5-0-1 大賢者、森へ行く1
「僕、イッヒー。悪い魔法使いじゃないよ」
その日、樹海の民は、悪夢に襲われていた。
自慢の弓矢も吹き矢も、何故か目の前の男には届かない。
いきなりやって来た異邦の男は、精霊樹の所へ連れて行け、と言う。
精霊樹は樹海の民のとって、神にも等しい神聖なもの。
おいそれと部外者を近寄らせるわけにはゆかない。
よって、このふざけた侵入者に、無言で何の前置きもなく矢を射掛けた。
が、なぜか矢が逸れる。
森一番の射手の矢なのに、だ。
物心付いたときからこの距離で的を外した事などない。
二射目も三射目も同じ結果だった。
それならば、と他の者も一斉に射掛ける。
そこで恐ろしい光景を目にした。
何十本と射掛けられた矢は標的の男を針鼠のようにしているはずだった。
しかし全ての矢は男の少し手前で、まるで目に見えないなにかに刺さったように止まっている。
空中で、だ。
「あ、悪魔だ!」
誰ともなく叫び、蜘蛛の子を散らすように逃げようとするが、体が動かない。
イッヒーは、魔力障壁を解除した。
全ての矢が地面に落ちる。
そして呟いた。
「なんでこうなるの、、、」
悪い魔法使いじゃない、って言ったのに。
樹海の民は矢が全て地面に落ちたのを見て、更に恐怖に駆られる。
何か理解できないことが起こっている。
こんな事が出来るのは悪魔に違いない。
我々を皆殺しにして、精霊樹を奪う気だ。
そう決めつけていた。
「んん〜、どうしてそう考えるの、、、」
心を読んだイッヒーは困り果てる。
この世界に転生して来て困った事は数多あったが、やはり人々の迷信深さには毎度の事ながら、悩まされる。
そのたびに根気強く説明し、説得してきた。
今回もそうせねばならないのかと、ため息をつく。
ただ、静かに過ごせる別荘が欲しいだけなのに、、、。
そう思っていると、何やら笛の音が樹海の奥から聞こえた。
魔法で動けなくしていた男達の顔色が変わる。
(なんだ?)
取り敢えず、束縛を解いてみた。
森の民は急に動けるようになって、つんのめったり、崩れ落ちたりしたが、イッヒーの顔を見ると微笑んでいる。
皆は顔を見合わせた。
そして頷く。
「オババ様が連れてこいと言っている」
一人がそう言って歩き始めたので、付いていくと集落が見えてきた。
柵の中へ入ると、老婆が若い女性に付き添われて立っている。
(精霊樹の巫女かな?)
イッヒーの思った通り老婆は精霊樹の言葉が聞ける巫女のような存在だった。
「精霊樹のお告げがあった。この者は里に幸いをもたらす。丁重に扱え」
とオババ様と呼ばれる老婆は里の者に言い、そしてイッヒーに向き直ると、
「但し我等もお主を見極めたい。問題がなければ精霊樹の前に連れて行こう。ここでの滞在を許す」
といって、去っていった。
(そりゃそうだ。精霊樹は彼らにとって神のようなもの。いきなり来て、連れてけ、は、まずかったな。まあいいや。時間をかけて彼らの心を開こう)
こうしてイッヒーは家も充てがわれ、里に滞在することになった。
滞在中ボーッと過ごすわけにもいかないので、青空教室を開く。
薬学と魔法、算術を教えることにした。
最初は遠巻きに見ていた里のものも、分けてもらった傷薬が良く効いたので興味を持ち、薬草の知識を教えてもらいに来るようになった。
そして魔法。
狩りがより安全に行えるような、探知や、隠密の魔法を習う。
中には魔力量が生まれつき多い者もいた。
そうした者は、今まで教えるものがいなかったので魔法を使ってはいなかったが、イッヒーが来てからメキメキ力を付けていった。
中でも、ロエーという青年の成長には目を見張る物があった。
それもそのはずで、既に彼には、そう強力な物ではないが魂力が発現していた。
イッヒーの魂力"鑑定者"によると、ロエーのそれは水魔法の威力を増幅する物らしい。
小さい頃、川の激流に流された時の恐怖が水の力強さへの畏敬に変わり、やがて魂力へと昇華されたようだ。
しかしそんな魂力も魔法その物が使えなくては宝の持ち腐れ。
