い」
「あとは肉を入れるだけなんだ。とっとと帰って来いよ。それとも、すき焼きより大事な用があるのか?」
魔力の復活を祝って、愚かな人間を生贄にしようとしていたところだった。ここで中断したら、使役した鳥さんやネズミさんが怒るかもしれない。そう思い、甘王は三人の犠牲者と鳥獣たちに視線を向けた。
呼び寄せたはずの鳥もネズミも、一匹残らず消えていた。それでも駐車場には、それらが存在した痕跡は残っていた。舞い落ちる大量の羽と、床に転がる無数の糞が、鳥獣たちの存在が幻覚でないことを証明していた。
「そうか。それでは仕方ない。用も済んだ故、急ぎ帰るとしよう」
「どこの殿様だよ兄貴。急げよ。腹減って死にそうなんだ」
高らかな笑い声を残して、あかねが回線を切った。スマホの画面を暫く眺めたあと、甘王はスマホを内ポケットにしまい込んだ。
「すき焼きのぉ」
呟きながら駐車場を歩き始めた。一命を取り留めた三人は、呆けたような顔をして駐車場に座り込んでしまっている。
甘王は佐藤の前に膝をついた。目の焦点が合っていない佐藤の頬を二回ほど叩いて正気に戻す。
佐藤の視線が甘王を捉えた。後退る佐藤に近づくと、佐藤は頭を抱え、アスファルトの上で赤ん坊のように体を丸めてしまった。
「恐れるな。もう危害は加えぬ」
甘王は上着のポケットから、オ・カァサンに返そうと思っていた三千円の残金を取り出し、佐藤に差し出した。
「金が欲しいのだろう?これをやる」
子供のように頭を振ると、佐藤は自分のズボンのポケットから財布を取り出し、甘王に差し出してきた。
「金などいらん。だが、ここがどこだか見当がつかぬのでな、家まで送っては貰えぬか?」
佐藤が大きく何度も頷く。這いつくばりながら佐久間に詰め寄り、失神している佐久間のポケットから車のカギを取り出すと、黒のワゴン車の運転席に乗り込んだ。
甘王は同じように座り込んでいる岩田の前に立った。目の前で、甘王が指を鳴らすと、岩田の目の焦点が定まった。
「立つがよい」
甘王の言葉に、岩田が力なく立ち上がる。甘王に視線を合わせることができず、岩田は顔をくしゃくしゃにして泣き始めた。
「ワシが怖いか?」
泣きじゃくりながら、岩田が何度も首を縦に振る。
「そうか。なら逃げるといい。甘王隆がお主から逃げたように、お主も命を賭けてここから逃げろ。敵わぬ相手に向かって玉砕するのは愚か者の蛮勇にすぎぬ。恐怖を知らぬ者が、二度と死を選ぶだのと口にするな」
岩田の右手から、ブラスナックルが落ちて転がった。それに目もくれず、岩田は甘王に背を向け、ぎくしゃくと公園の出口に向かって走り出した。
「さて、帰るとするか」
佐藤の向かった車に目を向けると、ワゴン車は急発進をし、凄まじいスピードで駐車場から出て行ってしまった。
「フロガ・エクリクシー!」
ワゴン車に向けて右手を突き出し、甘王は爆裂魔法を放った。何も起こらず、ワゴン車は夜の幹線道路を走り去っていく。
「魔力も消えたか。不思議じゃのう」
右手を見つめながら、甘王は途方に暮れた。使役魔法なら使えるのかもしれないが、今さら鳥やネズミを呼び出しても仕方ない。
上着のポケットからスマホを取り出すと、甘王はあかねに連絡を取った。
迷子になったから、迎えに来てほしいと伝えると、あかねは毒づきながらも居場所の手がかりを尋ねてきた。




