大問四・博士vs獣医
人というのは、何かをしている中で、自ずと賢者タイムに入ってしまうものである。
あたしもそうで、目的はしっかりと認識していても、流石に下駄箱と下駄箱のスペースに、まるで忍者のように一時間も居れば、所々のタイミングでふと、「あたしは一体何をしているんだろう」、と考えてしまう。
望もそうらしく、十分くらい前からあたしたちはどちらからともなく、無言になっていた。
「……。」
「……。」
あれから、寒太を待ってみること一時間以上。
彼が姿を見せることは無かった。
「……ほ、本当に大人しくしてるねぇ。何かぁ、疑って悪かったなぁ……」
その通り、とあたしは頷く。態度こそ生意気だったけど、約束は守ってくれているみたい。意外と、律儀な性格なんだろうか? それとも、まだ何か……?
いや、無いだろう。このポイントは廊下からは死角で、見えるはずがないのだから。もし何か外でしようとするなら、下駄箱を通らなくてはならない。つまり、ここで彼の姿を見ない限り、外へ出てはいないということである。
もし寒太が動いた時、直ぐに追跡できるように刀も持ってきているが、使うだろうか。
そう思った所で、あたしは望に言いたいことがあったのを思い出す。
「ねえ、望、そういえばなんだけど……」
「ん? なぁにぃ?」
場所がな場所なだけに、こっちを向いた望の顔が近い。おかげで、小さな声で話ができるんだけれども。
「さっき、なんであんなに寒太のこと、警戒してたの? ほら、理事長室の……」
「あ、別に……」望は気不和そうに目を逸らした。「……警戒してたわけじゃないよぉ。ただ、まぁちょっと、引っかかることがあったっていうかぁ……」
あたしはキョトンとなる。「何が?」
「う、ううん。だから、何でもないのぉ。そんなに、大したことじゃないし……それがあるからといって、寒太くんのこと、嫌いになるわけでもないからぁ……」
望にしてはやけに歯切れが悪いが、本人が言いたくないのかも知れない。ならばとこの話を「そう、なら、ま、良いんだけど」と流し、別の話題に行こうとした、……その時。
ピロロロロロロロロ、と甲高くスマホが鳴く。見つかってはここまで耐えてきた苦労が元も子も無くなるので、慌ててポケットから取り出し、ロック画面をスワイプして黙らせた。
「な、何、いきなり……」
改めて通知を見ると、何とHuntersからの緊急報告だった。これが来た時は、如何なる状況でも内容を確認しなければならない。しかも今回に至っては、何か物凄く嫌な予感がした。望に断りをいれ、公式サイトを開く。下駄箱と下駄箱の隙間は暗いので、スマホの光が目に痛かったが、そんなことも言ってられない。あたしのアカウントに来ている、一番上の新着メッセージを選択し、用件を見た途端、あたしは思わず瞠目した。
『対吸血蝙蝠討伐クルー全滅』
「ぜ、…………全……滅……?」
「? 唄乃ちゃぁん?」
スマホを覗き込んできた望も、一瞬にして固まる。
「全滅?! あでも、……吸血蝙蝠、が、相手……なら、」
「ううん、望、おかしいよ、これ。」
相手が悪かったんじゃない? とはならない。クルーのメンバーを確認すれば、かなり豪華だ。テトラからセプタまでの混合だから、吸血蝙蝠の討伐であれば一人二人死ぬことはあっても、全滅はありえない。
「もしかして、〈王〉がいたのかな?」
「ええ……?」 あたしの言葉に、望は怪訝な顔をする。「……吸血蝙蝠は【危系序列】第五位だよぉ……。そんなのに〈王〉がいたら、壊滅じゃぁ済んでないよぉ……」
「なら、どうして……」
「わ、わかんないよぉ……」
うーん………………。
少し悩んだ末に、あたしはスマホに表示された時間を見た。あと十分ほどで下校時刻だ。寒太は鹿野川先生に送ってもらうって言っていたし…………。
「望」
「え、な、なぁにぃ…………?」
あたしは望に向き直る。案の定、割と勘のいい彼は、何か察したのか顔が少し引き攣っていた。
