大問一 ・実力が最強だからといって段位が最高でないことを証明せよ。ただし、本人の知能についてを用いて良いものとする。
「また落ちたぁぁーーーー?!」
和やかな朝の教室に、場違いな糞デカヴォイスが響く。
おかげで、クラスメイト全員の注目があたしたちに集まった。
「な、何これほんとっ?! もーーーーーーぉ信じらんないっ!」
「そう言われてもなぁ……こればっかりは……」
不合格、と言っても、漢検とか、英検とか、高校生がよく受けがちな試験ではない。
あたしが受けたのは、HOLE――Hunters Official License Examination――と呼ばれる試験で、端的に言えば、狩人になるための、資格検定試験である。あたしは既に、一番下の資格は持っているから、今回のは昇格試験に当たるけれども。
「唄乃ちゃんって馬鹿なの? 馬鹿だね? 馬鹿だよっ!」
「だって、試験前日単語帳見てたら寝落ちしたんだもん!! しょうがないじゃん!!」
「ふぅざけんなあぁぁぁぁっ!!」
話している相手から飛んできた余りキレのないパンチを易々と躱すと、また怒号が投げられた。
「ていうか、何回受けてんのぉ、同じ試験!! 正真正銘本物の馬鹿なんだね唄乃ちゃんって!」
「寝落ちしなきゃ受かったかもしれないじゃん?! だから、馬鹿馬鹿言わないでよ! そうじゃない可能性あるじゃん!!」
「いーーやっ、馬鹿ですっ! どのくらい馬鹿って三十億塩基対が一億塩基対に退化している程度に馬鹿っ!」
「例えが物凄く判りづらいっ、意味が理解できませんっ!」
「ゲノムの数ですぅ! 概数ではあるけど、三十億から一億だから、人間と線虫の違いだねぇっ!」
「なっ?! 線虫と一緒にしてたの?! サイテーーッ!!」
「唄乃ちゃんの方が最低だよぉっ! 馬鹿、線虫、粗ニューロン、筋肉海馬っ!!」
ベーッと目の前で舌を出した此奴は、千代鶴望といって、同じクラスで1番仲が良い男子だ。漆を塗り込めたような黒色の跳ねた髪に、対照的な陶器のように真っ白い肌。深紅の瞳は丸っこい団栗眼で、他の顔のパーツも全体的に幼く、丸顔なこともあって、男にしては可愛すぎる童顔を持つ。舌をあんな大袈裟に出しても、様になるくらいには愛らしい顔つきをしている奴だ。
そして、あたしは音霧唄乃。大体は何処にでもいる女子高生と同様なんだけど、ただ一点、、狩人というバイトをしている点では珍しいと言えるかもしれない。此処、四国――伊予国域では、高校生から、このバイトは法的に許可されるので、ちゃんと合法だ。まぁ、そのためのHOLEではあるんだけど。
狩人になるために要るのは、何も実技だけじゃない。学問もしっかりと試される。ので、一口にHOLEと言っても、実技検定と筆記試験があるのだが、勿論、あたしが不合格になったのは後者のほうだ。
「もぉ、このままじゃまた三ヶ月、三段狩人のままだよぉ? なる早で四段になったほうが、色々と都合がいいんでしょう?」
「そ、そうなんだけどさ……」
勉強したくないから、なんては言えない。
狩人としての最下位ランクは三段。その下の初段、二段も存在するけど、それは小、中学生時代には四国全土の人皆が受け、全員合格扱いになるから、カウントされない。言わずもがなだが、段位が高ければ高いほど、依頼をしてもらいやすくなるし、収入が上がるので、やはり狩人を名乗る人は皆、HOLEで昇級を望む。当然の帰結だ。
でも、勉強したくない。なら、仕方ないだろうっ!
そもそもあたしから言わせてもらえるなら、狩人の仕事は狩ることだ。そういう点ではあたしは、ちゃんと自分の使命を果たしている。何の落ち度もないはずだっ!!
しかしそこで、望から容赦ない現実が突きつけられる。
「しかも、合格率八十六%だなんて! 落ちる方が少ないじゃん!」
「う、」言い返せず、言葉に詰まった。「残り二十四%は受かってるんだ……」
「十四%ですぅ! 何、暗算もできないの?!」
「知ってるでしょ?」
「そうだねぇぇっ!」
はぁ、と疲れたように望は溜息を吐く。あたしの隣の席に突っ伏すと、次の瞬間には起き上がって鞄からおにぎりを出して猛烈な勢いで食べ出した。黒板の上の時計を見ると、八時を指している。確か、望は学生寮に住んでいるから、朝食は三十分前に済ませたはずだと思うんだけど。
美味しそうなそれに目がいっていることを悟られないように、口を動かす。
「もう朝弁?」
「というよりぃ、ヤケ食いだねぇ……」
よよよ……と、泣く真似すらし始めた望に、再びイラっとなる。こっちは今日いつもより寝坊したせいで、朝ごはん抜いてるっていうのに!
