河川敷
「冷凍魔法の基本、バゴス・ミクロン」
奈緒と真庭が立ち会う取り調べ室の中でバゴス・ミクロンを発動させた。掌の中の物を瞬間冷凍する程度の魔法だから、呪文詠唱など省略できる。
「ほら、手が冷たくなっただろう?」
真庭が南条の右手に触れる。
「冷房のせいだろう。特段冷たいわけじゃないぜ、兄ちゃん」
「わたしの手の方が冷たいわよ、南条くん」
奈緒が手を重ねて言う。
「マンホールを飛び上がらせたわね。ひょっとして、あれも魔法?」
「あれは強化魔法だ。では、マモリトを」
マモリトは肉体強化の魔法だった。南条は慎重に呪文を詠唱し、マモリトを発動させた。
「衝撃から身を守る強化魔法だが、同時にこういう使い方もできる」
渾身の力を込めて、南条は机に右の拳を叩きつけた。マモリトで保護された拳は、机を叩き潰すはずだった。
声にならない痛みが全身を駆け巡った。砕けはしなかったが、拳は出血し、指を曲げられないほどに腫れあがった。
痛みを堪えて取り調べ室の床に座り込んだ南条に、奈緒が声を掛ける。
「最初はわたしもひょっとしてって思ったけど。やっぱりきみは普通の人間なんだよ」
「いや、そんなはずはない。フロガ・エクリクシーを撃てればいいのだが。あれを撃つと、この建物自体が倒壊してしまう」
「それ、撃ってみて」
「いや、危険すぎる。わたしはともかく、きみたちが」
「大丈夫だ。自分のことは自分で守る。兄ちゃん、撃ってみなよ。その、風呂がワイターとかいうのをよ」
「いいのか?大変なことになるぞ」
「大丈夫。わたしが責任を持つから」
思案してみたが、危険すぎた。南条は奈緒に向かって首を横に振る。
「危険すぎる。屋外でもなければ、とてもじゃないが発動させられない」
「じゃあ、屋外にいくか?」
真庭が気軽に言う。
「現場検証もしなきゃならないからよ、まぁついでだ」
荒川の河川敷に立ち、南条は呪文詠唱を開始した。
近隣に人は住んでいないということだったが、最悪の事態を想定し、幅の広い川に向かってフロガ・エクリクシーを放つことに決めた。
詠唱が終わり、南条は両手を前に突き出した。衝撃に備え、腰を落とし両足で河川敷の草を踏みしめる。
「フロガ・エクリクシーぃぃっ!」
渾身の気合を入れてエナジーを開放した。肩を脱臼しないよう両手の力を緩め、体を支える下半身に力を込める。
何も起こらなかった。気の早い秋の虫の鳴き声と、上空を飛ぶセスナのエンジン音が聞こえる。
「何も起こらないわね。それともその魔法、遅効性なの?」
両手を突き出したまま、南条は辺りを見回した。なんの変化も見られない。
「フロガ・エクリクシー!」
やはり何も起こらない。奈緒はスマホの画面を覗いているし、真庭は草の上に座って空を眺めていた。
「なんかよぉ」
真庭が奈緒に声を掛ける。
「ネットで見たコラ漫画にこんなシーンあったよな」
「それ見たことある。ライトのやつ」
奈緒と真庭が雑談に興じる間、南条は覚えている魔法を全て試してみたが、何ひとつ発動しなかった。
「南条さん、もういいかしら」
面倒くさそうに奈緒が声を掛けてくる。命を救った恩人に対する親しみを込めた南条くんから、一歩距離を取った南条さんに呼び方が変わっていることに、南条は少なからず傷ついた。




