途方
地響きと共に甘王の前に着地した南条は、伸ばした左手で甘王の喉首を掴んだ。百キロに近い甘王の体を楽々と釣り上げた南条の右手には、熱を帯び赤黒く変色した鉄鎖が巻き付いている。
「これで終わりだ。長きに渡る人と魔王の争いは、いまここで終わる」
渾身の力を籠め、鉄鎖の絡みついた右拳を引いた。溶解寸前なまでに熱せられた鉄鎖が、ブスブスと音を立てて右腕を焼いていたが、その痛みすら南条は意に返さない。
鎖で武装した右の拳を、甘王の顔に叩き込めばそれで終わる。甘王の頭蓋は粉々に吹き飛び、首から上は消滅するはずだ。
「どうした?早くやるがよい」
南条の左手に釣り上げられた甘王が苦し気に声を上げる。苦しみに喘いでいるというよりは、首を掴む南条の力が強くて声を出しづらいのかもしれない。
「何をしておる勇者よ。魔王を倒すのは、貴様の、貴様ら人間どもの悲願であろう。さっさとワシに止めを刺せ」
甘王の言葉が魔王本来のものに戻っていた。人間甘王隆ではなく、魔王として相対していることを南条に意識づけさせている。
南条の脳裏にかつての仲間たちの姿が過る。生まれ育った村の人々、共に戦火を潜り抜けた仲間や同志たち。今は無く、これから先も二度と出会うことのない人々の姿。
「貴様が奪った全ての命への弔いだ。消えて無くなれ」
引き絞った右の拳を甘王の顔面に叩きつけようとした。だが、南条の腕は動かなかった。
「怖気づいたか、南条。この期に及んで情けないやつだ」
挑発する甘王の言葉も耳に入らなかった。何かが引っかかり、南条の動きを止めていた。
「やれ、光の勇者。この腰抜けが。その拳でワシを殺せ」
南条の右肩に白猫が現れた。飛び乗ってきたのだろうが、気配など何ひとつ感じさせぬ見事な身のこなしだった。
ミャオと、白猫が鳴いた。鳴き声は南条の耳朶を打ち、停止状態だった思考が再始動する。
「化け猫は気づいておるか。惜しいのぉ」
苦笑混じりに甘王が呟いた。その一言で南条も全てを理解する。
「罠か」
白猫が南条の左腕を伝って、甘王の頭に飛び移った。豊富な髪を持つ甘王の頭頂で、白猫は体を丸めた。
「貴様の正体は実体を持たぬ闇の瘴気。貴様の体を消滅させたところで」
「別の肉体に憑りつくだけじゃ。より強靭で、精悍な肉体にな」
「お前が完全に消滅するまで、憑りついた人間全てを始末することもできる」
「やってみよ。次々と人間を殺すお前を、この世界の警察とやらが黙って見ているとは思えんがな。人類を救うはずの勇者が人間に追われる様を眺めるのは、さぞかし良い暇つぶしなるであろうよ」
右拳を下ろし、左手に掴んでいた甘王を投げ捨てる。甘王の頭の上に座っていた白猫が、ギャオと非難めいた声を上げたが、南条は意に介さなかった。
丸々と肥えた甘王の体が、派手に地面を転がっていく。泥まみれになった甘王は、数メートル離れた縁石に激突して動かなくなった。
「痛いなぁ。まったく乱暴なんだから」
服に着いた泥を払いながら甘王が立ち上がる。神経質な性質なのか、服の破れを見つけては呻き声を上げる。
「先月のお給金で買ったばかりなんだよなぁ、この服。南条さん、弁償してくださいよ」
南条のスーツの方がはるかに酷い有様だった。数百匹のネズミに咬み裂かれたスーツは服としては機能しておらず、今の南条は半裸に近い状態だ。
「これからどうすればいい」
誰に訊いたわけでもなかった。生まれて初めて、南条は途方に暮れていた。
「とりあえず」
答えがあるはずもない南条の問いに、甘王が答える。
「うちに来るとよい。お互いこんな格好でうろついていたら、通報されてしまうからの」
縁石に打ち付けた腰をさすりながら、甘王が公園の出口に向けて歩き出す。
「貴様のうち。魔王城か?」
「新生魔王城だ。手狭だがなかなかに快適じゃぞ。怖くて来れぬというのなら、これ以上誘いはせぬ」
判断できず立ち尽くす南条を後目に、白猫ランスロットは甘王の後を追っていく。桜の木の根元に落ちていたカバンを拾い、南条はひとりと一匹の後に続いた。




