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【第4話】- 騎士総長の娘 -

マリーヌはお茶会の別れの挨拶も、もちろん最後まで待ち惚けだ。残ったお茶やお菓子を摘んで待つ訳にもいかずに姿勢を正したまま端の方で息を潜め目立たぬように自分の番になるまで静かに佇むのみ。


王族のお茶会に気合いを入れた母が用意した下ろしたての靴の所為で、浮腫と靴擦れに悲鳴をあげる自身の足へと意識が向く。ドレスの中で窮屈な靴を脱ぎ捨てたくなる衝動との闘い。ほんの少し脱ぐくらいならバレないのではという甘い誘惑。マリーヌは思わず、あと何人かしらと令嬢達を密かに数えてしまう。


残った令嬢達を数える事に夢中になり始めた視界の端にこちらへと真っ直ぐに近づいてくる存在に気が付いた。マリーヌは知らないフリをして逃げたい衝動を押さえ込み、脱ぎかけた靴を咄嗟に履き直して、ドレスの無いシワを軽く撫で付けて何食わぬ顔で第一王子を笑顔で迎える。今度は何だと身体が自然と身構えて固くなってしまう。


「マリーヌ嬢。君が騎士総長ダグラス卿の娘さんだね?」

「そ、そうでございます。」


王子の質問の言葉に、そういえばルイドリッヒ王子とは今日が初見だった事を思い出し貼り付けた笑顔が青ざめ、身構え強張った肩が無意識に竦む。


社交の場での初見の挨拶は不敬うんぬんの前に人として怠ってはいけない基本中の基本であるとマリーヌは心得ている。貴族教育とは関係なく騎士道精神を根底に躾ける父からも礼儀の大切さを教わっているし、生粋の貴族の母からも礼儀を重んじるように強く躾けられている。


マリーヌは両親の教えに従い常日頃より赴いた先での最初と最後の挨拶をとくに意識していたにも関わらず、我が国の王子へともっとも重要な初見の礼儀を怠ったままの自分自身に心の中で激しく罵倒した。


すでにマリーヌの名前も父親も見知っている相手に今更と思われるかも知れないが、この機会を逃せば自分の失態が心の中にずっと燻り続ける事になるだろう。それ程までに挨拶という名の礼儀は怠れないとマリーヌは認識している。


最初と最後さえ貴族の令嬢としてしっかりしていれば、どんな場でも途中で些細な失敗があったとしても、相手にそれほど不快な印象は残らない。逆に言えば、最初と最後が悪ければ相手に与えた最悪の印象はずっと引きずり続ける。まさに自分の首を自分で絞める結果となる。身分に関わらず他者と共存して生きる上で決して侮ってはいけない礼儀、それが挨拶。


底辺貴族であり、マナーも作法も気品も品格も周りの令嬢達より見劣りするマリーヌが王族主催のお茶会に呼ばれる程に大人達の間で悪い噂がたっていないのも最初と最後の挨拶に一点集中して挨拶だけは誰にも難癖を言われないように細心の注意を払って努めているからなのではないかと自負している。あとはボロを出さないように目立たず隅の方で慎ましい微笑みを浮かべて身を潜めることに徹している。これこそがマリーヌなりの貴族社会で得た唯一の処世術である。


(挨拶のプロとして、ここで有耶無耶にするのは生き恥!)


マリーヌは燃える闘志を内に秘め、意を決して今更ながらにドレスの裾を持ち上げて淑女の礼を取る。

本来ならば王族への挨拶は手の甲に真似事でも口付けの礼を取りたい所だが、ルイドリッヒは手を差し出していない為に諦める。相手が侮られたと思われないように、媚び過ぎると思われ不快な気持ちにさせないように、ドレスで隠れている膝を折る角度にも意識をして、足と腹と背中の筋肉を意識させ姿勢がブレないように腰を垂直に屈める。優雅にそして愚鈍に見えないように屈む速さにも気を付ける。先程目の当たりにしたアンジェリー王女とミランダ侯爵令嬢の流れる様に華麗な所作に感化されたのか、マリーヌは自分史上もっとも完璧なカーテシーに心の中でガッツポーズを決めた。


「ルイドリッヒ王子殿下。初見の挨拶が遅くなり大変申し訳ございませんでした。わたくしが騎士総長ダグラスの娘、マリーヌ・フォスターで御座います。」

「あぁ、だから会いにきたんだ。」


ルイドリッヒ王子はマリーヌの渾身の挨拶を一言で済ませ「それで?」と言わんばかりの顔にマリーヌは王族恐るべしと独り慄いた。王子から問い掛けてきたにも関わらず、何故にぞんざいな反応?王子が微かに浮かべる笑みに早く次の言葉は無いのかとばかりに迫っているようにも感じる。


