終わった冒険を、今
いかな英雄とて、人の身である以上いつかは朽ちる。
手足は細り、目は霞み、歩みは止まり……これからを生きる者たちに別れを告げる時が来る。
その日は暑く、白く、眩しい1日だった。
高く蒼い空には鳥が2羽、太陽の熱にも負けず競うように飛び交っている。
「……」
私はその軽やかさから目を逸らし、庭を見る。日差しを存分に受けた芝は青々と茂り、その上で革鎧を身に着けた男の子が無心に拳を振るっていた。今年で13歳になる、私の孫。普段は親の許で暮らしているが、暇があるとこうして私の家に指導を仰ぎにくる。
多分贔屓目も入っているが、この歳でこの動きができる者は中々いないと思う。一流の冒険者になるという彼の目標も、このまま鍛錬を続ければ叶うはずだ。
ふと、彼が私の視線に気づく。照れたように手を止めた。
「……何だよ祖母ちゃん。ニヤニヤして」
「あら。私、笑ってた? ……ふふ」
「思いっきり笑ってるじゃねえか」
ババ馬鹿(?)が顔に出ていたらしい。でも実際大きなギルドから、この家に偵察が来ていたりする。まだ本人には話していないが、私が所属していたよしみ、お孫さんを是非ウチのギルドに――――そんな内容だった。
思えば、娘もそんな話を貰っていた。本人にその気がなかったから断ったけれど。私の血を引く以上、チェックされるのは当然か。
「さ、お昼にしましょ。お隣から、良いお肉貰ったの」
「おっ! マジ!?」
「うん。あ、でも食べる前に汗流して。臭い子は家に入れないからね?」
「分かってるよ」
いそいそと水浴びに向かう孫を見送り、私は手で体を仰ぎながら屋内へ戻った。
彼に技を指導するようになって5年。まだまだ無邪気な笑顔を見せてくれる。世の中には反抗期なんてものも聞くが――――もうすぐ彼もそうなるのだろうか。成長の証と考えれば少し楽しみでもあるけれど、嫌われるのはやはり怖い。
「なあ。祖母ちゃんが現役の頃の話、聞かせてよ」
テーブルについて肉をがっつき始めた彼は、私の心配をよそに目を輝かせる。
「またその話?」
「いいじゃん。何回聞いても面白いんだから」
「そう? あの頃はね――――」
彼が小さい頃から何度も聞いてくる、私がまだ戦士だった頃の話。仲間もまだ皆無事で、毎日楽しく喋って、激しく戦って、時々泣いた。数十年経った今でも燦然と私の胸に輝ける日々の話を、彼はリアクション豊かに聞いてくれる。
昼食以降はその話で、あっという間に時間が過ぎていく。ひと段落すると、彼は満足そうに礼を言った。
「ありがとう。やっぱり、祖母ちゃんはすごいよ。話も面白いし、色々教えてくれるし」
「どういたしまして。伊達に、あの時代を生きてないから。……っと、そろそろ帰る時間じゃない?」
「え? あっ本当だ!」
彼は時計を見て慌てた。両親と約束した時刻まで、もう間もなく。
「悪い祖母ちゃん、また今度な!」
「いつでもいらっしゃい」
自宅へと走って帰る孫の後姿を見送り、私は家の中へと入ろうとして……庭の水浴び場に何かが落ちているのを見つける。
「あっ……」
正体は、彼が鍛錬中に身に着けていた装備一式。水浴びのために脱いで、そのまま置いて行ってしまったらしい。私は胴鎧を拾い上げ、しげしげと見入る。
革が変色していたり、金属部分にも錆があったり、13歳という年齢の割に随分年季が入っている。というのは当たり前で……何を隠そう、この装備は私のお下がり。彼が10歳になったとき、頼まれて譲った。サイズもぴったりだったし、何より装備が家で腐っていくのも嫌だったから、喜んで譲った覚えがある。
「私が使ってた頃から、傷みが進んでる……さっさと届けて、直してもらうように言った方がいいかしら」
装備を一通り点検した私は、久々に鎧を着て外を歩こうと思い立つ。慣れた手つきで装備を身に着け――――1歩踏み出した途端バランスを崩して地面に座り込む。
そして気づく、立ち上がれないことに。
「……っ」
歯を食い縛り満身の力を籠めても、震える足は立ち上がるどころか、尻餅をつかないよう踏ん張ることで精一杯。私の意思に反して、体は動くことを拒絶していた。
「……そっか。そうだった……」
もはや鎧を着なくとも、走ることすらおぼつかない。私の足はもう、自分の体重を支えるのにも難儀する。
若い時の無茶が祟り、私も仲間も若くして冒険者を引退せざるを得なくなった。怪我や病がもとで亡くなる者も後を絶たない。私は今55歳……とっくに、私の冒険は終わっているんだ。その事実を今更ながら思い出す。
