私刑
「今がチャンスだぞ小僧。ワシを殺せ。ワシを殺せば、お前は全人類を救った英雄になる。ワシの力が復活する前に、ワシを殺せ!」
痛みと怒りのせいか、甘王はひどく興奮していた。声が大きく、妙に早口だ。
「何言ってんだ、こいつ。頭に虫でも湧いてんのか?」
三人の中ではただひとり、甘王と面識のない佐久間が声を上げる。甘王の様子に気圧されているのかもしれない。
「金だ。これ以上がんばったって仕方ねぇだろ。持ってるよな」
チノパンのポケットを探ろうと手を伸ばすと、甘王の膝が佐藤の顔面目掛けて跳ね上がった。咄嗟に避けたものの、肩を強打されて尻餅をついた。
「てめぇ」
跳ね起きて、甘王の腹を再び蹴りつけた。もう手加減などできなかった。岩田が甘王を離すと、甘王はそのまま公園のアスファルトの上に転がった。体を丸める甘王を更に蹴りつける。
「ベルゼ・フォンズ・アリウス・キョナ・ベラ・ゼンドゥ・コモナ」
甘王が何かを呟いている。蹴りまくられながらも、甘王は一定の抑揚を保ちながら、ひたすら同じ言葉を呟き続ける。
「気持ち悪いな。そいつ大丈夫か?」
甘王の異様な様子に、佐久間が焦り出していた。元々佐久間は気が弱い。
「深淵の縁に立ち、我は望む。我こそ真の暗闇也。闇の中の混沌、無に使えし混迷」
甘王の唇からは血が滴り落ちていた。公園の常夜灯の灯と、真円に近い月の光に照らされて、アスファルトに落ちた血痕は墨のように黒く見えた。
「フロガ・エオーナ。燃え尽きろ!」
甘王が立ち上がり、両手を突き出して叫んだ。驚くほど大きな月を背にした甘王の姿は影となり、その目が紫色に輝いたような気がした。
その場にいた全員が、束の間動きを止めた。何かが起こりそうな予感がしたが、十数秒経過しても何も起こらなかった。
「いい加減にしろよ」
佐藤を押しのけ、岩田が甘王の前に立った。身長百八十、体重九十キロを超す岩田は、極めて狂暴な性格をしていた。岩田が絡めば、甘王はただでは済まない。だからこそ佐藤は、率先して甘王を痛めつけていたのだ。
「アマ、おれのこと覚えてるか?お前さ、おれの前で泣いたよな。這いつくばって、おれに背中見せて逃げたよな?覚えてるか?」
「ワシはお前から逃げたのか?」
「忘れちまったのかよ。あんまりみっともねぇから、思わず笑っちまったよ。あれ以来だな、アマ」
「そうか。ワシは、甘王隆は、お前から逃げたのか」
「また逃げろよアマ。今度は逃がさねぇけどな」
「甘王隆は逃げ出した。そうか」
俯いたまま、甘王は同じ言葉を繰り返した。
「それでいい。それでいいのだ」
顔を上げ、甘王が言った。佐藤の頭突きのせいで、甘王の鼻は潰れ、歪んで見える。
「何がいいんだよ。みっともなく逃げだしたんだぜ。おれだったら死んじまうな」
甘王に近づきながら岩田が答える。岩田の右手がコートのポケットを探っている。そこに何があるか佐藤は知っていた。真鍮製のブラスナックルだ。
「愚かだな。死んでどうする?勝ち目がないなら、逃げればいい。逃げて、次の機会を狙う。無駄死などに意味はないのだからな」
「だったら逃げれば?気が変わったから追わねぇよ。その代わりさ、お前の妹、あかねっていったっけ?あいつを狙うぜ。柔道のインターハイ選手なんだよな。お前痛めつけるより面白そうだ」
「イ・モウトゥを狙うだと?」
甘王の声が一段低くなった。その声を聴いた瞬間、なぜか佐藤の背筋に悪寒が走った。
「お前の妹の顎をこいつで砕く。それからはまぁ、色々とやることがあるだろうな」
岩田が右手に嵌めたブラスナックルを甘王の顔の前に翳す。
「動画に撮っておいてやるよ。あとでお前にも見せてやる」
甘王の視線が岩田から外れ、蒼く凍てついた月へと向けられた。立ち尽くす甘王の姿は、音のない冬の夜を捉えた一枚の静止画のように見えた。




