龍の背
勇者は龍の背に乗り、空を飛んでいた。
黄金の龍は、ボルサール城塞都市の北、百キロほどの峡谷の上空をかなりの速度で飛んでいた。高度と速度のせいで、大気は凍てつき、呼吸をするのも困難なほど空気は薄い。常人なら立つこともままならぬ状況であるにも拘わらず、勇者は悠然と龍の背に立ち、視線を前方の一点に据えている。
「見えて来たぞ」
金龍が声を上げた。口蓋の作りが異なる龍が、人の言葉を話すには高度な魔術が必要だった。龍の唸りを人語に変換するには、莫大な魔力が必要なのだ。それだけに、人語を操る龍は希少でその存在は伝説とまで言われている。
勇者と金龍の前方に、巨大な城が見えた。奇怪なオブジェの集合体のように見える城は、全体が赤く染まっていて、城全体が流血しているように見えた。城が異様なのは外観だけではない。城は峡谷の遥か上方に浮遊していた。城の底にある数百メートルに及ぶ岩盤までもが、目に見えぬ巨人の手で引き抜かれたように空中に静止し、峡谷一帯に新月の夜のような影を落としている。
「なぜ城が浮いている?」
勇者が疑問を口にした。驚嘆する素振りはまるでなく、頭に浮かんだ疑問をそのまま口にしているようだ。
「さあな。魔王の力なのか、城自体にそういう仕掛けが施されてるのか。いずれにせよ、行ってみなければわからんな」
「そうか。五百年生きていても知らないことがあるのだな」
勇者の言葉に、黄金の龍の鼻息が荒くなる。
「口に気をつけろ、小僧。振り落とすぞ」
「落とさずとも、もうじき降りる」
勇者と金龍の口元に笑みが浮かぶ。
「面白いやつだ。あの城を見て恐怖を感じぬか」
「いいや、怖いな。体が震えている」
「震えてのは寒さのせいだ。さっきからお前の震えがおれの背に伝わってきている」
「そうなのか?わたしはてっきり怖くて震えているのだと思っていた」
「雲の上に出てから、おまえはずっと震えておるわ」
金龍が豪快に笑う。つられて勇者も声を上げて笑った。
「来るぞ」
魔王城の上空に、雨雲のような黒い塊が見えた。塊はうねり捩じれながら、その姿を変えている。近づくにつれ、黒い塊から、人の叫び似た鳴き声が聞こえて来た。塊の所々から、突き出された赤い舌のような炎が噴き上がる。
「サラマンダー。凄まじい数だ」
黒蛇にコウモリの羽を付け足したとしか思えない邪悪なフォルムを持つサラマンダーは、魔王がこの世界を滅ぼすために生み出した究極の生物兵器だった。硬質の鱗に覆われたサラマンダーの体は、弓矢はおろか鋼の剣さえも通さない。自在に空を飛び、炎を吐き、人を喰らう魔竜は、この世界に住む全ての生物にとって破滅をもたらす天敵以外の何者でもなかった。
魔王は千を超えるサラマンダーを自身の居城の守備に当てていた。