「け、けど! 今回は合格点マイナス十だったもんね……、実質合格じゃん!!」
「あの程度で合格点行かない方がおかしいんですぅ! ほとんど【危系序列】とか《偏性能力》答えるだけの基本問題じゃん!! それと確かにちょっとした計算アリの応用もあるけど、オレから言わせれば全部温いにも程がある! って感じだよぉっ!」
「それは望がおかしいの! 獣医と一般人を一緒にすんな!」
「その獣医さんが忙し~い時間の合間を縫って勉強教えてあげてるんだから、感謝してよぉ!」
そう、実は望は、これでも獣医だ。中学生とよく間違えられるほどの童顔故にそのような雰囲気は全くしないが、手術において相当な腕を持っているらしい。本人の自己申告なこともあって、俄かには信じられないけれども。ただ、常日頃から白衣を身につけ、青いニトリルゴムの手袋を装着しているため、そうなのかな、という気がしないでもない。
そして、やはりというべきか、生物学に対する造詣が深い。
難しい獣医試験に伊予の国史上最年少で合格しただけあって、HOLEの試験問題のような、まだ一般性のある生物学ならば、目を瞑ってでも解けるというレベルの知識量を備えている。
そういうわけで、あたしは彼にHOLEの試験問題を教えてもらっているのだが、それは高校一年から始まったから、桜が再び咲く今、丁度一年程経っている。
ただまあ、そんな超専門的な彼に、長期間勉強に付き合ってもらっていた成果は余り芳しくなく、一個上の四段にすら進めていないのだから、生徒側に多大な問題があると言えよう。
少なくとも、そう言われると、あたしに反論の余地は無い。が、素直に現実を認める懐の余地も無い。
「でもぉ、」望は改めて、というように、あたしに向き直った。「本当ぉに、本当ぉに、このままで良いわけじゃないんでしょう? ……唄乃ちゃん、とっても強いのに!」
「うん、それは、そうなんだけど……」
言いよどんだその時、「ィギィィィィィィィィィィィ」という、独特且つ鋭い鳴き声がした。脳に直接注ぎ込まれるような、金属音じみて不快なそれが耳に届く。
――これは。
「望」
「嘘、えぇ、ホンモノ?」
異変に気づいたクラスメイトの一人がヒッ、と息を呑む。それを無視して、鳴き声が聞こえた瞬間蜘蛛の子を散らしたように空白になった窓の付近に近づく。
外を眺めた瞬間、運動場の隅に植えられた木々の一部が、火に包まれた。
「火喰鳥……」
見慣れすぎた光景に、脊髄反射のような呟きが漏れる。
こんな状況を作れるのなんて、“火喰鳥”しか居なかった。
「HOLE問題に出てたねぇ……はい復習! 火喰鳥の【危系序列】と《偏性能力》はっ?」
「【危系序列】第八位――《偏性能力》……は確か、《星火燎原》っ!」
言うが早いか、あたしはリュックから、細長い袋と、学校指定のジャージを引っ張り出し、ジャージは羽織る。そうして、望を放ったまま教室を出た。
――ところで、さっきから狩人やら狩るやら言っているが、では一体、何を狩るのか。
リノリウムの床を全速力で走り、登校してきたクラスメイトたちにロクな挨拶もせずすれ違う。
登校ラッシュの人だかりという名の向かい風を抜けつつ、右手に曲がって階段を一つ飛ばしに登る。登った一番先にある、赤錆の目立つ、金属の扉をタックルするようにして開けると、錆び付いた音と共に少し肌寒い空気が肌を撫ぜた。桜の花びらが、こんな時でも風に乗ってさすらってきている。だが徐々、に“火が付いた”花びらへと移り変わっていっていた。
――その答えは、一つしかない。
眼前に広がる屋上には、既に目を見張るほど美しい赤色の鳥の、それが待ち構えている。
危険種。それが、彼奴らの名前だ。彼奴らの名前であり、あたしたちが狩る、対象でもある。
それは、土佐国域、讃岐国域、阿波国域、そして、伊予国域の四国に蔓延る特殊な生物の、人に害をなす方の総称で、今でも苦しめられる人は、多い。
「よし……やりますかっ!」
細長い袋から中身を引っ張り出す。強風に煽られ、袋は飛んでいってしまったが、気にしている暇はない。
中身の――二本の刀の方が大事なのだから。
何故ならそれが、あたしの商売道具にほかならないから。
