7-1 壁を登る
「おい。あれ!」
旧ホーフエーベネ領とケパレー魔法王国の境界。
そこに帝国が二年前の侵攻後に設けた砦の上。
帝国兵が遠くに迫る兵団を見つけ、同僚に知らせる。
天使から、ケパレー来襲の可能性あり、篝火を絶やさず警護せよ、との達しが来ていた。
「聞いた話じゃケパレーに攻め込んでって、返り討ちになったっていうぜ」
「なんだよ、言うほどじゃねえな、天使も」
「しっ、どこで聞かれているか分からねえぞ」
「き、気持ちわりいよな」
当直の兵士たちの間ではこんな会話がされていた。
まさか言う通りにケパレー軍が攻めてくるとは思っていなかったので、慌てる兵士たち。
帝国兵もまた、長く続く平和に慣れていた。
自分たちが攻め込んで、砦を築いたのだが、何のためなのかは聞かされていない。
一般兵は天使と接触する機会など滅多にない。
あったとしても、あの瞳孔まで白い目で見られると怖気立つ。
しかし、帝国内で天使の命令は絶対だった。
仕方ないので篝火をいつもより多めに焚いて形だけ命令に従う。
門には天使によって何やら設置されているので開けることができない。
砦の外にまで篝火を置くためには、態々縄梯子などで外に出なければならないが、そこまでして篝火を置こう、と考える程やる気を持って職務にあたっている兵士はいなかった。
まだ暗い中、遠くに敵影を見つけた兵士がそれを知らせようと呼子を吹こうとしたその時、
ドカッ!!
壁の下から飛び出してきた男に蹴り飛ばされ意識を失った。
その少し前、砦の前に広がる地に陣取るケパレー軍の後方で、
「陛下はご無事でしょうか、、、」
心配そうにしているメタメレイアに、
「ターロ様がいます。よほどのことがない限り大丈夫ですよ」
メトドが頭巾の中から応えた。
攻城戦の常識として攻める側は守る側の三倍以上の兵が必要とされているが、帝国軍の兵数が分からないので仕方ない。
ケパレーが出せる兵力のほぼ全てをつぎ込んだ。
王都にはいざという時、市民が逃げる時間を稼ぐ為の最低限の兵力だけ残してきた。
それぞれの貴族も同じく、領地の治安維持に必要な兵力以外は全て連れてきている。
活躍すれば新しい領土を賜わる事が出来るかも知れない、というので張り切っていた。
門を開けて中に入り、魔法封印装置を解いてしまえば、数的不利などなんとでもなる。
というのも、帝国軍兵士は殆が魔法を使えないからだ。
天使が帝国に齎した技術は魔法陣。
戦闘中に使える程、素早く発動させることができる者は人族にはいない。
なので、今回の成功の鍵は決死隊が門をどれだけ素早く開け、魔法封印結界の魔法陣を見つけて解除するかにかかっている。
ターロたちが梯子で登って行くのが見えたので、打ち合わせ通りエウローが号令をかけた。
「全軍、かかれー!!!」
更に少し前。
砦の下には闇に紛れてケパレー軍の決死隊が四挺の梯子を抱えて壁伝いに配置に付いた。
壁に沿って移動すると、上からは態々首を出して覗き込まない限り見えない。
特に今は何故か篝火が無駄に明るいので、影が濃く、それに紛れての移動は楽だった。
門を開けて外に出られない理由でもあるのだろうか、危惧した壁前の篝火は無かった。
暗いうちからゆっくり、静かに回り込んで、気づかれないように壁の下まで辿り着く。
四挺のうちの真ん中、左にターロ。
右はオルトロス。
両端のは志願兵がそれぞれ、最初に昇る役となった。
ドーラはオルトロスの組に入り、梯子がかかったら一番に昇ることとなった。
何度か試した結果、ドーラの馬鹿力で押し出す梯子の速さに対応できるのは、オルトロスだけだったからだ。
砂糖と新鮮な牛乳が手に入る王の特権を活かして用意した飴菓子で、オルトロスはドーラを手懐けていた。
オルトロスが手信号を送ると同時に、梯子を持った者達が壁と垂直になる様、梯子を展開していく。
垂直になると同時にターロ達は梯子の最上段を腰に当て押されるままに壁を駆け上がり、勢い余って飛び出した。
オルトロスの合図から三秒あまりの出来事だ。
ターロが、目の前の呼子を鳴らそうとしていた帝国兵の顎に蹴りを決めた時にはドーラは既に登ってきている。
「速いな、ドーラ」
もうドーラは拳で敵兵二人を沈めていた。
ドーラにはチョキとパーは使っちゃいけません、と言ってある。
チョキの目潰しは論外だが、パーの手刀も、空手の型を身に付けたドーラの腕力で振るうと、人の腹ぐらい貫いてしまう。
グーもその危険があるが、手刀よりましだ。
甘いことかも知れないが、ドーラにはなるべく人殺しをさせたくない。
気絶させればそれでいいよ、とドーラに言ってある。
戦争なのだからそれは通じないのかと言うと、一概にそうとも言えないのでは、とターロは思う。
ドーラに殴られて昏倒していた兵士は帰ってから正直に、女の子に殴られて気絶していた、と言うだろうか?
恥ずかしくて、ケパレーは魔術だけではない、恐ろしい体術の使い手がいる、と吹聴するのではないだろうか。
そうなれば遠回しに帝国軍の戦意を挫く事になる。
兵を殺して減らしても、どうにかして補充されてしまうだろう。
その中には、身内が殺されて、復讐に燃え参戦する者も現れるだろう。
しかし、死なずに戻って恐怖心に染まった者が再び徴兵されれば、結局はこちらの有利になる。
甘い考えだろうか?
前世が戦争を忌避する様に育てられた、日本人である所為か?
いいや、誰がなんと言おうと、この甘さを貫くことが出来るならば、それは強さになるに違いない。
そんな事をターロは考えていた。