(…えーと、初見で特に話す事もないのに。私と王子の共通の話題なんて、さっき私がやらかした失態のみだよね。…さすがにあれは蒸し返したくはない…。)


「あの…、父がいつもお世話になっております。」


マリーヌはルイドリッヒ王子の笑顔の催促に何も思いつかないままに発した言葉はまったく令嬢らしくないものになってしまった。さすが挨拶のみの、なんちゃって令嬢な自分。初見の挨拶の出鼻を挫かれれば、貴族としての武器を他に何も持ち合わせては無い。先程からの度重なる上下左右に振られすぎた感情の起伏に満身創痍の頭では何の名案も浮かばない。むしろ王族に対しての名案など、はなから無い。ならばせめて笑っとけと微笑みを追加する。


「いや、いつも世話になっているのはむしろ王族だ。この間も父が他国へと出向いた道中に出くわした野盗集団をダグラス卿が自ら指揮して撃退し、アジトまで壊滅させたと父から聞いている。野盗集団の討伐がきっかけで赴いた先の国と関係が深まったとも喜んでいた。」


マリーヌは苦し紛れに発した凡そ令嬢らしからぬ言葉にルイドリッヒ王子が青い瞳を輝かせたその様子に父ダグラスへの敬意を感じ、マリーヌはその事に嬉しさよりも気まずさを乗り切れた安堵が先に立ってしまった事に父へと心の中でそっと謝り、次に会ったら労をねぎらって肩揉みでもしようと心に誓った。


この国の王様はとても行動的なお方だ。他国との交渉も親睦も外交官だけに任せずに自ら他国へと赴き協定を結び、国王同士の人と人との絆を持って文化も言葉も違う国同士を平和に導いている。王が城から出れば危険も増すが、代々受け継がれる国王の真の平和への飽くなき探求は危険だからと言って城に籠る事はない。そんな国王に国民達は誇りと信頼、深い敬愛を抱いている。


ひとたび戦争になろうものなら、およそ80年前の敵国に攻め入られた時の様に国民達は一丸となって国の平和の為に、家族の未来を守る為に信頼に足る国王と共に奮闘するだろう。

しかし10年にも続いた敵国の侵略を防ぐ戦いで勝利を勝ち取りはしたが、多くの働き盛りの男を失った代償は大きく、女が働く事で生活を支え補ってきたが、同時期に国を襲ったイナゴの大軍によってさらに多くの国民を飢餓や病気で失った事に当時の国王はそれは嘆き、今に続く国政の改革を積極的に行い国を繁栄させ国民達の平和への礎を築く為に奮闘したと伝えられている。


国王自ら行う平和への探求にはマリーヌの父の様な、平民の出であろうと信頼に足る精鋭の騎士は必要不可欠な存在なのだ。マリーヌもまた国民の例に漏れず国王を尊敬しているし、国王を陰で支え命をかけて守り戦う父もまた尊敬している。


「ルイドリッヒ王子殿下、ありがたきお言葉でございます。王家に使え、我が国を平和へと導く国王陛下へと忠誠を誓うのは父の誇りでもございます。」


父は大雑把で思ったら直ぐに行動に移しては母の逆鱗に触れてしまうところもあるけれど、母を一途に愛し家族想いで愛情深く、他者の最善を見出す能力や逞しくて頼もしいところも、そして揺るぎないほどに芯も神経も図太い父をマリーヌは敬愛している。母にだけには敵わない事実は家族だけの最重の秘密事項だ。


この国の王族である第一王子に父を褒められた事の嬉しさが満身創痍の身体に徐々に染み渡り、自然と笑みが漏れる。マリーヌの言葉に第一王子も満足そうだ。お互いの父親を尊敬し合っているという共通点を発見し、雲の上の遠い存在でしかなかった王子の存在が少し身近に感じる。


「ダグラス騎士総長が城に居る時は私も騎士の訓練に参加し指導を受けているが、新人騎士や兵士への叱咤激励にマリーヌ嬢の名前がよく出てくるので興味が湧いたんだ。」

「…さようでございますか。」


騎士の訓練に私の名前?平然を装って返答してみたがマリーヌは嫌な予感しかしない。どうやら装いきれずに怪訝な顔になっていたらしく、第一王子からはどこか聞き覚えのある噛み殺した様な含み笑いが漏れる。