――さて、確かに、今でも苦しめられている人はいる。最も安全とされるマツヤマ区域でも、毎日のように危険種は出没する。
そして。
それを狩るのが、あたしたち狩人の仕事だ。
「ギィィィィィィィッッ!」
「悪いけど、始業まで後二十五分しかないんだよね!」
飛び上がって空中を旋回する奴に、独り言じみた声をかける。遅刻すれば担任に何かまた言われそうだから、それまでには間に合わせたかった。
火喰鳥。……それも、危険種の一種。
危険種の特徴は幾つかあるが、その一つに挙げられるのは《偏性能力》という、強力な異能力を使うことであろう。先ほど言った《星火燎原》というのは、火喰鳥の《偏性能力》の名前で、火を操る能力だ。さらに具体的に言えば、自らの羽毛を自由に発火、鎮火させる能力で、この鳥の羽毛が不幸にも降ってきた山は、十中八九非道い山火事となる。街に出たらそれこそ木で出来た民家が丸焦げになるため、可及的速やかに狩らなければならない。恐らく屋上にいるのも、校舎を構成するコンクリートが燃えなかったことにイラついて、力技で破壊しに来た、というところだろう。そうは言っても、さすがのコンクリートも、一部変形してしまっていた。
赤い体をイラついているかの如く震えさせ、それに呼応するかのように、肌寒かった風が熱風となる。蒼い目が興奮に激っていることから、容易にその感情が伺えた。
だが、そうさせるわけには行かない。
「行くよっ!」
刀を、いつものようにワンピース風の制服のベルトに押し込み、鞘を固定する。
そうしてあたしは、鯉口を切った。
「わ、わあ……」
後を追って屋上に上がった望は、思わず嘆息を漏らした。
目の前に広がる光景は、多少既視感があるとはいえ、何度見ても幻想的だった。
この世のものとは思えないような美しい鳥が作り出し火の玉の中を、制服姿の少女がなんの臆面もなくすり抜けて行く。傍から見れば簡単そうに見えるが、実際はそんなわけがないことを、望は知っていた。
春らしからぬ暑さからか、もしくは興奮からか。額に汗が吹き出す。
望は、贔屓目無しに見ても、音霧唄乃こそ最強の狩人だと思っている。
勿論、頭が弱すぎることも認めているが、それ以上に狩人としての彼女を尊敬していた。
その時、視界の端でひらりと舞う布を見つける。
唄乃が先程、刀から引き剥がしたものだった。屋上の柵に引っかかっていたらしい。
(あ、取れそうだなぁ、あれ。取っといてあげよぉ……っと、)
そう考え、シンプルな柄のその布に近づいた、――その時。
「ィィギィッ!!」
「え、うっわぁあ!」
望の方が弱いことを、火喰鳥は本能的に察したのかもしれない。一瞬で望へと距離を詰め、腹の足しに食おうとしてか、嘴を伸ばした。
既に“何か”食べたのか、血の匂いのする嘴が迫り、戦闘慣れしていない望の頭は真っ白になる。
「ヒッ……」
グワリと大きく開かれ、生々しい舌と赤黒い口の中が見えた――その瞬間。
「ギイイイイィィィィアアアアッ!!」
何の前触れもなく嘴がスッパリと切れ、ついでに舌も切れたらしく、周囲と望が鮮血に染まる。余りの痛さにか、たじろぎ、首をもたげた火喰鳥を視認できた頃、漸く望の耳に唄乃の声が届いた。
「望、馬鹿はそっちじゃないの? 死ぬよ?」
呆れたように軽く微笑む彼女に、望は「ご、ごめん……」と返すことが精一杯だった。
今さっき唄乃がしたこと。それは、『五メートルの距離を縮め、刀で一息で嘴を切り落とすのを一秒で終わらせること』だった。
その事実に、望は心底身震いする。
これで三段だなんて、悪い冗談にしか思えない――と。
もはや日本語に変換できない鳴き声を上げて、火喰鳥は狂ったように羽毛を撒き散らしながら唄乃に迫る。しかも。
「う、唄乃ぉ!! ヤバいよぉ!! 『バーニング』起こしてる!」
「バー……? え、何それ?」
「この前テスト直前にやった!! 思い出してお願い!!」
恐怖から半ばパニックになって喚く望を余所に、唄乃は嘴を刃を交差させて受け止める。
「……っ」
攻撃が重く、踏ん張ってもズルズルと押され、是非なく唄乃は攻撃を受け流し、右に躱す。その状況を待っていたと言わんばかりに、大きく広げられた燃え盛る翼が、唄乃に接近した。
