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tokyo転生者 北区に住んでる光の勇者  作者: 氷川 泪
プロローグ
10/202

消滅

「見事だ」

 落とされた魔王の口が動いたが、声は大伽藍(だいがらん)中空(ちゅうくう)から響いてきた。

「人間ごときに、この首落とされようとはの。しかし・・・・・」

 勇者は自分の体に浮かび上がる斬撃(ざんげき)(あと)に気がついた。ディメンションリッパーの斬撃は左の肩口(かたぐち)から右脇腹(みぎわきばら)にかけ、(なな)めに走っていた。

「死んだことにすら気づかなんだか。(あわ)れな男よ」

 膝をついた勇者の体から、多量の血液が噴出(ふんしゅつ)した。

 首の無い魔王の体から、至極色(しごくしょく)瘴気(しょうき)が流れ出し、たなびいていた。どこまでも黒に近い紫の闇の奥から、魔王の声は響き続ける。

「わしに実態(じったい)は無い。(ほろ)びた肉体を捨て、新たな体に宿(やど)るだけだ」

 至極色の動く影は、勇者の体に(まと)わりついていく。

頑強(がんきょう)な貴様の体こそ、わしの新たな宿にふさわしい」

 影が勇者の口に向かって()い上がっていく。影が口腔(こうこう)に流れ込むと、勇者の顔が苦痛に歪んだ。

「喜べ。貴様は死ぬが、貴様の肉体は生き続けるのだ」

 影が吸い込まれるたびに、勇者の傷が(いえ)えていく。

「お前を倒すことは、できない」

 苦し気に勇者が呟く。勇者の声帯(せいたい)(あや)る魔王がそれに呼応(こおう)する。

「その通りだ。人間であるお前に、わしを(たお)すことなど、最初から不可能だったのだ」

 勇者の左目は、(やみ)(たた)えた魔王の目と化していた。支配されつつある、左の口元(くちもと)邪悪(じゃあく)な笑みが浮かび上がる。

「知っていたさ」

 苦痛に()える勇者の右顔に自嘲的(じぎゃくてき)な笑みが浮かぶ。

(たお)せないことなど、最初からわかっていた」

自己犠牲(じこぎせい)とやらか。(かな)わぬまでも、一矢報(いっしむく)いるつもりでいたのか?(おろ)かな」

「そうでもない。人にとって最悪(さいあく)の敵である魔王と相打ちなのだからな。悪くない」

 邪気(じゃき)()ちた勇者の左顔に疑念(ぎねん)が浮かぶ。

「相打ち?何を言っている。今まさに死にゆく貴様に、これ以上何ができる?」

「あなたを倒せないことは知っていたといってるだろう。だからわたしは・・・・・」

 最後の力を()(しぼ)り、勇者は大地に立ち上がった。

「倒せる相手を捜し出した」

 大伽藍の真上、落下してきた巨大な縦穴を勇者は見上げた。強力な光が(ほとばし)り、大伽藍を照らし出す。昼間のように明るく照らされた大地の上に、大量の火竜の死骸が叩きつけられた。火竜の死骸の上に降り立ったのは、雷光(らいこう)(まと)った黄金龍だった。

(りゅう)の王!」

 驚愕(きょうがく)に満ちた魔王の声と、勝利を確信した勇者の声が、重なり合って勇者の口を突いて出た。

「待たせたな、小僧。お前の望み通り、手加減(てかげん)はせん。(ゆる)せ」

 黄金龍の巨大な口が開く。勇者の目を通して、魔王は龍の(あぎと)の奥からせり上がってくる強大な熱を感じた。溶岩(ようがん)奔流(ほんりゅう)にも似たその炎は、魔王が作り出した火竜が吐き出す炎など比較(ひかく)にならないほどのエネルギーを有していた。

 魔王は支配している勇者の左手を、龍の顎の前に突き出した。冷凍魔法で相殺(そうさい)できるような熱ではないだろうが、一瞬(いっしゅん)にして蒸発(じょうはつ)させられるよりはましだった。体の一部でも残っていれば、肉体は再生(さいせい)できる。

「バゴス・テリコス!」

 魔法が発動(はつどう)しなかった。突き出した左腕の先にあるはずの勇者の(てのひら)は砕け散っていて、魔力を放出(ほうしゅつ)することができなかった。

「おのれ」

 魔力を集中し、左手を再生した。あとは再生した左手を突き出し、(たくわ)えた魔力を氷結魔法(ひょうけつまほう)変換(へんかん)し放出するだけだ。

「バゴス、」

 魔法発動の直前、勇者の口が強い力で閉じられた。魔王の意思に逆らう勇者の右半身が口を閉じたのだ。

「バカが。お前も死ぬぞ。まだ間に合う。やつを止めろ!」

 閉じた口からくぐもった声が()れた。一点に集約(しゅうやく)された熱エネルギーは、龍の顎の中に白熱(はくねつ)した光球(こうきゅう)出現(しゅつげん)させていた。

「止めろ、わしの力で、どんな願いでもかなえてやる。止めてくれ」

 光の球から放たれたエネルギーは、光り輝くのレーザーとなって勇者の全身を覆い尽(おおいつ)くした。人の身なら一瞬にして蒸発するほどの熱だったが、魔王の魔力を宿した勇者の体は、強力なエネルギーの奔流にさらされながらも、人としての形状を(とど)めていた。

「貴様、貴様さえいなければ・・・・・」

 高高度(こうこうど)熱線(ねっせん)の中に身をおきながらも、痛みの感覚は無かった。魔王の断末魔(だんまつま)の声だけが騒がしかったが、頭の中から響いてくる声を止める方法などありはしなかった。やがて魔王の声も()き消え、完全な静寂(せいじゃく)が勇者を包み込んだ。五感(ごかん)(つかさど)器官(きかん)はことごとく消滅(しょうめつ)したせいで、音も光も、痛みすら感じない世界に、勇者はひとり取り残されていた。膨大(ぼうだい)な魔力を有し、それ故に完全なる消滅から(あらが)い続けている肉体より先に、魔王の意思が消え去ったのは意外なことだった。


「使命は果たせた。でも」

 消えゆく肉体をよそに、自分の声が聞こえた。声帯すら消失した今、声が出るはずがないのに、呟きははっきりと聞こえた。

 人々の期待と不安を一身に背負い、ただひたすら勇者への道を邁進(まいしん)してきた。それが正しかったのか間違(まちが)っていたのかを問うことに意味はなかった。魔王を倒すことが勇者に課せられた宿命だというのなら、自分はその使命を見事に果たしたのだ。

 だがそこには、何の感慨(かんがい)も無かった。自分の人生の全てを()けた使命を(まっと)うしたのにも関わらず、勇者の心には誇らしさも満足感も()き上がってはこなかった。

「わたしは、何をしたかったんだろう」

 消滅する間際(まぎわ)に、シンプルな疑問が頭の(すみ)()いた。シンプルであるが故に、その疑問は瞬く間に勇者の全身を包み込んだ。

「わたしは、本当に勇者になりたかったのか?本当に、この世界を救いたかったのか?」

 勇者は微笑んだ。今更(いまさら)考えても詮無(せんな)いことだった。

(のぞ)むなら」

 消えゆく意識の中で、勇者は声を上げた。

「この次は、勇者などではなく、普通の、当たり前の普通の人間として、争いの無い世界に生きてみたいものだ」

 力も名声もない、凡庸(ぼんよう)なただの男として、普通の世界で、普通に生きていくことができたなら、どれほど幸せなのだろう。

 絶命(ぜつめい)する瞬間、勇者は心からそう願った。


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