「私は弓の才能がなくって、村では穀潰しの扱いを受けているんです」
ある日、ロエーはそうイッヒーに打ち明けた。
その所為で精霊樹の前で行う成人の儀もまだ受けさせてもらえないという。
ロエーは二十歳位に見える。
本来成人の儀は十五才前後で行うので、大分遅いと言わざるを得ない。
「酷いな。弓だけが人の生きる道じゃないでしょ」
イッヒーは憤慨するが、
「いえ、この里では、弓を扱えなければ一人前じゃないのですよ」
とロエーは悲しげに言った。
「大丈夫。この先、里の人は君をなくてはならぬ人材だと思い知るだろうよ」
とイッヒーは確約した。
イッヒーがこの里を来て三ヶ月程立った頃、オババがやって来た。
「イッヒーさんや、里の者にいろいろ教えてくれてありがとうよ。もう、ここのものは皆、お前さんを里の一員として認めておる。精霊樹の前へ行くとしよう」
というオババへイッヒーは、
「オババ様、本当は最初から僕を精霊樹に会わせるつもりだったんでしょ?」
と訊く。
周りにいる者はどう言う意味だ? という顔をするが、オババはニヤッと笑って、
「ああ。精霊樹のお告げがあったでなあ、すぐに連れて行っても良かったんじゃが、、、。せっかくお前さんというお人が来たんだ。里の者に色々教えてもらってもバチは当たらんじゃろ」
と、シラッとした顔で言った。
(くえないおばあちゃんだな)
とイッヒーは苦笑いをした。
要するに利用されたのだ。
まあ、里の人に怖がられたまま、用事が済んで、はいさようなら、というよりはいいか、と思い直すイッヒー。
「ついでに成人の儀をやってしまおう」
というオババに何人かの青年も付いてきた。
その中にはロエーもいた。
里の真ん中に精霊樹はある。
誰でもその幹の根本まで行くことはできるが、イッヒーは許可が出ないうちは近寄らないようにしていた。
太い幹の前には祭壇のような櫓があり、儀式を受ける者は一人ずつそこに登って幹に手をあて祈る。
そうすると不思議な事に、目を開けた時には世界にたった一張りの自分専用の弓を手にしている。
儀式を受け弓を与えられたものは皆、この弓に恥じぬよう里と精霊樹を守っていくと決意を新たにしていた。
里の青年の最後は、ロエーだった。
弓がありえないほど下手で皆から馬鹿にされていたのに、イッヒー曰く天才的な魔法の才能がある、という事で魔法の手解きを受け、たった三月のうちに水の矢で大型の猪を仕留めるほどの成長を見せた。
普通の矢どころか精霊樹の矢でも、一撃で仕留めるのが難しい大きさの猪を魔法で仕留めて帰ってきたときから、里でのロエーの扱いは全く変わった。
(イッヒー様の言う通りだ)
里の人の掌返しに苦笑しつつも、ロエーは自分の居場所を自分で掴み取れた事によって自信を持てるようになっていた。
イッヒー様には足を向けて寝られないな、とロエーには感謝しかない。
そのロエーが祭壇に上がる。
目を開けたとき、手にしていたのは弓ではなく杖。
杖頭は美しい木の瘤杢の塊になっている。
まるで川の激流のような模様だ。
それを見たイッヒーは、
「うわ、いい杖だね。水魔法が得意な君にはぴったりだ」
と、驚く。
杖に宿った力が分かるらしい。
「最後はお前さんじゃ。ところで、訊いていなかったが、精霊樹に何の用があったんじゃ?」
「え? 今更ですか? ああ、そういえば言っていませんでしたね。いや、許可を取ろうと思って、、、」
「何のじゃ?」
「森の中に別荘を作ろうと思って、、、」
「、、、別荘?」
何だ? この人はそれだけのために、三ヶ月もここにいて、皆に色々と教えてくれたのか?
皆が困惑する中、イッヒーは祭壇に登った。
幹に手をあてる。
他の者より長いことそうしていたと思ったら、手が光って、杖を握っていた。
満足そうに笑顔で降りてくる。
「どうじゃった?」
オババが訊くと、
「僕も杖を貰っちゃいました。それから、別荘とその周りの結界も作っていいそうです。ただし、条件があると、、、」
ピユィーーーーッ!!
その時、里の外から笛の音が聞こえてきた。
「オババ様! 大変だ! 敵襲です!」