目覚め
暑かった。前髪から滴り落ちる汗が、額を伝い目頭から沁み込んで眼球を刺激する。熱湯にでも浸かっているみたいに体が熱い。
「暑い」
叫ぶように声を上げると、勇者は上体を起こして目を開いた。
狭い牢獄のような部屋だった。ベッドではなく、草を編んだような床の上にそのま寝かされていた。申し訳程度に腹の上に掛けられたタオルは湿り気を帯び、すえた匂いを発していた。
ここはどこだろうと自問する。ここで目を覚ます前は確か・・・・・。
ズキリと頭が痛む。思わずこめかみを押さえると、激しい眩暈が全身を襲ってきた。歯を喰いしばり両目をとじることで。勇者はなんとか眩暈を抑え込んだ。
ゆっくりと目を開き、もう一度部屋の中を見回した。やはり知らない部屋だった。それどころか、部屋の中は勇者が見たこともないような道具で埋めらつくされていた。どこか異国の地にでも飛ばされたのだろうか。そういえば、勇者が身に着けている下着も、不思議な感触を持つ見慣れない形状だった。
ふらつく足で立ち上がり、異様に低い天井を気にしながら、隣の部屋へと続く扉を開いた。
扉の先は狭く薄暗い台所のような部屋だった。水の匂いに引き寄せられ、見慣れない金属で作られたシンクに顔を近づけた。鼻をひくつかせ、銀色の管の先から強く漂う水の匂いを嗅ぎつけた。暫くとまどった後、管の上部についている銀色の把手を捻ってみると、管の先から大量の水が迸った。
口をつけ、喉を鳴らして水を飲んだ。喉の渇きは信じがたいほどで、腹が膨れるほど水を流し込んでも収まらなかった。
頭から水を浴び、水の冷たさに身震いすると、割れるような頭の痛みも和らいできた。銀色の把手を反対側に捻ると、水の奔流はぴたりと止んだ。
「井戸からくみ上げているわけではなさそうだな」
把手を捻っては止めることを繰り返してみる。水は驚くほど簡単に、強く大量に管から流れ落ちる。巨大城塞都市の高級な宿屋や宮殿の客間でさえ、水瓶に蓄えられた水を汲んで飲んでいた。把手を捻るだけでこれ程大量の水が供給される仕組みなど、見たことも聞いたこともなかった。
勇者は再び鼻をひくつかせた。山や森での生活では、匂いは生死を分ける重要な手がかりだった。あらゆる匂いをかぎ分けることで、水を手に入れ食料にありつき、危険を回避してきたのだ。
厨房の隅に置いてある白く四角い箱に手を掛けると、扉を開いて中を見た。開けた途端、箱の中から流れてくる強烈な冷気に驚き、勇者は慌てて扉を閉めた。子どもひとりが身を隠せる程度の長方形の箱だったが、扉の中は冷気で充満していた。バゴス(冷凍)系の魔法効果を付与されたマジックアイテムかもしれないと思い直し、警戒しながらゆっくりと再び箱を開いた。
箱の中には金属性の円筒が五本ほど入っていた。指で触れてみると、キンキンに冷えていた。金色に輝く円筒のひとつを手に取ってみる。薄く柔らかい金属で、指が当たるとかすかに変形した。掌が痛くなるほどに冷えた円筒には、勇者の知らない文字が描かれている。円筒を上下に強く振ると、円筒の重心が移動することから、中には液体が入っているのだろうと見当をつけた。
円筒の上部に、金属の輪を見つけた。指で摘まんでみると、輪の部分が動いた。上から輪を覗き込むように顔を近づけ、勇者は一気に輪を引き上げた。
プシュッという音と共に、円筒の一部が陥没した。同時に円筒の内部から、多量の液体が噴き上げ、勇者の顔面を直撃した。
「うおっ」
思わず声を上げ、その場に尻もちをついた。手にした円筒からは、泡混じりの金色の液体が迸り続ける。天井高くまで噴き上げた液体は、勇者の全身に滝のように降りかかった。
「これは、酒か?」
口の端に付着した液体を舌で舐めとると、麦を発酵させて作った酒と同じ匂いがした。
取り落とした円筒を掴むと、開いた穴に口をつけ、僅かに残った液体を一気に飲み干した。