『バーニング』は、火喰鳥の最終形態とされる。
全身の羽毛を発火させ、相手に捨て身で攻撃している状態を一般に指すが、単に全身を発火させた状態のことを言う場合もある。
ただ、重要なのは、本来これは火喰鳥同士の争いに用いられることがほとんどで、人に向けられることは滅多にない。狩人界でも、この状態になる前に討伐するのが基本で、理由は純粋に、“『バーニング』状態になった火喰鳥を倒すのは、非常に困難だから”である。
それが今、二人の高校生の前に立ちはだかっているのである。
「う、唄乃ちゃぁぁぁぁんっ!!」
「わぁ」
普通の狩人ならば絶体絶命の状況に関わらず、唄乃は一切顔色を変えなかった。
逆に――笑っていた。
瞬く間に体制を整え、両腕をある位置へと持っていく。所謂、構えを取った状態だった。
「音霧双人流、対危獣狩猟剣術――――――」
目を瞑り、呟く。
ただしこの体勢はほんの一瞬で、望の目には捉えられていなかった。
望が見ることができたのは――――。
「第一陽ノ剣――――、『初音』」
その声と同時に、切り裂かれた翼だった。
「う、嘘……羽が……」
辺りに飛び散る血痕と、派手な音を立てて地面に転がった、燃えている翼。慣性の法則で移動をし続け、望の目の前まで滑ってきた。
火喰鳥が凄まじい絶叫をあげる。鼓膜が破れるかと思う声量に、望は自然、耳を塞いでしまう。
しかし、唄乃は止まらなかった。攻撃したことで火が移ってしまったジャージを脱ぎ捨て、ありったけの力で地を蹴り、飛べずに屋上のコンクリートの上に墜ちた火喰鳥に向かっていく。
熱で非道い陽炎が上がる中、唄乃は渾身の力を込めて、火喰鳥の首の根元を掻っ切った。
「ギィィィィィィィィィギャァァァァァァァァァッッッッッッ」
火喰鳥の断末魔が響き渡る。返り血がビシャァァァ、と言わんばかりにコンクリートの上を駆け抜け、水蒸気を上げた。白目を剥き、歪な嘴を掲げたまま死んだ火喰鳥の首のリアルさに、望は思わず顔を背ける。
危険種の特徴の第一に、こういうものがある。
それは、『首を切らなければ、死なない』ということだ。
首がある限り、危険種は体をどこまでも再生でき、復活もできる。ところが、唄乃によって首を切断された火喰鳥は今、最早ただの肉塊でしかなくなった。この状態まで持って行き、禍根を完全に断つまでが、狩人の仕事である。
「ふぅ、一丁上がりー」
血を払って刀を鞘に戻した唄乃は、手を組んでグーンと伸びをする。
「ああ、疲れたー。朝一で此奴と当たるなんて、あたしってツいてないなー」
「う、わぁ……火喰鳥単独猟、成功しちゃってるぅ……」
『バーニング』の説明をするために待ち構えていた望も既に勢いを削がれ、呑気に伸びなんかをする唄乃に呆れることしかできなかった。
陽炎は未だ収まらず、ユラユラと屋上の上を漂っている。
「もし試験が実技だけだったらぁ、唄乃ちゃんは、一気に七段まで大上昇するだろぉねぇ……」
「狩人が勉強しなきゃいけないなんて制度を政府が作ったから、今でも三段なんだよなー、あたしって」
「いーえ、唄乃ちゃんが馬鹿すぎるだけですぅ」
溜息を吐いた望は、翼の近くに放置されたそれを見て、あ、と声を上げた。
「唄乃ちゃん、あれ……」
「あ、ジャージ?」
「うん」望は頷く。「火、移っちゃったんだぁ」
「ホントだよ」肘を曲げて横に倒して体を解しながら、唄乃は返した。「また学校でお下がり寄付してもらわなきゃなー」
翼の火がどんどん移り、一時的な気温も相まって、みるみるうちに火の塊になるジャージを見つめていた唄乃だが、ここであることを思い出し、ハッとして体のストレッチをやめた。
「やば……」
「……? 如何したのぉ?」
「ジャージのポケットに、ロケット花火入れてたわ」
次の瞬間、色とりどりの光が二人の網膜を焼いた――――たった十センチ手前で。
「唄乃ちゃんの、馬ぁぁ鹿ぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっっっ!」
望の絶叫と、始業のチャイムが空気を震わせたのは、同時だった。