「あたし、見てくる」
「言うと思ったよぉ!! やめなさい!!」
うん、それも言うと思ったよ……。
「でも、これは行ってみないと! 何が起きたのか、見てくる!」
「ちょ、待ってよ唄乃ちゃぁん! あ、危ないよぉ!」
必死で止めようとする望に「寒太のこと、後よろしく」とだけ伝えて刀を引っ掴み、とりあえず狩人の本気を出して疾走し、その場から退散した。
獣医で、その上運動神経がだいぶ無い望が、あたしに追いつける訳もなく。
「唄乃ちゃあああああんっ!!」
手を伸ばして絶叫する望を余裕で引き剥がし、あたしは現場へと向かって行った。
「もーお、直ぐ突っ走っちゃうんだからぁ……」
あいにく、望は運動神経はからきしなので、彼女を追いかけるような真似は出来ない。そも、しようとも思わない。
それに、確かに危ないと思うが、死ぬことは決してないだろう、とも確信している。あれでも相手の実力を見極められるし、第一彼女は激強なのだ。それこそ、大人のベテラン狩人にももしかしたら勝てるかも知れないくらいだ。……頭はクソほど弱いけど。
「ほんっと、何時か大変なことに巻き込まれそうだなぁ、唄乃ちゃんは!」
誰に聴かせるともなしに呟き、もう一度身を潜める。
「さてと」望は自身の中で仕切り直すことにした。「オレは引き続き、寒太くんが来るのを待つぞぉ、……っと」
「何故そこで待つんだ?」
「そりゃぁ、だって、ここにいないとぉ、寒太くんに見つかっちゃうもん……って、え?!」
首がもげる勢いで声のした方――出入り口を向くと、そこにいたのは今にも望を鼻で笑いそうな顔の寒太だった。
「う、わぁ! 寒太くぅん! なんで此処が?!」
「阿呆か、教室で話している声が丸聞こえだったぞ。しかも潜んでいるつもりかも知れないが、わーわー騒がしかった。暇なんだな、獣医ってのは」
かーっ、と望の顔が一瞬にして赤くなる。今までの自分たちの行動をすべて知った上で、敢えて泳がせていたのか。そんな怒りと、やっぱりこんな馬鹿なことは途中でやめとくんだった、バレて恥ずかしい、みたいな後悔や羞恥の念がぐるぐると交わり、望は何も言えなくなる。
「…………~っ」
「残念だったな。そんなに隙だらけじゃあ、仕方もないが」
わざと大きな手振りで肩を竦める寒太を、望は反論できずに睨みつける。すると、ある所に目が止まった。途端、何故か目が据わる。
それは、寒太の右の手の甲の包帯だ。
「寒太くん、……そういえばなんだけど、その包帯、どうしたの?」
「……別に。ただの腱鞘炎だ」
「……ふーん、そう」
望の棒読みの返事に、寒太は眉間に皺を寄せる。
「だったらなんだ? 興味もないことなら最初から聞くな」
「…………」
じっと己を据わった目で見つめ続ける望は、何かを考えているようだった。
(思えば……此奴、初対面の時も、何か様子が変だった……)
そのことを思い出し、寒太は何を言おうとしているのか気になって、じっと待ってみる。
「……君さ、伊予に来たの、一か月前なんかじゃないよね?」
ポツリと漸く望が吐き出したその言葉に、寒太は軽く目を見開く。
「……どういう意味だ?」
「そのままの意味だよ」
寒太は、千代鶴の変化に気づいた。その瞳は丸っこく、幼い印象が強いが、今はその紅が、知性的な光を宿している。
相応の頭脳を持つ者の、怜悧な光。
「……“i線”って、知ってる?」
「……さあ?」
寒太が何でもないように返すと、望はフッと目を細め、説明を続ける。
「四国にのみ存在する、紫外線の一種だよ。基本的に、外から四国に入ってきた人は、これに反応して――丁度、日焼けするみたいに――肌の色が赤くなるんだ……最低、一年ほどはね。でも寒太くん、君、一ヶ月にしては、やけに肌の色が落ち着いてるね?」
「偶然では?」
「それはないね」望は無表情なまま即答する。「そんな事例は確率的に行っても滅多にない事象だね。真逆、君はこんな春頃から日焼け止めクリームでも使うの?」