「くくく。変な励ましではないから安心していい。」

「…そうでございますか。」


なんだか釈然としない思いにマリーヌはもどかしくなる。父に直接問い詰めようかと思いもしたが、基本的に城に詰めている父親がいつ家へと帰ってくるかはわからない。いつ聞けるかわからない事に興味が更に強くなる。


「あの…ルイドリッヒ王子殿下。父は騎士達へと何と励ましの言葉をかけているのでしょうか?」


マリーヌの困惑気味な質問にルイドリッヒは思い出し笑いを堪えているつもりなのか、顔を横に背け口に手を当て嚙み殺すような笑いを強くする。マリーヌは王子の反応に嫌な予感が強くなった。爵位は底辺でも貴族の令嬢として淑女を目指し目下邁進中だというのに、我が国の王子をここまで笑わせる父の激励の言葉とやらに戸惑いを通りこし怒りすら湧いてきた。


(肩揉みはなし!次にお父様が疲れて帰ってきても労いの言葉の前に延々と文句を言ってやる。)


そういえば、城へと入場した際に検問の兵士に名前を告げた時の驚いたような表情と妙に親しげな対応に疑問を感じたが今回の事とどうやら関わりがありそうだ。そう思うと尚更腹ただしい。王族の御前でなければ父への怒りで歯軋りをしていただろう。


「笑ってすまなかった。どうか私の事は固くならずに敬称なく呼んでほしい。訓練の度に名前を聞いているのでマリーヌ嬢とは近しい気さえする。」


一頻り笑った失礼な王子の言葉にマリーヌは思わずギョッとし、怒りと興味のモヤモヤが一気に消し飛ぶ。どこまでも心臓に悪い王子だ。先程のからかい同様に、真に受けたら私の首が飛んでしまうではないか。


「王子殿下。恐れながら、わたくしには御名でお呼びするのは恐れ多過ぎてとても…。」

「この国の王子の願いでもか。」

「…はい。我が国の王族であらせられる王子殿下だからに御座います。」

「そうか。それでは致し方ないな。」


頑なに拒むマリーヌにルイドリッヒは不敵に微笑み、言葉とは裏腹に諦める風でもなく、わざとらしく考える様な仕草が加わって、マリーヌは嫌な予感しかしなくなる。王族相手にマリーヌが出来る事はただ一つ、何事も起きない事を一心に祈るしかない。


「ではマリーヌ嬢には騎士達の訓練風景を眺められるよう私が取り計らって招待する事にしよう。その後、私が特別に城を案内してあげよう。」


王子の言葉をやっとのことで理解し事の重大性のあまり言葉が直ぐにでずに、間抜けにも言葉がでない口だけが開く。私が第一王子に特別な招待なんかをされた日には色んな憶測に過激な噂が飛び交って、派閥の婚約候補だけではなく、取り巻く令嬢達にその家族達からも火炙りにされてしまう!もしかしたら、金で雇われた暗殺者に命を狙われる可能性もあるのでは?


(…おそろしい。この王子は恐ろし過ぎる!!…私の嫌がる事を的確に突いて遠回しに脅してくる!)


マリーヌの冷静を装っても隠しきれない慌てふためく様を王子は楽しそうに眺めている。私が何と言っても目の前の第一王子は自分の要求を押し通すだろうと予測はつく。たとえ目の前の令嬢が命の危機を招く結果になろうとも。王族にとってはしがない底辺貴族の令嬢の存在など取るに足りないのだろうか。だけれど自分にとっては大事な命だ。マリーヌは先程まで、ただ単純に噂通り物腰が柔らかいと思っていたニコニコと気が散る美しい王子の笑顔を遮る為に、目を瞑り息を軽く吐いて覚悟を決める。


「…わかりました。王子殿下の御名にてお呼びさせて頂きます。ですが、周りに誰もいない時のみと限らせて下さいませ。」

「親しい者は皆、ルイと呼ぶ。そう読んでくれマリーヌ。」


王子は勝ち誇った様に語尾にマリーヌと名指しを付け加え催促するように強調する。


「…はい。…ルイ様。」


マリーヌは一心に祈った甲斐もなく、徐々に自分の未来が閉ざされていく様に感じる。そのあまりの暗雲立ち込める不安定な自分の未来に足元が揺らぎ倒れてしまいそうだ。元来、健康そのもののマリーヌは気絶などとは無縁の存在。今もしっかり前を見据えて地面にしっかりと立ち、グラつきもしない父似の丈夫な心と身体が恨めしくなる。


お読み頂き誠にありがとうございます。

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