大問二〈上〉・転校生はだいぶチビ
覗き込むと、いつも通りの顔が、いつも通りの表情で鏡の中にいた。
黄色のメッシュが入った茶髪に、黄色の瞳。メッシュが入っている左横髪の方だけ、三つ編みをしている。寝相のせいでいつもこちら側に非道い寝癖がつくため、見兼ねた双子の姉が、あるときから毎朝こうしてくれるようになったのだ。ただ今日はその横の左頬に、大きなガーゼが貼られていた。
……うん。まぁ、いつも通りだろう。髪を軽く手櫛で梳かし、三つ編みを留めている髪ゴムの、飾りの星の位置を軽く整えた。その後、直ぐに女子トイレをでる。
トイレ入り口付近に、望は待ち構えていた。あたしの姿を認めると、片手を軽く挙げる。「あ、来たぁ」
「ごめーん、じゃ、行こうか」
「うん、そうだねぇ」
「待たせてごめん」と軽く声を掛けると、「気にしないでぇ」という間延びした声が帰って来た。
結局あの後、あたしは始業のチャイムに間に合わなかった(勿論、望にはめちゃくちゃ怒られた)。ところが、遅れてきたあたしに担任・鹿野川先生が告げたのは、『放課後、千代鶴と一緒に理事長室へ来ること』であった。
そろそろ狩人のバイトを辞めろと言われるのかとも思ったが、それなら望が付いてくる必要性がない。同じ理由で、成績関係でも無い筈だ。ならば何だと理由を尋ねてみても、カラカラと笑ってお楽しみだ、と言われただけで、詳しいことは一切聞かされていない。
怪しさ満点だが、理事長室というので、断るわけにも行かない。いや、そもそも論できない。
そういうわけで、あたしと望は今、理事長室へ向かっているのだった。
「でもぉ、唄乃ちゃん可愛いんだから、そんな入念に準備しなくたって、大丈夫だよぉ」
ニコニコと微笑んで望が言った。だが、男子とは思えないほど超童顔で愛らしさ抜群の望に言われると、皮肉にしか聞こえないのが現実なのだが。
まぁ、これが花火の件の当てつけならば、何も言えないが。
「そんな入念じゃないよ。身だしなみってやつ。それに、こういうことだったら、琴乃の方が多分もっと掛かるよ」
自分で言って、思わず苦笑する。琴乃――あたしの双子の姉は、これだけでは済まないだろう。何処へ出かけるのか、というレベルで、顔や服装に神経を尖らせるに違いない。
「そぉだねぇ、琴乃ちゃんはそういう事、すっごく気遣いそうだよねぇ」
想像できたのか、クックッと笑う望に、「気遣いそう、じゃなくて、遣うんだよ」と付け足した。
「……にしてもさぁ、」望は思い出したように呟く。「どぉしてオレら、呼ばれたんだろぉねぇ?」
「うぅん、どうなんだろう?」
「ねぇ。オレも全く見当がつかないんだよねぇ」
彼は顎に手を当て、コテンッと首を傾げた。やはり、男子でこの動作が似合うのって、相当だと思う。
本人はこの童顔を結構気にしているらしいんだけど、かなり贅沢な悩みだ。
トイレを出て、左手をずっと行ったところの突き当たりに、職員室がある。理事長室は、その通路にある扉のうちの、右片方の扉から入ることができる。普通、ここへ来ることは滅多にないので、今更ながらに緊張してきた。
トイレからは近かったため、そこへは直ぐに着いた。当然ながら、内部には人の気配がした。望と一瞬アイコンタクトした後、意を決して扉を叩く。
木製の扉が小気味いい音を立てた少し後に、中から「入って」と若い男性の声が聞こえた。
「……失礼します」
扉を開け、中へと入る。望も、恐る恐るというように、後に続く。
高級感のある室内には、3人居た。
一人は、執務机の椅子にゆったりと腰掛けている理事長。まだ二十代ほどの若い男性で、名前は確か、神家椎と言った筈だ。
また別の一人は、例の担任、鹿野川先生。特徴を簡潔に述べるとすれば、のっぽ、白衣、意外とイケメン。五十代後半でもこの顔だから、女子生徒から人気がある。ちなみに、担当科目は生物。
で。
(あともう一人の……この子は?)
その二人の間に、位置的に挟まれる様にして居る、……小学生? 身長は妹の鈴乃と大して変わらなさそうだから、百四十後半程か。
ところが顔はそうでもない。ここだけ切り取れば、大人かと思うほどに、成熟している。学者然としたノンフレームの丸メガネに、奥から除く、小さな空色の瞳。つぶらというよりは、寧ろ爬虫類的な、と形容すべきかも知れない。髪は瞳と同じ極薄い空色で、肌は白いを通り越して青白い。それによく見れば、右手の甲が包帯に覆われていることに気付く。
病死寸前の博士、という設定はよくあるが、正しくそんな感じなのだ。
「鹿野川先生、この子、誰ですかぁ……?」
一目見て訊かずに居れなかったのだろう、先んじて望が鹿野川先生に尋ねた。
「ああ、えっとね」
口を開いたのは、鹿野川先生でなく、神家理事長の方だった。全校集会で何度か聞いた、温かみのある優しげな声が鼓膜を揺らす。
「今日君たちを呼んだ、要件。この子の事で、君たちに話があるんだよ」
「はぁ……」
とはいえ、あたしはこの子に見覚えはない。望に目で尋ねても、彼も首を横に振った。
「この子、小学生ですよねぇ……?」 望は戸惑ったように鹿野川先生に視線を投げる。「オレたちと何か関係があるんですかぁ……?」
すると、「クフッ」と理事長が吹き出す。整った形の眉が下がり、口元に手を当てている。鹿野川先生は、何も言わず、ただ肩を竦めた――半笑いで。ただ一人、真ん中のその子だけ、笑わずに無表情を貫いていた。
真逆。あたしは嫌な予感を覚える。
「寒太」鹿野川先生が初めて口を開く。「何か反論したいことがあれば、自分の口で言えよ」
「……はい」
彼はやはり無表情のまま、だが話し出した。体付きに似合わない低音が口から発される。
「まず第一に、僕は小学生ではありません」
「ぅえっ?!」
望がかなり大袈裟に驚く。やっぱり、とあたしは心の中で独りごちた。
「ちょ、ちょっと待って」望は慌てて彼に詰め寄る。「き、君何歳?!」
「十六です」
その子が表情を変えず吐き出した言葉に、今度はあたしと望が同時に「ぅええっ?!」 と叫んだ。この見た目で望と同い年かっ!