「鹿野川先生に、赤くなることだけを言われていたら? クリームを使えとアドバイスされていたら? 僕は“アイ線”という言葉だけ知らなかったとすれば? ……それだけでは、僕が一か月前に来たことの証明にならない」
「うん……それだけじゃないな……」
出し抜けに、望は寒太にスっと顔を近づけた。
寒太は思わず眉を顰める。そりゃあ、キスでもできそうなほど顔を寄せられれば、同性でも戸惑うだろう。しかし、当の望は驚く程平然としている。
その距離のまま、彼は微笑んだ。
唄乃に向けるような、あの無邪気な笑顔ではなく、医者が患者に向ける、社交用の笑みに近い。
刹那、望は恐ろしいことをした。
「ちょっとごめんよ」
なんと、メガネの隙間から寒太の右目に指を突っ込んだのだ。
「?!」
反射的に瞼を閉じても間に合わず、望の青いニトリルの手袋をした指が、寒太の瞳に触れる。
しかし、寒太は眉間にさらに皺を深く刻んだだけで、他に何の反応もしない。普通の人間なら絶叫し、悶絶する痛みであるのに関わらず、だ。
「おいっ……!」
「……瞬目反射あり、痛覚は無し、人造瞳孔確認、視覚、視力あり、……後天性の、W型水晶体移植手術かな……手術痕も綺麗、色再現も上手く出来てる……相当な手腕だな、これやった人」
「……勝手に何をしている」
「いや、何て言うか……」
望は指を退け、「ごめん」と声をかけ、寒太から離れた。そしてまた、ニッコリと作り笑いをする。
「君、目を手術してるでしょ?」
「…………」
ジロ、と寒太は目だけで望を見た。否、睨んだ、という方が適当だろう。
「……さてな」
「今更往生際悪いよ? ……“竈家守”の水晶体義眼移植してるよね? 唄乃ちゃんはそも論知識皆無だし、狩りに必要ないから全く気付かなかったと思うけど、見る人が見たら余裕で判るよ。だって、唄乃ちゃんやオレと理事長室で目ぇ合わせた時、若干の焦点調整時間の誤差があった……要するに、ほんの一瞬斜視になることなんだけど、それ、これやった時になる副作用みたいなもんなんだよね……」
「……」
寒太はじっと望を睥睨し続ける。だが、内心では驚きに目を見張っていた。唄乃のような、何も考えていなさそうな阿呆とつるんでいるくらいだから、大したことのない奴に違いないと思っていたが、とんだ誤算だったようだ、と。
(出会って何秒で気づいていたんだ、此奴は……気をつけておこう。只者じゃない)
望は寒太をそのままに、話続けた。
「勿論、元々先天性の全盲で移植するって人はいるんだけど、そういう人はほぼずっと目に痛覚がないままだから瞬目反射が身に付きにくいんだよね……でも君、反応速度は普通だったよ。てことはおそらく、手術後約十三ヶ月。なら……一年くらいは伊予国域の病院で入院してた筈だよ。アイ線の件も含めて、ね。とすると、一ヶ月という君の言葉に矛盾してるんだけど、そこはどう?」
何でもないように淡々と言い放たれた言葉に、寒太は無言で応じた。
そして、観念したように首肯する。
「……ああ、この際だ。訂正しておこう。確かに僕は一か月前に来たわけじゃない。……だが」
寒太は顎を上げると、望を正面から睨んだ。
「だからといってお前に関係はないはずだ」
「うん。無いね」望はあっけからんと答えた。「オレが興味あるのはそこじゃなくて、なんで鹿野川先生や君が、オレたちにそんな嘘ついたのか、ってことだね」
だろうな、と寒太は首を縦に振る。自分が望であったとしても、それが最も気になるポイントだからだ。
だが、まだ言えない。寒太は心の中でそう呟いた。
「それも、千代鶴、お前には関係のないことだ」
「ううん、悪いけど、これはあるよ」望は笑みを消し、真っ直ぐに寒太を見つめた。「唄乃ちゃんやオレは、契約状態になくても、巻き込まれているのは間違いない。まず、どうして鹿野川先生は君の護衛を、唄乃ちゃんに頼んだんだろう? どうして、君は護衛されなくてはならないんだろう?
