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tokyo転生者 北区に住んでる光の勇者  作者: 氷川 泪
第一章 勇者降臨
40/202

行末

 「警備会社に決まったの?本当?よかった。いつから?」


 洗ったばかりの髪を拭きながら、奈緒はスピーカー越しに明奈と話をしていた。


 非番だったが、管内(かんない)で殺人事件が発生したため、これからまた仕事に戻らなければならない。初動捜査で犯人を見つけることができなければ、莫大(ばくだい)な予算と人員を要する捜査本部が設置されてしまう。事件発生から72時間までの捜査を受け持つ機捜(きそう)にいる限り、電話一本で休みなど吹き飛んでしまう。


「来週の月曜からだそうです。5日間研修受けて、それからどこで働くか決まるって言ってました」


 確か新任教育といったはずだ。音も立てず近づいて来た猫の鍋島さんの喉を撫でながら、奈緒は思い出していた。生活安全課にいたころ、警備業に関する書類の受付をしたことがあった。普通の仕事と異なり、警備員になるには法律で決められた教育を受ける必要がある。


「こんなに早く決まるなんてね。ちょっと安心した」


 自分が他人の心配をしているという事実に、奈緒は少なからず驚いていた。しかも相手は、自分のことを異世界から来た勇者だと名乗る男だ。


「わたしもびっくりしました。面接で何言われたって訊いてみたら、服のサイズと、いつから来れるかってことだけだったらしいです」


「服のサイズ?彼、自分の服のサイズわかったのかな?」


「そう思いますよね。やっぱりわからなくって、その場で上着を脱いで、そのあと、まぁなんていうか」


「ズボンも脱いだのね」


 スマホの向こうで、明奈が消え入りそうな声ではいと答える。


 常識が無いというより、異常者の行動に近い。警察キャリアである自分が親しく付き合う(たぐい)の人間でないことは判っている。命を助けられはしたが、これ以上関わる必要はない。それでもなぜか、南条に()かれていた。


 これまで、誰かとの結婚を意識したことは無かった。いずれどこかの省の官僚(かんりょう)と結婚し、仕事と家庭を両立させながらキャリアを上げていくのだろうと漠然(ばくぜん)と考えたことがあるくらいだ。今は現場だが、数年もすればどこかの副署長にでも収まり、急な呼び出しに慌てて髪を洗って家を出ることも無くなる。


 異常者というなら、南条は別の意味でも異常だった。南条がショットガンの銃弾を防いだマンホールのフタの重量は40キロ近かったらしい。それだけの重量を持つ鉄の塊を空中でキャッチして銃弾を防ぎ、その後にそれを数メートル先にいるマシンガン女に向けて投げつけている。


 その光景を見ていない真庭は、奈緒の言うことを信じてはくれなかった。慌ててたんだろうしなと前置きをした真庭の言葉を要約すれば、何かの偶然が重なり、南条は武装強盗ふたりを捕らえることに成功した。それを目撃した奈緒の話は、極度の緊張状態にあったせいで、嘘をついているわけではないのだろうが、信憑性(しんぴょうせい)については疑いがあるということだった。真庭の言葉は奈緒を傷つけたが、仮に奈緒が他人からその話を聴いたとしたら、同じ結論を出していたに違いない。


「とにかくよかったわ。就職が決まれば、生活は安定するしね。あとは当面のお金の問題ね」


「それも解決したみたいで」


 南条のキャッシュカードは生体認証が可能だったらしく、暗証番号無しで現金を引き出せたらしい。これで次の休みに、南条を連れて銀行に行く必要もなくなった。次の休みが定かでなくなった今、それはいい知らせだったが、これで奈緒は南条に会う理由は無くなった。


「そうなんだ。だったらもう、わたしは必要ないわね」


 残念では無かった。それどころか、どこかほっとしている自分がいた。これ以上関わるべき相手ではないと、始めから分かっていた。


「じゃあ刑部(おさかべ)さん、元気でね」


 何かあったら電話をしろとも言わなかった。それをするのは未成年者の相談を受ける生活安全課の警察官の仕事だ。


 電話を切ると、しばらく立ち尽くしていた。髪を拭くのも忘れて、通話の途切れたスマホを眺めていた。心配した鍋島さんが、足元でニャオと声を上げる。


「白馬の王子様か」


 自分が他人に助けらることを想像したことは無かった。だが瀕死の状況にいた自分を、鮮やかに助けてくれた男がいた。自分の命も(かえり)みず奈緒を救っておきながら、その男は恩にも着せず自慢すらしなかった。十代の女の子が夢見る白馬の王子がいるとするなら、それは南条のような男であるはずだ。


 だが奈緒は十代ではない。警察官としてこの世界を見て来た奈緒は、現実と理想の違いを嫌になるほど知っている。アスファルトの敷き詰められた大都会に、白馬の王子が歩く道などない。重苦しい現実と冷たい社会がその行く手を(ふさ)ぐからだ。


 そして何より、物語の帰結として白馬の王子が選ぶのは、何の取柄(とりえ)もない村娘であるはずはなかった。白馬の王子が選ぶのは、助けを求める薄幸(はっこう)のお姫様であるべきなのだ。


「ちょっとだけ、悔しいな」


 微笑みながら、奈緒は鍋島さんに話しかけた。飼い主の気持ちなど知らない黒猫は、顔を見て満足したらしく、ドアの隙間から隣室へと姿を消した。


 ニ十分後、スーツに着替えた奈緒は部屋を出た。涙を(ぬぐ)ったハンカチは玄関に置き去りにした。



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