彼はまだ続けた。
「学年はこの四月でA……いえ、高校二年です」
「「えええっ?!!」」
同じ学年じゃねぇかっ!
「編入してきたので、五日前の始業式からこの学校の生徒です」
「「ええええっっ?!!」」
同じ学校なのかよっ!
「クラスは一組だそうです」
「「えええええっ??!!」」
同じクラスかいっ!! 天丼かっ!
「鹿野川先生、どういうことですか……?」
ギギギ……と首を回してヘラヘラと笑っている担任の方を見ると、「そういうことだ」と返された。
「此奴の名前は別宮寒太。なんていうかまぁ、俺のちょっとした縁者だ。今年度からの編入生で、要はさっき話してくれた通り、お前らと同じ学年、同じクラス。四国に来るのが初めてで、まだ慣れていないから、お前らに面倒を頼みたい、というわけだ」
「ああ、成程……」
四国が初めて、と言われて、漸く呼び出された理由が判った。
四国の外から来たのなら、危険種と対峙したことが無い筈だ。
「あたしが狩人してるから、その身辺を成るべく守りつつ……ってことですね」
「そういうこと」引き継いで、理事長がニッコリと笑う。「多分、危険種は“外”から来た人にはかなりの負担だろうからね……。加えて言うと、望君は獣医だよね? 彼に危険種について少し教えてあげて欲しいんだよ。何も知識が無いのはそれこそ危険だろうし。二人共、頼まれてくれるかな?」
「勿論」鹿野川先生が再び口を開く。「唄乃はバイトとは言え、一応正式な職としてHuntersにも登録しているだろう? この対価は出そう。どうだ?」
「やります! ていうか、やらせてください!」
危険種相手は専門分野だし、何より収入源が増えるのだ。やらないという選択肢は無い。
食い気味に承諾したあたしに、「じゃあよろしくね」と理事長は満足そうに頷いた。
あたしはそれならと寒太に近付き、右手を差し出す。
「音霧唄乃っていいます! これからよろしくね!」
「ああ。……お願いします」
寒太は初めて口元を緩める。そして、若干躊躇いがちではあるが、しっかりと右手をあたしのに合わせた。どうやら、初対面の人には警戒気味の内気な子らしい。まだ完全に、とは言わないが、心をちょっとは開いてくれたようだ。
「うんうん! よろしく! ……何て呼べばいい?」
「お好きにどうぞ」
「わかった! じゃあ寒太ね! あたしも好きなように呼んでくれたのでいいから!」
「そうですか……では、音霧、で」
いいよ、と言おうとした時に、ふとあることに気が付く。
「望……?」
こういうことには直様反応し、男女関係なく友達になろうとする望が、何故か動かないでいた。逆に、振り向くと彼にしては珍しく、無表情ででそこに立っている。
「望君? 何か不都合が……?」
理事長が呆気に取られたように零す。理事長も望の普段の姿を知っているだけに、意外だったのだろう。
「あぁ、い、いえ……」望は指摘されると、直ぐに何でもないようにこちらに近づいてきた。いつもの柔らかな笑みを作り、寒太に話しかける。
「よろしくねぇ。……え、とぉ……一個、聞きたいことがあるんだけど……」
「はい、何でしょう」
少し怪訝そうな顔をしながら、寒太は頷いた。
「あ、あの、そんな大したことじゃぁ無いんだけど……君は何時、伊予の国に来たのぉ……?」
「…………約一か月前、ですが。それが?」
「……うぅん、大丈夫、何でもないよぉ……ホントに何でもないから! オレは千代鶴望! よろしくねぇ、寒太くん!」
「……はい。お願いします。それでは、千代鶴と呼ばせて頂きます」
「うん! 今日から友達だねぇ」
内心、あたしはほっとする。もしかすると、寒太は望の苦手なタイプの人なのかとも思ったが、どうやらそうではなかったみたいだ。
「じゃ、これで交渉成立だな」鹿野川先生はニッと口角をあげてそう言った。「二人共、少なくとも三ヶ月程度は此奴の傍を離れないでやってくれ。ここは伊予の国だ。マツヤマ区域だろうと、油断は禁物だぞ」
「判りましたっ!」
「はぁい!」
伊予の国に来たことがないのなら、何処へ連れて行ってあげようか。あたしが鹿野川先生に、給料を支払う口座を告げた後で、あたしたちは理事長室を後にした。