……そして、どうして君は、一年以上伊予国域に居たことを隠さなきゃいけないんだろう?」
人差し指、中指、薬指を順にあげながら、望は疑問をぶつけていく。
「……中々に頭の回転が速いな」
「これでも獣医やってける脳はあるからね……で、これらはどうして? これらに何があるのか知らないけど、もし唄乃ちゃんに何か不利益があるんなら……」
望はここで言葉を切った。
すると、徐に何処から出てきたのかという眼力で寒太を逆に睨みつける。
「何をしてでも唄乃ちゃんから君を遠ざけるからね」
フ、と寒太は口角を上げた。
「過保護だな、千代鶴」
「唄乃ちゃんはあれでも本当に凄い子なの。まだ、まだ三段だけど……君のせいで、あの子の狩人人生に何か異変が起きたら、絶対許さないからね……オレの勘だけで、証拠もなしに行って不躾だと思うけど……君、何か臭うから……」
そこまで言うと、望は睨みつけるのをやめた。
寒太もそれを見て、体の力を抜く。
「安心してくれ、……お前らに被害が行くことは無いはずだ。まあ、何か臭っているというのなら消臭剤でも撒いておくかな」
望は肩を竦める。「エタノール系除菌剤と二酸化塩素系消臭剤なら持ってるから、使うとき言ってよ」
話すべきことは話した……そう思って、望が息をつこうとした、時。
「そういえば」寒太は今思いついたというような口ぶりで、呟く。
「先程のお前の喋り方……まるで、人間の患者に病状を説明する医者のようだな?」
今度は、望の眉間がピク、と動く番だった。望の緊張が一瞬にして戻る。寒太は望に顔を近づけ、囁いた。
「それに、今の知識……お前、獣医なんかじゃないだろう?」
反射的にか、それとも図星か。望の体が後ろへ引き下がる。
「……何のこと? 意味わかんない」
「それを言うな、の間違いじゃないか?」
腕を組み、小首を傾げる寒太に、望は平静を装って言う。
けれど、背中に汗が伝っているのは感じていたが。
「あのね、獣医程度でもさっきのことぐらいは基礎知識として頭に入ってるの。不自然なことじゃないからね?」
「……へえ。にしても、詳しいようだったが」
「ああいうのを専門にしている知り合いの先生がいるの。教えてもらったんだよ、前」
「……成程な?」
寒太は面白そうににやりと笑った。「僕も隠し事をしていたとは言え、お前もだったか。ならこれで、トントンじゃないのか?」
「……よく言う」
そこで、寒太と望の視線が交錯する。極薄い空色と、鮮やかな深紅の目が互いを探り合い、自分の隙は見せまいとしていた。
と、その時。
「おーい、寒太に望、そこで何してんだ?」と二人の状況にそぐわない、おおらかな声が聞こえた。釣られて、二人は声のした方向を見やる。
「「……鹿野川先生」」
声の主は、寒太を探していた鹿野川先生だった。
二人の姿を認めると、「よっ」と暗紫色の目を細める。
鹿野川こと――鹿野川耕平は、身長百八十超の美丈夫だ。切れ長の目が人の視線を引く、大らかそうな顔つきのイケメンでもある。故にか、白銀の髪を七三などに分けているし、服も至っておっさんらしく一昔前の雰囲気なのに関わらず、大層女性教員や女生徒からモテる。彼女たち曰く、『飾らなくて、でもレトロな感じがいい』らしい。
まぁ、要は素材で得をしているということである。
「お前ら早速話し込むなんて、仲いいなぁ」
「ぅえ……そ、そうですかぁ?」
望がへっ、と顔を口を横に広げる。その瞳からはもう、あの知性の塊のような光は抜けていた。
「ま、良いことじゃねぇか。……あれ、唄乃は?」
「唄乃ちゃんなら狩りにぃ……。なんでもぉ、クルーが全滅したとかぁ……」
「おいおい」鹿野川は呆れて笑う。「そんな時こそ寒太のそばに居ろって意味だったのに……ま、あいつのことだ。何かお前が言う前に、飛んでったんだろ?」
「はは……その通りですぅ」
この光景を、寒太は黙って見ていた。
奴は二重人格か……? と寒太が疑うほど、望はまるきり態度が違っていたのである。
先程は、何もかもを見通しているかのような、百戦錬磨の医師の顔つき。
だが今は、普段通りのあどけなく頼りない笑みを浮かべる望だ。もう一度この状態の望を観察して、改めて思う。
此奴に、あんな一面が隠されているなんて予想はできなかった、と。
(そうすると、音霧、あいつにも、何かあるというのか……? 僕が初対面で見切りきれなかった何かが)
知らず知らずのうちに、かなり凶悪な顔をしてしまっていたのだろう。鹿野川先生が少し気を使うような顔でこちらを見ていた。
「寒太? どーしたんだお前ら、まさか喧嘩でもしていたのかよ? 望のことそんな睨みつけて……」
「ええぇ? い、いやぁ、そんな事ぉ……」
「……別に」
望がこちらを伺うようにじっと見ていたことに気付いて、寒太は目を逸らす。先程のことを掘り返すつもりはないし、第一そんなことをすれば面倒臭くなるだろう、と寒太は心の中でぼやいた。
「……鹿野川先生」これ以上、この場に留まる意味はないと判断し、寒太は自分の靴箱に向かって歩きだした。「行きましょう。……時間が押しています」
「え? あ、お、おう。……んじゃ、千代鶴、明日な。唄乃に、生物の宿題ちゃんとするよう釘を刺しといてくれ」
「あ、はいぃ……まぁ、聞かないと思いますけどぉ……」
あは、と頭を掻いて苦笑する望に、「じゃ、頼むぞ」と手を振って、鹿野川は去っていった。
望は白衣のポケットから自分のスマホを取り出し、ロック画面の時間を見た。
「……色々あったけどぉ、オレもそろそろ行こっかなぁ……」
彼はそう呟くと、フラリと教室へ戻った。