「はーっ、もう!」
もどかしさを吐き出して、私は重力に抗うことを諦めた。背中を芝に預け、星が顔を出し始めた空を見上げる。現役のときは思わなかった、空が高いなんて。
手を伸ばせば、跳べば届きそうくらいに思っていた。
「……大人になった、のかな」
枯れただけだろう、と自嘲する。自分はここまで、と悟ってしまった。線引きしてしまっている。ただ、これまでの人生に後悔はない。強くなったし、人助けも数え切れないほどした。とっくに故人となっている育ての親も、きっと褒めてくれるはず。
「あっ祖母ちゃん! 大丈夫か!?」
物思いに耽っていると、不意に声がした。どうやら忘れ物に気づいた孫が引き返してきたらしい。ゆっくりと地面から身を起こす。
「大丈夫よ、心配しないで」
「庭で倒れてたら心配もするぜ」
装備を外し、孫に渡した。
「もう忘れちゃダメよ?」
「うん。ごめん、ありがとう」
今度こそ忘れ物を完璧に確認し、孫は去っていこうとする。その背中に、私は声をかけた。
「ちょっと、いい?」
「え、何?」
急いでるんだけど。そう言いたげな彼には申し訳ないが、伝えておきたいことがある。
「――――私はね、もう長くない」
「……な、何言ってんだよ」
困惑を隠しきれない彼だが、私の表情で冗談でも何でもないことを察してくれたらしい。
「祖母ちゃん、実は病気なの? なら医者に」
「病気……と言うと語弊がある。生きる力を失ってる、と言った方がいい。医者には随分と前に、手の施しようがないって言われたわ」
それから私は、現役を引退する間際の話をした。大敵を破り、英雄と呼ばれた私。その陰で体は、30手前にして燃えカスになったこと。次々届く友人の訃報に、年々細る自らの手足……そんな話を、彼は神妙な表情で聞いてくれた。
「そっか……何年か前に組手の相手をしてくれなくなったのも、そういうことなんだな」
「うん。『手加減できなくて、怪我させたら困る』なんて、大嘘。あの時にはもう、拳も握り込めなくなってた」
今の私は、英雄どころか一般人にすら敵うまい。この調子では、自分の予想より早く死ぬかもしれない……さっき鎧を身に着けて、そう実感した。
「だから死ぬ前に……1個だけお願い」
「な、何?」
「こっち、来て」
私は家の中へと案内し、大事にしまい込んだ宝物を引っ張り出――――せず、孫に手伝ってもらった。それは私が現役の頃に使っていた籠手で、当代一と謳われた名工の作。世界に2つとない最高級品。
「これ、貰ってほしいの。まだ早いと思ってたけど……」
「……いいの?」
「うん。きっと、使いこなせる」
彼はおずおずと籠手に手を伸ばし、その意外な軽さに驚いた表情を見せた。軽く、強く、魔力も良く通す。世界を救った英傑の武器に、興奮を隠せないようだった。が、彼はそれを押し殺し、私を気遣ってくれる。
「祖母ちゃん。死ぬのって、やっぱ怖いの?」
「怖い」
即答した。自分の家族にも、残り少ない友人にも、2度と会えなくなる。怖くないわけがなかった。
「だから、私の武器を継いでほしい。私が死んでも、私のこと、忘れないでほしい……っ」
声が震える。自分という存在がなくなる。その重圧は、細くなった骨を容赦なく軋ませる。周囲にはこれまで悟らせなかったが……頑張ってあと2年くらいだろうか。孫の冒険者デビューを見届けられれば上出来だろう。
「忘れない」
力強く、でも優しく。震える肩を彼の腕がくるむ。
「忘れないし、忘れさせない。俺が有名になって、祖母ちゃんの名前がずっとこの世に残るようにする。だから、その……怖がらなくても、大丈夫だって」
少しだけ呼吸が楽になる。こういう言葉が欲しかったんだ、と実際に言われて思う。
「……ありがとう。断られたら、どうしようかと思ってた」
「断るわけないだろ。祖母ちゃんに憧れて、俺は冒険者を目指したんだ」
どうしようもない寂しさと、それに負けじと強い決意を湛えた声。……彼になら、安心して託せる。
「うん、よろしくね」
「ああ。祖母ちゃんも、少しでも長生きしてくれよ? せめて、俺が一人前になるまで。あと10年くらいはさ」
「無茶言わないで、と言いたいけど……」
無茶なら、若い頃から散々言われ慣れている。何より、可愛い孫のお願いだ、頑張ってみようじゃないか。
「あと10年か。色々、やってみるわね」
あとは死ぬばかり。そう思っていた私の心は、この時、確かに躍っていた。
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