「ぷは~っ」
勇者の知っている麦酒より苦みは弱かったが、弾けるように喉を通る感覚が心地よかった。
ずぶ濡れになった顔を下着で拭い、勇者は箱の内部に顔を突っ込んだ。蒸し暑い外気に比べ、箱の中だけは真冬の明け方のように冷えていた。
「肉か」
薄いピンク色に染まった拳大の塊を見つけて、箱の中から取り出してみる。肉塊のようだが、表面に透明の薄い膜が張っていて、中身を取り出せない。力任せに引きちぎろうとしてみたがダメだった。
立ち上がり、厨房を調べてみると、キッチンナイフのような刃物を見つけた。片刃で、勇者の知っているいかなるナイフとも異なる金属で鍛造されているようだ。デザインなのか、刃の中央部に指の先程度の穴が幾つか開いていた。
手にした刃物を持って戻り、肉塊の表面を覆う透明の膜に刃を当てた。空気が弾けるような音と共に膜が破れ、ピンク色の肉塊が迫り出してきた。匂いを嗅ぎ、腐っていないことを確かめると、勇者は肉にかぶりついた。肉を口に入れた瞬間、麻痺していた空腹が蘇った。貪るように肉を喰らい尽くすと、勇者は箱の中にある見慣れない品々を片っ端から床に並べてみた。
箱の中に入っていた品は多くは無かった。箱の中央の棚のほとんどを占めていたのは、円筒に入った天井まで噴き出す麦酒だった。その他にあったのは、同じような形状の容器に入った赤と白のペーストが1本ずつ、縦長の四角い容器に入った黒い液体、ガラスの容器に入った黒い液体。干からびた野菜と、柔らかな小箱に入ったバターような油脂、掌に入る大きさの細長い容器に入った緑色のペーストだけだった。
床に一列に並べたそれら見たこともない食材ひとつずつを、勇者は口に入れてみた。
「トマトだな、これは」
赤いペーストは、トマトを煮詰めたような味がした。トマトだけにしては甘いような気がしたが、トマトのピューレで間違いはなさそうだった。
続いて口をつけた白色のペーストは不思議な味がした。酸味とまろやかさが程よく混在している。やわらかいひょうたんのような容器の先端についていた赤いキャップを取り外し、ラッパ飲みするように口の中に落とし込んだ。初めての味わったがこれは美味かった。
「何かにつけるとさらに美味いかもな」
一気飲みしたい欲望を抑え、勇者は次の容器を手に取った。縦長のやや硬い容器に入った黒い液体は、甘辛く、それ単体では味がきつかった。ガラス容器に入った黒くさらさらした液体は、一口含んだだけでむせ返り吐き出した。
最後に残ったのは、チューブ状の容器に入った緑色の練り物だった。匂いを嗅いでみると植物のような香りがしたので、容器に口をつけて一気に中身を絞り出した。
「うっ!」
口に含んだ瞬間、鼻筋から脳天目がけて激烈な痛みが走った。咳き込み吐き出したが、それでも痛みは治まらず、両の目から多量の涙が流れだした。狭い台所の床を、涙と涎塗れになりながら転がりながら、解毒の魔法を詠唱してみたが効果はまるでなかった。
「水だ」
立ち上がり、シンクに頭を突っ込み水を貪り飲んだ。毒というよりは香辛料の一種だったのだと気づいたのは、腹がパンパンになるまで水を飲んだあとだった。
台所の先に、浴槽とトイレが一緒になった不思議な小部屋があった。白い陶器製の椅子は、臭いからしておまるだろうと検討がついた。
小部屋に入った途端、目の端に見慣れない人影を捉え、勇者は振り返った。黒髪の男の顔が、勇者の前に立っていた。
「誰だ」
違和感を感じて手を伸ばすと、硬く冷たい鏡に指先が触れた。
「おれか?」
勇者が呟くと鏡の中の男も口を動かした。
「これが俺?」
両手で自分の顔に触れ、形状を確かめた。触れ慣れた自分の顔とは異なる感触に驚いて、勇者は声にならない呻きを上げた。
「たいらだ・・・・・。顔が、ひらたくなっている」
