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tokyo転生者 北区に住んでる光の勇者  作者: 氷川 泪
第一章 勇者降臨
29/202

隣室

 部屋のドアの前に立ち、南条はドアをノックした。


「自分の部屋ですよね。なんでノックするんですか?」


「そうか。ここは、わたしの部屋なんだな?」


 知りたいのはこっちだよと突っ込みそうになる。


 カチャリと音がした。ドアのラッチが開いた音だ。南条の部屋からではない。奥の203号室からだ。


 どんな些細(ささい)なことでも調べておく癖が奈緒にはある。情報は多ければ多いほど、行動の選択肢が増えるからだ。このアパートについても事前に調べてある。南条の部屋の右隣は空き部屋だったはずだ。


 奈緒と明奈は隣室のドアを見た。ドアは(わず)かに開いていた。誰かが部屋の中にいる。調査に引っかからなかっただけで、新しい住人がいるのかもしれないし、不動産屋か管理会社の人間かもしれない。


 ただ、ドアが開いた途端、廊下の温度がぐっと下がったような気がした。大型の冷凍庫の扉から漏れてきたような寒気が、ドアの隙間から流れて来る。


「なんだか、嫌な気分」


 明奈が呟いた。能天気な明奈にしては、重苦しい口調だ。


「川窪さん、あそこ、誰か(のぞ)いてますよね」


 小声で明奈が告げる。確かに、僅かに開いたドアの隙間から誰かが奈緒たちを見ているように思える。


「隣の人でしょう。暑がりなのね。冷房が強すぎ」


 笑い飛ばそうとしたが、奈緒の顔は強張(こわば)っていた。明奈は知らないが、隣室は事故物件だった。2カ月ほど前に30代の女が自殺を図っている。


「そうなのかな?あの人、なんだかこっちの人じゃないような気がします」


 こっちの人とあっちの人の違いって何?明奈の首ねっこを(つか)んで問い(ただ)したかった。機捜の仕事は初動捜査だ。変死体に出くわすこともあるし、司法解剖に立ち会うこともある。死んでしまえば人はただの物になってしまうことを奈緒は知っている。それでも、幽霊やお化けは苦手だった。それとこれとは別なのだ。


「開いた!」


 南条の大声に、奈緒も明奈も飛び上がった。L字型のドアノブの開け方が分からず、四苦八苦していたらしい。


「いや、苦労した。おかしいな。出るときは簡単に出てきたはずなのに」


 奈緒と明奈の非難の表情に、南条は困惑した。


 明奈が奈緒の肩を叩く。明奈の視線が隣室のドアに向いている。ドアは先ほどより大きく開いていた。ドアの下方から蒼白(あおじろ)い手が伸び、手招(てまね)きするように指を動かしている。


「入りましょう。早く部屋に」


 南条を急かし、ドアを開けた。飛び込もうと足を踏み出した瞬間、奈緒と明奈の体は凍りついたように動かなくなった。


 真夏の熱気と共に、凄まじい臭いが南条の部屋から流れ出て来た。隣室からの冷気など問題にならないほど、南条の部屋から流れ出てくる淀んだ空気は濃厚だった。


「うぐっ」


 黴臭(かびくさ)さとすえた汗の臭いに、奈緒は咳込(せきこ)みそうになった。


「無理、絶対ムリ。こんな部屋に入ったら、子供ができてしまうわ」


 呟いて明奈を見ると、明奈は口と鼻をバンダナで(おお)っていた。どこから出したのよと突っ込む前に、明奈はピースサインを見せた。


「仕方ない。オサカベさん、ここで待ってて。絶対に動かないでね。必ず戻ってくるから」


 ホラー映画では、必ず戻ると言って出て行った登場人物は絶対に戻って来ない。そんな考えが奈緒の脳裏を(よぎ)ったが、事態は一刻を争う。


「お願いね、ここを動かないで。南条くん、いい?わたしが戻るまで、部屋の中に入らないで。5分、いいえ、3分で戻る」


 南条の返事を待たず、奈緒は廊下を駆け出した。階段を駆け下り、コインパーキングに駐車した覆面パトに向けて突っ走る。



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