鼻は低く、頬骨も薄い。顎の先端は丸くなり、眉から瞼にかけての隆起も乏しい。慣れ親しんだ自分の顔とはまるで違う、見も知らぬ男の顔が鏡の向こうからこちらを覗いている。なによりも勇者を驚かせたのは、冬の満月のように輝いていた自分の銀髪が、新月の夜のような黒髪に変わっていたこどだった。
「これはどういうことだ?わたしは、どうしてしまったんだ?」
鏡に向かって自問してみたが、答えは返ってこない。
「ここは、牢獄ではないのか?だとしたら、宿屋だろうか」
トイレから出ると、勇者は改めて部屋の中を見回してみた。低い天井に、染みの浮いた壁紙に覆われた狭い部屋。酒瓶が何本も転がった床の上には、厚手の寝具らしきものが敷かれていたが、ベッドらしきものは見当たらかなった。寝床のすぐ脇にある小皿の上には、焦げ跡のついた紙製の円筒が何本も転がっていて、焦げた草のような異臭を放っていた。
「牢獄ではなさそうだな」
寝床の先にある小さな窓を開いてみると、むっとする湿気と共に様々な音が流れ込んできた。音の大半は、勇者にも聞き覚えがあるものだったが、遠くから響く振動音には不安が掻き立てられた。何か巨大なものが、凄まじい数で移動しているようだった。
窓の外の景色は、勇者が知っている巨大城塞都市の貧民窟に似ていた。狭く入り組んだ路地の二階に、勇者のいる部屋はあるようだった。
物音に気付いて、窓の左隣を見た。中年の女が、干してある洗濯物を取り込んでいる最中だった。
「やあ、ごきげんよう」
警戒させないように声のトーンを上げて女に声を掛けた。女の目が勇者を捉えたのは一瞬だった。女はすぐに目を逸らし、乱暴に洗濯ものを取り込むと、叩きつけるように窓を閉めた。
「失礼な女性だな。それとも、言葉が通じないのか」
窓の下の路地を歩く若い男を見つけた。
「ごきげよう。なぁきみ、ここはなんという街なんだ?」
若い男は無言で右手を上げ、勇者に向かって中指を立てて見せた。
「上?上に何かあるのか?」
上空を見上げたが、夏の白い雲以外は何も見えなかった。
「おい、きみ。上には何もないぞ」
勇者の声には答えず、若い男は路地の向こうに消えて行った。
「言葉を交わしてはならないという法でもあるのか・・・・・」
思案してみても仕方がなかった。ここがどこなのか、そして自分は何故他の男の姿形をしているのか。疑問は尽きないが、答えは自分で探すしかない。この部屋の外へ出て、自分の置かれた状況を理解する必要があった。
乱雑な部屋の中から、男の物らしい衣服を見つけた。柔らかい生地をした灰色の半ズボンと、縦縞模様のチェニックのような上着を素肌の上に直接羽織ってみた。上着は妙に軽く袖が大きすぎるので、肩の部分から引き千切り、窓に吊るしてああったカーテンを取り外して帯にした。
「丸腰で出るわけにはいかないな」
部屋の中を物色してみたが、武器らしきものは見つからなかった。勇者は仕方なく、台所にあった片刃のキッチンナイフを持ち出し、腰に巻いたカーテンに差し込んだ。
「おっといけない」
腰帯に差したナイフを右手に持ち、勇者はそれを高く掲げた。
「我は光の勇者なり。我が手に掲げるこの剣に、光の加護があらんことを」
低い天井に向けて掲げたナイフが眩いほどに輝いた。輝きは一瞬で止んだが、それでもナイフの刀身は怪しい煌めきを保っていた。
勇者はナイフを胸の前に構え、呼吸を整えた。光の加護を受けたナイフは、今ではしっくりと勇者の手に馴染んでいる。
「吧っ!」
気合と共にナイフを一閃させた。部屋を揺るがす衝撃波が巻き起こり、斬撃の先に置いてあった黒い金属製の板がふたつに切断された。
「これなら大丈夫だ」
ナイフを腰帯に差し込むと、勇者は大きく息を吸い込んだ。
「よし。行くぞ」
玄関にあった黒の革靴に素足を突っ込み、勇者は四畳半一間の1K格安アパートから外へと踏み出した。




